第三章・第一章:過去は、忘れたふりをするのが一番怖い
三十歳を過ぎた頃、
僕は一通のメールを受け取った。
件名は、
「昇川高校 旧校舎について」
差出人は、
知らない名前。
でも、
文面を読んだ瞬間、
体の奥で何かが静かに割れた。
旧校舎が、
取り壊されるらしい。
理由は老朽化。
いつもの言い訳だ。
「もし可能なら、
当時の関係者として
話を聞かせてほしい」
過去は、
呼ばれると必ず返事を待っている。
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ミオに話すと、
彼女は少しだけ考えてから言った。
「行こう」
即答だった。
「怖くない?」
「怖いよ」
彼女は笑う。
「でも、
一人で行かせるほど、
私は優しくない」
それは、
恋人としての言葉じゃなかった。
人生の共同経営者の言葉だった。
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第二章:境界線は、消えていなかった
旧校舎は、
記憶よりも小さかった。
人の恐怖は、
いつも思い出の中で肥大化する。
外階段。
錆びた手すり。
夕方の光。
あの日と同じ構図。
でも、
違う点が一つ。
もう、
誰もいない。
「ねえ」
ミオが言う。
「あたし、
ここに立つの、
初めてじゃない気がする」
「それは記憶だ」
「ううん」
彼女は首を振る。
「役割」
その言葉に、
胸が少しだけ痛んだ。
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取材をしていた男は、
若いルポライターだった。
「当時、
事故は本当に事故だったんでしょうか」
まっすぐな目。
でも、
まだ世界を信じている目。
僕は答えた。
「事故でした」
ミオを見る。
彼女も頷く。
「ただし」
続ける。
「世界が、
そういう事故を
作りやすい形をしていただけです」
男は、
少し困った顔をした。
「それは……
責任の所在が曖昧になりますね」
「そう」
僕は言う。
「曖昧だから、
人は生きていける」
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第三章:クレイジーマンは、救わない
帰りの電車で、
ミオがぽつりと言った。
「久城くん、
もう“クレイジーマン”じゃないね」
「そうかな」
「前はね」
彼女は窓の外を見る。
「世界を壊してでも、
誰かを救おうとしてた」
それは、
否定できない。
「今は?」
「今は、
壊れたままでも
一緒に立ってる」
その言葉は、
賞賛じゃなかった。
許可だった。
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僕は気づいた。
狂気は、
事件を解決するための道具じゃない。
それは、
世界と折り合いをつけるための癖だ。
治らなくていい。
直さなくていい。
ただ、
誰かと共有できればいい。
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最終章:ハッピーエンドは、選び続けること
四十歳になった僕たちは、
小さな家に住んでいる。
派手じゃない。
事件も起きない。
朝、
ミオがコーヒーを淹れる。
「苦い?」
「ちょうどいい」
それは、
人生の味だ。
僕は原稿を書く。
売れないけど、
必要としてくれる人はいる。
ミオは、
今日も誰かの話を聞きに行く。
夜、
同じソファに座る。
「ねえ」
ミオが言う。
「もし、
あの時出会ってなかったら?」
僕は答える。
「今より、
ずっと正しく生きてた」
「それ、
幸せ?」
「不幸でもない」
少し考えて、
続ける。
「でも、
面白くなかった」
ミオは笑う。
その笑顔は、
世界よりも信頼できる。
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僕は今でも、
クレイジーだ。
世界は今でも、
狂っている。
でも、
狂気の中で
誰かの手を離さずにいられるなら。
それはもう、
悲劇じゃない。
それが、
僕たちのハッピーエンドだ。




