幕間
第三部前編はここまでです。
続きはまた来月頭くらいを予定しています。
「流石に眺めがいいわね」
口笛を吹いて女は遠方を見晴るかす。
峠の山道を越えて現れたのは、真っ白な街並みだった。その向こうには対照的な鮮やかさをした青い海が広がっている。
「運動不足ってやつじゃないの?」
振り向き二、三十メートル離れた連れの男に彼女は声を掛ける。男の方はヒューヒューと息荒く歩きながら、汗だくで頰に貼り付く白髪を再度後ろで束ねた。
「いやあ、はあっ、参り、はあっ、参りましたね」
ようやく彼女に追いついたかと思いきや、そう言って地面の上に座り込んでしまう。景色を見る余裕はないようだった。
「メイリンは、なかなかの健脚ですね」
「そうでもないわよ。あんたが軟弱過ぎるだけ」
「まあ、それについては同意しておきましょう」
水筒の水を喉に流し込むと、冷感がそこから背中、次いで男の全身に染み渡る。
二人ーーメイリンとメルキュールは、トーテンからピセの大島に渡っていた。
横に細長い大島は海路でぐるりと向こう側に渡ろうと思うと金が掛かる上に時間も要する。なので島の中央を切り拓くように幾つもの街道が敷かれ、街が形成されていたが、メイリンは途中からはそうした道を逸れ、山深い峠道を進み始めたのだった。曰く、「どうせなら見晴らしの良い場所に出たいじゃない」との事だった。
着いて行くと言ったのはメルキュール自身である為、彼に拒否権は存在しないが、流石にこれは堪える、と尚も荒く肩で息をついている。
「にしても、まだ記憶は戻らないの?」
「色々と思い出せた部分もあるにはあるんですが」
そう言ってすぐ側に生える長細い葉を一枚ちぎりながら、
「多分易者のような事をやったり、薬を作ったりしてたと思うんですよ」
「随分と両極端な仕事ね……」
「まあなので、都市部に行けば何とかなるとは思うんですけど」
メルキュールはそう言うも、メイリンは呆れたような声音で、
「薬云々については分からないけど、易者の稼ぎなんてタカが知れてるでしょ。そんなモヤシみたいな体つきで、どうやって当座を凌ぐつもりなの。少なくとも日雇いの肉体労働には、多分ついていけないわよ」
「まあ、その時はその時で考えましょう。もう暫くご辛抱下さい」
と、彼の手元で何やら舟のような形が完成していた。
「上手なものね。こういう遊びって、意外に覚えてはいても、部分的に忘れたりするものだけど」
「……」
「どうしたの?」
黙り込んでしまった男に問うも、なかなか返答は帰ってこない。恐らく記憶のどこかに引っ掛かりを覚えているのだろう。
「……うーん、何か出てきそうな気配はするのですが」
「まあ、簡単に記憶が戻るなら苦労しないわよね」
「後ちょっとなのですが……まあ、その内思い出すでしょう!」
あっけらかんと笑みを浮かべるメルキュールにメイリンも笑いを返すと、
「ならさっさと街まで下りちゃいましょう! 携帯食も悪くないけど、美味しいものが食べたくなってきたわ!」
彼女の台詞にメルキュールの笑みが引き攣る。
「え、もう行くんでーー」
「さあ、しゅっぱーつ!」
言ってどんどん坂を下りていく。がっくしと頭を垂れたメルキュールは膝に手を突きようよう立ち上がると、そこで初めて丘の上から見える絶景に目をやった。
青い空に青い海。白く輝く街から少し離れた所には浜辺が見えた。こういった景色を見ると不思議と落ち着くが、その理由まではまだ分からなかった。
宿を取るやメルキュールは寝台の上に突っ伏してしまった。流石に限界だったらしい。着いたのは三時四時といったところだったが、そのまま眠りに落ちて、香ばしい匂いに目を覚ました頃にはとっぷりと日が暮れていた。「お、お目覚め?」とメイリンはガサガサ紙袋を漁ると、中から木の器を取り出した。彼女の野外行動用の食器だ。
「これは……?」
「店で貰ってきてあげたわ」
開けると中から湯気が立ち上る。中華粥のようだった。彼女と保温の術が掛けられた器と、両方に感謝しつつ身を起こすと、メルキュールはゆっくりとひと匙口に含んでみる。
「ああ、これは五臓六腑に染み渡る優しさですね」
「まああんたにしては今日は頑張ったと思うわよ」
笑いながら自分は別の紙袋から揚げ物と、何か平たい干物のようなものを取り出した。
「そっちの揚げ物はファボリケですか。良く飽きませんね……」
「美味しいものは美味しいのよ」
そう言ってむちゃむちゃと揚げ物を頬張る。確かにアレは身がプリっとしていて病みつきになる味だ。それを彼女のように連日連夜食べられるかと言われたら難しいが。
「そちらの方は?」
「うん? 蛸よ、蛸」
見れば確かにソレを潰したような形をしている。原形が分かるから苦手な人は苦手かも知れない。
「食べてみる?」
彼女が差し出すのに甘えて彼は一枚手に取ってみると、パリッと割って口の中に放り込む。
「……ふむ、素晴らしい」
消化に良いかどうかは別にして、海産物独特の旨味が口一杯に広がるのは悪くなかった。とーー
『海老や蛸の部類なんかは結構美味しいですよ』
頭の中でそんな音声が再生される。誰か見知った顔が、『明日から他のもので出来ないか試してみる』みたいな事を言っていた。近くには妖獣が二匹いて、彼らの記憶を垣間見たようなーー
「!!」
突如として男が立ち上がる。口は開き、目は見開いて中空に縫い付けられていた。
ついぞ見たことのない男の形相に、思わずメイリンも手を止めた。明らかに尋常な様子ではない。ーーが、そんな表情を浮かべる要因に、ひとつだけ心当たりがあった。
「……もしかして」
「ああっ!!」
彼女の言葉を遮り男は大仰に天を仰ぐと、額を叩き「ハハハハッ!!」と笑い始める。そうして続ける事には、
「いやあっ、私とした事が、待ち合わせ場所くらい決めておくべきでした! 逼迫した状況だったとは言え、我ながら情けない!」
「……ようやく記憶を取り戻せた感じかしら?」
「ええ。メイリンのお陰ですね。ファボリケも食べられるようになりましたし」
「食べられるようになった? 知らないって言ってなかった?」
メルキュールは頭を掻きながら、
「いやあ実は前はダメだったんですよ。忘れていたのが、メイリンと食べている内に思い出しまして。今では全く問題なくなりましたね」
そう言うとやおら彼女に対しお辞儀する。深々と、丁重な仕種だった。
「え、何よ、どうしたの?」
「改めて、ご助力頂けた事に対する感謝と、これまでの不明をお詫び致します。さぞ重荷だった事でしょう」
「そんな事ない」と彼女は首を振ると、「『旅は道連れ』って言うし、ね」
そう言うと彼女も立ち上がり、表情を見られないよう窓際まで寄ってから、「……寂しくなるわね」とポツリと漏らすのだった。
彼女にとっても案外この二人旅は悪くないものだったのかも知れない。自然と込み上げるものをどうにか押さえ込み、努めて明るい表情で振り返る。
「まあまあ楽しかったわよ。それで、どこに向かうつもりなの?」
「……? どこ、とは?」
「……?」
どうやらどこかで話が噛み合っていない。
「え、だってお仲間を探しに行くんじゃないの?」
「ええ、そのつもりですよ」
「ここを出たらどこに行くの」
「え? それはメイリンが決める事では?」
再び両者の頭上にはてなマークが浮かぶ。ややあってメルキュールは何か合点がいったのか、「ああ」と笑い、
「ここで別れなきゃいけませんかね。一応、まだまだ着いて行くつもりなんですけど」
「へ? あ、そうなの」
思わず彼女は赤面してしまう。どうやら思い違いをしていたらしい。
「まあ、それならそれで別に構わないけど」
咳払いをひとつして、誤魔化すように再びファボリケをつまみ始める。
「ああ、でも折角記憶が戻ったので、お礼のひとつくらいさせて下さいよ」
「お礼なんて要らないわよ。長旅に余計な荷物が増えても、大変になるばかりだしね」
「形に残らないものなら良いですか? 前も言ったように、一応易者紛いの事をやっていたもので……やり方も思い出せましたし」
言うと彼女が瞳を輝かせる。
「占いって事!? それなら大歓迎だわ」
前のめりの彼女に些かメルキュールは驚きつつ、「メイリンはあまりその手のものには関心がないと思っていました」
「一から十まで信じてる訳じゃないわ。都合のいいように解釈もするし。でも好き嫌いで言えば、占いが嫌いな女の子はいないわよ。ーー私調べだとね」
「それは良かった。では両手を出して頂けますか?」
彼女が両手の平を上に向けると、メルキュールはその手首を掴み、マナを廻らせ始める。緊張した面持ちでメイリンが待つ事数十秒、目を瞑って『予知』していた白髪が、ゆっくり目を開け難しい顔をする。
「……え、何? 悪い結果なの?」
恐る恐る彼女は問うも、当の易者は「いや、結果は悪くなかったんですけど」とどこか煮え切らない。
「別に気にしないから、見えた事を教えてよ」
「そうですねえ……。まず『妖獣』という言葉が見えました」
「妖獣?」
「それに祭、舟……そこで何か良い事が起こるでしょう」
「となると、『レダ祭』の事かしら。まあ私の目的地もあそこだしね」
「実はまともに見た事ないんですよねえ。楽しみです」
そう言ってメルキュールは笑みを作ってみせるのだった。
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その後メイリンはどこからともなく度数の高い酒の小瓶を取り出して数杯呷り、ぐっすり眠りに落ちていた。夕方寝ていたメルキュールはまだ目が冴えており、そんな彼女の寝顔をぼんやりと見つめていた。
(……まあ、こういうのは変わる事が多いですから)
思いながら占いの、彼女に伝えなかった内容を思い出す。
それは祭の最中、彼女が何かの騒動に巻き込まれそうになる光景だった。
「……やはり暫くは、行動を共にした方が良さそうですね」
そう言うと街灯に照らされまだまだ賑やかな街並みに目を落とし、ふと窓際を叩く音に気付いて空を見上げてみる。
夜空は厚く雲が垂れ込め、星明かりひとつ見受けられない。
「ひと雨来るか……」
そんなメルキュールの呟きと共に次第に雨音は増してゆき、通りを行き交う者たちは足早に家路を急ぎ始めるのだった。
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