ユニコーンの通過儀礼
まだ若いユニコーンが、深い森を出て、未知の冒険に出ようとしていた。
ユニコーンは、一目見れば誰もが心を奪われるほど美しい。どんな石像よりもすらりとした、なめらかな白銀の体。力強い蹄と、金色の固い一本角。そして聡明さが現れた、濁りのない瞳に見つめられれば、どんな邪な心を持った者も、恥じ入ってしまうだろう。
彼は生まれてはじめて、森を出る。それも、たった一頭で。彼をいつも優しく見守ってくれた母ユニコーンも父ユニコーンも、見送りに出てくることさえなかった。それが、しきたりだからだ。
三歳になったユニコーンは皆、森を出て自分の力を頼りに冒険し、何か一つ良いことをして帰ってくる__それが、立派なユニコーンになるための試練だった。だから、彼もそのしきたりに従って、自分が生まれてからちょうど三年が経った朝に、両親に別れのあいさつをした。森の動物達が心配して、こっそりついていこうかと言ってくれたが、それも断った。まだ若い彼にも気高いユニコーンとしての誇りが芽生えていたのだ。
……だが、森を出て、野原をいくつも越え、荒野に来たユニコーンは、もう既に森に帰りたくなっていた。
枯れた、まずい草がまばらに生えているばかりの荒野が、どこまでも広がっているのである。おまけに、喉が渇いたので飲み水を探したが、泥が混じった小さな水たまりが一つ二つあるばかり。荒野の中ほどまでやってきた彼はへとへとになって座り込んだ。
森では、いつもおいしい若草と、獣たちが持ってきてくれる甘い木の実がどっさりあった。冷たく清い水がたっぷり飲める泉も。両親や獣たちは、彼がお腹を空かせることがないよう、いつも気にかけてくれていた。
今は、なんとか食べ物を探し、自分の身は自分で守り、目的を遂げて帰ってこなければならない。そう考えるだけで、ユニコーンの気分は重くなった。
(ああ、リンゴの実が食べたいなあ)
そう夢見ながら、ユニコーンはしばらくその場で休んでいた。
誰かが泣いている声が聞こえて、ユニコーンは顔を上げた。人間の匂いがする。時々森の中にやってきて、父ユニコーンに会いにくる二本足の動物だ。
声のした方向へ並足で行くと、そこには一人の女の子が、座り込んで泣いていた。ユニコーンはかわいそうに思って、彼女のそばにそっとたたずんだ。女の子はユニコーンに気がつき、驚いて見上げる。涙に濡れた彼女の顔はとても可愛かった。
金色の髪の毛に緑色の目のその少女は、宝石が縫いつけられた美しい絹のドレスを着ていた。だが、それも荒野の泥がはねてところどころ汚れている。
ユニコーンは、少女に邪気がないことを感じ取った。
「ユニコーン……?」
少女はおそるおそるユニコーンのたてがみをなでた。ユニコーンは、少女のなすがままにさせておいた。これがもし邪悪な男であったなら、蹴り殺していただろう。
(どうして、泣いているの?)
そう尋ねたくて、少女の顔をのぞき込むと、彼女はまた涙をこぼした。
「ばあやの目を盗んで冒険に出たら、お城に帰れなくなっちゃったの。帰る道が分からなくて……」
ユニコーンは、彼女に深く同情した。家に帰りたいのは、彼も同じだ。
そこで、ユニコーンは彼女に背中を差し出した。
「え、乗っていいの?」
少女はユニコーンの背中にまたがり、首にしっかりとしがみついた。ユニコーンは、蹄を鳴らして荒野を駆け抜けた。三里もいかないうちに、村に出て、町が見え、やがて大きな城に到着した。
ユニコーンと少女が城の前でいななくと、城から大勢の人間がわらわらと出てきて、ユニコーンを取り囲んだ。皆、少女を見て喜んでいたが、ユニコーンは人間に囲まれたことで落ち着かない気分だった。
「ばあや!」
嬉しそうに叫ぶ少女をユニコーンから抱き下ろしたのは、飾りの少ないドレスを着た中年の女だった。
「ジャネット姫様……一体、どこに行ってらしたのですか!」
「荒野まで行ったら、迷ってしまったの。でも、ユニコーンさんが助けてくれたわ」
ばあやは、ジャネット姫と呼ばれた少女を抱きしめたまま、ユニコーンを優しくなでた。
「姫様を助けてくださったのですね。ありがとうございます。それも、神聖なユニコーンだなんて……」
ばあやは声を震わせていたが、少女はけろりとしていた。
「お腹が空いちゃったわ。何か、コックに作ってもらえないかしら」
「姫様の大好きな、アイスクリームとアップルパイを作らせましょう。それから、温かいココアも。ああ、あなたもどうぞ、お城にいらしてくださいな」
ばあやは、ユニコーンにそう言った。
「上等のお食事をご用意いたします。両陛下も、あなたにお礼をなさりたいとおっしゃるはずですわ」
ユニコーンは、ばあやの言葉を理解し、嬉しくなった。
(すると僕は、“良いこと”をしたんだな)
その時、固い声で姫を呼ぶ者がいた。
「姫様、今お戻りですか」
姫とばあやが、ぎくっとした。
「ええそうよ。今帰ってきたの。ユニコーンさんに乗って!」
「何に乗っていらしたかはどうでもよいのです」
そう冷たく言いながら近づいてきたのは、立派な服を着て、口髭を生やした中年の男だった。黒い眉の下で、意地悪そうな灰色の瞳が光った。きちんと一本に束ねられた黒い髪には、白いものがかなり混じっている。
気に入らない気配がする。ユニコーンは思わず、後ずさりした。男はユニコーンを一瞬だけ見て、姫に言った。
「姫様、あなたはまた学問の刻限を抜け出しましたね。これで何度、同じことをなさったとお思いですか。教師が困り果てております」
「だって、あの人、嫌なことばかり言うんだもの……」
姫は唇をかみしめた。
「だからといって、勉学をしない理由にはなりませぬ」
男は冷たく言い放った。
「よろしいですか、姫様。あなたのような方を、我々の言葉では「なまけもの」というのです。とても恥ずかしいことです」
「大臣、それは言い過ぎでは?」
思わず割って入ったばあやに、大臣と呼ばれた男は嘲るような目を向けた。そして、怯える姫に顔を近づけ、低い声で言った。
「臣下がお仕えしたいと思えるようなお方になられませ。では」
大臣が行ってしまうと、姫は深いため息をついた。
「大臣なんか、大っ嫌い!」
「しいっ、聞こえてしまいますよ、姫様。あの人は、地獄耳なのですから」
ばあやは、自分の耳をぐいっと引っ張ってみせた。
「でも、かわいそうな姫様。あの大臣ときたら……あの目と態度は、王家の財産を狙っている邪な心の現れですわ」
ジャネットがはっと息を呑んだ。
「ばあや、それは本当なの?」
ユニコーンも、黙って耳を傾けた。ばあやは一段と声を低めた。
「内緒のお話ですよ。大臣は、政治を自分の思うままにしているばかりか、陛下やお姫様の大事な宝物をこっそり盗んでいるのです。陛下はちっともそれにお気づきでないのですが……」
「どうして、父上は気づかないの?」
「大臣が、しっぽを出さないからですよ! 確かな証拠さえあれば、大臣を裁判にかけることができるのに……」
ジャネット姫の顔は曇っていったが、ユニコーンと目が合うと、途端に笑顔を取り戻した。
「ねえ、ユニコーンさん。しばらくお城に泊まっていってね。わたし、もっとあなたと仲良くなりたいの!」
ユニコーンは、城の敷地内の厩舎で、まるまる一部屋を与えられた。厩舎の馬はユニコーンに畏敬の念を抱いているようで、あちこちから興奮気味のささやきあいや、あいさつのいななきが聞こえてきた。それを聞きながら、ユニコーンはつややかなリンゴやら、上等な草を食べ、のんびりと過ごした。ジャネット姫が何度も馬丁と一緒にやってきて、ユニコーンの体をブラシでこすってくれたり、角砂糖をくれたりした。ユニコーンは、ジャネット姫を背中にのせて、庭を散歩してあげた。
城の庭は見事な眺めだった。色とりどりの花が咲き乱れ、リンゴがたわわになる木々から時折リスが顔を出した。噴水や、立派な王の石像もあった。無駄な雑草は一本も生えておらず、地面はきれいに固められていた。けれどユニコーンは、どこか物足りない景色だと心の中で思うのだった。
夕食の後で、またジャネットがユニコーンに会いに来た。そのまま一緒に寝たいとわがままを言ったけれど、馬丁とばあやにとめられて、しぶしぶユニコーンにお休みを言った。皆が帰っていくと、ユニコーンは目をつぶる。今日はずいぶん遠くまで来たせいか、少し疲れているようだ。
うとうとしかけた時、人の気配を近くに感じ、ユニコーンははっと目を開けた。灯りもなしに誰かが歩いてくる。漂ってくるのは、嫌いな気配だった。
ユニコーンは首をもたげ、角をかまえた。足音がぴたりととまり、低い男の声がした。
「こんばんは、ユニコーンどの」
昼間会った大臣だ。大臣は、ユニコーンの角が決して届かない距離に留まったまま、ゆっくりと言った。
「そう警戒するな。私は君の顔を見に来ただけだ。伝説のユニコーンなど、初めてお会いするからな」
ユニコーンは後ずさりをした。大臣が笑う。
「よっぽど私が嫌いとみえるな。伝説にもあった。心清らかな乙女にしか心を許さぬと」
大臣がランプに火を入れた。彼がひげをいじりながら、意地が悪い顔でユニコーンをなめ回すように見ているのが、はっきりと分かる。
「なんというか、好色な獣だな」
ユニコーンはかっとなって、前足を振り上げた。大臣が慌てて後退する。
「おっと、失礼。それにしても、人間の言葉も分かるとは賢い生き物だ」
お世辞を言いながら、大臣は厩舎の床にどっかりと座り込んだ。ユニコーンはいらいらと足を踏みならす。早く出て行ってほしい。
だが、大臣はそのまま厩舎に居座り、ユニコーンに慣れ慣れしく話しかけてくるのだった。
「姫様から賜ったリンゴや角砂糖をぺろりと平らげたと噂で聞いたが、普段は何を食べているのだ? いつもは人のいない森や山にいるのだろう? ユニコーンは他にもいるのか? その角で何ができる? ……」
ユニコーンは勿論、それらの質問には答えない。大きなあくびをしてやると、どう解釈したのか、大臣はふっと微笑んだ。
「退屈か、悪いな。こうやって、物言わぬ獣に話をするのが、私の唯一の趣味なのだ」
大臣が延々と続ける質問を聞き流しているうちに、ユニコーンは眠ってしまった。夢の中で、大臣の話し声がまだ聞こえていた。
朝、ユニコーンが目を覚ますと、大臣も厩舎の壁にもたれかかって眠りこけていた。一声いなないてやると、大臣は目をこすりながら辺りを見回した。
「……おや。いつのまにか、こんなところで眠ってしまったのか。どうりで、体中が痛いわけだ」
ユニコーンは鼻で笑ってやると、大臣に軽く睨まれた。
「お前はまだ若い馬かもしれないが、いずれ私のように、体のあちこちにガタがくるものだ。覚えておくがいい」
うんうんうめきながら、大臣は城に戻って行った。
(うるさく質問をあびせたり、嫌みったらしい捨て台詞を吐いたり、変な奴だ)
ユニコーンはため息をつき、朝ご飯に草をほおばった。
ジャネット姫がやってきて、ユニコーンを厩舎から連れ出した。国王が、ユニコーンにぜひ会いたいと言っているらしい。ユニコーンはあまり気乗りがしなかったが、ジャネットに誘われて、城の前の広場に出て行った。
広場の周りには、たくさんの都の民が集まり、ユニコーンや国王たちを一目見ようと首を伸ばしていた。銀の鎧を着た兵士が、長い槍を持ってユニコーンやジャネット姫を守っている。
ところが、なかなか国王が現れない。大臣をはじめとする大勢の臣下や、ばあや、馬丁も集まっているのに。耳をぴくぴく動かすユニコーンに、ジャネット姫が抱きついた。なぜか、彼女は震えているようだった。
トランペットが鳴り響き、国王と王妃が現れる。ところが、王冠も被っていない国王は、怒りと困惑の表情を顔に浮かべていた。
広場に集まった者を見渡し、国王は威厳のある声で言った。
「余の王冠を盗んだ者が、この中にいる!」
民は呑気に野次を飛ばすが、城で働いている者は顔を見合わせ、自分ではないと口々に否定した。自分の仕業だと思われたら一大事だ。クビどころか、自分の本当の首がなくなってしまう。
「一体、誰が盗んだのじゃ?」
国王が呼びかけると、途端に広場は静まり返った。
「犯人は、即刻名乗り出よ。もしくは__その場を目撃した者か」
甲高く、小さいけれどよく響く声が、ユニコーンの側から上がった。誰もが声の主に驚いた。
「私、見たわ!」
ジャネット姫だった。
「大臣が盗んだのよ!」
誰もが大臣を見た。大臣は顔をこわばらせ、弁明した。
「私ではありません! どうして私が、そんなことを!」
下級大臣が言い返した。
「大臣閣下、あなたが陛下の宝物を盗んでいると、噂が立っていますぞ」
「でたらめだ! ならば__私の執務室を調べるがいい!」
数人の兵士が、城の中に走って行った。大臣はひきつった顔で、国王陛下を仰ぎ見た。国王は、大臣をまっすぐ見つめていた。
「大臣、余はそなたを信じ、頼りにしてきた。だが、それは大きな間違いだったのか?」
「いいえ__いいえ」
大臣は首を横に振りながらも、顔色を失っていく。
やがて、大声で騒ぎながら、兵士たちが城から戻ってきた。彼らは、大きなエメラルドがはまった金の王冠を掲げて、大臣に怒鳴った。
「お前の部屋から見つかったものだ! これでもまだ、でたらめだと言えるのか?」
大臣は目を見開き、だらだらと汗を流す。
「そうだ__でたらめだ。私は決して、陛下の王冠を盗んでなどいない」
「では、昨日の晩から今朝まで、どこにいたのだ?」
王が尋ねた。
「朝、被ろうとした時には、もう王冠はなかった。昨夜姫と部屋で語らっていた時にはあったのだぞ。その間誰と何をしていた?」
大臣はきっぱりと答えた。
「一晩中、ユニコーンの厩舎にいて、話をしておりました」
周りから失笑が上がった。
「物言わぬ獣を証人とするつもりか。浅ましいやつめ」
兵士が大臣を捕らえ、鎖で後ろ手に縛り上げた。全てを見ていた民が、大臣を殺せと騒いでいる。ユニコーンのそばで、ジャネット姫がほっと笑みをもらした。
ユニコーンだけが知っている。大臣はたしかに、昨日の夜から朝までずっと厩舎にいた。しかし、今や誰もが大臣こそが盗人だと決めてかかっているのである。
「大臣を、牢屋へ連行せよ」
国王が冷たく命令した。大臣はひげを震わせて、うつむいている。力が抜けてしまったのか、地面にへたり込んで。兵士たちが荒っぽく大臣を引きずって、城の中に連れて行こうとした。
ユニコーンはとっさに駆け出し、大臣と兵士の間に割り込んだ。兵士たちが驚いて退く。
金の角で、大臣をつないでいた鎖に触れると、鎖は自然に解けた。呆然としている大臣を蹄で軽く蹴飛ばし、立つように促した。国王も、王妃も、兵士たちも、民も__誰もがあっけにとられて、ユニコーンのすることを見守っていた。
いや__一人だけ違った。ジャネット姫が、飛び出してきてユニコーンにしがみついた。
「やめて、ユニコーンさん! よけいなこと、しないで!」
ユニコーンはうなり声を上げ、ジャネット姫から離れた。嫌な気配を、今はジャネット姫から感じていた。誰かを嘘で陥れようとする、悪意の気配だ。ユニコーンがもっとも憎み、警戒する気配だった。
ジャネット姫は、自分から後ずさるユニコーンを見て、泣きそうな顔になった。一歩ユニコーンに近づくと、もう一歩ユニコーンは下がった。それでもなお彼女が近づこうとするので、ユニコーンはとうとう角を彼女に向けてかまえた。
その時、大臣がユニコーンのたてがみを軽くなで、ジャネット姫の方を向いた。
「姫様、そんなに私が憎かったですか」
穏やかで、悲しげな声だった。
「私は、自分以外の誰かが犯人だとはもう言いませぬ。私が盗人とされるのであれば、それも運命と受け入れましょう。ただ、このようなことはもうこれっきりになさってください。あなた様にとって耳の痛いことを申し上げる者が敵で、優しく甘やかす者だけが味方だとは思わないでください。きちんと様々なことを勉強なさって、耳に入ってくる話の真偽をご自分で判断する力を手に入れてください」
ジャネットは、顔を真っ赤にして、うつむいた。その後ろで、ばあやが顔を青くしているのをユニコーンは見た。
とうとう、姫はわっと泣き崩れた。ユニコーンと大臣は、涙を流す姫にそっとよりそった。
ジャネット姫は、自分で国王に言った。
「父上、ごめんなさい。私が王冠を盗んで、大臣の部屋に隠したのです」
姫のそばで、ユニコーンは金の角を高く上げて、国王をじっと見つめた。国王は大臣と姫、そしてユニコーンを見比べて、深く息を吐いた。
これも父たちの言っていた“良いこと”に入るだろうか、とユニコーンは心の片隅で考えた。




