53.船上の仕事
心地良い風が吹き抜け、アルゴの服がそれによって靡く。頭上に広がる真っ白な帆は風を孕み、バタバタと大きな音を立てていた。日は高く、中天に近い。それでいて降り注ぐ暑気は決して不快ではなかった。
一行は船上の人となっていた。天候を考慮して昼前に出航した船は、順調に海原を渡っていた。
トライメンテから見えていた最寄りの島々はとうに過ぎ去っている。ヤコポの説明によれば、それなりに距離のある島に寄って、そこで纏めて取引を行うのだという。
「主だった取引先には常駐している者がいるので、船の方は純粋な荷上げ、荷下ろしになりますがね」
言いながら遠くの空に目を細める。雨が降る気配でもあるのかも知れない。
「海上で停泊する訳でもないんだろう?」
「ええ、まずは最初の寄港地ーーカノーラで夜を明かすつもりです。翌朝出航して、次の目的地へと向かいますが……」
ヤコポは苦笑を浮かべながら、
「こればかりは自然相手ですからね。上手くいかない事も、ままあります」
しかしその辺りはこういう商売をしているだけあって当然織り込み済みで、余裕をもって安全第一で航行しているとの事だった。
「何より今日は、『お宝』を積んでますからねえ」
ニヤリと笑うと、甲板の上で猫と戯れていたダイフクをひょいと持ち上げ、ウキクサに手渡す。猫には猫の仕事があるのだ。ネズミなどが紛れ込んでいないか、しっかり働いて貰わねばならない。
渋々といった風情で船倉に戻りながら、餌をくれと言わんばかり数度ニャーゴと鳴いていたが、ヤコポも他の船員もそれは無視して自分の仕事に取り掛かる。
「俺らも邪魔にならない場所に居るか」
ウキクサのひと声に一同は船室に戻ると、航海士を交えて海図を卓の上に広げた。
「さて、お話ししたようにまずはカノーラへと向かいます。翌朝そこを発ってピアントへ。更にノルトゥナを経由して、ジヌーヴへの到着は三日後を予定しています。各島でカノーラ同様一泊する形ですね。ただ……」
そこでヤコポは航海士の方を向くと、その若い女の航海士は海図を示しながら、
「カノーラ=ピアント間はこの時期海流が些か複雑になります。ですので状況次第で更に幾つか小島を経由してから、最終的にジヌーヴに向かう可能性もあります」
「最大でどれくらいの日数が掛かると見込まれますでしょうか」
アルゴが問うと、
「そうですね……。船長の判断次第だとは思いますが、遅くとも一週間あれば着くかと」
「いいじゃねえか。海の事は海のプロに任せるのが一番だ。急いでるのでもなし、俺らは邪魔にならないよう船旅を楽しもうぜ。まあ俺たちは使えないお荷物だとは思うが、それでも何か出来る事があったら遠慮なく言ってくれ」
カミールが言うとアルゴとウキクサが笑って、船室の金庫に目をやった。中には例の瓶詰めマンドラゴラが五つ収められていた。弱ったりしないのかと気になっていたが、どうやら無酸素状態になると蓄えていたマナを使い状態を維持する性質があるようで、問題ないとの事だった。かえって瓶を開けて空気に触れてしまうと、マンドラゴラが叫び声を上げた場合の影響が甚大になるのが予想されるとか。
ヤコポらと別れてから、旅人一行は割り当てられた客室に戻っていった。二等客室には二段ベッドが二つ並び、片側をアルゴとカミールが、反対をウキクサとダイフクが使っている。ダイフクはベッドの梯子を登り降りするのが楽しいらしく、部屋に入るなり毎度飛んでは跳ねて、テンションが高い。
「俺らは俺らで、仕事とするか」
言いながらカミールが乳白色の金平糖めいたものを取り出す。
「一粒で足りるか?」
「多分大丈夫だが、必要な時は言うかも知れん」
カミールがウキクサにそう返す。彼らが見つめる白い粒、その原料はあのマンドラゴラだった。つまるところ、ダイフクが精製した『薬』のひとつだ。十粒程同じ粒を生み出していたが、効果効能の程は分からない。
話は遡って、トライメンテを発つ前に、ヤコポは旅人の宿泊する宿を訪れていた。ダイフクーー或いは一行と交渉する為だ。
「単刀直入に申しますが、ジルが四散させてしまったマンドラゴラと、最初にダイフクさんが捕獲したマンドラゴラ……交換していただく事は可能でしょうか」
捕獲作戦で手に入ったマンドラゴラは五体。その内一体は、第一陣が捕獲に失敗して逃げられそうになった際、ジルの手によって叩き割られてしまっていた。残りの四体は完品で、尚且つイキもいいのだが……
「島との契約ではどうなってるんだ?」
「単に『マンドラゴラ五体分』の現金化、と」
「捕獲に乗り出す際の取り分についての話は?」
後々揉めないように、あの場で取り決めた筈だ。それによれば、『橋』でダイフクが見つけた最初のマンドラゴラは発見者たち……即ち司祭を含めた四人と一匹に。以降見つかったものに関しては、捜索チームーーつまり旅人組と司祭も加えたーーに三割、残りは島の共有資産だった筈だ。
とは言え最初のは実質ダイフクが一人で見つけていたから、妖獣が自由に処分する事に関してはサルマン司祭含めて異論がなかった。よってダイフクがどう判断するかなのだが……
「口頭で言ったところで、ダイフクが分かるかどうかは甚だ怪しいだろうが……」
「そう思いまして、ちょっと皆さん、商会までご一緒頂けたりしますか?」
「?」
どうやらダイフクを説き伏せる材料を用意しているらしい。
向かった商会は港のすぐ近く、大通りに面した一画にあった。中に入ると外の人通りに倍する数の人間が忙しなく動いており、他の島から到着したと思しき商人もそれなりに見受けられた。
「こちらへ」
促されるまま奥の階段を登っていくと、個室が幾つか並んでいる。更にその中程で上階へ向かうと、広い会議室に通された。中には幹部らしき身なりの良い男が三人椅子に掛けており、一番上席には代表のデネボラの姿があった。デネボラはヤコポと一行を認めると手招きをして、
「ご足労いただきすみませんね」
それに合わせて、男たち三人が一行に軽く会釈をしつつ退室してゆく。
「取り込み中だったかな?」
カミールが問うと初老の女は笑い、
「いや、問題ないわ。ちょっと報告を受けていただけですから」
言って傍らに置かれていた大きな木箱をダイフクの前に出す。中には瓶詰めにされたマンドラゴラーーダイフクが最初に見つけたものだーーと、ジルが四散させてしまった個体、それに箱詰めされた大量の葉っぱが収まっていた。
ヤコポは二つの瓶を取り出すと、片側に最初のものを、もう片側には四散したそれと中の木箱を並べてみせた。
「等価とは言えないかも知れませんが、この組み合わせで交換とはいきませんでしょうか」
「そう言われてもな……この葉っぱは何なんだ?」
「ベラドンナになります」
「『魔女の草』って呼ばれる、アレか」
言ってウキクサが手に取ろうとすると、「毒がありますよ」とヤコポに止められる。
毒草なんて物騒な物を手にした事はなかったが、更にそれを取引の材料に使おうというのも驚きだった。しかし『浜辺』の二人は同じ物を検めるや、
「確かにベラドンナだな」
「しかもかなり上質なものではありませんか」
と別の点で驚いている様子だ。前に目にした彼らの『菜園』に植えられていたかどうかは覚えていないが、反応を見るに本物で間違いはないのだろう。デネボラはそれを見るところころと穏やかな笑い声を上げる。
「やはり取引というのは価値の分かる方とやるのが一番気持ちがいいですね」
聞けば昨晩近くの島に持ち込まれたばかりであるらしく、ダイフクが薬草を好むという話を聞き夜明け前に急使により運び込まれたものだという。
ダイフクはベラドンナの木箱の中に自ら飛び込むと、十秒ほどその中をわしゃわしゃと掻き回した末、ぷるぷると震えながら外に飛び出してきた。
そうしてやおら自分の捕まえた方の瓶をデネボラの方に運んでゆき、残された瓶の中身を木箱に空けると、再び満足そうに中に収まり息をするように小さく上下に伸び縮みした。
「……交渉成立だな」
ウキクサが言ってヤコポと握手する。彼はホッとした様子で、「気に入っていただけて良かった」とデネボラの方に笑みを向けた。デネボラもそれに頷くと、
「ありがとうございます。……これで都会の連中も難癖を付けにくくなる」
ジヌーヴを含め都市部の商会やギルドは、その力関係もあり中小の商会ーー殊に離島の商会には理不尽な要求を強いる事もあるという。バルバリ商会もそんな目に遭ったのは一度や二度ではないらしく、だからこそ今のコレは彼らの鼻を明かす絶好の機会なんだという。
「彼らが仲違いしてくれれば最高なんですけどね。……まあ、そう上手くは行かないでしょう。それでも面白い何かは見れそうな気がするけれど」
そう宣うデネボラの瞳は爛々としている。恐らくこれまで飲まされてきた煮え湯の数々が頭の中で再生されているのだろう。そんな中対照的にダイフクはゆったりと、ベラドンナの海の中を泳いでいた。
「……結局船の中に連れて来る時も、あの木箱から出ようとしなかったな」
「余程気に入ったんでしょうね」
言っていると早くもダイフクはベラドンナの海にダイブしてゆく。こちらは二段ベッドの方ではなく、部屋の奥の小卓の上に置かれている。大食らいになる事も多いダイフクにしては珍しく、ちびちびと味わいながら食っているようだった。その為まだ当初の三分の一弱が残っている。
「ダイフクはいいとして、俺らの取り分についてだがーー」
ウキクサは二人を見回すと、
「返上しないか?」
「ん?」と二人が言葉の意味を理解出来ず、思わず手元の作業を止めて小首を傾げる。
「報酬ゼロ、って事か?」
当然の問いに「違う違う」とウキクサは笑いながら、
「その代わりに商会の力で何かしらして貰えないか、って事さ」
都会からは離れているとは言え、バルバリ商会の活動領域は思いの外広い。であれば、彼らに直接有力者なり、こちらの探しものに資するような組織、人物を紹介して貰った方が、話が早いし確実なのではなかろうか。
そう言うと「確かにそれはアリだな」とカミールが頷く。
「連中の方が余程顔が広いだろうし、商会からの依頼となれば相手方も値段の吊り上げやら情報の隠匿といった不義理は働きにくいだろう。『信用』ってのは、なかなか馬鹿に出来んからな」
「差し当たりの路銀はありますしね。後程ヤコポに相談するとしましょう」
そう言いながら、カミールが実験用の小さな鉄皿に溶かした『金平糖』を、アルゴは慎重に受け取る。
ウキクサも試験管と漏斗を手にアルゴが中に流し込んでゆくのを見つめている。錬金術師は試験管の中に謎の丸薬と黄色い液体を投入すると、ウキクサからそれを受け取り小刻みに振ってみせた。
「ところで何を作ってるんだ?」
「あの『金平糖』は毒消しの作用があるようでしたから。似たようなものを作れれば……おや、まさかの耐性薬ですか」
試験管の上層だけが鮮やかな緑色に変じてゆく。「そこそこの値段で取引されている筈ですよ」とアルゴが緑色の部分を更に別の試験管に入れ、試験管立てに挿した。何かが飽和したのだろう、更に丸薬を投入してゆく。元の材料に対して、最終的に十回分程は新しい薬が出来そうだった。
薬師ギルドに卸すのならば、こういったものも売れるだろうという事だった。この世界の薬師がどのように調合を行なっているかは知らないが、当然取り扱いに注意を要するものも多いだろう。中には自然に耐性を得られるものもあるのだろうが、そうでないものの方が多いだろうし、個々の体質によっても異なってくる。『万が一』を考えて予め耐性を得ておけるなら、それに越した事はない。
その日は何事もなく、夕刻にはカノーラの港に到着した。『金平糖』から作った耐性薬は、三粒を消費して合計で三十二本の作成に成功していた。船の中で神経を遣う作業を行なっていた一行は肩の凝りを解すように肩を回しながら船を一度降りると、夕餉の為に街の酒場に繰り出す事にしたのだった。
「この白身はなかなかイケるぞ」
言いながらカミールがダイフクの前に白身魚と芋の揚げ物が乗った皿を差し出す。所謂フィッシュ・アンド・チップスというやつだ。或いは創業者がそっちの出なのかも知れないが、そういった食文化がいつ生まれたのか分からないので確かな事は言えない。
アルゴはそれとエールを、カミールはラム酒をそれぞれ何杯も頼んでいたが、二人とも一向に酔う兆しがない。そう言えば何時ぞやメルキュールが、二人の酒の強さについて何かしら言っていたような気がしないでもない。
「次はどこだって言ってたっけな」
ウキクサが問うと、「確かピアントとか言ってたか」とカミールが返す。
「ピアントはこの辺りの島では指折りの小麦の生産地らしいですね。近縁の島に供給されるものの大半がそこのものだとヤコポが言っていましたよ」
洗練された所作でアルゴが料理を口に運びながら言う。彼の前には野菜がふんだんに使われた郷土料理が置かれていた。
「上質な小麦は上質な料理を作るものです。……叶うなら食材を買い集めたいところですが……」
「買うなよ、そんな嵩張るもん」
にべもない返答が返される。アルゴもそれは分かっているのだろう、「無念です」と返すに止めていた。
「兄ちゃんたち、どっちからだい」
と、不意に隣席の商人らしき男たちに話し掛けられる。トライメンテからだと言うと、
「じゃあジヌーヴに向かうのか? 今ピアントの海域はちょっと大変な事になってるぞ」
「海流が複雑で時間が掛かる、って事か?」
ウキクサが問うと「いや」と男たちは真面目な表情を浮かべて、「それならまだ良くある事だからしょうがないんだが……」
「どういう事でしょう?」
「鱶やなんかが集まっててな。漁船なんかは体当たりされて破損したものもある。落ちたらすぐにヤツらの餌だよ。それと詳しくは分からないが、得体の知れない生物も目撃されてるらしくてな」
男の一人がひそひそ声でそう言って、僅かに身体を近付ける。
「噂では比較的丸いシルエットで、ブイみたいに波間に漂っているらしい。そっちの妖獣と違って、色は黒っぽいとか」
そう言って酒に手を伸ばしながら、「お守り持っといた方がいいぜ」と男たちは笑った。
しかしどうにもウキクサたちの様子がおかしいのに気付き、
「おい兄ちゃんたち、大丈夫かい?」
と怪訝な眼差しを向けてくる。アルゴが繕うように、「いやあ、サメがうようよいると思うとゾッとしますよね」と神妙な顔をしてみせると、相手も安心したのか再び笑い始めるのだった。
ちらと三人が視線を交わす。恐らく皆頭の中には同じものの姿が浮かんでいることだろう。
『海坊主』だ。
あの特殊な環境、『浜辺』に現れていた魔獣がこの界層で不自然に発生しているのであれば、そこからメルキュールの流れ着いた先に関する何らかの糸口が掴めるかも知れない。
「これは調査する必要があるな」
カミールが言うと二人が首肯した。ダイフクだけは、もくもくと卓の上で白身を頬張り続けるのだった。




