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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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59.ジヌーヴの図書館

「うーん、しかしどうするかなあ」

「何をですか」

 アルゴが手元の書物から顔を上げてウキクサに問う。

「いやだから、前言ってたように、広告とか大々的に出せるんじゃないか?」

「それは正直、カミールが望みませんからねえ。出来るとして、精々新聞の三行広告くらいでしょうか」

「でもそれだと該当の箇所をピンポイントで読まない限り目に留まらないだろうしなあ」

 そう言ってウキクサは再度唸り始め、アルゴは寝息を立てるカミールの横で再度読書に耽り始めた。

 一行はヤコポの紹介により、街でもそれなりしっかりした、中ランクのホテルに泊まっていた。薬師ギルドで換金が済み、懐も大分潤っている。そこで改めて今後取るべき手を探っていたのだった。

 とは言え一分一秒を争っているのでもなし、ひとまずは船旅の疲れを癒すのが先、と各々部屋の中で寛いでいた。カミールも久し振りに弟子に会ったからか、かなりお疲れモードで、宿に着くやすぐにベッドに潜り込んでしまった。

「……にしてもアウラさん、他の人がいる所だと物凄く頼り甲斐ありそうに見えるのに、師匠の前だと素が出てたな」

「と言うより、人の上に立つと隙を見せられなくなるんでしょうね」

 ダイフク製の『薬』のラベリングが済み部屋の外に出ると、アウラは元の調子に戻ってしまった。擦れ違う職員に凛とした表情で相対す様は、それはそれでカッコいいが、カミールの前で半分素を曝け出していたのも魅力的だった。まあどちらが本来の彼女なのかと問われれば、付き合いが長いのでもなし、何とも言えない所ではあるのだが。

「ひとまず彼女の要請に従い、過去の『海坊主』目撃譚を探ってみるのが良さそうですね」

「となると漁師や浜辺で働く人間に聞くのがいいか。後は……メディアで報じられたものがないか探すとか」

「そう言えばジヌーヴの図書館を紹介されていましたよね。そこなら一石二鳥では?」

 マレビトの先達に関する情報が得られるだろうとヤコポが言っていた場所だ。わざわざ紹介するくらいなので、それなりの規模である事は予想された。そこで新聞の類を集めてくれていれば、『海坊主』の情報を得た時のウラは取りやすいのだが。

「割と混むから行くなら朝の内からだな」

 とベッドの方からカミールの声が飛んでくる。どうやら寝ていなかったらしい。

「行った事があるのですか」

「大昔に一度な。多分野の研究者が利用するから、まあ面白い所ではあるぞ」

 そう言うと「今日は疲れたからちょっと寝るわ」と大欠伸を漏らし、程なく宣言通りに鼾をかき始めるのだった。


 翌朝赴いたジヌーヴの図書館は、生憎の雨にもかかわらず、カミールの言葉通りに大勢の人が出入りしていた。

「内陸部にこんなのがあるとはな」

「なかなかに壮観ですね」

 大胆な曲線で作られた施設は面ごとに違った色で彩色されており、規模も相当なものだ。小高い丘の上に建っているのもあり、どこぞの富豪の邸宅と言われたらその通りだと思うだろう。

「建てたのは薬師ギルドのと同じ人物だろうな」

「らしいな。ヤコポによれば港からも見えるらしいぞ」

 そう言って中に進むと、待ち合わせをしていた当のヤコポが手を上げて合図した。

「アウラさんの紹介状がありましたんでね。郷土史の担当者がついてくれる事になりました」

 彼の隣の髭面が目顔で挨拶をしてくる。背が低くがっしりとした体つきは、何時ぞやシアに聞いた『ドワーフ』の特徴と一致するが、実際目にするのは初めてだった。

「調査担当部のゲオルグだ。アウラの嬢ちゃんが指名依頼してくれるのは嬉しいが、随分と変わった依頼で参っとる。本人が来てくれれば尚良しなんだが」

 まあ率直に言ってあの美人が来ないと聞けば、残念がるのも当然だろう。「それについては同感だ」とウキクサが返すと、笑いながら力強く握手を返された。

「取り敢えず着いてきてくれ」

 そう言われてゲオルグの後を一同は着いて行く。階を一つ下ると人文・社会科学の分野が広がっており、その更に奥まった所に目的の場所があった。

「……なかなかに雰囲気のある場所だな」

『郷土史』と記された棚のすぐ横には、どこからどうやって生えているのか、樹齢数百年はあろうかという太い木の幹が床から天井まで貫通している。横にはそれを切り出したかのような一枚板のテーブルが利用者の為に置かれていた。

「さて、連絡があってからご一同が来るまでの間にこちらとしてもある程度は調べてみたんだがーー」

 言いながら懐から印章のようなものを取り出し、木の幹にそれを向ける。すると幹の中からスルスルと本が続けて溢れ出してきた。こんな魔法の使い方もあるのか。

「書物として四例、新聞や報告書の類で十七例程、それらしきものに該当しそうな記述があった。まずはそれを確認して貰いたい」

 ゲオルグが本を開く。それぞれの内容は地理学・水産学から民俗学に関するものまでと多岐に亘る。

「『海中を漂うブイのような奇妙な生物』……まさに『海坊主』みたいだな」

「実際ブイである可能性もありますが……いや、そんな事はありませんか。次に具体的な描写が記されている」

 言われて次を読んでみると、

「『不用意に近付くと抱きつかれて海中に引き込まれる危険あり』。まんまアレだな」

「こっちは水産関係者が目にした『黒い異物』に関しての報告書だな。船員がブイと勘違いして軽く石を投げつけたところ、瞬く間にそれを引っ掴んで海中に消えていったらしい。再び出てきたのを投網で捕らえて船に揚げようとしたらしいが、船の影に潜り込まれていつの間にか姿を消したようだ。場所はメレル島沿岸、ってあるが……」

「ピセの近くだな」

 地理の分からない人間の為に、ドワーフは懐から地図を取り出して広げる。ピセーー地図の下方に描かれた横に細長い大島を指すと、ついとそこから左の方へ指を動かす。大島に比較的近い位置に、『メレル』という小さな文字が見つかった。ヤコポがそれを覗き込むと、

「トライメンテからだと、ジヌーヴへ向かうのとは倍くらいの時間が掛かる距離ですね」

「おっ、こっちはミノルクスか」

 言ってカミールがメレルに程近い島を示す。

「随分と近いな」

「或いは魔獣に凝りやすい一帯があるのかもしれん。……書き込んでも?」

 カミールの言葉にゲオルグは『やるよ』と手で示すと、胸ポケットからペンを取り出して彼に渡す。すぐにメレルとミノルクスに丸が付けられ、他の出現域にも同様に書き込まれてゆく。

「ふむ、大体この三箇所か」

 目撃情報が集まっていたのは、メレル島近縁、右上の大島エメルフェの西海岸、そしてピセの東岸沖ーー地図の中央右端にある一帯だった。

「これは流石に意味があると見た方が良さそうか。ヤコポは商売上横の繋がりがあるって話だが、どうだ? これらのエリアとはやり取りはないか?」

 ウキクサが問えば相手は頼もしく首肯し、

「幸いありますね。ウチの隣の三つ目を覚えていますか? 彼の所属はエメルフェ西海岸の商会です」

 他二つの地域についても彼はアテがあるらしく、早速書状を書き始めていた。確認に協力を仰ぐ為だろう。

「幸いどこも、人的被害が出るような事態には発展していないようですね」

「何よりだ。関係者のウラが取れ次第、薬師ギルド長に報告出来そうだな。新出没の『海坊主』は、出現域を見てもやはり外圧由来の可能性が高い」

「報告例が様々な年代に分かれているのも大きいですね。或いは海の上で働く者には知られた存在なのかも知れません」

 ヤコポがそう返した所で「あっ」とウキクサが声を上げる。

「三条の『鎌鼬』は知ってるか?」

 皆に訊いてみるも、この中に知る者はいないようだった。三条で見たものについて話してみると、

「やっぱりそういうもんが各階層の凝りやすい場所に出てるって事か。どういう仕組みでそうなるのかは調査の必要があるだろうが、それなりに得心がいったな。ひょっとしたら他の界層でも同様の事例があるかも知らん」

 もしそうなのだとすれば、魔獣の存在自体は昔から観測されていたという事になる。ダナンらの世代が子どもの頃に目にしているくらいだから、まず間違いないのではないか。一般化して理論立てるとなると、少しばかり手間が掛かるのだろうが。見ればゲオルグはホッとした様子で、

「取り敢えずは役に立てそうで良かったわい」

 そう言って胸を撫で下ろしていた。ヤコポは労うように「ありがとうございます」と礼を言うと、

「取り敢えずこの情報を元に裏取り作業に移れそうです。事例数としても、決して多くはないかも知れませんが、十分ではあるでしょう」

 と、彼はやおら荷物を纏め始める。

「早速関係者や港の人間に当たってみたいと思います。情報は新鮮さが命ですからね。後で他の商会に横槍を入れられては堪らない」

 ヤコポは一同に軽く礼をすると、足早にその場を後にする。夕刻にまた商会で会いましょう、との事だった。

「……さて、お主らは後に残された訳だが」

 ゲオルグが言って、三人と一匹を再度見回す。程なくウキクサの所で目が止まり、

「……マレビトなのは、あんただな?」

 確信ありげな口振りで、ドワーフはそう言った。

「やっぱり分かるか」

「まあな。これでもそれなり長く生きてる。あんたからは外様の者特有の、依って立つ所がない感じがする」

「……まあ、否定はしないさ」

 言ってウキクサは苦笑を浮かべた。それを察してか、ダイフクがぽよぽよとこちらの腕の中に収まってくる。

「あのバルバリ商会の御仁から、マレビトについての資料を見せてやってくれと言われているが……実際どうだい、調べてみたいかい」

 ウキクサとしては、流れてきた先達がどのようにこの地で生きていったか、それ程の興味を抱いている訳ではなかった。とは言え、ヤコポがわざわざ言い添えてくれたのだ。ゲオルグもその手の資料を集めてくれているのかも知れない。

「アルゴとカミールは興味もないだろうが……まあ折角だし、お願いしてもいいか」

「喜んで」と調査部の男は言うと、持って来るから少し待っててくれとの事だった。

「……二人は無理せず、戻るなり建物を散策して貰って構わないぞ?」

 そう言うと予想に反して二人は首を振り、

「私もあちらの世界には些か興味がありますので、是非ご一緒させて下さい」

「俺も正直マレビトについて詳しい訳じゃないからな。色々と知るにはいい機会だし、邪魔じゃなきゃ居させて貰うよ」

 ダイフクもぽよぽよと腕の中で跳ねる。面白そうだから一緒に居る、といったところか。

 程なくゲオルグが数冊の本とひと束の資料を携えて戻ってくる。彼曰く「資料自体はもっと沢山あるんだが」との事だったが、ひとまずあまり昔過ぎない、時代の下ったものを揃えてくれたらしい。

「ここで読んでいってもいいし、なんだったら持って行くといい」

「大丈夫なのか?」

 そう言うとドワーフの男は笑って、

「あんたはそれなりに信用出来そうだからな。ちゃんと返してくれれば問題ない」

 貴重な資料なのか、背表紙には禁帯出の赤字が付されているものもある。

「大丈夫そうなのだけ、お言葉に甘えて借りさせて貰うよ。残りはここで読むさ」

 と、そこでひとつの冊子が目に入る。黒い綴じ紐の通された灰白色のそれは表紙に何も書かれておらず、しかし明らかに多くの人の手を経てきたのが分かる擦れ方をしていた。中を開いてみると、思わずハッとする。

「……これは……」

「どうした?」

 カミールが覗き込むも、「うん?」と程なく首を傾げてしまう。

「何が書いてあるか俺にはさっぱりだな。そっちの分野(・・・・・・)は詳しくないんだ」

 と傍らの偉丈夫に見てみるよう促す。アルゴもそれを一瞥してみるも、

「良く分からない文字が羅列してありますね」

 そこに並んでいたのはアルファベットにキリル文字、漢字、アラビア文字……ヘブライ文字や仮名文字もある。要するに、向こう側(・・・・)の言語だ。

「この世界に来たマレビトが、『記念に』と書き置いたのが始めらしい。マレビトであれば誰でも書き込めるが、中を見て分かるように故国の言葉で書くのが不文律だ。一度持ち帰っても構わんぞ」

 これに関しては図書館でも特例で貸出が許されているらしく、ならばとウキクサは一日借りたい旨ゲオルグに伝えるのだった。

「一応調査部の人間としては、情報のアップデートもしたいんだが……協力して貰えんか」

「それなりの知識で良ければ」とウキクサが返すと、幹の中から大きな地図が取り出される。

「……? これも見覚えのない形だな」

 カミールがそう言うのも道理だろう。

 これはこの世界の地図ではない。

「驚いたかい?」

 ゲオルグが得意げに眉を上下させる。

「……世界地図なんてものがあるとは思わなかったよ」

「まあ、それなりに昔のものではあるがな。そちらの世界で言うところの、一九二三年製との事だ。当時と今とでは世界情勢も随分と変わっているだろう。大規模な戦争の前後くらいまでは把握しておる。出来ればその後の事を教えて欲しい」

 ペン片手にいつでもどうぞと言わんばかりの姿勢は、宝鐸で出会った老人たちと比べると随分と異なる。探究心が違うとでも言うべきか。熱量は明らかにこちらの方が高い。

「え、この縮尺は本当ですか」

「俄かには信じ難いな」

『浜辺』の二人が揃ってそんな声を上げる。流石科学者、目の付け所が違う。一応それで正しいと伝えると、

「でも普通に生きてる分には、世界の広さなんてそう気にもしないがな。仕事や日常身の回りーー人間の行動範囲なんて、あちらもこちらもそうそう変わるものでもないだろう」

「それでもこの海の果てしなさは、恐ろしいほどだな」

「海も海底資源とかの開発が進んでるが、まだ未知の部分が大きいな。……ああ、果てしなさで言えば、月に人が行った事もあるぞ」

「「月!?」」

 三人の反応に思わず吹き出してしまう。この世界に来てから色々と驚かされっぱなしだったが、ポカンとした彼らの表情に、ウキクサはどこか溜飲の下がるような思いを覚えたのだった。

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