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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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7.ダイフクの日常

 あれからダイフクは頻繁に姿を現すようになった。何をするでもなくぼんやり佇んでいることもあれば、草を食んでいることもある。無目的に――私から見ればだが――辺りを散策していることもあった。

 こちらに構って欲しいときは、ぐるぐる周りを回り、でなければ目の前でじっと立ち止まる。

 相手をして腕を差し伸べれば、器用にそこから伝って登ってくる。

 肩に乗ったり、懐に収まったり。

 どうやってか頭にのぼってきたときは、一瞬喰われるんじゃという懸念が浮かんだものだったが、今のところまだ無事だ。

 と言うのも、晩飯の支度をしているときに、見てしまったのだ。ダイフクの捕食シーンを。

 標的は、あの人魚だった。

 それまで興味深そうに調理の様子を眺めていたダイフクが、突如としてその場を足早に離れていったのだ。何があったのかと鍋を火から下ろし後を追うと、ダイフクは影の中に浮かぶ拳大のシミの前に、ぽつねんと佇んでいた。そこに殺気のようなものはない。目の前にいるのに存在が希薄になったような、路傍の石にでもなったようだった。それくらいの、どうでもいい感だ。人魚がにゅるりと頭を突き出しても、動く気配もない。

——と、シミの中から上半身があらわになったときだ。

 白い塊が縦に身体を伸ばしながら、見たこともないような素早さで人魚に飛び掛かった。

 気付けば人魚はしっかりと把持され、次の瞬間にはダイフクの白くぷるぷるとしたその内部に取り込まれていた。

 捕食者はそのまま石になったようにじっとする。消化しているのだろう。長くなりそうだったのでひとまず放っておいたが、再びダイフクが動き出したのは、こちらがメシを食い終えた頃だった。

「美味かったか」

 問うとダイフクは平たく伸び縮みして、その場で数度跳ねてみせる。どうやらお気に召したようだ。そうして私の手に乗り、小さな紫色の物体を置いていく。

「排泄物か?」

 光沢はなく、小指の先ほどの大きさだ。小動物のそれと言われれば、まあそうだろうかと思わないこともないだろう。ただしその場合、私の手の平がトイレにしていい場所だと認識されていることになるが。

 ダイフクが否定するようにぶるぶると震える。あるいは表情からそれと認めたのかもしれないが。

 試しに鼻先に近付けてみて、答えらしきものに行き当たる。

「生薬の類か」

 独特の匂いは、整腸作用のある丸薬のそれに近かった。原料が何かは分からなかったが、そこでダイフクが身体を縦長に、片端を魚みたいにぷるぷる震わせた。

「『人魚』か」

 肯定するようにダイフクは一層ぷるぷる震える。

 効能が何だかはさっぱり分からないが、せっかくの戴き物だ。取りあえず『人魚の肝』と名付けて、ありがたく懐に仕舞っておくのだった。


…………それにしても、と意識を現在に引き戻す。腕に這い登っている白い生命体の相手をしてやっていると、ここの生態系について、ひとつ仮説のようなものが浮かんだのだった。

 まず、ここに大型獣がいないことの説明として、影の中に潜ることが出来る種族の存在が大きいのではないか。

 先日のイノシシを思い返してみると、足跡と血痕は道のど真ん中で、突如として消えていた。驚異的な跳躍力や飛行能力があったとして、それを示すような足跡や血の滴りくらいはある筈だ。そういうものも何もなく、悠然とした歩みの只中で消えていることを合理的に説明するには、ダイフクや『人魚』と同じ隠遁能力を使ったと考えるのが自然だろう。それなら煙のように消えていることの説明はつく。

 つまり、大型獣の数がどのくらいか分からないが、少なくとも中型獣を捕食出来るものが、隠遁能力を持つものの中には存在する。であるならば、それらは大型獣相当の立ち位置にある存在と見て良いだろう。

 彼らが、ここの生態系の頂点に立っている。そうは考えられないか。

 ダイフクにしたって、イノシシの塊肉だけでなく、そこらの草なんかを主に食んでいるのだから、好みは別にして、人魚のような特殊なものしか口にしない訳ではないだろう――――少なくとも、件の『内臓喰い』はその筈だ。

 頭の上にふよん、とすべやかな感触が乗っかる。先日よりは大分落ち着いていられるが、それでも幾分かは心許ない。ダイフクの方はすっかり居心地良さそうに落ち着いてしまっている。高いところがお気に入りなのかもしれない。まあ、視覚があるかどうか、分からないのではあるが。

 頭上からポロリと何かが落ちてくる。小指大の、緑色をした塊だ。私はそれを拾い上げると、手製の細い薬入れの、小部屋のひとつにそれを入れる。

「何の薬なのかねえ」

 苦笑しながらも仕舞い込んだそれは、ダイフクがあれから良く精製する丸薬の一種だった。草を食んだ後に良くくれる――というよりは持っておけと身振りで示してくる――ので、取りあえず『薬草丸』と呼んでいる。他にも白やら黄色やら、様々な色の『薬』を、私は押し付けられていた。固く薄い乾燥唐辛子のようなものもあれば、四角い形状をしたものもあった。

(……これ、やっぱりただの排泄物なんじゃ……?)

 時折やはりそんな疑いが頭をもたげてきたりもするが、ダイフクのあの身振りを考えるとどうにも捨て辛い。また、排泄物ならそこらの道や草むらに転がっていてもおかしくないのだが、決まってソレを出すときは、私が傍に居るのだった。

 何かしら意味があると見ても良いだろう。効果効能は不明だが、未知の危険ばかりのこの地において、いつ何時必要な局面が現れるか分からない。

……そういう一種の貧乏性で、持ち歩くようにしていた。使い時はともかく、用途に関しては、現状それを判断出来るのはダイフクだけだろう。果たしてその時自分が隣にいるか、いたとして相手が的確に教えてくれるかは、微妙なところだが。

 屋内に上がり、立て掛けてある木板を軽く撫でる。木板には格子と数字が刻まれている。まあ、簡易版のカレンダーだ。数字は20までバツ印で消されており、今日が21日目だ。

(ここに来て、三週間か)

 見知らぬ地に来て、ひたすら無我夢中――とは言えないかもしれない。

 作物はあったし、雨風を凌げる場所もあった。一から始めるのに比べたら、余程恵まれた環境だ。

 それでも目にするもの、口にするものには日々発見があり、そのことが一日を濃密なものにしていた。これほど濃密な三週間は、いつ以来だろう。

 見たことのない現象に行き合い、見たことのないものを食って腹を壊し、加えて見たことのない生き物と知己——友達のようなものになった。

 知らないことだらけの日々だ。

 変な話、充実した日々だとも言えた。


 しかし運悪く——それとも運良くだろうか——死なない限り、いつかはそれも慣れ、日常のルーティーンに落とし込まれる時がやってくる。

 その時になっても、私は生きる張り合いを持てているだろうか?


「……考えていてもしょうがないか」

 言って土間にゴロンと寝転がる。頭に乗っていたダイフクがぽよんぽよんと跳ねて、そのまま転がっている道具を取り込んだり吐き出したりして遊び始める。……食べたりしないでちゃんと元の位置に戻してくれるので、まあ良いのだが。

 こちらに遠慮のない存在というのは、率直に言って得難いものだった。見知らぬ環境にたった一人身を置いているのであれば、尚のことだ。

(……関係性を嫌って、こんな所まで来てしまった筈なんだけどなあ)

 誰かとの、何処かとの関係を絶って来たところで、結局その先の場所で新しく関係性というものは生まれてしまう。その事実に、苦さとも歯痒さともつかぬものが浮かんできた。

……恐らく自分は素直に認めたくないのだろうが――


 カタッ、カタカタ、カタカタ


 突如響いた音に思わず身を固くする。

 鳴子だ。

 数日前、周囲の主立った場所に張り巡らしたもので、それなりの力が加わらない限り鳴らない筈だ。

 中型獣か、大型獣か――あるいは、件の『内臓喰い』だろうか。

……情けないもので、こういうとき、なかなか身体は思うように動いてくれない。本能的な何かが働いているのかもしれない。

 それを理性で捻じ伏せ、手探りで脇に置いた山刀を探り当てると、ゆっくりと、音を立てぬように、半身になって外を窺う。

 音の出所は恐らく沢の方面、森の出口付近。遠く仕掛けの方に目を細めるも、獣の姿は見られない。それどころか音も止んでいた。


(驚いて逃げたか)


 それならそれで構わなかった。それこそ鳴子本来の役目というやつだろう。次からは避けられる可能性もあるが、正直そういうことを気にし始めたらキリがない。但し、どんな種類だったかは、確認しておきたかった。

 用心深く暫し様子を窺っていると、木立の合間から、ゆっくりと何かの影が出てくる。

 周囲の低木より高い。大物に違いなかった。

 山刀を握る手に汗が滲む。ゆっくりと影が姿を現して―― 



 え?



 有り得ないものがそこにいた。

 少なくとも、自分にとっては有り得ないものが。


 ソレは一歩一歩確かめるように、慎重に歩を進め——そうして互いの目が合い、見開かれる。


 遠目からでも分かる。


 そこにいたのは女。

 人間の女だった。

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