幕間
第二部はここまでになります。
続きは多分四月頭くらいになりますので、良ければまた宜しくお願いします〜
明け方の浜辺を、一人の少女が歩いている。穏やかな波間に素足を遊ばせ、歌を口遊みながら、何かを待っている様子だった。
ゆるりと寄せては返す渚でちゃぷちゃぷ音を立てながら、少女はふと空を見上げる。薄雲が幾らか棚引いてはいるものの、夜の色がグラデーションを描きながら溶けてゆくのを邪魔する程ではなかった。
夜明けが近付いている。そう思ったからだろうか、彼女はぴたりと足を止めると、沖の方に視線を投げる。一キロ程は離れているだろう、白み始めた空を塞ぐように、そこには亀の形をした小島があった。
と、そこから次第に首のような、尻尾のようなものが、こちらへ向けて伸びてくる。潮目の関係なのだろう、瞬く間に少女の足元まで繋がり、砂の回廊が現れていた。
それを認めるや、彼女の方も身軽に動けそうな靴を取り出し、軽く身を伸ばすと、朝の運動とばかりそこを軽快に駆けてゆく。シャリシャリと小気味良い音を立てて向こう岸まで辿り着くと、ふうと息を落ち着かせてから、迷いなく島の内部に分け入ってゆく。
彼女の目的は二つあった。
一つは貴石探しだ。この辺りでは藍銅鉱や孔雀石、時折砂金も見つかっていた。と言っても『産出』と言える程の量でもなく、開発されて坑道らしい坑道がある訳でもない。極々稀に、川辺に流れ着いてくる程度だ。
少女は許可を得て採集を行っていたが、競合者が居ない為、実質的には独占状態だった。安定した利益にもならず、一攫千金も狙えないような『ハズレ』地は、大概そんなものだ。彼女にしたって、これで儲けを出そうなどと思っている訳ではない。正業は他にあるし、趣味と実益を兼ねた、いい小遣い稼ぎ程度の感覚だ。
それでも小さな砂金の礫が見つかるくらいの事はあるし、藍銅鉱などの小さな破片を手に入れた事もあった。一度など島に流れ着いた竜涎香を見つけた事があり、あれはいい稼ぎだった、と少女は寸時回想する。
鬱蒼と緑の繁る森は、一見道らしい道もないように見えるが、注意深く観察すれば獣道らしきものはあるし、埋もれた石畳が嘗て人の住んでいた痕跡を残していた。
少女はそこを軽やかに、慣れた足取りで奥へ奥へと抜けてゆく。下枝を刈る事もなく器用に進むその様からして、或いは獣道は彼女の作ったそれなのかも知れなかった。
やがて少し開けた斜面、洞穴らしきものが見えてくる。苔や低木に覆われてはいるものの、穴の前はしっかり均されており、やはり石畳が敷かれていた。
ふう、とひとつ息を吐くと、少女は一度穴から逸れて、脇道を下ってゆく。すぐ近くに沢が流れており、そこで彼女は軽く喉を潤すと、手持ちの水筒に水を汲んだ。そうして再び道を戻り、今度は洞の中へ潜ってゆく。視界を確保する為魔法で光を灯して――
そこで少女の足が止まる。胡乱な眼差しを足元に向けると、彼女は穴の奥へ厳しい眼差しを向けた。
闇の奥からは音も何も聞こえて来ない。異常があるようには全く思われない。
それでも彼女は確信をもって、見定めるように闇の中に目を凝らす。額には汗が浮かび、警戒の色を露わにしていた。
(知らない誰かがいる?)
心中でそう呟くと、ゆっくり歩を進める。
少女の視線の先にあったのは、足跡だった。彼女のそれではない。そう一目で分かる程度には、彼女は自分の事、界隈の事には通暁していた。光を消し、術で自身の眼を暗視仕様に切り換えると、注意深く足跡の向かう先――自身の目的地でもある奥の礼拝堂へと向かう。
暫く歩くと微かに水の流れる音が、洞を伝って響いてくる。人の気配がないのを確認してから彼女は再度明かりを高く掲げると、吹き抜けになっていた空間の、礼拝堂と呼ばれるものの全容が明らかになってくる。
そこは奇妙に統率のとれた、雑多な空間だった。
眼前の祭壇には聖母子の彫像が置かれ、その奥にはモスクの方角を示す壁龕が。右奥には曼荼羅が二幅掛けられ、更に今立っている空間の入口には鳥居が立っていた。他にもネイティヴ・アメリカンのそれと思われるものや、南洋系の神像、岩を削り出して作った中華風の廟堂を模したものなどがあった。
そしてそのそれぞれに、竜や精霊を模した小さな木の彫物が寄り添うように乗せられ、或いは側に置かれていた。合わせるとそれなりの数になる為、少女はここに来る度、まるでここの住民みたいだと思っていたりした。
下の沢から汲み上げる機構になっているのだろう、ちろちろと祭壇の周りを半円形に描く水路の側に膝をつくと、その中にじっと、少女は視線を落とす。そうして腰のホルダーからピンセットを取り出すと、慎重に何かを摘み上げた。
砂金だ。
試験管の水に浮かべると、ふわりと金色の破片が漂い、思わず彼女はニンマリと笑みをこぼす。この瞬間が、彼女の最も満たされる瞬間のひとつだった。
その場で何某かの神やら仏やらに――彼女にとってはどれも同じようなものなのだろう――感謝の祈りを捧げると、再び明かりを消して、左奥にある細い通路から階段を登る。突き当たりには半球形の金属蓋がガッチリと嵌っており、少女は再度外の気配を探りながら、ゆっくりとそれを開けてゆく。蓋は重くはあったが、少し軋むだけで、殆ど音もなく開いてゆく。外気が流れ込んできて、夜露に濡れた草の匂いが彼女の鼻腔を刺激した。
外に出たそこは未だ緑に囲まれてはいたが、先程までと違い、足元にはしっかりと石畳の道が見える。道の為か、木々も幾らか間引いてあるので、歩きやすい。
そこから一直線に彼女は道を下り、やがて広く開けた岬に出て――そしてそこには見慣れぬ人の姿があった。
取って置きのスポットに先客がいる事に腹立たしさが先立たないでもなかったが、それにしても見慣れぬ風体、落ち着きようで、どうしようものかと逡巡してしまう。
と、その先客がふとこちらを振り向き、気付いたのか軽く手を振ってきた。仕方なくこちらも振り返すと、男は再び緑の上に腰を下ろす。夜明けの近付く水平線に視線を送っているようだった。
はあ、とひと息つくと、少女は肚を決めて岬の方に歩いていった。内心、襲ってきたらどうするか、などとビクビクしていたのだが、先客がいつも彼女がしているのと同じ事をしているのを見て、気が変わったようだった。先刻の浜辺と違い、周囲が開けて芝に覆われた岬の突端付近からの眺めは、崖の上というのもあり、遮るものが何もない。赤く滲んだ空は、今まさに生まれ出でんとするものの気配に満ちている。
「……私の取っておきだったんですけどね」
少女は芝の上に腰を下ろす来訪者――白髪の人物にそう投げ掛ける。それを受けてカラカラと溢れた笑いは男のもので、
「それは申し訳ない。しかし独り占めは少しズルいのでは?」
言って彼女を振り返ると同時に、水平線から赤橙の光が射す。寸時眩しさで少女は目を細めた。逆光で男の顔はしかとは見えず、気付いた時には既に海の方に向き直っていた。
二人は何を発するでもなく、暫く眼前に広がる光景に見入っていた。日の光は瞬く間に光量を増し、太陽が水平線に別れを告げる頃には、絶対的な力でもって地上に光を注ぎ始めていた。
「どちらから来たんですか?」
少女が問うも、何と言おうものかと男は軽く頭を掻いた。「何て説明すればいいんでしょうね」
「? この界隈の人じゃないですよね? 少なくとも洞天では見た事がないけど」
言われて男は、
「ああ、この辺りは洞天という地名なのですか」
などと返す。少女は目を眇めて不信を露わにすると、改めて男の身に付けているものに目をやった。着の身着のままといった風で、所々穴の空きや破れが見られる。余程貧しいのか、或いは――
「まさか、島に流れ着いたの?」
そう訊くと、男は僅かに顔をこちらに傾け首肯した。
「恥ずかしながら、一時的に記憶も混濁しているようでして」
つまり身元不明という事だ。これは参った。ここは食料らしい食料に乏しい。少なくとも洞天までは連れ帰る必要があるだろう。流石にここでくたばったりされたら寝覚めが悪いというものである。
「なら、人の居るところまで案内するわ。……っていうか、どこで寝起きしてるの。洞窟の入口付近なら、雨風も凌げるし、水場も近くにあるでしょう」
「いやあ、開けたところって、気分がいいじゃないですか? 一応昨日の昼頃に浜辺で目を覚まして、獣道を通って来たんですけど……洞穴の奥の階段を登ってみれば、いい場所があるじゃないですか。腹は減ってましたけど、水分くらいは朝露や術でどうにかなりますし」
って事は、上の草原に出てからこっち、ずっとこの辺りから動いていないのか。
「物好きね」
少女が笑うと、男も振り向きニカッ、と笑みを向けてきた。今度ははっきりと顔が見えた。比較的若く見える。歳の頃は三十代の前半、ないし二十代の後半といったところか。年上趣味がある訳ではないものの、その笑みは少女の何か琴線に触れるものがあった。幾分憐みもあったのかも知れないが……。ともかく背嚢から何か取り出すと、男の隣に座って、「はい」とそれを手渡す。
「これは?」
「何も食べてないんでしょ?」
質問に質問で返されて、男は黙って渡されたものを広げると、中には紫色を輪切りにしたものが、幾つか入っていた。
「……芋……ですか?」
彼女はそれに首肯すると、輪切りのひとつを自分で摘み、皮を剥がして口の中に放り込んでみせる。
「むし焼きなんだけど、プリプリしてて、美味しいわよ」
芋にそんな食感があるとは聞いた事がなかったが、兎にも角にも男はひとつ摘み、同じように皮を剥がして食してみる。
「……芋というより、海老でしょうか。味も濃厚で、美味しいですね」
そう言うと彼女は不思議そうに小首を傾げ、「あれ、芋ってそういう意味で言ったんじゃ……」などと何やら言っている。ややあってから、「ひょっとして」と彼女は恐る恐る、
「ファボリケ、って知らない?」
男はピンときていない様子で、「何ですかそれは?」と聞き返す。
「ああ、いいの、忘れて頂戴」
少女は被りを振ると、「記憶喪失っていうのも、難儀なものね……」
「まあ、何か色々としている内に、思い出すとは思うのですが」
男の方は楽天的で、然程焦っている様子はなかった。まあその方が彼を洞天に預ける身としては気が楽だから、良いのだが。
「ひとつお伺いしても?」
「どうぞ」
「貴女は何故こんな場所に?」
「ああ、まあ小遣い稼ぎみたいなものよ。それと、この景色かな?」
言って朝焼けに染まる海に目を細める。トパーズ色に煌めく波が、穏やかに寄せては返していた。彼女はやおら手を組むと、太陽に向けて祈りを捧げ始める。
「成程、太陽信仰ですか?」
「そういうのじゃないわよ」
彼女は苦笑を浮かべると、
「ただ、こうしていると気持ちが落ち着くのよ。こう、邪気を払う、って感じで。お宝探しで趣味と……時々は実益を満たして、ここはここで精神的な満足を得る、っていうのかしら。それと――」
一拍置くと戯けた顔で、
「ちょっと旅に出るものだから。暫く拝めなくなるから、もう一度見ておきたかったのよ」
「ほう、旅ですか。どちらまで?」
「まあ都市部の、結構遠くね……って、え、ひょっとして着いてくるつもり?」
「お邪魔じゃなければ」
男は実にいい笑顔を浮かべる。無垢な、と言ってもいいかも知れない。しかし不審者だ、と彼女はそう思おうとするも、この手の笑顔に弱いのだろう、表情をくるくるさせながら、最終的には重い溜息を漏らしたのだった。
「……いつでも離脱して貰って構わないわよ」
言って改めて男の服を見回す。流石に穴だらけで旅をする訳にはいかないだろう。
「洞天で取り敢えずサイズの合っていそうなものを買いましょう。……っていうか、お金はあるの?」
問えば男は懐から銀貨を数枚取り出してみせる。最低限の路銀くらいにはなりそうだった。少女は片手を前に突き出し、
「メイリンよ。あんたが人攫いとかじゃない事を切に祈るわ、えっと……」
「メルキュールです」
男はニッと笑みを浮かべ、
「人攫いではありませんが、人たらしとは言われた事がありますね」
少女の手を握りながら、もう片方の手に何かを乗せる。メイリンは思わず目を見開き、手渡されたものに茫然とした。そこには拳大程もある、見事な岩群青が、鎮座ましましていた。
「これで幾らか面倒を見て頂けると」
少女は寸時言葉を失う。ややあってからようやく自分を取り戻したのか、彼女は軽く噴き出すと、岬に二人の笑い声が吹き抜けるのだった。
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