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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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46.酒下しの協力者

 諸々の処理を託されたアルゴとカミールは、すぐに菜園の破棄を決定した。見えなくなったとは言えあの荊のアーチが続く回廊と地続きになっており、いつ侵食されるか分からないからだ。

『浜辺』が何故あのようになったのか。巨大『海坊主』が現れたからか。元々自壊し始めていたのがアレを呼び寄せてしまったのか、はたまた大量の『海坊主』を捕獲した事が影響しているのか――

 そういった原因の追究に関しては、「今考えるのはムダってヤツだろう」と、後回しにされた。

「メルキュールは『諸々は畳んでしまってくれ』と言っていました。菜園は勿論、宝鐸との回廊も維持する必要がない、という意味でしょう。大丈夫……な筈です」

 平静を保とうとはしているが、さしものアルゴも幾分自信なさげだ。仲間が向こう側に飲まれてもなんとか狼狽えないでいられるのは、別れ際のメルキュールの言葉があったからだろう。

『暫しの別れ』

『別界層で、また近い内に』

「――アイツはあれでいて、変な嘘はつかない男だからな。それなりに信用してもいいだろう。それと、自分の未来も幾らか見えるようになった、みたいな事を言ってたな? 或いはそれで、自分が界層を渡る未来が見えたのかも知れない」

 言いながらカミールは後ろを振り返り、「そろそろいいか」とダイフクに向けて問う。ひと回り大きくなった丸っこい身体はそれに跳ねて答えると、いかにも満足げにゆるゆると山猫の背に乗った。後ろには丸裸になった菜園の残骸が残されている。

「勿体無えからな。アイツも文句ないだろ」

「文句は言わせませんよ」

 そう返してアルゴは嘆息する。

 放棄の決まった菜園を空間ごと閉鎖する前に、術式の準備が整うまでの間自由にしていいとダイフクが言われた結果がそれだった。つまり、残っていた草花の大半をダイフクは平らげてしまっていた。飽食にも限度いうものがあるだろうに。

「良かったのか? メルキュールは半分程残しておいて欲しいとか言ってなかったか?」

 ウキクサが問えばカミールは、「そうだったっけか?」と空とぼけるし、アルゴも、「あれだけ自信ありげに『畳んでしまってくれ』なんて言ったんです。遠慮は不要というものです」と手厳しい。

 回廊に退避すると二人は手早く空間を『畳み』、来た道を宝鐸の方へ引き返す。そうして回廊の只中で、ピタリと足を止め、

「途中下車だ。宝鐸へは直接は戻らない」

 言いながら壁に触れると真っ平らだった壁面が凹み、上り階段がそこに現れた。位置的に、恐らく来る時テトが見つけた『通用口』だろう。アルゴを先頭に階段を上っていると、微かに黴の匂いが漂ってくる。

「どこへ出るんだ?」

 問うとアルゴは、「そうですねえ」と顎をひと撫でして、

「どの道バレてしまいますか……」と被りを振る。

「皆さんは確か宝鐸へは――」

「馬車で来た。三条からだな」

 ダナンが答えると、「なら話は早い」と背後から声がした。

「終わりましたか」

「ああ。まあ、『畳む』だけだしな。大した手間じゃない……それより、どこへ向かっているか、だったな。外に出てみればなんとなく分かるだろうよ」

 言っている内に、少しだけ開けた場所に出る。灯りで照らすと、円筒形の空間であるようだった。と言っても、幅は二メートルもないだろう。高さは三メートル程か。階段を出た真上の壁面に梯子が取り付けられている。

「枯れ井戸さ」

 言いながらカミールが先頭になって登り、天井に白墨(チョーク)で何か書き付けてゆく。程なく錆びた金属の外れる音が響き、薄ぼんやりとした光が僅かに射し込んできた。

 上がってみるとそこは物置小屋のような場所で、埃っぽい空気が漂っている。扉を開け放つと既に空は茜色に染まっていた。近くに壊れたスクーターが転がっており、背後には何時ぞや目にしたような擬洋風建築が数軒建ち並んでいた。

「宝鐸郊外か……。いやはや、市街地に続きここにもこんな通路が作られておったとは……協力者がおるのだろう?」

「どうでしょうねえ」とアルゴははぐらかすが、はあ、とそれにシドは溜息をつき、

「物置小屋の持ち主とコネクションがあるのじゃろう。隠さんでも良い。……或いは儂の古い知己かも知れんな」

「そうだな」

 声に振り返ればそこには杖をついた、背の低いアジア系の面立ちをした老爺が立っていた。幾分日に焼けており、それでいてこの暑さの中でも長袖を着ている。シドはそれを認めるや、「もしや」と小さく呟き、それきり黙り込んでしまった。

「宜しかったのですか」

 アルゴが問うと老爺は被りを振って、「いい加減、肩肘張るのも疲れてきたんだ」と、力の抜けた声が返ってくる。諦念とでも言うべきか。生きる事に対する執着を失いつつある、そんな声だった。

「今日はメルキュールはいないのか」

「ええ、ちょっと事故に巻き込まれまして。命に別状はないのですが、本人の言葉を信じるなら、今頃別界層に流されているのでしょう」

「相変わらず、何かとお忙しい御仁だ」

 諧謔気味にそう口にするも、厭世的な眼差しはピクリとも変わらない。

「俺らも拠点を移す事になる。『酒下し』の製造は役割を終えた。さっさとあのバカを迎えに行かなきゃな」

「ほう、ではあの硬直症状は治ったのか」

「実際に外に出る前に別れちまったから、その辺り正確には言えないがな。理論上は、アレで治っている筈だ。残りの『酒下し』は爺さんにやるよ――ああ、何かの時の為に、何本かは貰っていった方がいいか」

「好きにしろ。元よりお前たちの仕事だ。どうこう口を出すつもりはない。……そいつに興味があるのか」

 スクーターに手を伸ばそうとしていたウキクサに、老爺が声をかける。「ああ、いや」と返しつつもウキクサはスクーターを指し、「モーターがイカれてるのか」と逆に問い返す。するとピクリと僅かに眉が持ち上がり、「お前、マレビトか」と声に感情の色が、少しだけ滲む。

「ああ、そうだが」

「月は見えるか」

 言われてハッとする。

 恐らく、彼も変異を受けている。度合いは分からないが、大戦期の日本出身――つまり純粋な東洋人であるシドでさえ、かなりの変貌を遂げていた。暗褐色の肌、日本人離れした彫りの深さ。目の前に立つ見た目東洋人の老爺が、そのままアジア出身だと判ずるのは、恐らく間違いだろう。

 東の空に登り始めた二つの月を見遣りながら、

「ああ、見える。昔から見慣れたやつと、最近見慣れてきたやつと」

 ウキクサが言うと老爺はくつくつと堪えるような笑いを漏らし始める。

「そうか。最近見慣れてきたやつ、か。いやはや、羨ましい限りだ。私もギリギリまだ両方見えるのだがな。最近はどうも大きい方を認識するのが難しくなってしまった」

 言って彼は手を差し出す。

「マクシミリアン・ベルモンドだ。故国はフランス、リヨンの出だ。ああ、別に君に本名を名乗れと言っている訳ではない。そんな名前の越境者がいたな、と君に覚えていて貰いたいのだ」

「……ウキクサだ。会ったばかりの相手にそんな重い言葉を掛けないで貰いたいが、まあ、極力覚えておくよ」

 握った手は決して力強いと言えるようなものではなかったが、一種の気品は感じられた。その正体が何なのかまでは分からない。ある種の矜持かも知れない。

 完全な主観になってしまうが、シドが『日系の一世』だとすると、マクシミリアンはあくまでも『フランス人』、とそのような印象を受けた。

 彼も大戦期の越境者であるのなら、年齢は自ずと察せられる。そして当時のフランスにアジア系がどれ程いたか、そう考えると彼の現在の容姿は、変異によるものなのだろう。或いは長袖を着ている理由もその辺りにありそうだった。マクシミリアンは腕に注目されているのを察すると、話を変えるように、「で、すぐに『酒下し』を回収するか」と『浜辺』の二人を振り仰ぐ。

「そう言えばソレって、確か別界層には持ち込めないんじゃなかったのか」

「そうなのか」

 効能がなくなる、という話だった筈だ。カミールたちが持って行っても意味はないのではないか。

「ああ、それについては問題ないと言いますか」

 これにはアルゴが答えて、

「界を渡ると成分的に変質してしまうのは事実です。その代わり、特定の錬金薬を混ぜれば、別の効能のある薬になりますので」

 感心する声が方々から上がる。それを受けてアルゴもどこか得意げな表情になっていた。

「面倒そうだから、今貰ってくわ。でも――」

 カミールはそう言うとちらと宝鐸の住人に目を向ける。彼の前で場所を知られて、マクシミリアンに不都合が出るのを懸念しているのだろう。老爺は「構わん」と、杖で地面を引っ掻くと、

「さっきも言っただろう。元よりお前たちの仕事だ。こちらは保管所と売買ルートを提供していただけで、別に盗られても困りはしない」

 そう言って初めて、シドに目を向けた。

 二人の間に沈黙が落ちる。それでもどうにかひと言だけ、

「……シュヴァル」

 そう漏らすと、後は言葉にならず俯いてしまう。言葉の意味は分からないが、恐らく濃密な意味合いが込められた……古い知己に向けられた、そんな言葉に聞こえた。

「やめてくれ。そんな顔されるとますます生きるのが厭になる」

 言葉の通りうんざりした顔を浮かべ、杖の老爺が背を向け歩き出す。

 結局これがその日二人が交わした、唯一の言葉だった。



 案内された屋敷は瀟洒な洋風建築だったが、外壁にはあちこち蜘蛛が巣を張り、玄関脇に置かれた赤い鉢は、何箇所も欠け、(ひび)が入り、今にも割れて砕けてしまいそうそうだった。植わっているものも雑草まみれだ。手入れを怠っているというよりは、興味を失っていると言った方が良いか。

 中に入ってもそれは同じで、家主の使っている最低限の空間を除いては、薄く埃が積もっていた。自然、『酒下し』の保管場所も知れるもの――と思うまでもなく、無造作にリビングの卓上に、箱のまま並べられていた。リビング自体はがらんとしており、生活感というものが抜け落ちていた。

「じゃあ貰ってくぞ」

 そこからカミールが五本程抜き、懐からコルクのような白っぽい物体を取り出す。どういう原理か、それを『酒下し』に当てがうとスポンジのように吸い取っていき、それでいて大きさは変わらない。珪藻土のようなものか、或いは何か特殊な素材で出来ているのだろう。

「これでオーケーだ。すまんが、一晩部屋を借りてもいいか? 明朝には発つから」

「構わんが、事前連絡がなかったんだ。食事までは提供しかねるぞ。……ああ、一応自分用のミネストローネを作るから、それくらいなら出せるが」

「構いません。お気遣い感謝します」

 アルゴが礼を述べると老爺は振り返り、

「お前さんたちはどうするのかな」

「ん?」

「宿はあるのか」

 問われシアが、「一応アテはあるのう」とそう言って、

「案内人を探さねばならんからのう。それまであの宿を取る事は出来るじゃろうか」とダナンの方を振り返る。宿を取ること自体は問題ないらしかったが、「折角なんだ。親父の所に泊まっていけばいい」

 ダナンがシドの方を向きながら提案する。シドの方も否やはないようだったが、「お気持ちだけで」とこれについては一同が固辞した。

 向こうは恩人だの何だの言ってくれてはいるが、実際やった事と言えば馬房での出産の手伝いと料理、後は先刻の『巻き直し』くらいのものだった。これ以上は流石に気が引けた。

「まあ、こちらとしては何でも良いのだがね……」

 言いながらマクシミリアンはどこからともなく中身の詰まった小袋を取り出し、ウキクサに押し付けてくる。

「……えっと、これは?」

「それぐらい分かるだろう。カネだ、カネ。同じマレビトの誼だ。持ってけ」

 そうは言われても、会ったばかりの人間にいきなり現金を貰うというのは、どうにも気持ちの良いものではない。

「……稼業もないただの風来坊にいきなり現ナマを渡すのは、こう……どうなんだ? それは寄付文化や互助精神とも違うだろう」

 そう言うと「ふふっ」と相手は含み笑いを漏らし、

「大人しく受け取ってもバチは当たらないだろうに。……まあいいだろう。ならば対価として、今の向こうの世界について、私に話してくれないか」

 それなら文句なかろう? と彼はそう言う。こちらとしても、それならば、と一応の納得はいく。釣り合った仕事が出来るかは別問題だが。

 そしてそうなれば一人では旗色が悪い事になりそうだったので、カルミアを引っ張ってきて援軍に引き込む。

「なんだ、お嬢さんもマレビトなのか」

「まあね」

『二人で山分け』、と言うと前のめりに飛び付いてきた。シドと会った時の会話を鑑みるに、欧州の事情については、或いはこちらより詳しいかも知れなかった。

 それを見てダナンが、「宿の方は俺が手配しておこう。受付で俺の名前を出してくれればいいから。明日の午前中にまた訪ねてくれ。案内人にも声を掛けておこう」と言って、改めてアルゴとカミールに握手を求めた。

「メルキュールさんにご挨拶出来ないのが申し訳ないが」

「気にする事ないさ。まあ、俺らは探しに行かにゃならんから面倒だが」

 カミールが嘯けば、アルゴも慇懃に、

「ご一緒出来て愉快なひと時でした。メルキュールに会ったら、ユーリさんにお礼の一つも出来ないのか、とお灸を据えておきましょう」

 そう言うと一座が少しばかり和らぐのだった。



 宝鐸へ街道を下るダナン一家を眼下に見送り邸に戻ると、主人が別室に紅茶を淹れて待っていた。「気を遣わなくて大丈夫だ」と言えば、「私自身が堅苦しいからな。空気まで堅苦しくすることはないだろう」

 気楽にしてくれ、とそれが彼の意思であるらしかった。シアとレイは別に居ても良かったが、既に金を受け取っている事を考慮して、リビングで『浜辺』の二人と待って貰っている。尤もレイはアルゴと二人で何かしら調理に励んでいるようだったが。ダイフクとテトは家の周囲をウロウロしている。美味そうな獲物を見つけたか、薬草でも漁っているのかも知れない。

「戦争の結果については知っている。それ以降の事で頼む」

「ざっくりしてるなあ……」

 戦後復興、植民地の独立。政体の変遷や宗教の影響。そしてストライキ、共同体としての欧州や通貨単位――といった堅めのものから、映画、サッカー、歌手の死去に至るまで、話題は多岐に及んだ。空港の名前について話した時は、彼にしては珍しく興が乗った様子で、「そうかそうか、将軍の名前が付いたか」と幾らか笑みを見せた。

 話に一段落ついたのは、一時間半程も経った頃だろうか。隣室から食事が出来た旨伝えられたのだった。薬膳スープのような強い匂いが漂ってくる。

 窓を開けると既に空の色は塗り潰され、月光の支配する時間になっていた。

 席を立ちながら主人はそちらに遠い目を向け、消え入るような声で独白を漏らした。風に乗って、図らずもそれが耳に入ってしまう。


『もう自分の知る国ではないのだなあ』


 表情の乏しいその横顔に、一瞬痛みの色が浮かんだのが見えたのだった。

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