47.不可抗力
晩餐の後、一行は夜が更ける前に辞去し、『浜辺』の二人とも別れることになった。カミールは、『俺らも五層に向かうだろうから、またあっちで会う事になったりしてな』などと冗談半分に笑っていたが、これは彼流の別れの挨拶なのだろう。対照的に偉丈夫のアルゴは一人一人丁寧に握手し、『旅の幸運を』とにこやかに送り出してくれた。
「……ちょっと、意外でした」
「意外?」
邸を遠くに見ながら、レイの言葉にシアが問い返す。
「なんと言いますか……結局自分も他人をステレオタイプで見ている部分があった事に気付いて、ショックと言いますか……」
言って彼は苦笑を浮かべる。
「もっと前にこちらで暮らす人の姿を直に見ていたなら……或いはユーリさんやアルゴさんのような方とお会いしていたなら、凝り固まった印象も変わっていたのでしょうか。でなければ、それすら嘘だと思ったのでしょうか。……どちらにせよ、そうやって色眼鏡で相手を見るくらい、年を取ってしまったという事なのでしょうが」
カルミアがニヤついている。シアは「いや」と山猫の背から起き上がりつつ、幾分擁護する調子で、
「儂の知る頃ももっとギラギラしていた印象じゃったからなあ。それこそ世代の違い、というやつじゃろうか」
そう言って軽く頬を掻く。それからカルミアに、「何じゃ、なんぞ良い事でもあったのか」と水を向け、二人で先を歩いて行ってしまった。
ぼんやり二人を眺めているレイに追い付くと、ウキクサはひょいっ、とレイの首筋に手を当てた。ビクリとして振り返る相手に、
「お前、今ちょっとホッとしたろ」
言うと服の下に隠れたレイの翼がピクリと震える。
「……何がですか?」
分からない風な表情を顔に浮かべるレイに嘆息をつくと、ウキクサはぽん、と肩の上に乗っていたダイフクをレイの頭の上に置く。
「まともさなんて、わざわざ示さなくてもいい。世間一般の平均なんて、強いてなろうとするもんじゃないよ。……って、俺の言ってる事も、大概無責任だが」
そのまま前を行く面々の後を着いて行く。レイは寸時立ち止まった後追い掛けて来たが、お互いそれ以上話を広げるつもりはなく、二人の間に沈黙が落ちるのだった。
ウキクサは邸でマクシミリアンが見せた表情を思い出していた。あの横顔に浮かんだ痛みの色が、忘れられないでいた。食事の時に彼が零した言葉もあり、沈鬱な気分はなかなか抜けてくれなかった。
『もはやここが煉獄なのか地獄なのか分からない』
『お連れさんみたいに羽が生えれば、天使になったと喜べるのかも知れんが』
諧謔にしては切実さの度合いが濃い、そんな響きがした。別れ際の言葉など、
『命は長くなった。だが仮に変異が治るとして、もう遅い。青春は取り戻せない』
自分と同じマレビトの、その先達が辿り着いた境地。マクシミリアンが得た結論は、同じ時期に渡って来たシドのそれと比べ、凡そ遠い場所に位置しているよう思われる。或いはああいった人間にこそ、カインとアベルのような人間が必要なのだろうか――そんな事も、一瞬脳裏を過ったりする。
『……こんなに多くの人間と一度に会うのは久し振りでな……正直、少しばかり人間酔いしている』
自分のなろうとしているものの先にあの老人の姿がある気がして、空漠とした不安に似たものが胸の内に広がる。
満たされ成功した未来を誰もが知り得るのなら、多くの者がそれを具現化する為に最善を尽くすことだろう。
しかし特殊な能力持ちであるメルキュールでさえ、瞬間瞬間のぶつ切りになったイメージを伝えるので精一杯だし、そもそも成功だの平安といったものが未来に待っている保証はない。
成功したと思ってもその時期が遅過ぎれば、既に無用の長物になっている可能性すらある。
先の未来に変心がないとも限らない。
……人間という奴は、なかなかどうして、単純なものではない。
「このお金で何しようかなー」
隘路に嵌まり込みそうになったのを、その言葉で我に返る。懐に収められた袋の重みを思い出す。
「やっぱり服かなー」
「お主、食費や宿泊費もかかるのじゃぞ」
「まあ、それはどうにかなるでしょ」
あっけらかんとしたカルミアの言葉は、不思議と真っ直ぐ心に刺さってくる。あれこれ考え過ぎて雁字搦めになるよりは、余程マシなモノの考え方だと思われた。
「でも一人で離れた所に住んでるのって、どういう気分なのかしら」
烟る星空を見上げながらカルミアは言う。確かにあの邸は周囲に似たような建屋が並んでいたが、破れ屋根だったり風が中に吹き込んでいたりと、人の気配はしなかった。
もう少し調べれば或いは別の住人が見つかるのかも知れなかったが、そこまではするつもりがない。強いて他人の生き方に首を突っ込む必要はないだろう。
「……不便は多いだろうな」
その程度の月並みな言葉しか出て来ない。実際、食料の調達なんかをどうやっているのか、その辺りについては訊いていない。レイたちは薬膳スープなんてものを作っていたが、材料はどこから来たのか。
「普通に、アルゴさんと裏の畑で収穫してきましたよ」
問えばそんな返事をされてしまう。言われてみれば、井戸から出た辺りは背後が丸く開けていて、畑のようになっていた。家庭菜園とその畑があれば、ある程度のものは手に入るのだろう。
「しかし、勝手に採ってきて良かったのか。一応、人様の土地なんだろう」
「ああ、正確には借りている畑の一部、と言いますか……前にアルゴさんが許可を貰って自前で持っていた種を蒔いたそうです」
「それを収穫した、って事か」
思い返してみれば、食事の際にアルゴとマクシミリアンが何かやり取りをしていた。『畑の野菜は差し上げます』とか何とか脈絡が分からなかったが、間借りしていたのなら納得がいく。
その他必要なものがある場合は、どうするのだろうか。普通に宝鐸に買い物に下りるのだろうか。それとも変装でもするのだろうか。宅配便は、流石になさそうだったが。
振り返ってみるも、街道からそれなり内側に建っている事もあって、既に件の邸がどこにあるのか、分からなくなっている。倒れてしまっても、様子を見に来る隣人知人がいないというのは……自分のような人間、年齢ならともかく、彼のような場合、どうなのだろうか。況してや今までちょくちょく顔を出していたらしき『浜辺』の面々も来れなく――
そこまで考えたところでハッとする。
「……ひょっとして、そういう事か?」
「何がですか?」
「カミールがわざわざ宝鐸じゃなく、通用口になっているマクシミリアンの所から出たワケだ」
レイとシアが一寸ばかり怪訝に首を捻るも、カルミアが「ハハッ」と笑うと、
「シドさんに会わせる為、ってコトね」
言われて二人も合点が行って成程とカルミアを見る。
「元はと言えばユーリを助けるために、シドはカミールと接触したのじゃったな」
「『酒下し』のように慎重な運用が必要とされる商品のやり取りを一手に任されていたカミールさんが、相手の事を調べない訳がない、ですか」
「その過程で、シドとあの男の関わりを知ったと……そう言いたい訳じゃな?」
ウキクサは首肯すると、「実際あの反応を見るに、二人が古い知己なのは確実だろう。シドが口走っていた言葉の意味までは分からないが――」
「『Palais idéal』」
前を向いたまま、何時ぞや聞いた言葉をカルミアが口にする。
「『理想宮』って意味。――とある郵便夫が一人で作った風変わりな建物がフランスにあってね。長い年月をかけて完成させたその入り口に、そう刻まれているの。宝鐸のやつも、それからふざけ半分で取ったものなんでしょうね。絶望的に長い時間が掛かるかも知れないし、完成したところで評価されないかも知れない――或いは評価されなくたっていい、って意味で」
言って彼女はちらと星空を見上げる。郵便夫の往時に想いを馳せている訳ではないだろうが。
「建物は『シュヴァルの理想宮』って呼ばれてるわ。郵便屋さんの名前を取ってね。シドさんが口走った『シュヴァル』がマクシミリアンさんを指していたのか、他の誰かを思い出していたのかは分からないけど……或いは『もう死んでる』って言ってた、扁額を作った人の事なのかもね」
草創期の仲間ならば、ある種特別な絆があるのだろう。一を二に増やすよりゼロを一にする作業の方が大変だし、特別感もある。
そうして作り上げた『理想宮』は、各々の心に強く焼き付けられるだろう。それこそ生涯忘れる事のない、鮮烈な記憶として。
きらきら光る川面の向こうに、街の灯が見えてくる。マレビトが作り上げた、手作りの街が。闇夜に輝くその様は、『軍艦島』というより工場地帯の夜景の方が近い何かがある。
「人と人との関係性なんて、そう信じられるものじゃないけど……」
カルミアは両手を上に伸ばし、戯けながら、
「――まあ私は何でもいいんだけどね」
そう言って山猫の上に乗っかっていた妖精を自分の肩の上に乗せ、山猫に横乗りする。
「……取り敢えず言えるのは、カミールがあれで意外と人情深い、って事か」
「異議なしじゃな」
詰所には予め話が通っていたのか、一瞥されるだけで別段呼び止められる事はなかった。頭上には初めて来た時には気付かなかった、白茶けた扁額が架かっている。筆で書かれず彫り出された『Palais idéal』の文字はまだ判読は出来るものの、風雨に晒され朽ち始めている。
「……長い一日じゃったな」
シアがそう言うと、皆の口から苦笑混じりの吐息が漏れるのだった。
翌朝一行はシドの家に赴き、そこから連れ立って案内人の元へ向かう事になった。中心部から少し外れた裏道にその店はあり、紹介されたのは至って普通の、茶色い髪で、人当たりの良さそうな女性だった。レイが何とも言えぬ微妙な表情を浮かべているのを見て、「まあ、そうなるわよねえ」とカルミアがその肩をポンポンと叩いた。代金は、「例のギャンブルでの儲けを還元する」とシアが気前良く払っていた。
彼女に案内された先は、どう見ても関係者以外お断りな、保安設備の入口らしき扉だった。「丁度、黒花が複数現れているようでして」と彼女は言い、鍵を物理と魔法両方で解錠していく。
中は照明が点いているものの、長く伸びる廊下は総じて薄暗い。暫くして階段を下って、下って、なお下って、道幅は狭いが縦に開けた一画に出る。ピラミッドの大回廊に似ている。
やがて一行の前に、極彩色の空間――壁の四方に絵や文字の描かれた空間が現れる。竜のような生き物に、羽を持つ小さな人型が多数。加えてそれよりは大きい人間二人が、壁画の主題であるらしかった。
先程のが大回廊であるならば、差し詰めこちらは玄室――王墓といった風情で、現代文明で作られた宝鐸には凡そ似つかわしくない。或いはローマの市街地のように街の上に街を築いたのだろうかと思わない事もないが、現地民であるシドの表情からはその辺りは読み取れなかった。
「もう片方はすぐ消えてしまいそうですね」
そう言うと案内人は、空の玄室の中にある、小さな箱形を持ち上げる。すると見覚えのあるものが目に飛び込んできた。
「――黒花」
美しい花弁がふわりと広がる。第七界層で目にしたものと同じだ。
「……って事は、残念ながらここでお別れかな?」
ワムジールがシアと肩を組み、「また会おうぜ、兄弟」と別れの言葉を口にする。
「娘ともども、ありがとうな。またこっちに来る時は是非寄ってくれ。俺たちも、女房たちも喜ぶ」
ダナンとユーリは一人一人、握手をしたり撫でたりしながら一行を見送る。ユーリはレイの耳元で何事か囁いていたが、レイはカルミアに問われても、「黙秘権を行使します」とだんまりを決め込んでいた。
案内人の促しに、カルミアがその黒い花弁に指先を触れようと手を伸ばす。と――
「……ん? どうしたの?」
傍らの山猫が明後日の方向を向いていた。それに気付き彼女が手を引っ込めるや否や、
「え、ちょっ、どこ行くの!?」
シアをその背に乗せたまま、いきなり元来た回廊の方へと駆けてゆく。
走り出したカルミアに少し遅れて呆然としていた一同が後を追うと、山猫が回廊の向こう端を曲がっていくのが見えた。
「……くっ、ちょっと、おい!」
細い回廊を取って返しウキクサが丁字路を曲がると、下降通路の先、カルミアが小部屋の中で立ち尽くしているのが目に入った。シアも興味深げに視線を下に落としている。
「……一体、どうしたんですか」
レイが息を切らしながら近付いてゆくと、おもちゃを見つけたようにはしゃいでいた山猫がそのまま彼の腕を咥えると、早足で奥の方に連れて行く。
「えっ、待って――」
「これ、待たんか!!」
強い困惑を滲ませたカルミアたちの声が聞こえたかと思うや――瞬く間に山猫とシア、レイの姿が消えた。
黒花だ。
そう気付いた時には既に遅かった。
腕を伸ばしたカルミアも波打つ膜にそのまま吸い込まれていって――
「……クソッ!!」
ウキクサの手が届きそうになったところで、ふっ、と消えてなくなってしまう。
足元で黒花の残骸が、今まさに塵芥に変じていた。
「あいつらは」
問うてきたのはダナンだった。顔には困惑の色が浮かんでいる。それに対してウキクサは、「……先を越された」と返すのが精一杯だった。
「こちらに第五界層と繋がるもうひとつの黒花が出ていたようですが……お仲間さんと、向こうで何かの時に合流する場所などは決めてあるのですか」
案内人に訊かれるも、当然そんなものはない。彼女は懐中時計を取り出すと、
「どうされるかは皆さん次第ですが、黒花にも出現限界があります。今から戻って――猶予は十分程でしょうか」
「……元より俺の取る道はひとつだよ」
第五階層へ向かう。どうせ無目的にここまで流されているんだ。残ったところで何かあるとも思えないし、それなら未知の世界に身を投げても構わないだろう。
ウキクサが急ぎ足で、先程の玄室の方へと上ってゆく。
「消えるとまた探す必要があるんだろう? それに――また先を越されるのは御免だからな」
そう言って、盛大な溜息を漏らすのだった。




