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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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42.巻き直し

『ギャップの浜辺』は、言うなれば第六界層内に作られた擬似界層だ。「マナの不均衡を利用して……」と何やら小難しい事をメルキュールが言っていたが、イメージ的には球の中に入っている小さな球であるらしい。と言っても、完全に切り離されている訳ではない。荊の回廊を通じて繋がっている為、マナの循環もあるし、それを利用して環境設定を――浜辺を作り出している。「いやあ、やはりトポロジーは偉大です」と言われるも、別段数学に傾倒している訳でもないので意味合いはふわっとしか分からない。彼らがここで起居し、活動の基点にしているという事だけは確からしかった。

「ユーリさんの症状、及び『巻き直し』についてですが……」

 アルゴが話を引き取ると、『ユーリ』に向かって、

「まず確認なんですが、今、術は使えますか」

 彼女はややあってから、

「使ってみようかと思った事もあったんですが……繋がりが切れてしまうような気がして」

 つまり、実際に行使まではしていないということだ。アルゴは興味深げにそれを聞きながら、「では、術は使わなくていいので、試しにマナだけを集めるか、その『繋がり』に流し込んで頂く事は可能ですか?」

「それなら多分、影響はないと思うので……」

 言われて『ユーリ』がマナを集め始めて――

「……?」

 おかしいな、と小首を傾げる。今度は瞑目して集中するも、やはり困惑した表情でアルゴに、「いつもより集まるマナの量が……明らかに少ないです」

「やはりそうですか」

 首肯してアルゴが言うことには、

「ユーリさんは今、存在の力が薄まっている状態なのです。なのでマナが上手く集まらず、術を行使出来る閾値に達していないのだと思います」

 例えば、とアルゴは自らの空になったカップに白湯を満たす。

「この白湯があなたで、マナが茶葉だとします。あなたは茶葉から成分を取り込み、結果として紅茶という味、色や香りのする術を顕現させます。ここまでは宜しいですね?」

 ユーリだけでなく、一同が頷く。感覚的には良く分かる話だった。

「ではこの白湯の、『存在が薄くなる』とはどのような状態だと思われますか?」

「えっと……白湯の量が少なくなる……のではないのですよね?」

 その通り、とアルゴは頷き、

「白湯の量は変わりません。ただ、白湯がそこにある、という状態が、相対的に薄まっている事で、出力が落ちているのです」

 何時ぞやシアに教えて貰った『組成率』の話が思い出されるが、それとは似て非なる話なのだろう。

 アルゴはやおらカミールのフードに手をやると、「ちょっと拝借」とそれを引いてみせる。するとフードが音もなくパーカーから外れて彼の手の中に収まった。カミールは別段気にするでもなく、ズルズルとアイスコーヒーを啜っている。

「通常の状態をこのフードのようなものだとすると、今のユーリさんはこれが紐くらいに引き延ばされたような状態と言えるでしょう。或いは、毛糸の糸玉のように凝集しているか、それが半分程伸びているか、といったところでしょうか」

 ぎゅっと丸めた状態から、フードの紐を有り得ないほど長く伸ばしてゆく。成程、視覚的にも感覚的にも、どちらの方が本体(・・)に存在感があるかは一目瞭然だ。

「逆に言えば、そのように糸玉から長い糸を出すのが得意な方ほど、伸びきってしまいやすいのだとも言えます。ご自身とご家族の術適性には、その辺り何か心当たりはおありですか?」

 問われて思わず『ユーリ』は黙り込むも、「祖父と父が同じような適性を持っておる」とシドが自ら口を開き、「私の場合は『酒下し』で意識を持っていかれた事があります」と父ダナンが答える。

 他の界層ではどうか分からないが、少なくともこの第六層ではその手の情報はそう秘匿するものでもないのだろう。いや、まずもって家族を助けに来ているのだから、『医者』の質問に答えるのは当たり前か。

「……確かに私の術適性は、遠隔操作に強いです」

 ふむ、とアルゴはひとつ頷いてから、

「糸玉から糸が伸び出ている場合、通常であれば簡単に巻き直す事が出来ます。糸玉それ自体が回れば、その回転力で簡単に巻き取れますよね? ですがそのサイズが小さいと、回転力も小さければ、巻き取れる面積も小さい。相応の力やマナの操作技術を要するのです」

 言ってアルゴはカミールの肩に両手を当て、元通りにフードを取り付けてみせる。成程、少なくとも彼はかなりの技術を有しているようだ。

「だからこそ、巻き始めというのは難しいものなのです」

 砂浜を眺めながら、珈琲片手にメルキュールが続ける。

「複数の人間で、分散しながら力を掛けて、徐々に巻く。言葉で言うのは簡単なんですが、これを実行するのがまた難しい」

「具体的に、私たちは何をしたらいいの?」

 カルミアの問いに彼は振り返ると、

「一定量のマナを出しながら、同時にそれに力を加えて頂きたいのです。まあ、実際にやってみれば分かりますよ」

 バルコニーから眼下を見下ろせば、白砂の上には術式が描かれていた。中央には丸く人一人分の何も描かれていない空間が用意されている。

「あそこに立って頂いて、徐々に糸を模した紐を巻き付けていくのです」

「ミイラ作りみたいなもんだな」

 とカミールが混ぜ返すと、メルキュールもハハッと笑い、暗に似ている事を認めた。逆に『ユーリ』はそれを聞いて、何とも言えぬ表情を浮かべている。まあ、客観的に見ても、かなりシュールな光景だろう。思うところがあってもおかしくはない。

「心の準備が宜しければ、すぐにでも始められますが」

 再度アルゴが話を引き取り、ユーリに訊ねると、彼女はすぐに肯きを返した。とっくに準備など出来ている、と言わんばかりに。そう、彼女の眼差しも語っていた。

「宜しい!」

 メルキュールが手で膝を打ち、

「では砂浜へ降りましょう。若干暑いかも知れませんが、長くとも二十分見て頂ければ終わると思いますので」

 外階段の扉を開ければ、青空は広く、エメラルドグリーンの海はきらきらと輝いていた。白い建物と相俟って、ギリシャか、或いはカリブのどこかにいるような錯覚さえ覚えた。

 千畳、三条に宝鐸と続けて見て来たが、それと比べてもここは飛び抜けて現実感がない。変な話、肌に感じる光の熱量も、指の間に潜り込む砂の感触も、本物過ぎて困惑を覚えるくらいだ。

「それでは皆さん、陣の外周に沿って、等間隔に並んで下さい。ユーリさんは真ん中へ」

 紐を何本も持たされたユーリが、描かれた隘路を通って中央に立つ。アルゴがひとつ、指をパチンと鳴らした瞬間、外周に向けて放射線状に紐が伸びていた。準備はそれで終わりなのか、皆はそれを持たされると、「じゃあゆっくりと、マナを流し込んでみて下さい」と言われる。魔法はシアに一通りの手解きは受けているものの、最近は使い所がなかったから上手くマナ操作が出来るか不安だった。それでも紐は特別製なのか、さしたる抵抗も覚えずマナが滲み出していく。

「紐を捻り上げていくイメージを乗せてみて下さい」

 言われた通りに念じてみると、次第に紐が淡く発光してくる。上手く出来ているか、視覚的にも分かりやすい。

「あまり強過ぎず、流し過ぎない方がいい感じかな?」

 ワムジールの声がする方を向けば、妖精二人は流石に魔力が強いからだろうか、ギラギラと輝くような光を発している。彼らにしてみれば、これでも落とし加減なのだろうが、それでも過剰なのが否めない。「魔力自体を引き絞るような感じで」と言われ、ようやく穏当な光になるのだった。

 逆にカルミアや自分の所は、慣れないせいか出力が足りていない印象だったが、それは浜辺で傍観していた妖獣二匹の力を借りる事で解決された。

「じゃ、始めるよ」

 カミールの平板な口調とともに、『浜辺』の三人がそれぞれ描かれた術式にマナを注ぎ込んでゆく。その字だか模様だか分からないものが赤く浮かび上がり、かと思いきやそれらが中央に立つユーリの足元に流れ込んでゆく。

「後は俺らが外周を歩けばいいのか?」

 問えばカミールが、「いや」と返す。ならユーリ自身が回転するのかと問えば、それも違うという。

「ユーリさん、深く目を閉じて、手繰り寄せるようなイメージで、『繋がり』にマナを流し込んで下さい」

 アルゴに促されユーリは目を瞑ると、自身の内にマナを注ぎ始める。歯車を回すように、ゆっくりと、力強く。すると彼女の身体の周りに、微かに何かが浮かび上がってくる。暫くは判然としなかったものの、やがて形が明らかになってきて、

「紐か」

 手に持ったそれと同じ形状の光が、ぐるぐると彼女の周囲を巡り始めた。かと思いきや、それが彼女の足元に貼り付いて、瞬く間に溶けてゆく。ユーリ自身は瞑目したままだ。

「巻き始めたようですね」

 メルキュールが言う。

「後は上手く本体に触れられれば、良いのですが」

「本体?」

「彼女の言うところの、『本物』の事ですよ。実際は彼女自身も間違いなく『本物』なのですが、存在の力が薄まっている為、そうと感じ取れなくなっているのでしょうね。マナの流れの反影で、どうにか自分の存在を確立している状態です。まあ、今探している方の『本物』も、同じような状態でしょうがね」

「お互い、自分が偽物だと思ってる、って事か? それ、大丈夫なのか?」

「そんな時の為に、人数かけて少しずつ釣り上げる訳ですよ」

 大型の海洋魚でも釣り上げるかのような言い種に、思わず顔が綻ぶ。一筋縄ではいかないという意味では、成程と首肯せざるを得ないが。

 一方、ユーリの方に変化は見られない。尚も紐状の光が巻き付き、溶けていっているが、変わらず深く瞑目したままだ。

「彼女を信用しましょう。一応、旅のお仲間なんでしょ?」

 メルキュールが悪戯っぽく片目を瞑ると、皆僅かに表情を緩めるのだった。



 ――――――



 気付いたら闇の中は風が凪いでおり、私は鏡面のような水面の、その上に立っていた。それでも八方からさらさらとした流れのようなものは感じ、しかしどこからどこへ向かっているのかは判然としない。微かに緑色の光が見える事から、そちらが上流(・・)なのだろうと思われるくらいだった。

「……暗い」

 ユーリの呟きは、忽ち闇の中に吸い込まれてしまう。

 ここに彼女は一人きりだった。恐らくこれが、『内面世界』というやつなのだろう。そう思って彼女は光の方へゆっくりと歩き出す。『彼女』のいるだろう、その方向へ。

 徐々に光は増してゆき、やがて光の奔流となる。

 青緑に輝く、圧倒的な存在感の奔流。

(……何だか、怖い)

『大いなる流れ』と呼ばれるそれ。この世界に通底するのが、その奔流だった。

 大河のようなそれは一見近くを流れているようだが、実際にはかなりの懸隔がある。言うなれば、天の川のようなものだ。

 斜めに流れる奔流(・・)は水面に反射して、得も言われぬ美しさ――畏敬と表現する方が正しいかも知れない、そんな感情をユーリに抱かせた。

 と、鏡面の中に何かを見つける。流れとは明らかに動く向きが異なっていた。

 こちらに向かってくるそれは、水面の上には姿がない、影のみの存在であるようだった。――いや、そちらを影と断じるのは尚早か。自分の足元にも、自分の姿が映っていない。こちらが影の側ではないという保証など、どこにもないのだ。

 やがてそれは人の形を描き始める。背格好の限りでは女であるようだった。あまり見覚えのない――だが明らかに知っているシルエット。

「……何だか、不思議な気分」

「私だって。……初めまして? それとも、久し振り、の方がいいのかな」

「専門家の見解では、私たちは同じ存在らしいよ」

「なら、挨拶するのも変な話かもね」

 そう言って、『二人の』ユーリは鏡面に映る相手と笑みを交わした。

「でもこれで、ようやくホンモノの私に身体を返せる」

「それはこっちの台詞」

 鏡面の中にいるユーリがこちらに向けて首を傾げる。

「あなたの方が本体よ。ようやく迷惑を掛け通していたのが終わるわ」

 そう言って水面の中のユーリは安堵の表情を浮かべる。

――成程、祖父の言わんとしていたのはこういう事か、と水面に立つユーリはようやく腑に落ちていた。

 私だが私ならざる者。加えてそんな私ならざる者であっても自分自身だという意識がある者。

 問い掛け自体が矛盾しているのだ。

 人は鉄の塊ではない。その時々で思考も行動も、価値基準も移ろうものだ。それだけ曖昧な存在なのだ。

 だからこそ、アルゴの言葉を借りるなら、『存在が薄まっている』から、自分を自分と感じられないのだろう。それだけの話で、わざわざ自分を否定する材料にしたって、しょうがないのだ。

「あなたは自分を偽物って言うけど、私も自分の事をそう思ってたわ。……でも、少し考えを改める事にする」

「改める?」

 向こうのユーリが僅かに眉を顰める。

「だって私たちがお互いに偽物だ、とか言っていても始まらないじゃない? お祖父ちゃんも、結局どちらも『私』なんだから、って言ってたし。だから私たち二人とも、本物って事でいいんじゃない? それが嫌なら、二人とも偽物で、一緒に本物の身体を手に入れましょう、って」

 ふふっ、と向こうの彼女は笑い、

「それなら別に無理矢理私を連れ出すのでもいい筈でしょう。それを敢えて説得してまで理解を得ようとするのは……いや、『納得』を得ようとするのは、不思議だけど、間違いなく、『私』ね」

 苦笑ともつかぬものを浮かべると、向こうのユーリが屈んでみせる。次いで、手をひた、と水面に向けて触れるのだった。

 決して大きくはない手の平が、水面の上に映る。こちらのユーリも自分の手の平を広げると、鏡写しに浮かぶそれと見比べるのだった。

「……もうちょっと話してたい気もするけど、多分、心配掛けてるから」

「そうね。……まあ、なるようにしかならないかな」

 二人は言い合うと、くすりと含み笑いを漏らした。

 目の前の存在は、自分の友達ではない。

 敵でもない。

 見栄を張りたくて、でも張れない、そんな存在。

 ならばせめて在り方くらいは自分(・・)にとって正しくありたかった。

 でなければ、素直でありたかった。

 それが出来る、唯一の相手なのだから。

 こちらのユーリは屈むとひと言、

「……好きになった相手の相談くらいはしたかったかなあ」

 そんな嘆息をつきながら、手の平を重ねる。

 瞬間、水面で分たれていた世界は合一し、ユーリの足元には正しく反影として自分の姿が浮かび上がる。――と、それを見て思わず彼女は自分の頬に触れた。

「成程、客観的な答えね」

 再度彼女はそう呟く。どこか嬉しそうな調子ですらあった。

 足元には、どこか困り顔の中に笑みを浮かべた、そんな彼女の姿があった。そう思う間に急速に『流れ』が遠ざかって――そうしてユーリの意識も、眼前の光景も、瞬く間に白い光の中に飲み込まれてしまうのだった。

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