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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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66.螺鈿邸の宴

 レースを終えて暫し身体を休めていると、気付けば時刻は四時も近くなっており、既にシングル部門も終わりを迎え、ペア部門の上位陣が戻ってくる頃だった。

「メイリンはどのレースだったんだか、聞き損ねてたな」

 とは言えそれをわざわざ調べる気にはならない。ヤコポ達もレースで宣伝効果が出た為か、仕事の話で忙しく汗を流しているようだった。

 そうこうしている内に夜が訪れ、来客対応中だった筈のザックが呼びに来て、「いらっしゃいましたよ」とウキクサ達を水路側へ案内する。とーー

「………でお目に掛かりましたかな」

「さあな、人違いじゃねえか?」

「そうでしたかな……? これでもまだ耄碌はしていないつもりなのですがーーおや、これは失礼しました」

 戸口で何やらカミールが老執事のような男とやり合っていたが、彼はこちらに気付くや恭しく腰を折り、名刺を一枚取り出す。

「入選おめでとうございます。(わたくし)は本日の送迎、案内を務めさせていただきます、オルソと申します」

 名刺を見ると、『クナーダ商会相談役』の文字がある。成程、男の佇まいやカミールの反応からして、彼が例の『酒下し』を買い付けようとした人物と見て間違いないだろう。

「この界層の事には疎くてな。商会の人間が祭を運営しているのか?」

「それには私がお答え致しましょう」

 ザックが言う事には、祭は毎年様々な法人や個人の寄付により賄われていて、その六日に亘る巨大イベントには相当数の人員を必要とする。そこで実際的な運営の為に、祭の期間を三分割して三つの商会に担当して貰っているのだとか。

「結構な収入になりそうだな」

「いいえ、大赤字の筈ですよ」

「え?」

 ウキクサの声に今度は老執事ーーオルソが上品な笑いを上げると、

「祭に集まった寄付金は人件費や分配金として配られる事はありません。言ってみれば、ボランティアというやつですな」

「ボランティアって……」

「大きな団体には、それに見合う社会的責任、街で果たすべき役割というものがあります。祭に対する寄付もそうですし、地域社会への貢献にはとても重要な意味があります。祭を運営するのは毎年固定の三団体ではありませんし、当商会にしても三年ぶりの事になります。我々はその一翼を担える事を、とても名誉に思っております」

「社会的責任……名誉か」

 あちら(・・・)でも同じような事は言われていたが、彼ら程肯定的な意味では使われなかった。

「尤も、信用が上がる機会でもある事は否定しませんよ。現にこうして、名刺をお渡ししていますしね」

「そのようだな」

 ウキクサはオルソの言葉に笑みを浮かべると、ふと思い出して訊いてみる。

「ルカって男が仕入れ部門にいたりするか?」

「お知り合いで?」

「実はジヌーヴに近いノルトゥナの島で、そう名乗る男に会ってな」

「ノルトゥナと言えば……」

「賭場があるな」

 そう言うと老執事は僅かに目を細め、

「外見は何か覚えておいでで?」

「パッと見若い、短髪の男だったな。この辺りにいるんだろうか、と思って」

「名刺をお持ちでしょうか。私の思い違いでなければ、ルカ・ベッリーニの事だろうと思うのですが」

 言われて取り出してみると、確かに同じ名前だった。

「生憎彼はまだ他の島で買い付けをしている最中ですね。予定では祭の終盤には戻って来ると思いますよ」

 となると五日目、六日目辺りか。

「そうか。ならまあ、いいかな。……話が長くなっちまったな」

 ウキクサは一同に振り返ると、

「じゃあ行って来る」

 とダイフクを肩に乗せて舟に乗り込む。舟には所々螺鈿が嵌め込まれていて、夜の闇の中でも光が当たると妖しく煌めいた。

「そう言えばウキクサさん、ちゃんと持って(・・・)ますか?」

 出しなアルゴが訊いてくる。彼が言いたいのは、仮面の事だろう。メルキュールの言もあったので、勾玉にしっかりと収納してある。

 ウキクサが首肯すると、「羽目を外し過ぎないようにな」とカミールが手を振る。

「私たちは宿に戻ってますので」

「分かった」

 ウキクサが返して舟がゆっくりと漕ぎ出される。水の音とどこかから漏れ聞こえる喧騒が耳に心地良い。

「ーーあのお二方とは長いので?」

 櫂を操りながらオルソがそんな探りを入れて来る。と言っても、彼の気に入りそうな答えは持ち合わせていないのだが。

「そんなに長くないな。精々が数週間といったところか」

「さようですか。お仕事でお知り合いになられた感じで……?」

 向こうも実になる情報は得られないと思っているのだろうが、露骨に関係を探ってくる。

「まあ、どちらかと言えば括り的にはプライベートかな」

「ほう……」

「あんたが彼らに興味あるのは良く分かったから、出来ればこれからどんな感じの場所に放り出されるのか、教えて貰えないか?」

「おお、これは失礼」

 一度わざとらしく咳払いをしてみせてから、

「建物自体は豪奢ですが、決して寒々しい所ではございませんし、形式ばった事もそれ程ありませんのでご安心下さい」

 鷹の妖獣を連れた男も、作法はそれ程要求されなかったと言っていた。

「『螺鈿邸』の入口って、内側の歩道側にもあったりするのか?」

「あるにはありますが、やはり大運河の側が正面玄関になりますからね。そちらの方が壮麗です。ーーそろそろその大運河に出ますよ」

 一気に空間が開けて、運河の上に街明かりが照らし出される。両岸はまだ多くの人で賑わっており、あちこちで時折酔ったような笑い声が上がっていた。

「夜の運河は格別だな」

「そうでしょうとも」

 そう返すオルソの声には一種の自負が滲んでいる。この街を今の形に作り、或いは維持してきた一人としての自負だ。

 それに納得しつつも、ウキクサは苦いものが胸に凝るのを禁じ得なかった。

 夜空はやや烟っている。彼の心中を映し出しているかのようだった。

 やがて街明かりの中に、一際妖しく煌めく建物が姿を表す。グローライトのように、昼の内に蓄光されたものだろうーーこの時間でも『螺鈿邸』は人気のようで、橋の上からその淡い光を眺めるカップルの姿が幾つもあった。或いは邸の水門が開かれるのを見物しに来ているのかも知れない。オルソはゆっくりと表玄関(・・・)に近付くと、金の獅子を模したドアノッカーをゆっくり三度叩く。

「オルソです。ウキクサ様、ダイフク様がいらっしゃいました」

「分かりました、ちょっと待って下さい」

 内側から声が聞こえ、程なく扉が音もなく開く。橋の方から歓声が上がる。「おめでとう!」という声も聞こえるのを考えると、どうやら入選者がここに招待されるのはそれなりに知られている事なのだろう。強いてそれに反応しようとは思わなかったが、サービス精神旺盛なダイフクが数度頭の上で跳ねてみせると、歓声とともに拍手が聞こえてくるのだった。

 扉の向こうには幾つも舟がつけられており、作業着を着た赤毛の女性が開閉装置を操作していた。

「ようこそ『螺鈿邸』へ。楽しんでってくれ」

 そう言うとウキクサと握手して、「美味い珈琲と美味い紅茶、どちらが好みだい?」

 質問の意図は分からなかったものの、ウキクサは率直に、「美味いならどっちも好みだな」とそう返す。すると彼女は笑い出し、

「君とは気が合いそうだ!」

 と舟を手際良く(もや)うのだった。

 オルソの先導で正面の細い階段を登り地階へ、そしてモザイク模様が美しいタイル張りの廊下から、落ち着いた雰囲気の中庭へーー更にそこから上階へと伸びる外階段を登ってゆく。その先に現れる意匠の凝らされた連続アーチは、大運河に面しているものだ。橋や向こう岸から手を振る者の姿も見られ、振り返すと小さく声が上がった。

 アーチを正面に見て、幾つか並んだ丸テーブルに十数人が腰掛けていた。見れば手前に座る一人は同じ部門で上位だった男で、名前はユアンと言ったか。こちらに気付くと席を立って迎えてくれるのだった。

「それでは私はこの辺りで。また帰りにお目に掛かります」

 そう言ってオルソは静かに場を辞すると、入れ替わりに給仕が「暫しご歓談下さい」とカフェラテを運んできた。他の者は普通の珈琲や紅茶だったりするので、特別仕様というワケか。或いは先程の女との会話を受けて、わざわざ用意してくれたのかも知れなかった。

「美しい建物だな。細部にこだわっていると言うべきか」

「そうですね、自分もこの中に入るのは初めてで、タイル張りの床には見入ってしまいました」

 ユアンは言いながら相棒のやたら毛が縮れたウリ坊の頭を撫でる。なんでも彼は舟の中にウリ坊が走ると動力になる機構を組み込んでいたようで、トップは取れなかったものの見事三位入賞を果たしていた。

「これは、みんな集まるのを待ってるのかな?」

「そのようですね。でも見る限り、あと数組ではないでしょうか」

「招待されるのは二十四人と妖獣六だったか? 確かに、後数人といった所か。……ん?」

 ウキクサが目を凝らす。奥のテーブルにどこかで見た後ろ姿があった。あれはもしやーーと思っていると不意に彼女(・・)が振り向いて、そこでウキクサと目が合った。

「……あーっ!!」

 彼女は大声を発すると、忽ちウキクサ達のもとまで飛んで来る。そうしてウキクサの手を両手で握るやぶんぶんと上下に振って、

「本当にありがとう! お陰で上位入賞しちゃった!」

「まさかここで会う事になるとはな」

 彼女ーーメイリンは笑うと、「キミのお陰だよお」と一層激しく上下に振るのだった。

「お知り合いで?」

「まあ、ちょっと縁があってな」

 ユアンにそう返すと、メイリンが妖獣二匹と戯れ始める。

「礼を言うなら、俺じゃなくてシャックさんにしてくれ。彼も喜ぶだろう」

「そうね。ーーいやあしかし、この子らいい感触ね! 程良い弾力があって、堪らないわ」

 心なしかその視線が可愛いものを見る目というよりは、食材を見るそれに似ている気がするが、きっと気のせいだろう。

ーーと、給仕が奥の扉を開けると皆に一礼し、「大変お待たせ致しました。ホールへご案内致します」と一同を案内する。促されるままウキクサ達も後をついていくと、広い一室に通される。壁際には料理が並び、内側に丸テーブルが幾つも並んでいる。ビュッフェ形式のようだ。

「一組一回、回して下さい」

 入口の所で何故かガラガラを回させられる。どうやらそれで席順を決めているようだった。

「私は十一ですね」

「俺とダイフクは十二だな。メイリンはどうだった」

「二十三ね。まあ、後でゆっくり話しましょ」

 そう言って彼女は陽気に自分と同じ卓の人間に話し掛けていく。ウキクサとユアンも揃って指定された席に向かうと、「癒される相棒さんですねえ」と同卓の女性らに話し掛けられた。

 やがて席が埋まると、先刻の作業着姿の女が戸口から姿を現した。客の忘れ物でも届けに来たのだろうかと思っていると彼女もガラガラを回し始め、「三番か! 若い番号だねえ」と空いていた最後の席に向かう。そうして一同に振り返ると、

「えー、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます! ささやかな宴ですが、皆様に新たな出会いや発見があればと思っております! えっと……ああ、早過ぎましたね」

 呆気に取られている間に、各テーブルに食前酒が運ばれてくる。

「ええ……グラスは持ちましたね? 自己紹介が遅れました、私はリュカ・カペッロ、一応この『螺鈿邸』の主人になります。皆さん今日は楽しみましょう! おめでとうございます! 乾杯!」

 唱和と共に給仕たちから拍手が送られ、どこからともなく優雅な楽の音が響き出す。

「彼女が主人だったのか」

 ユアンと共に驚きを露わにしていると、同卓していた男女二人組が笑いながら、

「ああやって驚かすのが好きな人なんですよ」

 彼らはペア部門の有力選手で、この場に呼ばれるのも三度目との事だった。

「この席決めも彼女の発案みたいですよ? 曰く、『ジジ抜き』だとかなんとか」

「随分と意味合いが違う気がするが、まあそれは言わぬが花なのかな」

 言って彼らと話に興じながら料理を取りに行く。あれもこれもと跳ねて主張するダイフクには難儀したが、皆面白がってその為に皿を幾つも持ってくれたのはありがたかった。

「この界層は初めてーーって事は、あの主人の家系についても知らないかな」

 同卓の紳士がそう言う。彼はシングル部門の入選者らしい。「正直そういった事にはあまり興味がなくて」とウキクサが言うと彼は笑いながら、

「カペッロ家は『本島』でも有力な商会でね。先祖は元は貴族だったとかなんとか。レース好きの当主がこの催しを開いてから、代々この祭に参画しているんだ」

「それだけ伝統がある割には、随分とフランクな方だな」

「確かにな。実際、興味はないが伝統だからと出席していた当主も居たようだが、彼女は違う。本心から参加者と触れ合いたいと思っているさ。それがあの方の魅力だとも言えるかな」

 言っているとリュカのいる卓から笑い声が上がる。人好きのする笑顔だ、とそれが素直な感想だった。

「あ、忘れない内に聞いておきたいんだが、ちょっと人探しをしててなーー」

 思い出したようにシアたちやメルキュールについて、似た人物を見掛けなかったか訊ねてみるも、思わしい情報は得られない。シングル部門の紳士が、「どこかの路地で白髪の占い師を見た」と言ったくらいか。これに関しては、例の街の易者である可能性が高いだろう。

「まあ、そう上手くはいかないか」

 その後も歓談は続き、皆でレースの苦労話に花を咲かせていると、不意に会場に重い鐘の音が響き渡る。ペア部門の二人が「おっ、もうそんな時間か。楽しいひと時でしたよ」と改めて握手してくる。どういう事かと思っていると、

「では、席替えをしようと思いまーす! 皆さんコースターを裏返して下さい!」

 言われるままにグラスを置いていたコースターを手に取ると、裏面に何やら数字が浮かび上がっている。恐らく水分量か温度に感応する仕掛けだ。手が込んでいる。

「では番号に従って移動して下さーい!」

 ユアン達と別れ、該当のテーブルに移動する。とーー

「あら、一緒になったわね」

「まあ確率的にも決して低くはないしな」

 メイリンと同卓だった。他にもシングル部門で首位通過したという筋肉隆々の巨漢や、一つ目のモヒカンヘアをした男とエルフ女のペアと、皆なかなか個性的だ。

 最後に卓に着いたのは、赤毛の作業着姿をした女性だった。つまりーー

「リュカです、宜しく!」

 宴の主催者はそう笑うと、ダイフクをキュキュッと撫で始めるのだった。

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