54.鮫
船に戻ると鱶などについての一件は既にヤコポの耳にも入っていたようで、船室で鱗肌の若い男性や航海士たちと何やら協議を行なっていた。
彼はこちらを認めると、暫し考えた後、『こちらへ』と一行を中に手招きする。流石に専門家の集まりに交ざるのは気が引けるというか、場違いに思われたが、向こうから扉を開けてしまわれてはしょうがない。
「ちょっと煮詰まっていたものですから。是非お願いします」とヤコポが言うのに従って室に入ると、そのまま座に着くよう勧められた。
「まだ紹介が済んでなかったな。こちらが船長のジェルチェンコだ」
鱗肌の若い男が握手してくる。
「ルーチェと呼んで下さい」と、見た目職人気質そうなのに反して、彼は一行に柔和な笑みを向けた。
「ルーチェや航海士と話してたんだが、この先の海路に少しばかり障害があるようでして」
そう言ってヤコポは酒場で聞いたのと同じような話をした。
「鱶どもがどのような動きをするか、現状少し読めないところがあります。迂回するにしてもかなりの遠回りになる事が見込まれますし、真っ直ぐジヌーヴに向かうという手がない訳ではないのですが……」
「プロ的な結論は?」
カミールが言うとルーチェは唸りながら、
「難しいところなんですが……当初予定通りにピアントへ向かおうかと思います」
「なら俺らは特に何も言う事はねえよ。元より居候みたいなもんだしな」
そう言って苦笑を浮かべると、ルーチェは尚も難しい表情で、
「その場合、鱶や正体不明のそれらに船が襲われた場合どうするかという問題があります。戦闘向きの人材はあまり乗っていないのです」
通常鮫が近付いて来た場合、軽い雷撃を喰らわせるなり、直接的に銛で突いて撃退するのだと言うが、群れとなるとそう上手くはいかないらしい。
「一応今回は乗せているモノがモノですので、近接戦や対海賊に向いた人材はいるのですが、基本的に水中の相手となると……」
「鮮度の問題もありますしね」
と船長の言葉にヤコポは続けて、
「一週間以上も海の上だと、いかにマンドラゴラでも弱ってしまいます。一週間程度なら何とかなるのですが……」
「それ以上の日数が掛かってしまいそうだ、という事ですか」
アルゴにヤコポは深い頷きを返すと、「ですからどうすべきか、決めかねているのです」と苦り切った顔で答えた。
「ひとつ確認してもいいか?」
「どうぞ」
「サメの群れってのは、どの位の大きさと規模なんだ」
「鮫に関しては、確認が取れている限りでは十匹前後という話です」
「正体不明の方は?」
「それに倍するとか。……我々も出来る限り不確定要素は減らしたいので、避けられれば一番なのですが……」
「なるほど」とウキクサは返すと、顎を摩りながら、「実物を見た者は?」
「はい」
と進み出たのは、頭に猫の耳が生えた若い女だった。この船の船員に良く似たツナギを着ている事から、何かしらの船内作業に従事している事が窺われた。
「私はピアントからの船に乗っていたのですが、船に取りつかれる寸前でどうにか逃れた次第です。大きさは一メートル程でしょうか。丸っこい頭部で、色はかなり黒っぽかったです」
女の言葉にウキクサがカミールとアルゴを見ると、二人はそれに軽く頷いてみせる。
先刻話し合った結果、件の海域に出没しているのが自分たちの知る『海坊主』と同一であるにせよないにせよ、情報を提供するーー乃至協力する事に関して、皆否やはないようだった。捕獲や撃退が可能ならするし、再びあの珍味を味わいたいという欲があったのも事実だった。
(……しかし口でどうこう言ったところで、真実味ってやつが薄くなりそうだな)
そう思いウキクサは二人に、
「アレの煎餅って、持ってたりしないよな?」
「? 流石に持ってないぞ」
何を言ってるんだという顔でカミールが見てくるも、アルゴの方は「持ってますよ」とおもむろに上着のポケットから、布に包まれた八分割サイズの海坊主煎餅を取り出す。
「いや、何で持ってるんだよ。引くわ」
「美味しかったので、何かあった時の非常食にと思いまして」
何か問題でも? とでも言わんばかりの調子だ。包んでいた布は魔導具の類なのだろう、お陰でまだボロボロには砕けていなかった。そうなると後はーー
「ダイフク」
呼ばれて白い妖獣がウキクサの方を向く。こちらが上手くいくかは五分五分……下手な期待はしない方がいいだろう。
「テトの足跡の時みたいに、『再現』は出来るか?」
分かったのか分かっていないのか、白い妖獣はぴょんぴょんと跳ねてみせる。カミールたちも何に使うのかと興味深そうにこちらをじっと見ていた。
床の上に煎餅を置くと、ダイフクがその上に乗る。船員たちの胡乱な眼差しを感じるが、まあダメ元だからな。上手くいかなかった時は適当に煙に巻くとしよう。
そう思っていると、ぞわりとダイフクが僅かに姿を変えた。
「あっ……!」
白い体色はそのままに、先程までの丸っこさとは異なる曲線を描いて、頭の大きなてるてる坊主のようなものが姿を現した。
「何だ!」「近付くな!」と屈強な海の男たちが慌てふためく傍ら、猫耳の女は僅かに屈むと、「そっくりです!」と大きな声で船長を振り返る。
「これが真っ黒になったのが、沢山海の中を漂ってました!」
「とすると、ダイフクさんの類縁ですか?」
「いや、全然別物だな」
言ってウキクサは説明して貰おうとアルゴ達を振り返るとーー
「『化身』の術か?」
「ウキクサさんが言っていたように、あくまで『再現』の可能性も高いですね」
などと興味深げにダイフクを観察している。考えてみれば、二人はダイフクがこうやって姿を変えている様は見た事がない。このような反応を示されるのも自然というものだ。……まあ、あくまで少数派なのだろうが。
彼らは気を取り直すと、『海坊主』について掻い摘んだ説明をする。勿論、『ギャップの浜辺』なんて言葉は口に出さないし、曖昧に濁している部分も多い。
それでも最終的に巨大な『海坊主』がやって来た事は、しっかりと説明していた。何かしら不都合が起こるとも限らないし、実際の所その生態は良く分からないのだ。
「だからどうするかはあんたら次第になるな。こっちではどうこう言いかねる。後は強いて言えば……美味いぞ?」
言ってダイフクの下敷きになっていた欠片をひとつ取り出して、ヤコポと船長に食ってみるよう促した。ルーチェは横で丸っこく擬態しているダイフクと煎餅を見比べて、「……これがこうなるのですか?」と怪訝な態度を示していたが、恐る恐る欠片を口に運ぶと瞬く間に表情が変わってゆく。
「……参りましたね」
そう言ってヤコポに、「美味です」と深く頷いてみせる。ヤコポも半信半疑といった感じで別の欠片を口に入れてみると、
「……うん、美味いな」
と目を見開いて言うのだった。ウキクサは一度咳払いをすると改めて一同を見渡し、
「さっきも言ったように、どうするかは俺たちの判断じゃない。だから決まった事に関しては従うつもりだ。危険性について、確かな事は何も言えないしな。しかしある意味、お宅らにとって商売の好機かも知れないというのは否定しない」
『海坊主』のようなモノを正体不明と言っているからには、扱っている所はあったとしてもごく少数だろう。マナが豊富で且つ美味となれば、何かしらの需要はあってもおかしくない。
「……潮流に問題はないんだよな?」
ルーチェが部下の航海士に問う。航海士はコクリと頷き、「件の鱶たちがどうかというくらいで、海賊も近縁に出張っている様子はありません」
船長は暫し黙考すると、ヤコポの方に視線を投げてみる。ヤコポが笑みを浮かべて軽く頷くのを見るとルーチェは苦笑し、
「では向かってみましょうか、件の海域へ」
そう言うのだった。
問題はどうやって鱶を退治するか、そしてどうやって海坊主を手に入れるかだった。それらはもはや次の島に到着して食料の取引をする事と匹敵する関心事になっていた。
鱶は獰猛だが、警戒心も強い。中にはそうでないものもいるがーー事実他の船は襲撃されているーー人間に狙われていると察するや、逃げてしまうのも早い。
海坊主がそれらにくっついて移動するのであるならば、事はかなり難しいものになるだろう。しかしそうでないならば……
「サメの無力化はお宅らがしてくれるんだよな?」
カミールの言葉に船員たちは「はい!」と頼もしい言葉を吐くと、次々所定の位置に着いてゆく。彼らは手に銛やら投げ槍やらを持つ傍ら、小さな瓶のようなものも持っていた。弓の上手な数人は左右の舷に配置され、矢の先には試験管が括り付けられていた。
「植物の虫除けに忌避薬を使うのは分かるが、同じ手法を海中の生物相手に取るとはな」
「今まで関心がありませんでしたが、なるほどこれはいい勉強になりますね」
二人が話していると近くの船員がやって来て、「そろそろ海流が複雑になるのでお気を付け下さい」と注意を促していった。遠景を見晴るかすと、少し大きめの島影が見られた。恐らくあれが次の目的地、ピアントだ。船の縁から離れて暫くすると、水夫たちが号令に従って忙しく帆の操作を始めた。波もあちこち白波が立ち、明らかにそれまでとは違う様相を呈し始めていた。
それでも船員たちは慣れているのだろう、操舵手は慣れた手つきで舵を切り、水夫たちは船の向きや風に合わせて、一体となったように帆を操っていた。とーー
「右舷だ!」
誰かが叫ぶ。控えていた戦闘班が水面に目を細めた。
「鱶が十一! 仮称『海坊主』は二十三!」
よりによって難所で、と誰かの呟きが聞こえたが、それでも彼らは取り乱す事なく、十分な距離になった所で海中に向け忌避薬を斉射した。薬の効果はすぐに現れ、船の近くをウロウロしていた鮫たちは、途端何か便りなさそうにその場から離れていく。
それでも効かない個体はいるもので、三匹程が船体の近くまで急速に迫ってきた。
「大丈夫なのか?」
ウキクサの呟きにアルゴは落ち着いた様子で、「まあ、プロに任せておきましょう」と大きな竿を握り締めた。
大きな飛沫が上がる。投擲された槍の一本が見事に鮫の一匹を貫いていた。次いでもう一匹が雷撃によって気絶させられ、後方へと流されてゆく。
「しつこいのがいるぞ! 船体に寄り付かせるな!」
最後の一匹は動きも素早く、投げ込まれた肉塊にも反応しないようだった。程なく微かに鈍い音が聞こえ、船員たちの舌打ちが聞こえた。
「どうやらあちらさんは船に穴を開けたいようですね」
振り向けばそこには船長ーールーチェの姿があった。右に左に動き回り攻撃してくる鮫を前にしても、彼の様子は常と変わらない。
「……流石は船長だな。俺が乗組員だったら落ち着いていられないかも知れない」
ウキクサがそう言うと彼は苦笑し、
「船長だから、と言うべきでしょうか。私のような立場の人間は落ち着いていなければならないのです。少なくとも、そうであると見せなければ」
確かにトップがあたふたしていては、部下も浮き足立ってしまうというものだろう。再度の鈍い響きにも、彼は眉ひとつ動かす事がない。
「……とは言え、少し手間取りそうではありますか」
彼はそう言うとやおら外套を脱ぎ、軽く伸びをする。それから上着を脱ぎ斑らに鱗のある上半身を露わにすると、腰に短剣を二本差した。身体に巻き付けられた綱を確認し、
「私も一応給料を貰っている身ですのでね。雇い主に働いている姿を見せておく事にしますよ」
と甲板で状況を見守るヤコポにちらと視線を投げた。
「首席航海士に一時権限を委任する! 私も出るぞ!」
言うとどこからともなく琥珀色の液体を取り出し、グビリとひと口飲み込んだ。まさかと思っている間に、
「「御武運を!!」」
船員たちが唱和して、次の瞬間には身を躍らせ、「戦闘狂には戦闘狂だ!」と海の只中に飛び込んでいった。
「おいおいマジかよ!!」
カミールがそう言えば、アルゴも驚きを通り越したと言わんばかりに口を開けて笑うのだった。
黒い魚影は獲物を見つけるや、旋回しながら迷う事なくルーチェの方に向かってゆく。
両者が交錯し、激しく海面が波打つ。
再度鮫が旋回し、再び両者がぶつかった次の瞬間、白波に赤いものが混じった。
「!!」
心配するウキクサを他所に、綱がギュルギュルと伸びていく。
「潜って引き剥がそうとしてるようです!」
猫耳の女が近くまで来て一同に説明した。
「船長は大丈夫なのか!?」
「大丈夫ですよ! きっちり相手に得物を突き立てて、それに掴まってます!」
怪我はしていないようだったが、それはそれで大丈夫なのだろうか。水圧で肺が潰れ意識を失えば、相手はそれを逃したりはしないだろう。
「変異か」
ポツリとカミールが漏らす。猫耳はそれに力強く頷くと、「瞬間的な回避や耐水圧に関しては、指折りの方ですから」と返した。どうやら彼はそれなりの有名人であるらしい。
暫くすると綱が規則的に、三度引っ張られる。それを合図に船員たちは綱を引き始め、やがて海面にルーチェの姿が現れるのだった。
「ブ、ハァッ!!」
荒く肩で息をついてはいるが、どうやら彼は無事なようだった。その傍らには弱ってはいるものの、尚も逃れようと暴れる鮫の姿が。やがて鮫が引き揚げられ始めると、快哉が船のあちこちで上げられた。
戻ってきた船長にヤコポが「またこんな無茶をして……」と安堵の声を漏らすと、ルーチェは静かに首を振った。打って変わって心配そうに「どこか怪我をしましたか」と言われると船長は「ああ、いや」と一度被りを振って、
「私は大丈夫です。ですが……対峙して何となく分かったんです」
「何がだ?」
ウキクサの問いに彼は苦い顔を浮かべながら、
「多分コイツ、人の味を覚えてます」
場が俄かに静まってゆく。
「全く、やりきれないもんです……」と零すルーチェの声には、誰とも知れぬ犠牲者に対する、確かな哀悼の色が滲んでいるのだった。




