44.予知能力者
この世界に於ける呪いとは、此岸で言う所謂黒魔術とは大きく性質を異にするものだという。誰かの明確な意思が特定の対象に影響を及ぼすのではなく、もっと超自然的、且つ不特定な多数の無意識により引き起こされる現象だと考えられている。
考えられている――というのは、発動する条件が未だ明確には解明されていないからだ。通説では多くの悪意・負の感情がマナに凝った結果だと考えられているが、別の説ではこの世界の琴線に触れるような何かを行った結果、フィードバックとして発生するものだとも言われている。
つまりは『ババを引いた』結果だ、とそういう訳だ。受ける不利益はケースバイケースで、軽い風邪を引いただけで済む者も多いが、中にはメルキュールのように著しく影響を被る者もいる。また対象は人とは限らず、他の生物や、土地といったものにも及ぶのだとか。
解呪方法は、基本的には自然治癒に任せる外ないらしい。というのも、前提としてこの手の呪いは直接的に命を奪うような性質を持っておらず、悪化したりもしないからだ。
これは呪いそれ自体が徐々に解けていくからで、そう考えるとメルキュールもあれで大分マシになったのだろう。「助けてくれる仲間がいなかったらとっくに飢え死にしてましたがね」とは彼の言だが、自分も知らず呪いを惹起するような行動を取っている可能性があると考えると、空恐ろしくなる。
「まあ私の場合は、生業も関係しているのかも知れませんが」
彼は『予知』の能力持ちであるという。それで易者紛いの事をやっていたらしいが、結果として悪いものを集めてしまったのではないかと、彼はそう推測している。
「私の力は言ってみれば、不確定性の波の中から浮かび上がった、その上澄みを認識出来る程度なのですが、それなりに当たりはするもので。一応、『あくまで占いだから』と断った上で診断して、悪い結果が出た時は『ご自身の行動でこれは変えられます』とも言っているのですが、悪い占いが当たる程、逆恨み的な憎悪は溜まっていてもおかしくないです」
「それはまた……占う側としてはやってられないんじゃないか?」
問えば彼は笑いながら、
「慣れてしまいましたよ。それにどちらかと言えば興味深くもありましたねえ。人間、自分に都合の良いように解釈するもんだ、と。人間観察は嫌いじゃないんです」
そう言って水の切れた食器を拭き上げ、棚に収めていく。食器類は彼のチョイスで買い集めたものだそうで、色も形もヴァリエーションに富んでいる。収納し辛い為か、平積みではなく縦に並んでいるのが特徴的だ。
「それに、そもそもですが『予知』自体がそういう影響を受けやすい可能性が高いのです。マナの影響を受けやすい、というのとは少し違うのですが……。まあそれも、この『浜辺』を整備して定期的に浄化出来るようになったお蔭で、解決しましたがね」
彼の話によると、術式を通じてこの浜辺とマナを入れ替える事で、毒抜きが出来るのだという。その度謎の生き物に凝る為、それはそれで面倒ではあるらしいが、別段悪さをする訳ではないらしい。
「お見せしましょうか」
席を立ち、メルキュールが木製の冷凍庫から干物を一枚取り出す。既に開いてある為原形は判り辛いが、上半分が丸っこく、身体の中程から左右に二本、触腕らしきものが伸び、下半分はそのまま真っ直ぐ円筒形を開いたような具合だ。大きさは二、三十センチといったところか。蛸の類に思われる。
「炙ると独特の旨味が出ていいですよ。『海坊主』って呼んでるんですがね」
皆が興味を示して卓を囲む。ダイフクたちは純粋に食べたそうに、レイは食材そのものに食いついていた。シドも「海坊主って言うくらいなら、折角だから元の姿を見てみたいのう……」と、名前そのものに反応している。ウキクサの頭になんとなく浮かんだそれのサイズ感と比べてみても、確かに目の前のそれは小さくはあった。生きている状態を目にしたいという点では、他の訪問者もシドと同様であった。
「まあそれについては、後程お見せ出来ると思いますよ」
言いながらメルキュールは『海坊主』を冷凍庫に仕舞うと、
「では、『占い』を希望される方は?」
そう言って一同を見渡した。何人かの視線が交差するも、なかなか手は挙がらない。胡散臭い、という訳ではないのだろうが。それでもユーリが「折角なので」と一番手を買って出ると、緊張した面持ちでメルキュールに正対して座った。
「――さて、先程もご説明申し上げたように、私が分かるのはあくまで上澄みの部分だけです。なので多くの場合、個別の事項に関して深い事までは分かりません。別段知らなくても差し支えがないと思われるような事ばかり言う可能性もあります。そこはご了承下さいね」
「分かりました」
「では両手の平を上に」
ユーリが言われた通りに両腕を卓の上に伸ばすと、白髪の男はその手首を掴み、僅かに目を細める。どうやらマナを巡らせているようだった。十秒程そうして、彼は手を離すと、「楽にされて結構ですよ」と終わりの合図を送る。
「あの、もう大丈夫で……?」
「はい。早速聞いてみますか?」
「あ、はい、宜しくお願いします……」
「お一人でお聞きになりますか? それとも皆さんと聞かれますか?」
「あ、じゃあ、一人で」
「分かりました。では皆さんは少々お待ち下さい」
言ってメルキュールはバルコニーの方へユーリを案内する。お誂え向きに小卓と脚の短い椅子が二脚置いてある。
「あの年代の子は、流石に人前で言われるのは嫌がるか」
「そりゃそうでしょ。私だって嫌よ」
「そういうもんかねえ」
「儂くらいの歳になると、もはや開けっ広げにして貰った方が気も楽なんじゃがのう」
などと益体もない話をしている内に、二人が戻ってくる。ユーリは神妙な顔つきだが、それでも僅かに頬が紅潮していた。何か良い結果でも出たのかも知れない。
「他に希望される方がいれば」
ぽつぽつと手が挙がる。シア、ウキクサ、カルミアの三人だ。レイとワムジールはそもそも興味が無さそうで、ダナンは「怖いからやめておく」と苦笑混じりに手を振った。シドは信念があるようで、「どうせ老い先短いんじゃから、この先起こる楽しみをわざわざ前もって知りたいとは思わんよ」との事だった。
シアの腕を取ると、メルキュールは、「どう表現していいか、難しいですね」と薄目を開けたまま、
「貴方は旅の果てに、恐らく遠い所に行ってしまうでしょう。それは避けられない宿命のようなものに思われます。それ以上の事はかなり混線していまして……残念ながら分かりかねます。短期的な事を言うなら、恐らくそこの妖獣さんの力を借りて、何かを手に入れるでしょう。それは旅の途中でも重要な要素になりますし、旅の終わり近くでも重要になるでしょう。こんな所でしょうか」
「ふむ、ふわっとしておるのう」
「まあ、人は指針や指標を求めたがるものですから、この位の方が良いのかも知れません。自分を占いに縛られる事ほど馬鹿げた事はないと、そう私は思っています」
「占い師がそんな事を言って良いのかえ?」
「まあ、実際は予知能力者ですから」
そう言ってメルキュールは笑った。
しかし『そこの妖獣さん』ことダイフクの力を借りるとなると、例の精製している薬の類だろうか。後で生きている『海坊主』にお目に掛かれるようなニュアンスの事を言っていたから、或いはそれが関係しているかも知れない。
「ではウキクサさん」
呼ばれて腕を差し伸ばすと、随分と質感のあるマナを感じる。変な話、細いワイヤーが身体の中を這っているような、そんな独特の感触だった。
「……向こうで聞かれますか?」
メルキュールがこちらに一瞥を向ける。むしろそうしろとでも言わんばかりだった。悪い結果か、でなければ余程プライベートな事でも出たのかも知れない。
「……ここで構わないよ。好ましくない観測が出たとしても、皆の前の方が却って意識もするだろうし、一人で変に思い詰めるより余程マシさ」
ウキクサがそう言うとメルキュールはくつくつと白髪を揺らしながらくぐもった声で笑う。
「成程、面白いお方だ。貴方はシアさんとはある意味真逆なんですね」
「真逆?」
小首を傾げるカルミアに、
「シアさんは明確な目的を持って旅をされています。成し遂げなければならない事柄、具体的な対象があるのでしょう。自ずと旅は、その時点で終わります」
「そういう事は儂の番の時に言って欲しいのじゃが」とシアがツッコむのを無視して占い師は続ける。
「しかしウキクサさんは、旅そのものが目的な部分が大きい。他者に示せる具体的な成果ではなく、有体物ではないもの、自分の中に、或いは他者との間の何かに、答えを求めていらっしゃる」
「……まあ、否定はしないさ」
実際、旅で何か具体的なものを欲している訳ではない。仲間や絆という言葉も、やはりどこか他人事だ。……距離を置いていると言う方が正しいかも知れない。
「貴方は何かしらの答えを得るでしょう。それがどういったものかまでは見えませんが、少なくとも納得は得ているようです。シアさんと同じく、そこの妖獣さんが大きな要素になりそうです。ああ、具体的な物で言うと、仮面には気を付けて下さい」
「仮面?」
「トラブルに巻き込まれる可能性があります。仮に巻き込まれた場合は、貴方自身も仮面を被ると上手く切り抜けられるでしょう」
「……それは、比喩的な意味か?」
「いえ、物質的な意味のそれですね」
言うとメルキュールはカルミアに視線を向け、「外で」と彼女が即座に返す。二人がバルコニーに消えると何となく弛緩した空気が流れた。
「思っていたより、あっさりしていますね」
レイが思わずそう口にするも、シドが「いや」と真剣な眼差しで、
「これが『占い』なら何の問題もないじゃろう。それこそ適当に、好きなように受け取れば良い。じゃが彼奴がやっておるのは『予知』じゃ。奴自身言っていたように行動で結果はある程度変えられるのじゃろうが、それでも蔑ろにはしない方が良い」
バルコニーで交わされている言葉は板硝子越しでは聞こえてこない。読唇術に秀でた者なら或いは多少分かるかも知れないが、基本的に二人とも背を向けている為それも難しいだろう。ややあって二人が立ち上がり、硝子越しにこちらを手招きする。
「『海坊主』をお見せしましょう」
メルキュールはそう言い皆を浜辺に誘うと、やおら波打ち際に膝をつき、呼吸を整え始める。
低く吸って、吐いて、吸って、吐いて――そしてゆっくりと、細く息を吸い続ける。
それが頂点に達したところで砂に埋まり始めた両手から、呼気に乗せて墨のようなものが滲み出してくる。
(……あれが、『海坊主』の素?)
息に乗せて、止め処なく溢れてくる黒い墨。三十秒以上は続いているだろうか。やがて墨の代わりに緑色に光るマナが流れてきて、そこでメルキュールはようやく相好を崩すのだった。
「小一時間、二時間くらいは掛かります」
つまりは他の二人の作業が終わるのとほぼ同時という事だ。或いは計算かも知れないが、こちらとしては『海坊主』を見ずに帰る事は出来ないだろう。シアが『予知』でダイフクの力を借りる必要性を仄めかされているからだ。ダイフクの力を借りる、更にそれで何か手に入れるという事は、それはダイフクの精製する『薬』である可能性が高い。直近でそれが出来そうなのは、『海坊主』以外にないだろう。
「じゃあ、また自由時間って事かな?」
問えば彼は首肯しつつも、
「でも泳いだりするのはオススメ出来ません。『海坊主』が抱き着いてくると思うので。波打ち際辺りまでなら大丈夫でしょう」
そう言って引き上げていく。カルミアは最前と同じく、ユーリを引き連れパシャパシャと渚をあちらへこちらへ駆け回り、今度はレイやワムジールとビーチバレー擬きでも始めるようだった。ウキクサはダナンやシドと一緒に、審判兼交代要員として浜辺に座った。
(……偶にはこういうのも、悪くないか)
そう思いながらウキクサはぼんやりとボールの軌道を目で追う。時間の無駄であるとは、不思議と思わなかった。
そうして大欠伸の後にうつらうつらとし始めて――カルミアに一発お見舞いされて苦悶の表情を浮かべるのだった。
――――――
客人がビーチバレーに興じる様を、メルキュールは階上のバルコニーから見下ろしていた。ぼんやりと彼らに視線を注ぎながら、頭の中では最前客人を占った際のやり取りが浮かんでいた。
「……貴女は、自分が納得するという事を大事にされますか?」
そう問うと相手は「ええ」と答えた。
「思考と決断というものを尊ばれる」
「そうかも知れないわね……なに、占い師じゃなくて本当はカウンセラーだったりする?」
僅かに眉を寄せるカルミアに、
「いや、失礼しました。……予知で分かる事柄は人や時によって様々なのですが、波のように感じる事もありまして」
「相手の気質が何となく分かる、って事?」
「平たく言えばそうなります……貴女がこれから為されるだろう事を鑑みて、一応お聞きしておこうと思いまして」
「へえ……?」
挑戦的な眼差しで見てくる女に、メルキュールも目を細める。
「『四枚の捩れた金貨』に行き合ったら、それが頃合いだとお思い下さい」
「『捩れた金貨』って、どういう――」
「言葉としてそのまま頭に浮かんだものですから、申し訳ありませんが説明のしようがありません」
言われてカルミアは困惑気味に軽く頭を掻く。タダでさえ金貨は硬いものなのに、それが捩れている事などあるのだろうか。白髪は次いで、
「気不味い思いをする事もあるでしょうが、その時は素直に、自分の思ったようにするのが良いでしょう」
カルミアは、「私の気質的に?」と苦笑を浮かべるも、「覚えておくわ」とそれなり真剣に受け取ったようだった。
「――ん?」
足元の感触に自分を取り戻す。そこには二匹の妖獣がいた。彼らはビーチバレーの方には混ざらず、自分の後を追って上がってきたようだった。
「……占ってみるかい?」
何となしそんな言葉を漏らすも、彼らに伝わる訳もなく、またそもそも妖獣相手に力を使った事もない。
それでも足元で大人しくしている二匹に思わず彼は手を差し伸べ、遊び半分に軽く山猫へ『予知』を使ってみる。瞬間――
「…………っ!」
思わず跳び退きそうになったのを、メルキュールは意志の力で押さえ込んだ。
白髪の男は頭に浮かんだものの正体をどう受け止めれば良いか分からなかった。
それは黒い瘴気に包まれた、沼のような場所だった。人っ子一人いないどころか、他の生物の気配も希薄。
そんな沼の真ん中から、ぷくり、ぷくりと泡が浮かんでは弾けている。
普通なら泥中で何か反応でも起こしていると考えるのだろうが、メルキュールには得も言われぬ確信があった。
『あそこに何かいる』と。
それが良いものなのかそうでないのか、そこまでは彼の力では知り得ない。
――しかし真に彼の心を揺さ振り、思わず跳び退きそうになった理由は、別のところにあった。
それは山猫に力を使った瞬間流れ込んできた、止め処ない悲しみ、絶望に似た感情の波だった。それに飲み込まれていないのが不思議なくらいの――
メルキュールはひとつ被りを振ると、静かに妖獣二匹を撫でる。顔には彼自身どう形容すれば良いか分からぬ、憐みに似たものが浮かんでいた。
「……お前さんもそうかい?」
ダイフクも読むと、山猫と同じ反応を示していた。頭に浮かんだ像は、テト以上に不明瞭だ。
「……申し訳ない。君たちの未来は見通せなかった。ただ、苦しみは……伝わってきたから」
ダイフクもテトも、何の事やらと身体をくねらせると、程なくバルコニーの椅子の上で寛ぎ始めた。
寄せては返す波は、僅かにその色を変じ始めていた。




