7 あなたのために
承前 一夜の過ち、でしたか? 6 我慢大会
「そういやお前、そんときの彼女は如何した?」
「別れましたけど?」
「直接語法男でもこれぐらいの婉曲語は言えるんだよな」
「振られてません。円満に別れましたって。そりゃ温いんでしょうけどね、その新人研修って後も、俺だけじゃなくて、彼女、地元帰っちゃって忙しい忙しいで会えなくて、これで同じ社会人だーって、やっとだーっ、ってのがあっただけ、何つーか、そうっすね、色々ズレたりが却ってきたってゆーか、そういうのっす」
「ほほぉ」
「だから言ってんしょーが。円満に別れたんすよ。その全然信じてないって面止めてくれませんっすか」
「いや」
「止めろっ、俺だって、好い加減課長の手口解ってきたんすから。そーやって、人の猜疑心煽るって卑怯な手ぐらい、楽に躱せるっす」
「いやいや」
「楽勝っすよ。いくら――」
「いやいやいや、本気で関心しているんだ。猜疑心なんて言葉をお前が――」
「無理っす。もう乗らないっす」
「解った。そうだよな、純粋全うな青少年は、人を疑うことなんて嫌味な真似は犯さないよな」
「ですです。当然っしょ」
「嫌いになった訳じゃない。これから社会人としての一歩を踏みだそうって仕事に邁進しようってときには、遠距離恋愛は少しばかり辛いと、そんな台詞喰らったら、納得して円満に別れる、と、そういう顛末だったと。他の男となんて言葉は絶対出されないで、嫌いになった訳じゃないやらそんな台詞繰り返し繰り返し何度も挟んでお前の為にと、そんなこと言われたら、そりゃ、絶対振られた訳じゃないよな、実によく納得できる」
「……課長」
「なんだ?」
「だからそうやって、ですね」
「そうとは?」
「つーか、すね、俺、話したっすか?」
「今聞いたな。てぇか、お前の綺麗なお姐さん好みぐらい聞かなくても解りたくなくても解るわ。初恋は、保育士か隣のお姉ちゃんのニ択だ」
「残念、外れっす。ママ友だったそうです」
「あ? お前いつ、ってぇか、パパだろ、いっても」
「や、母親のママ友にだったらしいっす。流石に覚え無いっすけどね。母親の持ちネタってやつっすよ。俺いじるときの」
「……そうか。流石に……いや、まぁ、良いか。それこそ流石に、上げられねぇよな。今だけでなく暫く保つ。いや、待て。まさか、お前、赤ん坊プレイで勃つ奴か?」
「そういうのは勃たないおっさんのネタなんじゃないっすか?」
「いや、真面目に訊かれても、流石にそっち方面は無知だと曝け出しても恥には成らんし。てぇか、な、お前、真面目に聞いたまんま信じてんのか?」
「また、そーゆー」
「いや、真面目な話で。母親の方の持ちネタって方だ。そんなの、完全なでっちあげって反撃楽にできるだろう?」
「何で態々でっちあげんすか」
「そりゃ……お前を揶う為にだろう?」
「あぁ、そーゆー。如何でしょう? 母親の方も恥掻いた言ってるし、マジ話だと思うっす」
「世の中には恋人だろうと家族だろうと、自分落としても人を貶める手合いもいるがな」
とは、ぼそり、と。だからだろう、「はい?」と聞き返す声が続いた。
「いやまぁ、序でだ、お前、母親似か?」
「どっちか言うなら。けど、それが?」
には、これも小さな声が続いた。苦笑いっても採れる。けど、この人だと、っては、聞き返した方は疑わずに聞くかもしれない。そう思ったら、自分も今の今迄の愉しい、気持ち好いって、それはほんとに、でも、ちょと違う笑い声が、自分の、自分の裡からの笑い声も聞こえてきた。気持ち好い。それはほんと。けど。でも。って、そういう、頑なな気持ちが笑い声に溶けていく感じがする。
「お前がマザコンじゃなきゃ効くって話だよ。本気の本番中は危険過ぎて止めとけって手だがな。おまけを続ければ、聞く側の性だけじゃなくて、言う方の質も重要だって話だよ」
「さっきから何なんっすか」
「これが俺じゃなくて、高瀬、美香ちゃんなら、お前の語彙に無い猜疑心なんて言葉が出てくる訳が無いって話だよ」
「当然っすね」
自慢気な断言に、到頭くっきりした笑い声に成った。
「だから何なんすか、さっきから」
だから当然、反発する声に、と思ったのに。
「良いっすけどね」
ふわっと、頭に於かれていた手が動く。見れば、大きい手って解るけど、そんな手が於かれているとは思えないぐらいに、そっと、慎重にってぐらいの、ちょとした動きなのに、びっくりするぐらいに、何だろう、何か伝わってくる。声にしては、
「美香ちゃんが愉しいってんなら、俺だって、や、違う、俺が、それ、一番っすから」
あ。そっか、笑ってる。
「ごめんね」
「何で? 美香ちゃん、愉しくない?」
「愉しいよ?」
「えー、と、って待てあんた、じゃなかった――」
わたふた? 何だろう? 済まん?
「……美香ちゃん、ひとつ、訊いても良いか?」
ひとつ? もっと言ってたような?
「課長、声優切れてます」
たぶん、潜めて。でも、地声が大きいからなぁ。
「いや悪い。いや、如何でも良いことなんだが。何だ、その、例えば、ぐらいのことでしかないが、そういえば、って思っただけなんだが、そういえば、高瀬、美香ちゃんの親御さんなんかは如何いう人だ?」
? お父さん? お母さん?
「てめぇまさかっ」
あ。落ちそう。
「そのマジ面っ。まさかっ一気にプロポーズなんて肚――」
落ちる? ふっと上がったのは一瞬で、がんっと鋭いのと共に上がった鈍い音と共に収まった、の、かな?
「莫迦野郎っ真剣ネタやってるところで冗談ネタ咬ますんじゃねぇ」
「逆っすよ。冗談観せかせといて、マジもマジネタぶっこむなって話っす」
「しないから、落ち着け。まずは鎮まれ。仮令、俺が真剣至極に結婚の申し込みをするとしても――だから、喩え話であって、ともかくしないんだ、しないから、今はいきるな。俺お前の喧嘩なら、後できっちりやるって、疾っくに誓約済ませただろうが」
「ほんとっすね。いつもいつもの例のどさくさ戦法じゃないっすね」
「無い。俺の段取り好き癖の方を思い出せ。両親への挨拶なんかは、後だろうがよ。まずはの定番、三ツ星ホテルディナーで、ダイヤ指輪を出してのプロポーズを本人にしてからだろうが。今、姫君は、お前の膝上なんかに乗ってるって、否が応にも俺の視界に入っている状況だって解っているか? 最低、お前んところから降ろさないことは、跪いてのプロポーズも出来ないんだよ。焦るのはせめてそれからにしろ」
「頭堅いっすね」
「堅ぇーんだよ。こんな時刻じゃ碌な花束も買えやしないってことに焦っちまうぐらいにも焦ってもいるしな。薔薇の花束抱えてのプロポーズっていう固定概念から逃れられねぇ老人の夢を壊すな」
「えー、マジに聞こえるっすけど、まさかマジっすか」
「マジだ。悪かったな。現実問題現実で格好付けなんかして他人に笑われない機会なんかそうないんだ。やれる機会を逃して堪るか」
「課長の格好付け癖なんて、知らないのがいないぐらいによくやってるじゃないすか。未だ足りないんすか。あ、だから、癖なんすね」
「……お前な。全く……まぁ、良い。とにかく、結婚とかいう以前の話なんだよ。誤解は解けたな? 次いくぞ次」
「誤解で良いんすね?」
「素直なお子さまに戻れ」
「そうやって戻れないとこ指定するから」
「これ以上に無い指定席だろうが。大体、結婚の申し込みなんかは、先着順じゃねぇだろうがよ。今迄と同じだろ? 俺が美香ちゃんとヤりたいと言ってたって、静観していただろう?」
「静観は無理っす」
「だな。だが、取り敢えず、俺とお前の拳対談は後にするって了承事項でいけただろう? 仮令、仮令だぞ、いきるなよ、今此処で美香ちゃんにプロポーズしたところで、お前もすれば良いだけの話で、早いもの勝ちって話じゃないってのは解るだろう? 美香ちゃんんが誰が良いって話だ。違うか?」
「……了解っす」
「厭そうだな?」
「どさくさ戦法好きの報いっす。信用無いっすから」
「それで良い。お前に心理戦仕掛ける方が莫迦って話でもある。悪かったな、美香ちゃん、唯……こんな時間になっちまったから、少し気に成っただけだ。親御さんからすれば、いくつになろうと、大切なお嬢さんだし、親と同居しているなら、高瀬君が普段は如何しているか知らないが、連絡しないでこうも遅くなったなら、気にするかもしれないって、まぁ、それだけなんだが」
「高瀬さん独り暮らしっすよね? だから外出てもらって、ってのが言ってみりゃ、俺等のこの状況の始めっていう」
「――あ」
「課長、呆けました?」
「あ、あぁ、いや、そうだ、呆けたんだ、唯の呆け」
「課長?」
「いや、良い。そうだよな、娘の独り暮らし許すような親なら、過ぎた厳格って訳じゃ無いだろうし……」
「えーっと、課長? もしかしてじゃないのがもしかしてじゃない? 本気でプロポーズ――」
「から離れろ。まぁ、良い。どのみち本命じゃない。唯の確認というか」
「お父さん? お母さん? 厳しいってプロポーズ?」
「いや、美香ちゃんも其処から離れてくれると」
「プロポーズじゃなかったら優しいよ?」
「じゃ、なかったら?」
「ぼっこぼっこにするって」
「……出やがったか、の、か? ど定番親父」
「なんすか、その熊出没注意みたいな警報アラート」
「お姉ちゃんのときできなかったから? お義兄さんうち来たとき、来る前にね、お母さんにずーっと言ってたの。でもねー、来た途端に一番お父さんわたわたしちゃって、寿司取るかケーキか、いや、花輪が要るのかって、みんなでねー、落ち着けって、みんな落ち着かなくて、結局お義兄さんのおもたせ食べたの。愉しかったなー。お義兄さんが、こんなものしかって言って、お父さんが、こっちこそ、こんな娘しか出せませんでって言ってお姉ちゃん怒らせて、お義兄さんもねー、お父さんの味方しちゃったから、お姉ちゃん、お義兄さんにも本気で怒って、お父さんとお義理兄さん二人掛かりで宥めてたんだけど、お姉ちゃん拗ねちゃったの」
「意外なる愉快な御家族?」
「いや、というか、愉しいエピソード、なのか? 今のがほのぼの温か家族ネタ?」
「うん、お姉ちゃんねー、ほんとお姉ちゃんなの。あんなに甘えたお姉ちゃん初めて見た。あたしだけはお姉ちゃんの味方だよね、って。うんって、じゃ、二人で結婚しよーって。お父さんお義兄さん、泣き出しそーになってて、お母さんが、虐めるのもう止めてあげなさいって」
笑い声が、出ていた。自分の。そっか、って、納得と共に。
「美香ちゃん、お父さん、好きなんだ?」
「うん」
近い、んだ。久しく忘れていたこの感じ。温かいの。こういうのは。
「お母さんも?」
「大好き」
でも。だから、快いって、自分の耳で聞いても思う笑う声が静まっていく。
「……何すか?」
「いや、素直な感想を求めてんだが」
「意味不明っす」
「高瀬、美香ちゃんは、親御さんを好きだそうだ」
「そうっすね?」
「それだけか?」
「お姉さんをもっと好きのは羨ましい――って、や、そっちじゃないっす。綺麗なお姉さん好きじゃなくて、俺、一人子っすから。お姉さんと結婚されると困るっすけど、そんなん言える姉妹いるってのは、良いなって、これで良いっすか」
お読みくださり有難うございます。
束の間且あなたの貴重なお時間の、暇潰しにでも成れたら幸いです。
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