チューベローズの蜜
デンマークにはジャンテ・ロウという規範がある。これは「十の掟」とも呼ばれる、道徳だ。その一節に、こんな言葉がある。
「You don't think that you're anything special.」
日本語では、「己を特別だと思い上がることなかれ」だ。
私がこの言葉を知ったのは中学生の時だったと思う。当時の私はいじめを受けており、暴力と暴言を耐え忍んでいた。それが毎日であったかまでは覚えていない。
この頃の私は過去(小学校低学年のころである)の自分の行動——すなわちかつては私が加害者側であったことを思い出し、また当時、私を痛めつける彼らはどうしてこのような行動をするのかと疑問に思ったのである。それが心理学を書店で手に取るきっかけとなった。中学一年生の春のことだ。
ただ、いじめられていたといっても、しばしば小説の中で語られるそれとは違っていたように思える。これは小説の方が過激なだけなのかもしれないが、当時の私は加害者側と常に軋轢があったわけではなかった。むしろあちらサイドは、私が心理学の本を読み始めると興味を示したために、本の貸し借りを行うこともあった。貸した本は無事に返される。
これより私は心理学から——アドラー心理学をきっかけに——哲学の方にも手を伸ばし、幸福について考えることが増えた。ジャンテ・ロウを知ったのはその道中のことだった。
これと同時期に、私はある大人と出会っていた。仮に沖田さんとしておこう。
氏は優れた人だった。早稲田大学を卒業すると、一部上場企業の中でもかなり有名な部類に入るであろう企業に就職し、そこで活躍した人物である。
氏との接点はバドミントンにある。私は中高でバドミントンをしており、よく父と連れ立って隣町のクラブの活動に参加していた。沖田さんとはそこで知り合った。
父は私に、沖田さんが先述したような人物であることを語ると同時に、こうもいっていた。
「俺はずっと、沖田さんがこんなにすごい人だとは知らなかった。あの人は自分の経歴で、驕ることがない」
とても謙虚な人だ、と父は感嘆する。
事実、私は高校受験にあたりその沖田さんに家庭教師を勤めてもらうことになったのだが、この一年間で氏が自らを誇ったことは一度もなかった。
それから私は県内の中堅高校を受験し、無事に合格を勝ち取った二○一八年の三月に、同窓会の招待状を受け取った。
保育園の同窓会だから参加した面々は互いのことがわからなかったし、人数は十人から十五人ほどと少なかった。主催の保育士の進行で、私たちは時計回りに名前と趣味を軽くいってまわる。誰も高校のことは語らなかったが、1人だけ、進学先を誇った。
「慶應義塾志木高校に合格しました!」
満面の笑顔だった。彼が通うことになるこの高校は、埼玉県内でも三本指に入る有名な私立高校だ。偏差値は当時で七六と高い。
それまで大人しかった参加者は、これに驚き拍手を浴びせた。そうするに相応しい実績だからだ。
だが一方で私は彼を素直に賞賛できなかった。脳裏に沖田さんの姿が浮かんだ。早稲田大学を卒業し、一流企業で活躍しても驕ることがなかった謙虚な沖田さん。氏は知っていた。自身の出自を語る理由はないことを。語ったところで何にもならないことを。
今も時折、ジャンテ・ロウの言葉がナイフのように切っ先を鋭くして私の胸に突き刺さることがある。今の自分の振る舞いはどうだったか。傲慢ではなかっただろうか。
「You don't think that you're anything special.」
これは自らに課した呪いだ。だからこそ、直近の自分の振る舞いを思い出す度に辛くなる。
自らの進学先を誇った彼はどうだろうか。
彼はあの時のことを覚えているのだろうか。
彼にこの言葉が響く隙間はあるのだろうか。
私がこのエッセイのようなものを書いたのは、3年以上も前のことだ。それだけ昔のことでも、時にこの内容を思い出す。
私は、今月で22歳となる。世間からは紛うことなく大人と称される年齢だ。しかし、相応しい立ち振る舞いをし、そうした人格になれているかを考えると、酷く、心が窮屈になる。私の本質は小中の餓鬼から何も変わっていないのではないかと疑心暗鬼に苛まれ愕然とする。いつしかそうした悩みすらも、堂々巡りとすることで行動せずにいる理由としているのではないという不毛な疑惑まで出てくる。デカルトの方法的懐疑のように、最後にはそうして疑っている自分自身しか残らない。
私はまだ、適切な感情というものを知らない。
それは知性の足らない子供である証左に他ならない。