43.錬金術師と解析学者
浜辺は異様な緊張感に包まれていた。ほんの少し前まで紐状の光がユーリにゆっくり巻き付いていたのが、突如として締め付けるような勢いで、次々彼女を覆い隠し始めていた。びっくりして紐を取り落とさなかったのは、ひとえにメルキュールの「慌てなさんな」という言葉のおかげだろう。
「幸い、あちらさんと揉めなかったという事でしょう。薄くなっていた存在が戻ろうとする力というのは、いやはやなんと美しい事か」
緑に発光する紐は間断なく彼女に巻き付いては溶けてゆく。そうしてやがて彼女自身が、同じ緑に発光し始める。かぐや姫も斯くや、という強い光だ。辺りには潮騒の音が、柔らかく寄せては返していた。
「……手元の紐が」
各位に与えられた紐が、溶けて消えてゆく。そして消えた端からユーリに吸い込まれ、一層彼女を覆い隠してゆく。
全ての紐がなくなる頃には繭のような形になり、煌々と輝きを発していた。それが佇む様は異様で、彼女が無事なのかも分からない。
「光が収まってから確認しましょう」というアルゴの言葉を受けて待っているも、なかなか光は収まらない。十五分程が経過して、ダナンは落ち着きなく右往左往し、シドはその様を呆れ半分に眺めながらも、やはり腕を組み小さく指で拍子を刻み、傍目にも気が急いているようだった。
残りの皆は、思いの外冷静だった。妖精組はメルキュールと目の前の現象について論議し始めるし、カルミアは山猫と光に見入っている。
意外と言ってはなんだが、レイも普段の調子と大して変わらない。少し驚きはしたようだが、それだけ、という感じだ。或いは、『そういうもの』と割り切っているだけなのかも知れないが。
ようやく光が収まり始めたのは、強く発光し始めてから三十分は経った頃だった。ユーリを包んでいた厚い光の層が次第に薄らぎ、やがてその中から彼女の姿が現れ、ゆっくり瞼が開かれる。
目の前にはダナン始め皆が並び、心配そうな眼差しを向けていた。
「……大丈夫か?」
何が、とはダナンは言わない。彼自身、何と言うのが正解なのか測りかねるのだろう。
娘の姿は先刻と変わりない。
だがそれは『外身』の話であって、重要なのは『中身』の方だ。
「何て説明したらいいかな……」
ユーリは頬を掻くと、父親に向かって、
「カスタネットってあるでしょ?」
「うん?」
「二つで一組の、アレ」
彼女は白砂の上に指で描くと、紐で繋がった部分を消す。
「片方だと音が鳴らないけど、モノとしてはカスタネットで……そんな感じだったのかも。……何が言いたいかって言うと」
指で紐を再び繋げると、彼女は幾分顔を赤らめながら、
「……ご心配、お掛けしました……」
そう言って恥ずかしそうに、そして申し訳なさそうに顔を伏せるのだった。
ダナンが娘を引き寄せる。力強く、温かな抱擁だった。それが今まで父親の抱えていた葛藤、苦悩の大きさを端的に示していた。外野からも「良かった」と思わず安堵の吐息が漏れる。
「記憶はどんな感じだい。あと身体の不調とかは」
カミールが彼女の足元から何かを拾い上げながら訊く。腹巻きのようなもので、びっしりと文字のようなものが刻まれている。
「身体の方は大丈夫です。記憶に関しては……両方、ありますね」
訊けば『こちら側』で行動をともにしていた時の記憶と、『あちら側』での記憶、ともに残っているらしい。人格としては、今いる人格に二つの独立した人格が飲み込まれたのではなく、元々彼女を構成していたものが分たれていたのが再度溶け合ったようなものであるらしい。平たく言えば、『元通り』というやつだ。
「ありがとうございます」と彼女はカミールらに深々と腰を折る。「どう、お礼をしていいか……」
「いやいや、ただのギブ・アンド・テイクなんだから、そんな事されると却って恐縮する」
言って彼は最前の腹巻をヒラヒラさせて、「覚えた」とアルゴに向かって放ってみせる。そうして再びユーリに向かって、「こっちは十分な礼を貰ってるんだから」
曰く、そこに記されているのは術式の一種で、謂わばプログラミングに近いものであるらしい。『大いなる流れ』に近付かなければならない為、薬を作ろうにも、今まで如何ともし難かったのだとか。
「……」
「どうした」
何とも言えぬ表情を浮かべるカルミアに気付きウキクサが訊くと、彼女は小声で、
「脈なし、なのかなあ……」
そう言ってユーリとレイの間を視線が行き来する。
確かに、レイは一見した限りでは平静そのものだった。無関心に見えない事もない。もう少し心配しても良さそうなものだが……――いや、これは自分の事を棚に上げているな。
ウキクサはそんな事を考えながら被りを振ると、
「まあ、そんな事はないかも知れんぞ」
「って言うと?」
「余裕の一種だと見る事も出来なくはない」
「楽観的ね」
「自分が関わってないからな」
そう言うと、カルミアは軽く肩を竦めた。
ユーリは他の面々と言葉を交わしていた。シアは呵々大笑しながらバシバシと背中を叩いていたし、シドも涙を隠すようにそれに乗って気持ちの良い笑い声を発していた。メルキュールは改めて彼女に握手して感謝の意を表している。レイもいつの間にかそのすぐ傍にいて、
「おめでとう、と言うのも違いますかね」
苦笑いのような表情を浮かべて言うと、彼女の方も同じような顔で「ふふっ」と漏らす。
「形容するのが、難しいです。……でも、ありがとうございます」
そう言って満足気にひとつ頷いてみせるのだった。
「……あー」
「どうした」
「これは、玉砕覚悟かなあ。相手がどう思っていようと、『行く』って決めてるわね。いつ実行するかは分からないけど」
「……楽しそうだな」
呆れ声を後に残して、「おー」とユーリに向けて手を挙げながら歩み寄る。そうして彼女はこちらに向けて軽くお辞儀をしてみせるのだが、
(……カルミアの言う通りかも知れんなあ)
その立ち姿からも、何か吹っ切れたような明るさが彼女の裡から滲み出ているのが分かる。
「まあそっちの方は大丈夫だが、こっちはこれからまた七面倒臭い仕事が山程あってな」
深い溜息を吐きながらカミールは親指で海を指差し、「まあゆっくり海水浴でも楽しんでくれ」
そう言って彼自身は階上に引き上げていく。計算式がどうとか何とか、ぶつぶつと呟いているようだった。アルゴも打って変わって忙しそうに、地階の扉の奥に消えて行った。
「二人の仕事は、鮮度が命なもので」
メルキュールはそう言って頭を掻く。三人がどのように役割分担をしているのかは分からないが、ともかくそれぞれの仕事に取り掛かったという事だろう。殊にアルゴは、例の腹巻きみたいなものを渡されていた。魔術由来のものであるなら、時間制限があってもおかしくないだろう。
「で、どうします? 海水浴? それとも――」
「それは後でも出来るし、差し支えなかったら二人の仕事を見たいんだけど」
そう言ってニッと笑みを浮かべたのはカルミアだ。当初は時折見せるこの直裁な言動にも閉口する所があったが、流石に慣れ、今では幾分好ましくさえ思えてきた。まだ短い付き合いではあるが、早くも毒されているのやも知れない。
メルキュールは「構いませんよ」と軽いノリで返してくる。無茶な要望に思われたが、彼曰くその程度で仕事の質が落ちるような二人ではないらしい。尤も、勝手に決められて流石のアルゴも、「まあ、別に構いませんが」と苦笑いを浮かべていたが。
彼の仕事は『加工』や『配合』であるとの事で、地階は丸々大きな工房になっていた。試験管が並んでいる所もあれば、大鍋もあり、屋内なのに薬草やら何やら栽培もされていた。最前話していた紅茶も、或いはここで茶葉が育てられたのかも知れない。
「彼は一流の『錬金術師』ですよ。もっと稼ぐ口はあるでしょうに、何故かここに居着いてしまいましてねえ」
「酷い言い種ではありませんか」
笑ってメルキュールに返しながらも、手元の作業は止まらない。流れるような所作で薬品を取り出し、それを『腹巻き』に揉み込み、直火にかけてから再度別の薬品に浸す。正直、何をやっているのか皆目見当がつかない。何を作ろうとしているのか、どのように治療に役立つのか、興味はあったものの本人に「それはまた後でのお楽しみで」と言われてしまった。
内階段を登り一階に上がると、丁度奥の一室からカミールが出てくる所だった。仕事を見せて貰えないかと言われ僅かに眉を顰め、それでも「正直俺の仕事は面白くも何ともないよ?」と珈琲片手に室内へ一行を導く。
彼は『解析』のスペシャリストであるとの事で、室内には数式のようなものが並んだ紙束が、あちらこちらに散らばっていた。白板らしきものにはそれらとは凡そ無関係の、昼食のメニュー表が貼り付けられている。
「まあ、ただ三半規管はおかしくなるかもね、最初は」
問題は、部屋自体が球を刳り抜いたような形状をしており、カミールが天井から話しているという事だ。重力を無視した作りは想像以上に感覚を混乱させるようで、ウキクサもカルミアも思わず片膝をついてしまうのだった。
「悪いけどまだ解が出ていないから、相手は出来ないよ」
言いながらカミールは、珈琲を壁に直角に置く。当然のように溢れたりはしない。ますます宇宙ステーションのそれに似ているが、生憎こちらはそれに適応出来るような訓練は受けていない。
早々に辞去して階上に――最初に通された二階の一室に戻る。窓から見える白砂はやはり美しかった。
「さて、どうされますかね? 二人は暫く仕事に掛かりきりになりますし、かと言って私が皆さんを宝鐸までお連れする事も出来ませんので……。夕刻までには目処がつくと思いますし、宜しければカミールの言っていたように、海水浴などして時間を潰して頂けると。――ああ、昼はアラビアータになりますが、食べられない方はいらっしゃいますか?」
そんな具合でシアはシドとともにアルゴの所に見学に行き、残りの面々は結局言われた通りに浜に下りる事になった。テトもダイフクも、上機嫌に海に突っ込んでゆく。彼らは彼らでなかなか身体を動かせられる機会がなくて、溜まっていたものを発散するのには丁度良かったのかも知れない。
海に浮かんでいると、ここがあの草原だらけの世界と地続きなのだとはどうにも思われず、何とも言えぬ非現実感に襲われる。
それはワムジールも同じようで、「詩歌にするのにはもってこいの情景ではあるんだが……」と、さしもの吟遊詩人も自身の置かれた状況に困惑の方が勝っていた。
レイは翼を広げ、気持ち良さそうにバシャバシャと泳いでいる。偶には広げないと、彼もストレスが溜まるのだろう。
女性陣はどうしようか悩んだ挙句、波打ち際で引いては返す波と戯れていたが、足を取られて尻餅をついた辺りから色々と気にならなくなったのか、気持ち良さそうに海に入ってはしゃいでいた。
「娘のあんな楽しそうな表情を見るのは、本当に久し振りだよ。……親としては情けない話だがね」
いつの間にやら傍まで泳いで来ていたダナンが、感慨深げにそう口にする。
「……別に、親が子の事を何でもかんでも知っている必要はないだろう。その距離感はその距離感で大事だと、俺はそう思うがね」
「そうかい?」
「まあ、それこそ十人十色なんだろうがな」
「そういうもんかねえ」
そんな事を言っていると沖からダイフクたちが戻ってきて、得意そうに口に咥えた魚をこちらに見せてくる。ハギの仲間だろうか、青地に尾と胸鰭は黄色く、南洋の魚といった風情だ。どうやら自分たちで食べるのではなく、こちらにくれるようだった。二頭の機嫌良さそうな泳ぎ方からして、狩りに満足したのか、或いは単に誰かに見せたかっただけかも知れない。加えてそれぞれ明らかに危なそうな蛍光色の海藻が背に貼りついており、時折美味そうにそれをくちゃくちゃと食んでいた。
「……食い過ぎには気を付けろよ」
言うとそれぞれ分かっているのかいないのか、お辞儀らしきものをした後カルミアたちの方へ行ってしまう。そうして程なく、遠目に二人が山猫の背に跨っている姿が見られるのだった。
「目の保養だな」
ウキクサの頭の上に乗ったワムジールが呟く。
「否定はしない」
そう返すと、吟遊詩人はニヤリと笑った。ダナンは変わらず感極まったような眼差しを愛娘に向けている。
「仲良き事は美しきかな、とでも言うべきでしょうかねえ」
声の方を振り向けば、そこには浮き輪を使ってぷかぷか漂う、サングラスを掛けた白髪の男の姿があった。レイも一緒だ。
「うちは男所帯なものですから。やはり華があると違いますねえ」
「あれ、俺たちと一緒で大丈夫なのか?」
「今はまだお呼びじゃないもので。差し当たり、食事の準備くらいでしょうかねえ」
そう言ってメルキュールは笑う。他の面々と違い、流石に彼は水着を着て、浮き輪にサングラスと準備万端だ。これで浜辺にカクテルでもあれば、常夏のリゾート地といった感じになるのだろうが、「アルコールはありません。下戸なもので」との事だった。尤も、他の二人は飲もうと思えばウワバミ並に飲めるらしいが。
「いやあしかし、羨ましい限りですな。綺麗なお嬢さん方と旅が出来るなんて。私も早く呪いを解いて、向こうで自由を満喫したいものです」
「……呪い?」
病気と呪いでは、随分とニュアンスが変わってくる。というより、そんなもの、実在するのか? 困惑の表情を顔に浮かべていると、
「薬を提供して下さる皆さんに隠し立てしても、しょうがありませんから」
そう言って彼はサングラスを上げ、皆に向けて軽くウィンクしてみせる。正直どうリアクションしていいか分からない。
「薬が出来るまで、暫く掛かります。宜しければ食後にでも少しご説明致しましょう。後はまあ、暇潰しになるかは分かりませんが、ちょっとした占いのような事も出来ますので」
言って彼は立ち上がると、白砂へ引き上げていく。「そろそろ作らなければ」との事で、昼食の用意に取り掛かるらしい。
「ひょっとして占い師か何かなのか」
背中にそう問うと、彼は一度立ち止まり、軽く後ろを振り向くと、
「『占い』ではありません」
続いてニッと笑ってひと言、
「『予知』です」
不敵にそう宣うのだった。




