55.カミールの出身
人喰い鮫の存在は古今東西あるものだが、ルーチェによればその手の凶暴化した鮫というのは、近縁では暫く見られなかったらしい。
『海坊主』の存在が何かしら影響を与えているのか、その辺りに関しては何とも言えないものがある。シアが言うところの『魔獣』がマナの凝った存在であるとして、それが攻撃性にどのような力を及ぼしているかについては未知数だろう。
「ーーひとまず感傷に耽るのは後にしましょうか」
言って船長は深い青に煌めく海に目をやる。魔獣の群れは数を減らす事もなく、未だ波間をぷかぷかと漂っていた。
「ならここから先は、釣り大会だな!」
カミールとアルゴが長い釣竿を取り出し、ウキクサも太い竿の先からダイフクを垂らす。そうして他の乗組員が怪訝な顔をするのを尻目に、波間に浮かぶ海坊主を釣り始めるのだった。
「……釣った感覚としては、『浜辺』と変わらないな」
器用に針を引っ掛けると、カミールは海坊主を船の中に放り込んだ。日の光を浴びた魔獣は瞬く間に干からびていき、周囲からどよめきと軽い悲鳴が漏れた。
「……そうか、『外』ではそうなるんでしたね」
失念していました、とアルゴが顎を摩る。
「魚籠のようなものはないか? 日の光が当たらないものなら何でもいいんだが」
ウキクサに言われて船員が「こんなものならありますが……」と蛸壺を十個程持ってくる。
「ダイフクが捕獲する分はそれで足りそうだな」
カミールが笑う。
「取り敢えず俺らは干物作りに専念するよ」
「『生』の方はお任せしますね」
「最善は尽くすよ」
竿から垂れ下がった格好のダイフクは、水面の上を漂いながら好機を窺っていた。無駄にバジャバシャして警戒されるようでは、元も子もない。
そこで敢えてウキクサは、海坊主が広がるその端っこにダイフクを投下していた。はぐれた個体を確実に捕獲していく戦略だ。
と、太い釣竿に確かな感触が伝わる。見ればダイフクが一匹捕獲に成功していた。急いで引き上げ、ダイフクごと蛸壺に突っ込む。数秒後にはダイフクが抜け出し、後には海坊主だけが取り残される格好となった。
「……影に逃げ込まれたりしないよな?」
心配そうに蓋をした蛸壺を振り返るも、実際どうなるかは以前とも環境が異なる為、何も確かな事は言えない。それでもダイフクが蓋をしながら普通に出て来た事を考えると、恐らく問題はないのだろう。
次々と釣り上げられる海坊主に、次第に悲鳴は唖然としたそれに変わり、隣からは「ハハハ!」と笑い声が聞こえてくる。
「ルーチェ」
「いやあ、こうも次々釣れると壮観というものですね。ーーにしても、なかなか変わった特徴を有しているようで」
言いながら干涸びた海坊主を一枚持ち上げてみせる。
「水で戻したら生き返ったりとか、しないですよね……?」
「その筈だぞ」
言いながらカミールが新たに一枚干物をつくる。
「たださっきの煎餅は、多分生からじゃなきゃ作れないからな」
「その意味でウキクサさんとダイフクさんは、重要な使命を担っていると言えますね」
どれだけあれを食べたいんだーーとそう思わないでもないが、確かにアレは美味い。これこそ布教して良いレベルの逸品だろう。
加えて生のままである程度の期間保管する事が叶えば、研究所などで詳しい調査が出来るかも知れない。ヤコポとしても、ある意味戦略物資として取り扱える側面がある。
「……にしても、海を漂っている内は干涸びないんだな」
「逆にオカに上がると普通にアウトか。ウキクサたちの話を聞くに、それが『普通』なんだろう。あそこは特殊だったからな」
カミールの言が正しいのだろう。干物を突っつく船員たちを横目で見ながらそんな事を思う。
やがて全ての『海坊主』が釣り上げられる。観測班によれば、逃げられた個体はないらしい。カミールとアルゴの『浜辺』組によって釣り上げられ、干物になったものが十四。ダイフクが捕まえた『生』のものが九になる。
「巨大『海坊主』は?」
「今のところ確認出来ません!」
船長に船員が勢い良く答える。つまりこれにて作戦終了ってところか。
「気を抜くな! いつ何時問題が起きてもおかしくないんだ。まだ航行中だし、俺たちが居るのは海の上、不確実性を相手にしている事を忘れるな!」
「「は!!」」
持ち場に戻る船員を見送りながら、旅人一行は釣り上げたこれらをどうするか悩ましい表情でいた。
「流石にこの数は……」
「一、二枚分は欲しいものですが……」
「ヤコポとは詳しいところは詰めてなかったか」
生きた素体が手に入るなら、研究機関に提供したいと彼は言っていた。
「まあヤコポの船だからな。あいつが好きなようにすればいいさ」
そう言ってどこからともなく飴を取り出し舐め始める。次の陸地はまだかー、などと言いながら。そこへ当のヤコポがやって来て、
「皆さんお疲れ様でした」
そう言って労ってくる。後ろには船長のルーチェが続いていた。
「こっちは大した労力って訳でもないよ。どちらかと言えばそこの船長さんの方じゃないかい? 随分と大立ち回りを演じていたが」
言われてルーチェは「お恥ずかしい」と笑った。
「あれが数少ない取り柄のひとつですので」
「いや、率直に勇敢だったと思うぞ。謙遜するのは良くない」
「ハハ、では大人しく受け取っておくとしましょう」
そう言って彼は軽く頬を掻いた。あれだけの豪傑であるのに、ひょっとしたら照れ屋なのかも知れない。
「『海坊主』の分配についてだが、どうする?」
飴を舐めながらカミールがヤコポに訊く。すると彼は難しい顔を浮かべるや、
「客人として乗っている皆さんが釣ったものになりますから、本当は全部皆さんにお渡しするべきなのでしょうが……」
「何言ってる。ジヌーヴまで便宜を図って貰ってる上、鮫の群れも蹴散らしてくれてるじゃねえか。二十匹くらい持ってけ」
「にじゅ……それは貰い過ぎでは?」
ヤコポが困惑した表情でそう返すと、
「なにぃ? 二十一に増やすぞ」
とカミールが訳の分からない論理を振り翳し始める。流石のヤコポも苦笑を浮かべると、
「ありがたく頂戴しておきましょう」
そう言って近くの船員や商会員に回収を命じた。後には中身の入った蛸壺が四つ程残された。
「二十匹『くらい』ですよね? 後は皆さん一人一匹という事でご勘弁下さいね」
どうやら『生』を一人一つと、気を遣ってくれたようだった。
気付けば波は穏やかに、海の色も僅かに明るく変じていた。
それからの航海は順調そのもので、船は夕刻前にはピアントの港に到着していた。
すっかり打ち解けた乗組員たちと繰り出そうかという話もあったが、ヤコポの請いもあり、ウキクサ一行はピアントの商館ーーその特別室で、現地の重鎮とともに座についていた。
「いやはや、アレを食うとは……豪気なものですね」
髭面の重鎮がそう苦笑を浮かべれば、「意外にイケるものですよ?」とヤコポが海坊主の煎餅を彼に差し出した。尚も胡乱な眼差しの男に、
「ウチの乗組員はその味の虜になり始めてますよ」
実際、焼きたてのソレを船員たちが食べたところ、美味い美味いと絶賛の嵐だった。おかわりも所望されたが、元がウキクサたちの取り分から二つ使ったものだった為、それ以上は無理だった。
残念だと悲しい顔を浮かべられたものの、それを契機に一気に他の乗組員とも打ち解け、特にダイフクは合間合間に遊びの相手をして貰う程だった。ピアントの街に繰り出そうという話が出たのも、そんな一連の流れがあったからだった。
「……ふむ、確かに美味だな」
甘美な果実でも食しているかのような面持ちで髭面が僅かに口角を上げる。
「これなら厄介払いも兼ねていい商売が出来そうだ。奴らが鱶を呼び寄せているのか、鱶がいる所に奴らが集まってくるのかは分からんが、未知が既知になるというのは大きいな」
「しかしアレを駆除した後に巨大な同類が現れたという話もあります。なので一概に問題がないとは言えないのですが……」
こちらがいる手前、話をボカしてくれているのだろう。が、そこでふとカミールが手を上げ、
「その件についてだがーー」
と二人の方を向いた。
「この界層なら、問題ないと思う」
「「え?」」
思わずアルゴとともにそんな声を上げてしまう。
「詳しくは省略するが、俺らが『海坊主』を相手にしてたのはちょっと特殊な場所でな。マナの流れを歪めていた部分がある。加えてそれなりの術式を行使した後でな。諸々加味しても、やはりそれらが主因と考えるのが至当だろう」
そう言って窓から覗く夕空に目を細め、
「広大無辺な海が広がっているのなら、偏りが生まれるとしても程度は知れるだろう。万一巨体に凝ったとしても、中身はふわふわだ。すぐに拡散して小さい個体に変わる可能性が高い」
「なるほど……とは思いますが、正直その仮説を信じて良いものか……」
「仮説ではあるが、自信はある」
尚も渋面を浮かべる商人二人を見ると、ふとアルゴが笑みを浮かべる。
「私は彼を信じますよ」
「そりゃああんたはお仲間だろうから。彼の肩を持って当然だろう」
「いえ、そうではなくーー」
言ってチラリとカミールの方を見る。見られた方は不貞腐れたような顔でそっぽを向いた。
「彼、『トライデント』出身の解析学者なんですよ」
「「え!?」」
「え?」
商人たちが驚くも、ウキクサには何の事かピンと来ない。頭の上に乗ったダイフクとともに『何ですかそれ』といった顔を向けるくらいしかなかった。
「『トライデント』というと、あの『トライデント』ですか? 最高研究機関の」
ヤコポの声音には畏敬に似た色が滲んでいる。余程有名な所なのだろう。あちらで言えばMITとか、そういった部類に近そうだ。
「言いふらされても困る。別に悪さをした訳じゃないが」
「貴方が口を挟まなければ良かっただけです。どうやって信用して貰うつもりだったのですか。そもそも貴方はその辺りがいい加減ーー」
「ああもう! 分かったよ!」
アルゴの小言に喚きながら、カミールが何かをポケットから取り出し卓の上に放り投げる。
「コレで満足か!? 言いふらすんじゃねえぞ!?」
それは三叉の紋章を模った、小さなペンダントだった。色は南国の浅瀬のようなマリングリーンで、見た事もない妖しい輝きを放っている。
「ミスリル……それもなんて純度だ」
髭面が感嘆の眼差しでそれを手に取る。すると瞬く間に色が黒っぽく、黒曜石のような色合いに変わってしまう。
「本物だ、間違いない」
「『三叉のミスリル』は、トライデントの関係者が身に付ける特別なものです。指定された人間以外が持つと、色がこのように変わってしまいます」
詳しくなさそうな素振りのウキクサに向け、ヤコポがそう言って教えてくれる。
「私も見たのは初めてです」
「今日見聞きしたものは、皆さんの胸の内にしまっておいて下さいね?」
「畏まりました。ショーンさんも、いいですね?」
ショーンと呼ばれた髭面はカミールにペンダントを返し両手を上げると、
「参った。大人しく助言に従うとしよう。但し、下の者を納得させるのにあんたの出身や名前が借りられないとなると、やっぱりどこか別の所からのお墨付きが必要になる。具体的に言うと生物研究の分野か、でなければマナ研究の専門家からの」
「それに関してはそっちでやってくれればいい。兎に角こっちが巻き込まれるのは御免だ」
「分かりました。偶々島に逗留していた魔術師の見解、とでも言っておきましょう」
そう言ってヤコポは一同に向け、
「件の『海坊主』は専門家に一部供与して、研究して貰うつもりです。生態が解明されるかまでは分かりませんが、周囲にどのような影響を与えているか、反対にどんな影響を受けているか、カミールさんと同じ結論が得られれば、近辺の者も安堵するというものでしょう」
「薬師ギルドとも連携した方がいいんじゃないか?」
今度はウキクサがそんな事を言い出す。カミールも、「ああ、それには俺も賛成だな」と、深く頷きを返していた。
首を一瞬捻っていたヤコポは「あっ」と声を上げると、開きかけた口をなんとか閉ざして、「何だ?」と聞き返す髭面に「お店の手配をするのを忘れていました」と咄嗟に誤魔化した。
そのまま首尾良く会見を終えると、歩きながら彼は深い溜息をついた。
「ボロが出るところでした」
「ハハ、まあ他の乗組員に聞けばすぐ分かる事ではあるがな」
ウキクサが薬師ギルドとの連携を勧めた理由。それはマンドラゴラの存在にあった。
「どっちもマナの濃い場所を好む傾向があるんだろう? だとすれば背後に何かしらの関係性があってもおかしくはない」
何時ぞやのシアの言葉が思い出された。何らかの異変が起き始めているのではないか。
ウキクサたちがその中心にいるのか、そうでないのかは分からない。
しかし『人魚』に始まり、『鎌鼬』や『海坊主』、ユーリを巡るあれこれにマンドラゴラーー偶々行き合ったにしては異常が多過ぎる。まあ、この界層で起きたものとその他の界層で起きたものを繋げて考えるのは、拙速というものなのかも知れないが……
「取り敢えず、非番の船乗連中が集っていそうな店を紹介しますよ」
ヤコポがそう言うと、
「なら入口までご一緒させていただきたいですな」
振り返るとルーチェの姿があった。手には何やら懐中時計のようなものを持っている。
「私が居る事で彼らが楽しめない事は本意ではありませんが、一瞬姿を見せるくらいなら羽目を外し過ぎない程度にはなるでしょう」
それを聞き、一行は思わず笑い、ヤコポは困ったものだと顳顬を押さえるのだった。




