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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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9.新たに開かれた場所

 家に帰ると、ダイフクが当然のように待っていた。というか、いつものように道具を飲み込んでは吐いて遊んでいた。いきなり走り出して、多少なりとも驚かせてしまったのではないかと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。いつものマイペースだ。


「擦り傷とか切り傷に効く薬って、分かるか? それと、足を挫いた奴に効きそうな炎症用の薬とか」


 例の薬箱を開けてみせるも、ダイフクは何のことか分からぬ風で、不思議そうに半身を心持ち横に傾けた。ダイフクの目からすれば――目があるのか分からないが――私が何かしら薬を必要とするような状態には映っていないのだろう。


「怪我をしてる奴がいて、そいつに使えないかと思ってさ」


 言ってみるも、やはり要領を得ない風だ。まあ、ある意味仕方がない。ダイフク自身が直接見ている訳でもなし、そもそもこちらの話を理解しているのかも怪しければ、コレが薬なのかどうかも本当のところ分からない。自分に医術の心得がないのが歯痒かった。


(いっそ、ダイフクをあの女のところへ連れて行くか?)


 一瞬考えるも、かえって逆効果になりかねないと思い直す。気を付けろと言ったそばから、当の未知の生命体を連れて行くのだ。阿鼻叫喚とまではいかないにしろ、警戒と不信の度合いは確実に増すだろう。

 と、ダイフクが小刻みに震え始める。また薬草丸でも吐き出すのかとぼんやり見ている内に、その身体からエメラルドグリーンの光が漏れ始める。


「ダイフク?」


 何か変なものでも口にしたのだろうか。程なくぺっ、と光る何かが吐き出される。その正体は――


「ランタン?」


 例の、五角柱のランタンだった。光はガラス表面に刻まれた妖精から発せられている。気のせいでなければ、そこだけ以前と比べて数段細緻になっており、今にも外に出てきそうだ。もはや紋様と言うよりは彫刻と言った方がしっくりくるだろうか。それこそ昔の彫刻家のように、『石の中にある造形を彫刻家が彫り出す』的何かを、ダイフクが体内で起こしでもしたのだろうか。良くは分からないが当の本人は心なしか嬉しそうにその場を跳ねていた。

 それだけなら良かったのだが、ランタンはなかなか減光する気配を見せなかった。ダイフクに訊いた限りでは、どうやら放っておいても、恐らくだが、問題ない、だろう――みたいな反応だった。

 実害が出るなら考えなければならないが、そうでないなら、とひとまず卓の上に放っておくことにする。ダイフクの身ぶりからすると、それで遊ぶことはあっても、二度は飲み込むつもりはないようだった。


(それにしても――)

 今日何度目かも分からぬ溜息をつき、寝藁の上に胡座をかく。

(一度、整理しよう)

 色々立て続けに起きて、脳の処理が追いついていなかった。



 まず、ここに来てから初めて、自分以外の人間の姿を目にした。

 女の様子からして、長いこと界隈で暮らしている訳ではない。せいぜいがここ数日、ともすれば今日来たばかりといったところか。

 怪我の程度は酷くないとは思うが、応急処置はあれで正しかったのか自信がないし、適切な薬があるかも分からない。或いはダイフクが診れば何かしら教えてくれるかもしれないが……

 女は他者に対して――男に対してと言うべきだろうか。男に対して、嫌悪感や恐怖心の類を抱いて、警戒している。……まあ、見知らぬ男に警戒するのは、世の女性からすれば当然のことだろうが。彼女が一体何者なのか、その辺りはまだ全く分からないのだった。


 次に、空間的な問題だ。

 三週間程この近辺で過ごしてきて、それなりの時間、探索に費やしてきた。一帯の地理に知悉している自信はあった。沢の辺りなど、それこそしょっちゅう川魚を獲りに行っている場所だし、詳しくない筈がなかった。

 ところが実際は、あの女を追っている内に、『通常通り』南端側にぐるりと戻ってしまうようなことはなく、見知らぬ巨木の立ち並ぶ一帯に足を踏み入れてしまっていた。

 何かしら法則が変わったのかもしれなかった。いや、今まで閉ざされていた道が開いたと言うべきだろうか。結界の一部が綻んだ、乃至解除されたような印象だ。

 タイミングから言って、あの女の存在が解除のキーになったと考えるのが至当だろう。彼女がどのようなルートを辿りあそこに至ったのか、私の知らないエリアがどの程度あるのか、追って訊く必要があった。


(しかし実際、どうしたものか)


 女のあの様子だと、暫くは歩行にも難儀するだろう。何か欲しいなら聞きに来ればいいとは言ったものの、痛みに耐えてわざわざ時間をかけてまで登ってくるのは、果たして現実的だろうか。比較的近くに沢があるので水に関してはあまり心配していないが、食料の問題となると、あの旅行鞄に缶詰でも詰まっていない限り、かなり心許ないだろう。


(……でも警戒されてるからなあ)


 仮に食料を持って行ったとして、彼女が素直にそれを受け取るとは思えない。まあ、その辺りは明日にでも、様子を見に行きつつ判断するしかないか。

 少なくとも、完全に放置しておくという選択肢は、自分の中にはなかった。敵意があるなら尚更、相手の動向を把握しておくのは重要だろう。

 それに放って置けないことと、敵か味方かは、また別のことだろう?


 翌日は心地良い風そよぐ、絶好の小春日和となった。深く息を吸い込むと新緑の瑞々しさが胸一杯に広がる。

 小脇に抱えた籐籠には八朔やら干し肉やら、あとは生で食しても差し支え無さそうな葉物野菜が入っている。

 傍から見ればピクニックに繰り出そうとしているように見えるだろうが、実際はそんな楽しげなことではなく――どちらかと言えば憂鬱と不安が入り混じっている。

 それでもダイフクの目からすればそれなり楽しそうに映っているらしく、私について来ようとするのを止めるのに難儀した。はっきりとは言葉の分からない相手に説明するというのは、なかなかにしんどい。身振り手振りで何となく分かって貰えた――というより、理解するのを途中でやめたのだろう。良く分からないが取り敢えず必要なことだから一人で行きたいのだろう、とそう解釈してくれた……と思う。

 つまり、意外に大人なのだ。その辺り、世の母親が乳幼児を相手にしなければならないときとは天と地ほどの違いがある。

 数度跳ねて家の中に戻るダイフクを見届けてから、私は森の中を分け入ってゆく。

 目指す先はあのウロ穴だ。というより、あの女のもとだ。あの界隈を一時的にしろ生活拠点(ナワバリ)にしているのならば、沢の辺りにも顔を出しているだろう。

 心の内に反し進む足取りは不思議と軽やかだった。理由が分からず戸惑いを覚えていると……そういえば、と思い出す。

 あのランタンについてだ。

 ダイフクが吐き出したそれは夜の間も仄明るく、常夜灯のように淡く光を発し続けていた。ヒーリング効果でもあったのか、見知らぬ女の一件があったにもかかわらず、目覚めは(すこぶ)る良く、身体の芯に残っていた(おり)もどこかへ消えてしまったかのような心地がした。得体の知れない力でも働いたのかもしれなかったが、今の所はそれを確かめる術はなかった。


 沢の近くまで来てみると、何かがバシャバシャと水音を立てるのが聞こえ、見れば女が沢の一部を堰き止め魚を獲ろうとしていた。しかし上手くいっていないのか、彼女は両手両足を突っ込んだまますっかりズブ濡れになって、沢の真ん中で項垂れている。


(……あそこの魚は活きがいいんだよなあ)


 実は自分も、同じことを試したことがある。下流の方を堰き止めて、上流から追い立てたのだ。しかし魚の方もそのくらいのことには動じず、追い立てる人間など気にしない風で悠々と下ってゆく。そうして大多数は堰き止められていない一画からすんなり抜けてゆき、残りのものは――堰など意に介さず跳び越えてしまうのだった。結果、当初は骨を折り中腰になって追い立てても、釣果はゼロという散々なものだった。


(逆に言えば、そこさえどうにか出来れば問題はないんだけどな)


 そのときのことを思い出し、苦笑しながら坂を下ってゆく。

 女の反応は素早かった。私の姿を認めるや、瞬く間にその場を離れていった。尖った石塊片手に、向かってきたら投げつけると言わんばかりの表情でこちらを()めつける。

 とは言え相変わらず片足は満足に動かせていない為、こちらからすれば痛々しいばかりなのだが。

 私は沢まで下りると、小脇に抱えた籐籠を近くの岩の上に置き、腰に提げていた魚籠(びく)を取り出した。その口を女の設えた堰の向こうに半ば沈め、彼女同様、上流側から追い立ててみる。やはり大部分は逃げてしまうも、一匹が堰から飛び跳ね逃げようとする。すると魚は狙い通りに、私の設置した魚籠に自ら飛び込んでしまうのだった。

 女は苦虫でも噛み潰したような顔でそれを見ていた。納得出来ない、とでも言いたげだ。まあ、相変わらずそんな表情を向けてくるのであれば、丁寧語など使う必要もないだろう。


「火はあるのか」


 魚籠を手に取り女に水を向けるも、やはり返事はない。警戒心に満ちた眼差しが返ってくるばかりである。持参した食料を魚籠とともに岩の上に並べている間も、それは変わらなかった。脳裡に野良犬を餌付けする光景が浮かんだりしたが、さもありなんといった風情だ。


「干渉するつもりはないが、まあ、こういう食い物もある、ってことだ。あとは……通行料代りだな」


 そう言ってさっさとウロ穴の方に向かってしまう。狼狽する女を後目に歩き続けると程なく件の巨木地帯が現れた。

 が、改めて観察してみると、お世辞にも良い住環境とは言い難い。

 ジメジメしているのだ。日陰が多く、腐葉土の重みから淀みが大気中に漏れ出ているかのような、そんな印象を受ける。風が心地良く吹き抜ける我が家とは天と地ほどの違いだ。

 人間の食料になりそうなものは、あまり見受けられない。まあ環境を考えれば当然かもしれない。

 高い湿度に僅かな木漏れ日で、右を見ても左を見てもキノコキノコキノコ。その殆どが物騒な朱や橙に色付いている。そんなもの素人が判別出来る訳がない。ひたすら厄介物だ。

 及第点を取れるのは寝床くらいのものだろうか。予想通り例のウロ穴に女の旅行鞄やら脱ぎ散らかした服が置いてあったのだが、意外と広く感じられた。朽ちているなら危ないだろうという予想に反して、内部のそれは瑞々しく、それでいて頑健な印象だ。滑らかな木肌に浮かび上がる木目が美しい。


(人の手によるものだ)


 明らかに手間をかけて削り、磨いた形跡があった。あの女がやったとは到底思えない。となるとこれは以前存在したであろう住人の手になるものだ――――自分が今住処にしている所と同じく。

 後から女が追い縋ってくる。何か盗られるとでも思ったのだろうか。肩で息をついて、こちらと距離を保ちつつも、詰るような眼差しを向けてくる。

 まあ、不本意だが、その手の眼差しには慣れていた。別に慣れたくもなかったが。今更どうってことはない。ただ、これ以上中を調べるのは憚られたのも事実だった。


「邪魔したな」


 手製の地図に周辺の地形を書き込み、巨木地帯の向こうへ抜ける。鬱蒼と木々が繁っており、ともすれば自分の位置も見失ってしまうだろう。女が追ってくる様子はなかった。

 そうしてそう長く歩かない内に、予想だにしなかったものが目に入る。


 それは円筒形をした、石造りの構造物だった。

 塔、とでも呼べば良いだろうか。幅は十メートル前後、高さは三十メートル強はありそうだった。


(……本当に見落としか?)


 ここに来た当初、街が見えないか、随分と高台を探した。残念ながら一帯を見渡せるような丘などは見つからず、最終的に木に登ったりもしたのだが、結局街はおろか、人工物の痕跡を見つけることすら出来なかった。或いはそのときは距離や地形の彼我の関係で見えなかったのかもしれない。

 だが、それから界隈はそれこそ隈なく探索した自負がある。あんな建造物を見落とすなど、到底考えられない。巨木の辺りにしろそうだ。あれほど立派な木が生えているのなら、それが一本だったとしても何かしら印象に残っていない筈がない。


……であるならば、この場所(・・・・)は見つけ(・・・・)られるま(・・・・)で存在し(・・・・)なかった(・・・・)とでも言うのか?

 でなければ、見えない(・・・・)ようにな(・・・・)っていた(・・・・)と?

 何がきっかけで行けるようになったのか、その理由が判然としない。


「……登ってみたいが、ねえ」


 思わず溜息が漏れてしまう。

 何故と言って、この塔、なんと入口が存在しない。

 高所から景色を見晴るかすことは勿論、中に入ることすら能わないのだった。

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