68.元カノ元カレ
翌朝、人混みの中を掻き分けてバルバリ商会に辿り着くと、待合所には既にメイリンの姿があった。些か眠たげで、欠伸を漏らしている。
「おはよ、これで大半は揃ったわね」
「リュカはまだか」
「そうね。まあ、その内来るでしょ」
話していると奥からヤコポが姿を現し、「すみません、今日も昨日に引き続き訪問客が多くて」と額に汗を滲ませていた。
「こちらこそすまん、メルキュールの居場所が分かった……っていうのともちょっと違うが、会える見込みが出来たから、報告しておこうと思って」
カミールが代表して言うと、
「おや、それはまた……どういった経緯で?」
「それに関してはウキクサに訊いてくれるといいがーー」
続けようとして、入口が俄かに騒がしくなる。「何であの方が」「問題でも起きたのか」「まさかヨリを……」と各人各様のひそひそ声が聞こてえくるが、それも彼女がウキクサ達に手を振り「お待たせ!」と声を掛けるに至り、ようやく落ち着きを取り戻した。……と言うより、それを通り越して皆ピタリと言葉を発さなくなってしまい、事の成り行きを見守っていた。
ヤコポも一瞬戸惑いを露わに言葉を失っていたが、すぐに自分を取り戻すと彼女に向かって、
「これはカペッロ商会長、ご無沙汰しております。今年のレースは晴れが続いて何よりですね」
ビジネススマイルで彼女に握手を求めるも、相手はジャンケンのチョキの形を作ってその手を挟んでみせる。
「そこの皆さんも知ってるみたいだし、今更繕ってもしょうがないわよ。それに今日はただの客ーーというか野次馬だから、気にしないで頂戴」
そう言うとニンマリとした笑みをヤコポに向ける。暫し間があった後、彼は微かに溜息をつくと、
「ひとまずここだと邪魔になりますので、皆さん上階へーーリュカもお仲間なんですね?」
胡乱な眼差しで彼女を見ると「分かれば宜しい」と腕を組んでいる。ヤコポは被りを振ると、商談用の一室が使えないので支店長室に一行を案内した。支店長ザックはそんなヤコポの様子に含み笑いを禁じ得ない様子で、「どうかご武運を」と部屋を退出するのだった。
後ろ手に扉を閉め、そこに寄り掛かりながらヤコポは腕を組んで第一声、
「何を企んでるんです?」
明らかにリュカに対する言葉だ。彼女は椅子のひとつに腰掛けると大仰な身振りで腕を広げ、
「企んでるなんてひどいわ。私は面白そうな出会いがあったからそれに首を突っ込もうとしてるだけよ」
「出会い? ……ああ、そういう事か。ウキクサさんとメイリンさんに『宴』で会った、という事ですね」
「そこから先は俺が説明しよう」
ウキクサが他の参加者とメイリンの宿へ向かった経緯を説明し、そこに残されていた書き置きについても説明する。「……なかなか奔放と言うか、自由な方のようですね」とヤコポが口にすると、「そういう人なんです」「そうねえ」とアルゴとメイリンが申し訳なさそうに添えるのだった。
「事情は分かりました。こちらで収集しているその方に関する情報は、ストップしておきましょう。ウキクサさんのお仲間の方は継続で。……それで、何で貴女がいるんです?」
「ん?」とリュカはダイフクのもちもちとした体を腕の中で堪能しながら、言っている意味が分からないとでも言いたげに小首を傾げる。
「ダメなの?」
「こう言っては皆さんに怒られるかも知れませんが、彼らの問題はあくまで彼らの問題です。詮索するにしてもどこまでという線引きは大切では?」
「ウチの商会の力を使えばウキクサの仲間も見つけやすいんじゃない?」
「貴女に借りを作るのは面倒なのでお断りします……と言いたい所ですが」
「おっ?」
「ウキクサさんに出場していただいたのはこちらの要望による所も大きいですからね。それについては、判断をお任せしますよ」
リュカは「やったあ!」とダイフクを掲げ、「早速探そう、そうしよう!」とウキクサに迫ってくる。
確かにそれをやれば、珍しい組み合わせだからすぐに見つかるのかも知れない。だがウキクサはーー
「……折角だけど、遠慮しておくよ」
「オッケー! それじゃあ早速……え?」
リュカが目を点にし、ダイフクが彼女の頭で一度跳ねてからこちらの腕の中に収まる。
「人探しをしてるんだよね?」
「まあ、一応」
「見つけなくていいの?」
「……」
思わず黙り込んでしまう。見ればメイリンもリュカ同様、こちらの言っている意味が理解出来ないようだった。
「……カミールやアルゴにとってのメルキュールと、俺にとってのカルミア達ーー旅仲間の面々は、また違った関係性って言うか……いや、そうじゃないか」
ウキクサは被りを振ると、
「多分、俺の中で、そこまでして探すような相手じゃないんだよ」
言って自嘲気味に笑ってみせる。
「向こうがこっちをどう思っているかは分からない。気合を入れて探してるかも知れないし、そんな事は全然ないかも。ただーー」
「ただ?」
メイリンの相槌にウキクサは笑うと、
「勝手に居なくなったのはあいつらだからな。こちらから気合を入れて探すのも癪だろう?」
「その割には結構頑張ってらっしゃるのでは?」
確かに、トライメンテの島から遥々ジヌーヴまで、更にはここ『本島』まで来ているのを考えれば、充分以上にウキクサは会う為の行動を起こしているだろう。『結節点』のある都市部を周り、広告を出そうかと悩んだり。メルキュール探しに便乗した部分が多々あり、また状況に流されていたのも否めないがーーそれでも彼は自分とダイフクが少しでも目立つよう、祭のレースにまで出て、ここにいる。
「それについては同意しますね」と『浜辺』の二人が深く頷く。彼らにしたって、メルキュールの面倒事に巻き込まれている側面があった。
ウキクサはダイフクを撫でながら軽く瞑目すると、「まあ、もう一つ理由としては」と改めてリュカに振り返り、
「バルバリ商会にはそれなり世話になってるからな。あんたに頼むとヤコポに義理立てが出来なくなりそうだ」
言うと暫しあって、リュカが笑い出す。何がどうおかしかったのか知らないが、彼女的には面白ポイントだったらしい。
「いやあ、それを言われると参るわね。分かった、大人しく『友人』として一緒に街を楽しむ事にしましょう」
「……というと、まだ彼らに付き纏うつもりなんですか?」
ヤコポが言うとリュカは「失敬な」と言ってから、「祭を楽しんで何が悪いの」とメイリンの手を握った。「明日は仮面行列よね、楽しみ!」とはそのメイリンの反応だ。メルキュールが姿を消したのに驚いてはいるものの、それはそれ、と気持ちの切り替えが早い。リュカは「ならそれに合わせて明日に休みを変更するわ!」とテンションが上がっている模様で、ちらとウキクサがヤコポを見ると、『相手にするだけ疲れますよ』とでも言いたげな眼差しが送られるのだった。
「俺たちも昨日言ったように、気儘に過ごそうと思う。俺は俺で街をぶらつきたいし、アルゴも錬金関係の道具やらを仕入れたいみたいだしな」
「ここなら揃うでしょうからね」
アルゴが言うと、「是非楽しんで来て下さい」とヤコポは彼らに返すのだった。彼自身は仕事の手伝いで当分は身動きが取れないようだった。残るはーー
「ウキクサさんとダイフクさんは、どうされるんですか」
一人と一匹に視線が注がれる。とは言えウキクサは何か考えている訳でもなかった。精々思い付く予定としては、
「そうだなあ、『緑風』のレース姿は少し拝んでおきたいかな。後は……いや、これは別にいいか」
そう言って改めてリュカたちにおススメスポットを訊くと、そのまま一同は解散するのだった。
「…‥ウチに来た意味、あったんですか?」
去り際ヤコポが僅かに眉を顰める。ウキクサは「ああ……色々とこう、すまん」と言うほかなかった。
競技部門の舟が『本島』に戻ってくるのは昼過ぎという事で、河岸で買った軽食片手に暫く戦況を『観戦』する事にする。
魔法を使えば上手くモニターの類が作れそうなものだったが、音声実況と共に注目を集めていたのは近縁の島や海流が記された大地図だ。建物の壁面に貼られたその上には十色のコマが乗り、僅かずつだが動いているのが知れた。「今年も凱青は強いな」とある観客が言えば、「赤波も悪くねえ。流石は常勝軍団だ」と別の観客が青いコマのすぐ後ろにつける赤いコマを指し示した。成程、チームカラーを示しているという訳だ。となると『緑風』は……
「ああ、やっぱダメかあ?」
「ジヌーヴんとこにも抜かれてるじゃねえか。十チーム中八位……?」
「まだ上位とそこまで離れてないのが救いと言えば救いか」
成程、誰かがいつだか言っていたように、決して強いメンバーが揃っている訳ではないようだ。しかしそういうチームにはそういうチームの戦い方があるようでーー
「お、博打だなあ」
「そういう所、嫌いじゃないぜ。まあ、成就する事はほぼないだろうが」
見れば緑のコマの航路が他のチームから明らかに逸れ始めていた。あれはどういう意味なのかと周りの客に訊けば、「波や風の影響が大きくなると見ているんだよ。少し離れていても追い風に乗れるのならかなりのアドバンテージになるからね」
「他のチームが彼らと違う航跡という事は……」
「そんなに影響がない、若しくは影響があったとしても実力があるから勝てると思ってるんだろうよ」
見れば地図の横には札が立てられており、端に色の塗られた横には倍率を示す札が嵌め込まれている。『緑風』を示す緑は、他の舟から逸れ始めるや急激に倍率が下がっていった。とーー
「ん……? ああっ! 誰かと思えばノルトゥナで会った兄ちゃんじゃねえか!」
話し掛けてきたのは例のカジノで会った男だ。名刺も貰っている筈だが、名前は忘れてしまっていた。
「確か畜産業のバイヤーをやってる……」
「マイヤーだ! 覚えてくれていて嬉しいぜ!」
どうやら合っていたようだ。「ハハハッ!」と彼が笑う傍ら内心胸を撫で下ろしていると、
「今日も大勝負を仕掛けるのかい? ……と言っても実質二チームの争いになりそうだが」
言って男は札の倍率を見やる。
「まあ、ちょいとこっちで世話になった人がいてな。折角だからその人の関わるチームにベットしてみるかな」
言って券を握る群衆を掻き分け、机の上で客とやり取りを終えた男にウキクサは声を掛ける。
「券を買いたいんだが、ここでいいか?」
「大丈夫だよ! どこに賭ける?」
「『緑風』に金貨一枚」
言ってコトリと金貨を卓の上に置くと周囲が軽くどよめく。
「……兄さん、正直おすすめしないよ? まあ、こっちとしてはいいんだけど……」
言いながら男は金貨を仕舞い、ウキクサに手書きの券を手渡す。
「まあ、所謂身内賭けに近いから気にしなくて大丈夫さ」
軽く注目されながら戻ってきたウキクサを笑いながらマイヤーが迎えると、
「相変わらず気持ちのいい賭けっぷりだねえ!」
「こんな事をする性格じゃない筈なんだがな……。物欲が足りないのかもな」
「過ぎた物欲は身を滅ぼすが、なさすぎるのは心に潤いがなくなる。俺はそう思うぜ。……まあ、こんな所で油売ってたら世話ないが」
ーーと、人々がざわつき始める。戦況に変化があったようだ。
『ここで強い東風! 横からこれを受ける格好になるときついぞ! 反対に大きく膨らんでいた緑の舟は少し追い風になった! まだ距離はそれなりに離れているが、これは面白くなってきた!』
大地図のコマの動きが緑を除いて悉く鈍くなる。緑はゴールまでの距離は最も遠いが、スピードは悪くない。果たしてどれくらい追いつけるものか。
……カタン
木札の音に皆が振り向くと、緑の倍率が大幅に変わっている。先程までは余裕で二桁だったが、今は9.6の倍率をつけている。そこで銀貨を出して賭ける者がちらほら、程なく倍率は更に上がり、6.8にまでなる。赤と青がそれに伴い僅かずつ下がり、2.0から3.0の間を揺れ動いていた。
「四番人気まで上がったか。まあそれでも不利なものは不利だが」
「いや、正直分からんぜ。風の力を得て推力が上がってる。上手くいけばゴール手前でデッドヒートが見られるんじゃねえか」
男の言葉の通りに徐々に両者が近付いてくる。その間にも倍率は揺れ動き、やがて緑も赤や青と同じくらいの倍率をつけ、そこで最終的に投票が締め切られた。券を片手に食い入るように見るギャンブラーたちも、後は声を涸らしながら贔屓のチームを応援するばかりである。
まずは赤が少し遅れ始める。風を受け続け、ライバルチームのスパートについて行けなくなった模様だった。同様にそのライバルチームーー青のコマも、幾分動きが鈍くなってくる。緑のコマはーー
「お、こりゃあ本当にあったりするか?」
ウキクサが思わずそう漏らしてしまう程の猛追を見せていた。恐らく赤は躱すだろう。青については際どい所だった。
両岸の歓声が徐々に大きくなっていく。頭上の建物で観戦していた女が「戻ってくるわ!」と興奮気味にオペラグラスを握り締めた。
皆の目はもはや大地図の上にはなかった。洋上に浮かぶ青と緑、迫り来る二つの点の上に注がれていた。
漕ぎ手の姿が見えてくる。見た目では同じくらいの大きさだ。僅差なのは間違いない。競技部門のゴールは大運河の出口だ。つまり観客の目の前を通っていく。
それまで大人しくしていたダイフクが肩まで這い登ってくる。『クライマックスくらいは見届けよう』といったところか。
物凄い歓声に包まれながら、青と緑の両チームが目の前を通過していく。もはや実況の声も聞こえない。青が頭を押さえている格好だが、緑もぴったり後ろにつけている。そのまま二艇は瞬く間に、大運河の描くS字の向こうに消えてしまう。
「……まあ、そう上手くは行かないだろうよ。ルーレットの時と同じさ」
言ってウキクサは肩を竦めると、大地図の方に向き直る。遠くの歓声とは別に、実況の声が近くの魔導具から聞こえてくる。
『緑風がサイドに並んだ! サイドに並んだ! そしていよいよ最後の橋をくぐる! 間もなくゴールです! 並んで! 並んで! いまゴール!! 差し切った!! 緑風、まさに神風を受けて、十八期ぶりの優勝!!』
思わずマイヤーと顔を見合わせる。喧騒や悲喜交々の声が挙がる中、二人は叫びながら抱き合い、その頭上でパタパタとサングラスを掛けたダイフクが飛ぶのだった。




