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過労で倒れかけの騎士団長を「カツ丼」で救ったら、なぜか溺愛され始めました。  作者: 水凪しおん


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第1話「冷たい雨の夜と温かなスープ」

登場人物紹介


◆ルカ

王都の下町で、亡き両親から受け継いだ小さな食堂を一人で切り盛りする青年。華やかな経歴こそないものの、食べる人の心と身体を思いやる誠実な料理を作る。鋭い観察眼と豊かな発想力を持ち、異世界の食材を工夫して新しい味を生み出す探求心に満ちている。孤独な環境のなかでも温かさを失わず、ひたむきに生きる芯の強さを持つ。


◆レオンハルト

王都の治安と防衛を担う若き騎士団長。生真面目で責任感が人一倍強く、部下や市民からの信頼も厚い。しかし、その重責ゆえに自身の休息を後回しにしがちで、心身ともに極限まで疲弊している。味気ない携帯食ばかりを口にしていたため食欲を失っていたが、ルカの料理と優しさに触れることで、忘れていた感情を取り戻していく。

 王都の下町を分厚い雨雲が覆い尽くし、空から落ちてくる大粒の雨が古い石畳を激しく打ち据えていた。容赦なく降り注ぐ雨水は建物の屋根から流れ落ちて水たまりを作り、泥を跳ね上げながら通りを川のように流れていく。風も次第に強さを増し、木製の看板をきしませ、雨戸の閉まった家々の壁を叩いている。人々はとうの昔に歩みを止め、それぞれの家路についており、表通りには誰の姿もなかった。


 そんな冷え切った夜の街角で、小さな窓から温かな橙色の光を漏らしている建物があった。ルカが亡き両親から受け継ぎ、たった一人で切り盛りしている食堂だ。店内には客の姿はなく、ただ奥の暖炉で燃える薪が赤い炎を揺らしながら爆ぜる音だけが響いている。ルカは厨房の作業台の前に立ち、翌日の仕込みに追われていた。使い込まれた木のまな板の上で、新鮮な緑の葉野菜を包丁で切り分けていく。金属の刃が野菜の繊維を断ち切り、木肌に当たる一定のリズムが静かな店内に心地よく流れていた。


 切り口から爽やかな青臭い匂いがかすかに立ち昇る。ルカは切った野菜を木製のボウルに移し、次に水を入れた深い鍋を火にかけた。両親が残してくれたこの店を、一日でも長く守り抜くこと。それが今のルカにとって唯一の生きる目的だった。孤独に押しつぶされそうになる夜もあるが、食材と向き合い、火の温もりを感じている間だけは、胸の奥底に空いた穴が少しだけ埋まるような気がした。


 鍋の中の水が熱を持ち始め、小さな気泡が底から揺らぎながら水面へと上がっていく。その様子をぼんやりと見つめていたルカの耳に、重厚な木製の扉が押し開かれる音が届いた。風とともに冷たい雨の匂いが店内に流れ込み、暖かな空気を一瞬にして冷やす。


 ルカが驚いて入り口へと視線を向けると、そこには全身を雨で濡らした長身の男が立っていた。分厚い布地のマントはたっぷりと水を含んで重そうに垂れ下がり、その下から覗く金属の甲冑が店内の灯りを反射して鈍く光っている。男の髪からは絶え間なく水滴が落ち、足元の床に暗い染みを作っていた。


「いらっしゃいませ。ひどい雨でしたね」


 ルカは慌てて手元の作業を止め、清潔な白いタオルを手に取って男へと歩み寄った。近づくにつれて、男が纏っている金属と革の匂い、そして濃密な疲労の気配がルカの鼻をかすめた。男の顔はひどく青白く、目の下には深い影が落ちている。唇は寒さのせいか血の気を失い、呼吸は浅く不規則だった。王都の治安を守る騎士団の紋章が胸元に刻まれているのが見えた。


「夜分にすまない。少しだけ、雨をやり過ごさせてくれないだろうか」


 男の声は低く、ひどく掠れていた。喉の奥が乾ききっているのが音の響きだけでわかる。ルカは黙って頷き、手にしていたタオルを男に差し出した。


「もちろんです。どうぞ、奥の暖炉のそばへ。冷え切っているでしょう。すぐに温かいものをお出しします」


 男は少しためらうような素振りを見せたが、やがて小さく息を吐き、タオルの布地を受け取った。重い足取りで暖炉の前の席へと歩き、椅子に腰を下ろす。甲冑の金属板がこすれ合う重たい音が店内に響いた。男が濡れた髪をタオルで拭うのを横目に、ルカは足早に厨房へと戻った。


『あのひどい顔色……。相当な無理を重ねているに違いない。重い肉料理や油を使ったものは、今の彼には受け付けないだろう』


 ルカは即座に思考を巡らせる。胃腸に負担をかけず、体の芯から温まるもの。ルカは小さな鍋を別の火元に移し、あらかじめ取っておいた琥珀茸の戻し汁を注ぎ込んだ。透き通った黄金色の液体が熱せられ、きのこ特有の深い芳香が湯気とともに立ち昇る。そこに、甘みが強い黄色い根菜と、葉野菜を細かく刻んで加えた。


 火加減を微調整しながら、少量の塩と、香りを引き立てるための微細な乾燥香草を指先で揉み込むようにして落とす。汁の中で野菜が柔らかく煮崩れ始め、とろみがついていく。ルカは同時に、余っていた硬焼きパンを薄く切り、網の上で表面にわずかな焦げ目がつくまで炙った。小麦の香ばしい匂いがふわりと漂う。


「お待たせしました。琥珀茸と根菜のスープです。炙ったパンと一緒にどうぞ」


 ルカが木のお盆に乗せて料理を運ぶと、暖炉の火を見つめていた男がゆっくりと顔を上げた。ルカは湯気を立てる深い木の器と、小さな皿に乗せたパンを卓上の男の前に置いた。


 男は戸惑ったようにスープの表面を見つめていた。その表情には、食事という行為に対する微かな億劫さが滲んでいるように見えた。それでも、礼儀を重んじるように木の匙を手に取り、ゆっくりとすくい上げて口へと運んだ。


 スープが舌に触れ、喉を通り抜けた瞬間、男の肩がわずかに揺れた。驚いたように目を瞬かせ、もう一度匙を動かす。琥珀茸の深い旨味と、煮溶けた根菜の優しい甘さが、冷え切った内臓をゆっくりと温めていく。男の硬くこわばっていた顔の筋肉が、目に見えて緩んでいくのがわかった。


「……美味い」


 絞り出すような、ひどく実感のこもった低い声がこぼれ落ちた。


「お口に合って良かったです。お疲れのようでしたので、胃に負担をかけないよう消化の良いものにしました」


 ルカが微笑みかけると、男は匙を動かす手を止め、真っ直ぐにルカを見つめ返した。その瞳の奥には、長らく忘れていた安らぎを取り戻したような光が宿っていた。


「私の名前はレオンハルトだ。……君の料理は、凍えていた心まで温めてくれるような気がする」


「ルカと申します。いつでも休みにいらしてください。温かい食事を用意してお待ちしていますから」


 外では相変わらず雨が降り続いていたが、店の中には確かな温もりと、穏やかな時間が流れていた。ルカは空になった鍋を洗いながら、自分が作った料理で誰かが息を吹き返したという事実に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

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