62.水の都
ジヌーヴから定期航路便に乗る事四日、『本島』の所管領域になる島を経由しながら、一行は間もなく目的地を視界に捉える所まで来ていた。定期便というだけあって、船には様々な人が乗っている。仕事で赴く者、観光に行く者、そして出先からの帰途に着いている者。歳も性別も種族も、本当に様々だ。
「ひと口に『本島』と呼び習わされているが、実際は隣り合う小さな島々の集合体だ。それが無数の橋で繋がれ、有機的なひとつの『島』として機能している」
カミールが十指を広げ、それを合わせてチューリップのような形を作る。
「レダ祭の競争も、元はその所属区域別に選手が選抜されていたらしい」
「そうなのか」
「俺も見るのは久し振りだからな。少しばかり楽しみだ」
「上手く弟子に厄介事を押し付けられたしな」
「人聞きの悪い。あれは適材適所、って奴だ」
そう言ってカミールはニヤリと笑った。
急遽『本島』に渡る事になって、薬師ギルド長アウラが『海坊主』の件についてお墨付きを与える為の調査は一時中断になった……筈だった。
しかしヤコポが予想以上に早く、各地から目撃情報や民話の類を集める事に成功していた為、最終的なジャッジを仰ぐのにそういった『証人』が多くアウラの元に送り込まれていた。
情報がちゃんと集まればお墨付きを与えられると言った手前、彼女もそうした人には時間外にでも面会せざるを得ない。
ヤコポも常ならばもう少しアウラと調整するのだろうが、彼自身ウキクサ達に同行しなければならなくなったのと、マンドラゴラでいい取引をした直後だった事もあり、そのような状況になっていた。草刈りをしていたダイフクを迎えにギルドに赴いたところ、彼女に「ちょっと聞いて下さいよー!」と愚痴を聞かされてしまった。主に師匠とトライメンテの商人についてだが。
『あの人自分で調査報告の方は俺に任せとけとか言ってた割には何もしてないじゃないですか! って言うか師匠が書けばいいんですよ、お墨付き!』
とは言え師弟間の諸々に首を突っ込むつもりは毛頭ないので、こちらは適当に相槌を打つばかりだった。
それでも話せる誰かに話す事でーー他の研究員の手前あまり『ギルド長』のキャラを崩したくないのだろうーー気が済んだのか、最終的にはすっきりした顔で戻っていったが。
「まあ、あいつはあれでいて優秀だ。仮に問題があればまずそれを放置したりしないだろう。一応師匠にも逆らえる、ちゃんとした科学者だからな。……おっ」
カミールが客室の窓を見て軽く声を上げる。遠景に何やら赤茶っぽいものが見えてきた。
「デッキに上がろう。二等席くらいなら残っているかも知れない」
一同が階段を昇ってみると、デッキはなかなかの賑わいを見せていた。多くの者が船の片側に寄り、言葉を交わしているようだった。
「成程、これがおのぼりさんってワケだな」
「お前さんもその一人だろうに」
「自発的に行くのとそうでないのとでは、また違うだろう」
カミールと話しながらも、自然と視線は他の客と同じ方に向いてしまう。ジヌーヴの時と比べても、明らかに船の数が多い。大小様々、色も取り取りのそれらは、潮の流れに乗って揃って斜め前方に見える赤茶の島へと向かってゆく。
「それにしてもダイフクさんはなかなかの社交家ですねえ」
「社交家?」
アルゴが船縁を示してみせる。また乗員か乗客に相手をして貰っているのかと思いきや、ダイフクは船縁に留まったウミネコと何やら遊んでいるようだった。海に落ちないよう気を付けろと言うと、理解したのかしていないのか、今度は檣に登ろうとしたのでそれを止めて、仕方なし自分の頭の上に乗せる。
ウミネコはひらりと飛んで来ると左肩に着地し、それを見てダイフクが右へ、ウミネコが頭へーーとやはり遊び出してしまった。足の感触がなかなかに痛い。直ぐ止めて某音楽隊宜しく上に重なってくれたので助かったが。
ーーやがて島の全容が見えてくる。いや、島と形容するのは正しいのだろうか。まるで水上に都市が浮かんでいるように思われる。
赤茶に見えたのは統一された建物の色で、実際ここまで近付くとくすみもなく、目を瞠る程の鮮やかさだ。大きな船の他にも、小舟の類やレガッタも多く見られる。
「……実際に行った事はないが、別物だとしても、こりゃあヴェネツィアにも劣らない美しさだな」
「マレビトのあんたが言うと悪い気はしないな。実際に街を散策してみても魅力的なのは自信を持って言えるぜ」
次第に船が速度を落とし、外海側の大型船の船着場へと入ってゆく。甲板から見下ろすと、中層建築の立ち並ぶ街の間を縫うように運河が張り巡らされているのが分かる。幅が狭い所もあれば広い所もある。狭い陸地同士が橋で繋がれ、ひとつになっているのだ。
と、頭の上の感触が軽くなる。ウミネコが飛び去ったのだ。釣られるようにダイフクが降り、次いでぽよん、ぽよん、と大きく跳ね始める。見ると翼のようなものが生えていた。どうやらウミネコの真似をしているらしい。飛ぶには少しばかりパワーが足りないか、でなければ修行が必要なようだった。
「どうしますか。通常ルートで行きますか。それとも特別ルートで行きますか」
下船に当たり、ようやっと他の商人と話し込んでいたヤコポがやって来たかと思いきや、最初の言葉がそれだった。
「通常とそうじゃないのの違いが分からんが」
「ああ失礼、普通に船着場からウチの支部まで歩いて行くか、それとも折角舟があるので……」
と船内に格納されている新艇を示し、
「水の都らしく、舟で向かうか」
どちらかと言われれば、やはり後者だろう。折角こんな所まで来たんだ。楽しまなきゃ損というやつだ。幸い櫂は三本あり、対荷重も問題はないらしい。ゴンドラのようにゆとりのある作りなのが幸いした。
船から下りてレガッタを四人で担いでいると、街の者や同乗していた客から、「レダ祭に出るのか」「頑張れよー」と声を掛けられた。実情としては、レガッタの上で跳ね回るダイフクに皆目をやっていたが。
細い運河に舟を浮かべ、そこに乗り込んでみると、水面の近さに少しばかり驚きを覚えると同時に、流れる水の音が耳に心地いい。
「水路に面して裏口があるんだな」
「違いますよ、アレは表口です」
「え?」
ここの住民は舟での移動も多い為か、水路に面した出入口を美しく飾る習わしがあるらしい。それが通りの方より華美であれば表口、そうでないなら裏口という訳だ。
「仕事の都合でその方が便が良いというのもありますがね。何れにしろ、それだけ水路は身近なものなのです。ーーこの街の表通りが見えて来ましたよ」
細い水路の先が明るくなってくる。程なく舟がそこに出るとーー景色が一気に開けた。
「……!!」
差し渡し数十メートルはあろうかという運河がそこには広がっていた。大小の舟がひっきりなしにそこを行き交い、傍の水路から出ては入ってとかなりの交通量だ。両岸に広がる建築は四、五階建てのものが多いだろうか、白に赤い屋根を基調とした街並みは夏の空と緑青の海に映えて、思わず得も言われぬ溜息が漏れてしまう。
「……一度住んだら、離れられないだろうな」
ウキクサがそう言うと、「ここはここで苦労があるんですよ」とヤコポが苦笑を浮かべた。
「下水の管理をしなければならないし橋が多くて難儀しますし……何より迷路のような街ですので、広場や主要な運河への標識を見失うと別区に住む地元民でさえ大変だという話ですよ」
聞けば『本島』は六つの区域で構成されているらしく、その中でも居住区域や商用区域が混在しているらしい。トライメンテ島という地方の一商会では流石に大運河に面した一画に店を構えるのは難しく、水路をもっと内側に二つ程入った所に支店があるとの事だった。
「折角ここに来たんだ。余裕が出来たら島を遊覧してみるといい」
「そうですね。もうすぐ祭なので、流石に暫くは人でごった返すと思いますが、それが過ぎれば幾分観光もし易くなるでしょう」
言いながら大運河から細い水路に入ってゆく。両脇に並ぶ建物には花が飾られている所も多く、通る者の目を楽しませてくれる。水路の曲がり角には四、五十センチ程の聖母像らしきものが佇んでおり、住民らが捧げているのだろう、多くの花が色鮮やかに供えられていた。
そこから暫く舟を漕ぎ、庭園のような場所を横目に見た後に小洒落た丸窓のある所にヤコポが舟を着ける。
「足元にお気を付けて」
見れば年季の入った戸口の上には小さく金文字で、『バルバリ商会』と刻まれている。鍵は持っているとの事だったが、ヤコポは数度扉を鳴らして店員を待った。覗き穴から彼を認めたのだろう、中から男が姿を現すと、
「お待ちしておりました。皆様どうぞ中へお上がり下さい」
見れば扉のすぐ脇で灯火が青く点っていた。後で聞いた所、マナによる防犯システムだとの事で、登録された人物のマナに反応して青く光るものなのだとか。
「久しいなザック。急で申し訳ないが、委細宜しく頼むよ」
「喜んで」
「彼が支店長のザックです。宿の手配も彼がしてくれたので、後程ご案内致しますね。舟は当日までこちらで保管して貰います」
そう言って一同を彼に紹介すると、中へと進んでゆく。ジヌーヴと比べても店の間口は狭く、縦に長い印象だ。この街の人口密度の高さが窺われる。
忙しげに行き来する店員たちの間を抜け、階上の一室に入る。どうやら支店長室であるらしく、卓の上には書類が山積みになっている。
「それでは今後の予定について私の方から説明させていただきますね」
卓の上にレダ祭のパンフレットが置かれる。なかなかに手が込んでいて、街の全図も載っているのは観光客にはありがたい限りだろう。
「今日が夏の二十二日目、今年のレダ祭は夏の二十五日目から三十日目までの六日間を予定しています。つまり三日後ですね。まず初日と二日目の日中にレガッタ競争が行われます。三日目と四日目は仮装行列が有名ですね。五日目と六日目に新技術の発表や各種芸術祭が催されます。どの日も街角で音楽が掻き鳴らされ、また夜には花火が盛大に打ち上げられます」
かなり本格的なイベントだ。千畳の夏祭りも悪くなかったが、こちらは金の掛け方と規模が違う。
「俺たちが出るのはどの日なんだ?」
「初日の方ですね。コースはこのようになっております」
とザックが別の地図を取り出す。見ればスタート地点は密集した『本島』ではなく、少し離れた島になっている。周辺のそういった島々を二つ三つ巡りながら、最終的に『本島』の大運河に架かる有名な橋をくぐってゴールという形だ。
「他の競技者・参加者の邪魔にならない形できっちり目立って頂ければ、当商会としては言う事なしです」
ヤコポがそんな事を言うが、どうしろと言うのか。いっその事電飾でも付けるか?
「沿道や建物から手を振られる中大運河を下るのは、気分は凄く良さそうだな」
「実際それが病みつきになって何度も出場する、という者も多いようですよ」
カミールらが話している間も、ダイフクは卓の上でパタパタと飛ぶ練習をしている。結構な長時間だが、身体を変化させる部分が少ないので、あまり負担にならないのかも知れない。
「本番まで三日程ありますが、皆様どうされますか? 一応、外海に練習用のコースもありますが」
「まあ、慣らしに一度ダイフクを乗せて漕いでみたいというのはあるが……一応、人探しでここまで来てるからな。ウチらの仲間が特に食いつきそうなイベントでもあるといいんだが」
メルキュールだと釣り、シアは屋台やらギャンブルものだろうか。何とも言えない。
「まあそれに関してはその内どうにかなるだろ。どっちかはきっとここで掴まるさ。折角だから街を散策しようぜ」
カミールとアルゴは楽観的なようだった。メルキュール自身近く会えるだろう事を仄めかしていたから、それ程焦っている訳ではないのかも知れない。こちらとしても、それに関してそこまで急ぐつもりはなかった。強いて他に気になる事があるかと言われたら……
「その祭の仮装行列っていうのは、どんな感じなんだ?」
「古典的な衣装を着て、複数組が街中を歩くものですね。皆マスクをして、なかなか趣深いですよ」
「仮面か……」
「興味がおありで?」
「ああいや、そういうのとは少し違うんだが……そのマスクというのは、どこかで買えるようなものなのか?」
「はい、街の専門店でお買い求めいただけますよ。その他にも、今なら祭の直前ですので場所によっては広場に露店が出ていますね。祭の見物客も記念に買って行かれる方が多いです。但しどれも本格的な物ですので、値は張りますが」
そう言ってザックがパンフレットに三つ程丸を書き入れる。そこが専門店の場所だという。
「それと露店の出ているであろう広場は……ああいや、あまり多くを言い過ぎるのも良くないですね。実際に散策しながら、祭の街を楽しんでいただけると」
そう言って笑った。
「違いないな。でもありがとう、参考にさせて貰うよ」
「いえいえ。それでは宿の方ですがーー」
バルバリ商会の支店を後にして、ウキクサ達は祭の気配が近付く街の中を歩いていく。観光客の割合が高いからか、誰も彼も浮き足立っているような気がする。ヤコポは処理しなければならない事務作業があるらしく、店の方に残ってまた後程落ち合う事にした。
「しかし仮面が買いたいなんて、珍しいですね。ウキクサさんはあまり荷物を持ちたがらない方だと思っていましたが」
アルゴがそう言うと、カミールも「それは同感だな」と頭の後ろに手を組みながら、
「それとも『勾玉』の使い方が分かったからあまり気にする必要がなくなったか?」
「それもあるが……ああそうか、二人はあの時居なかったか」
言ってメルキュールから受けた『占い』の内容を二人に話す。
「ヤコポさんの事は信用しているが、そう大っぴらに言うものでもないからな」
「『トラブルに巻き込まれる可能性があるから仮面には気を付けろ』、か……。自分も被れば上手く切り抜けられる、っていうのは意味が分からねえが、まああいつの予知はそういうものだし、取り敢えず持っておくに越した事はなさそうだな」
「仮装行列には気を付けた方がいい、という話でしょうかねえ」
「仮面の売場に近付いたり、買う事自体がいけないのかも知れないが……正直そこまで考えるとキリがないからな。ひとつは持っておこうと思う」
そう言って建物をくり抜いたトンネルをくぐると、明らかに人の流れが増えている。
「早速ありそうだな」
視線の先には露店が並んでいて、大勢の人間が土産物などを買い求めていた。
頭の上でダイフクが跳ね始める。
「何か気になるものでもあったか」
と、肉の焼ける芳しい匂いが漂ってくる。成程、食指が動いたのかと思うと、ウキクサ達も急に空腹を覚え始める。
「……ひとまずメシにしようか」
そう言うと『浜辺』の二人は揃って「「異議なし」」と返してくるのだった。




