63.街を作った者、街に生きる者
「お客さん、試着するなら口元は十分拭っておいてくれよ?」
「ん? 失礼、まだ付いてるか」
ウキクサが袖で口元を拭うと、僅かに黒いものが付着する。先刻食べたイカ墨のパスタのソースだった。海産物も美味い事で知られる同地の料理だが、昼間から少しがっつき過ぎたかも知れない。
「美味いのは認めるがね。まあ決まったら声を掛けてくれ」
そう言って店主はずんぐりとした身体を小さな椅子に押し込めた。
腹拵えの後、広場の一画で仮面が売られているのを目にしたウキクサは、早速気に入るものがないか探し始め、その結果店主に注意されてしまったのだった。
ずんぐりとした店主は近くで仮面の専門店を営んでいるとの事で、今日は娘に店の方を任せ、自身はこちらの露店に出張っているらしい。生まれも育ちも『本島』の地元っ子は、本人の言を借りるならば「この空気が好きなんだ」と、厳めしい風貌ながら祭を楽しみにしていたのが窺われた。
「仮面と言っても、色んな種類があるんだな」
「応よ。額から下をまるっと覆う物が主流だが、近年は若い客や子どもを中心に、この半面タイプが増えてきたな。仮面をしたまま飲食したいなら、こっちの類がオーソドックスでオススメだな」
言って彼は鼻から下の部分が突き出たディスプレイを指し示す。成程、これだけの隙間があれば飲み食いするにも楽だろう。シックな黒いマントとも合っている。
特殊な形状のものも多く、昔の医者を象った嘴のような形をしたものや、鼻が長いもの、立派な白髭を蓄えた品もある。中には口で咥えていなければならないような、変わったものも見られた。
「全部ウチのお手製だからな。どれでも自信はあるぜ」
「そうだな……折角だから奮発して、この飲み食いしやすそうなやつと、黒マントを貰おうか」
「あいよ。……マントは実は女房が作っててな。どうしても仮面単体で買う客が多いから、聞いたら喜ぶよ」
「そりゃあ何よりだ。……そっちの二人はどうするんだ?」
言われて仮面を被った『医者』と『道化師』が振り返る。更に『医者』の上には、半面を被ったダイフクが。
「まあ、偶にはいいだろう」
「この形は前々から気になっていましてね」
と二人も仮面をマントとセットで購入する。合計三組もセット購入したからか、店主はニンマリと上機嫌に、
「そこの丸っこいのの分はサービスしとくよ」
合計で銀貨十八枚と銅貨十一枚だから、それなりの高級品ではあるだろう。今の懐具合だと余裕だが。
「因みにオススメの飯屋とかってあるかい?」
試しに店主に訊いてみると、「そうだなあ」と彼は顎を摩りながら、
「結局はあんたらがどういったものを望むか次第だな。洗練されたものを食べたいのか、庶民的なものを楽しみたいのか」
「どっちも嫌いじゃないが、そうだなあ……なら美味くて面白い所、ってのはあるか?」
「それなら『雨漏り亭』がいい。ああいうタイプの食い物屋はなかなか聞かない。庶民的な料理の店だが、味は絶品だ。店主も客層も癖が強めだが、あんたらなら大丈夫そうか。地図があれば書き込んでやるよ」
そう言って男はパンフレットを受け取ると、自分の営む店の上に既に描かれていた丸の中に、期間中自分がそこで働いている日付を書き込んでゆく。同様に、今いる露店も四角で囲って、そこに日付けを書き込んでゆく。次いで『雨漏り亭』の場所を記し、最後にもうひとつ、宿に程近い一画に別の印を入れる。
「俺の気に入りの軽食喫茶だ。朝昼のちょっとした時間に寄るには丁度いいし、置いてあるちょっとした料理も悪くない」
店主に礼を言いその場を後にすると、一路宿へと向かう。裏通りや小運河沿いは方々花で彩られ、祝祭への期待感が滲んでいた。
「……にしても、橋と運河が多い街だな。運河と呼ぶべきか、水路と呼ぶべきか分からないが」
「どっちでもいいんじゃないでしょうか。大運河だけは別格でしょうが」
言いながら橋を渡ってゆく。ここも一見目立たないが、欄干を支えるポールの部分は曲線的で、手が込んでいる。
民家や小店舗の前を通り、別の広場で曲がると、ようやく目的地に辿り着く。外壁を黒く塗った建物はパッと見では宿だと分からないだろう。商会の方から宿に話は通っていたようで、荷物等あれば預かって貰えるようだったが、皆そんなに嵩張るものを持ち歩いておらず、先刻買った衣装は『勾玉』やアルゴの『外套』に収まってしまう為、荷物らしい荷物はなかった。また夕刻から夜にかけて戻る旨伝えると、改めて街の中を歩き出す。先程もそうだったが、どこからともなく流れてくるヴァイオリンやギターの響きが耳に心地良い。
「大広場に面した有名店だと、私設楽団もあったりするぞ」
「凄い話だな。……っていうかその大広場? はどこにあるんだ」
「大運河の『河口』付近と言えば良いでしょうか。官公庁が建ち並び、時計塔や寺院もあったりして、人気のスポットですね。……行ってみますか?」
アルゴに頷き一同は大運河の方へと、新たに橋を何本か渡る。居住区の辺りを通る度に頭上に洗濯物が掛かっていたりして、生活感がある所が逆に好ましかった。
「お、人通りが増えたって事は……」
案に違わず次第に日当たりが良くなってくる。程なく大運河が姿を現し、そうして対岸に見えたものに思わず目を見開いてしまう。
「……かなり攻めた建物だな」
黒をベースに怪しく虹色に照り返す建物がそこにはあった。高さはどれくらいあるだろうか。優美なアーチが縦に連なる様は、思わず溜息を漏らすものだ。
「『螺鈿邸』だな。ここの有力者の家さ。名前の通り螺鈿で装飾されている。夜になると術で昼間に取り込んだ光がぼうっと浮かび上がって、なかなかの見ものだぞ」
多くの観光客が運河や離れた歩道からその建物に視線を向けている。裏側は分からないが、少なくとも大運河沿いからは舟でしか中へ入れないようだった。
「おーい、こっちだぞ」
気付けば建物に見入って、カミールたちと離れてしまう所だった。慌てて着いていくと、立派な橋やら歴史のありそうな教会やらが見えてくる。そのそれぞれについて二人に解説して貰う事も出来たのだろうが、
「そうすると何度も立ち止まる羽目になりそうだ。取り敢えずは眺めるだけで我慢しておくよ」
そう言ってウキクサは深く息をつくのだった。
やがて小気味の良い音楽が何処からともなく聞こえてくる。それに誘われるように一行は路地を抜けてみると、果たしてそこには大きく開かれた、美しい石畳の空間が広がっていた。
四方には寺院や時計台が並び、鐘楼も建っている。白を基調とした連続アーチの回廊は格調高く、それでいて優美だ。記憶にある水の都と酷似している。
「……この街を設計した奴、絶対に帰りたかっただろ」
小さく零すも雑踏で二人は聞き取れなかったのか、「何か言ったか?」と返すのだった。
「いや、ここで張ってればその内シア達に会えるかもな、って」
誤魔化すように言うと二人は「それは確かに」と頷いて、
「ここは海からの入り口の一つでもあるからな。そこの角を曲がるとピセからの船が多く着岸している筈だ」
「……思い切って広告出してみますか? ここなら多くの人が訪れますし」
「うーん……放っときゃその内会いそうな気もするんだがなあ」
と二人がまた悩み出した所で、鐘楼が鐘を鳴らし始める。見れば時刻は午後の四時を示していた。
「ひとまず宿まで戻らないか。ヤコポと落ち合う都合もあるだろう」
「確かにな。結構歩いたし、迷ったりする前にとっとと帰るのが吉か」
宿に着いた頃には既にヤコポがロビーで待っていた。彼はこちらを認めるや、「お疲れ様です。お食事はどんなものが食べたいですか」
あまり高いものは気が進まなかった。庶民的なもの、街の食堂で良かったがーー
「丁度良さそうな店を紹介して貰った所でな。正直何が出るかも分からないが、そこでも構わないか?」
「勿論ですよ。因みにお店の名前は?」
「『雨漏り亭』だ。なんでも店主も客も癖強めらしいが」
「何処かで聞いた名前ですが……悪い印象ではなかったと思いますね。ザックなら分かるのでしょうが」
件の場所に向かうと、それは細い運河の袂だった。橋を渡った行き止まりにポツリと建つ店はかなり年季が入っており、『雨漏り亭』の小さな看板も、ともすれば落ちてしまいそうだ。
「鬼が出るか、蛇が出るかーー」
ウキクサは言いながら戸口をくぐると、中の様子をそっと窺い見る。パッと見た限りでは丸い卓が幾つも並んだ、普通の店であるようだが……。
「らっしゃい。初めてかい」
眼帯をした四つ腕の筋骨隆々たる大男が、見下ろしながら聞いてくる。かなりの圧迫感だ。
「そうだ。知人に薦められてな」
「知人のススメ? こんな店より美味い所はこの街にゴマンとあるだろうに。随分と物好きだなーー因みに誰のススメだ?」
「名前は知らないんだが、仮面を作ってるずんぐりとした身体の……」
そう言うと「ああ!」と彼は手を打って、「ラーシュか。全く物好きな奴だ。まあともかく入んな」
言われて卓に着くと、男が上から何かを引き下げる。これは一体……
「赤と白、それと水はそこから出る。料理はカウンターまで頼みに来てくれ。先払いだ。カウンターで一杯引っ掛けながら料理の完成を待つといい。順番だから時間は掛かるぞ? 俺一人だからな」
そう言って眼帯の巨漢は厨房へと戻ってゆく。カウンターの側には既に二人ほど客がワイン片手に立っており、料理が出来るのを待っていた。店主はその四つ腕を巧みに駆使して、二種類の料理を同時に仕上げていく。
「……ワインと水はタダって事か?」
「のようですね。元は取れているのでしょうか……」
ヤコポとそう話していると、隣のテーブルに掛けていた小太りの女が、
「各地の酒屋が新作の試飲に安く提供してくれるのさ。ここで客の反応を見てから需給予測を立てる、みたいな感じでね。基本地元民ばっかだから、極端に羽目を外した飲み方はしないしね」
「日によって種類が違うのが魅力だねえ。今日はワインだが、一昨日はウイスキーだった」
こちらはその隣に掛ける老婆の台詞で、言うや頭上のツマミを捻ってダバダバと赤ワインをロックグラスに注いでゆく。グラスはこれ一種類、皿も大皿が基本で、取り皿の類はないようだ。
「っつ……あぁ、この赤はクソ不味いねえ。白の方はイケるけどねえ」
老婆の発言にぎょっとするも、ここではそれが普通であるらしく、他の客も「この白は生モノに合わない」だの「水が一番美味いな」などと言いたい放題だ。終いには店主自身も、「肉の調味用にこの赤は厳しいな。むしろ魚と合わせた方がいい」と言う始末。
店の隅にはそんな評価をいちいち書き留めている眼鏡を掛けた女の妖精がおり、彼女の報告が各メーカーの元へ行くのだとか。
「タダ酒飲めるしメシも美味いから、控え目に見てもいい職場よ」
とは彼女の言だ。界隈の噂話には詳しいか聞いてみると、
「まあ仕事柄ね。でも喋ったりしないわよ、これでもプロフェッショナルのつもりだから」
「人探しをしていてな。もしそれに該当するような人物の事を聞いていたらと思って」
「それなら少しくらいは協力出来るかもね……あら、面白い妖獣さんね」
言ってカウンターの上に乗ってきたダイフクに目をやる。どうやら店主が作っている『骨付き肉の香草包み』に興味津々のようだ。
「探しているのは妖精と若い女、青少年といった感じの男の子、黒い山猫の妖獣ーーこの組み合わせだ。それとは別に、白髪だが老人とまではいかない男も」
「白髪の方は『占い師』と名乗るかも知れませんね」
アルゴが捕捉するも、彼女は首を振りながら「聞いた事ないわね」と返す。
「もし何か分かったら、どこに連絡すればいいかしら」
ヤコポが名刺を渡すと同時に『香草包み』と『白身のカルパッチョ』がカウンターの上に出される。
「いっその事ここの連中に聞いてみたらどうだい?」
眼帯の位置を直しながら店主が言う。確かにそれもひとつの手だろう。助言に従い聞いてみるも、今日来た客の間には見た者はないようで、
「まあ、そう都合良くは行かねえわな」
とカミールが笑うも、皆もし見掛けたらここの妖精に情報を集めてくれるとの事だった。
「……これであいつらが祭に来なかったら、商会にクズ情報ばっかり集まっちまうんじゃねえか?」
カミールがヤコポに問えば、
「乗り掛かった船ですから」
そう言って背の高い男は苦笑を浮かべるのだった。
「ーーで、練習の方はどうしますか? 一応明日なら枠を確保出来ますが」
「そうだな。感覚は早く慣れた方がいいだろうし」
それで翌朝十時にバルバリ商会でとなったのだがーー
「兄ちゃん達、レダ祭に出るのかい」
最前の老婆が興奮気味に聞いてくる。見れば周りの客も「本当か」「そういうのは早く言ってくれ」との事で、四つ腕の店主も厨房から半ば身を乗り出していた。確かに出ると言うと、「部門はどれだ」と続けられる。
「正直自分でも良く分かってないが……妖獣と出る感じだな」
「妖獣とのコンビか。頑張れよ!」
そう言って皆握手してきたり、背中を叩いてくる。
「ああそうそう、コンペティション部門は『緑風』を応援しとくれよ!」
「『緑風』こそが至高さ! 他のチームなんてウチと比べたら魅力ないね!」
「今年こそは優勝カップを取ってきてくれるよ!」
「『緑風』に栄光を!」
と、皆揃って酒片手に何やら歌い始める。見れば四つ腕の店主も一緒になっている。つまりここは、そういう店なのだ。ライバルチームを贔屓にする者が間違って入ったらどうなるか……見てみたいような気がしなくもない。取り敢えずそんな感じで酒を酌み交わしていると、
「確か『緑風』は、『本島』六区の中では近年低迷していますね……」
ヤコポの呟きに、思わずウキクサは『どこの世界もこういうのは同じだな』と何とも言えない表情を浮かべてしまうのだった。




