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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
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41.荊の回廊を抜けて

 右、中央、瞬き、左下、中央、瞬き、瞬き、下、瞬き――


 白髪の男の目が上下左右に素早く動いては、『是』『否』を瞬きで確定させてゆく。男の正面三、四十センチのところで半透明の文字盤を持ったパーカーが、目線が合いやすいよう軽く屈み、男の『声』を確定させてゆく。両者の動きは洗練されており、とても一朝一夕で身につくものではないだろう。

『驚かせたかな』

 文字盤を通じて逐次パーカーが代理で『声』を『言葉』に変えてゆく。

「ええ、率直に言って……。薬の製造は……」

 ダナンが問えばすぐに男は、

『協力者はいる』

 とそう答える。成程、漠然と単独で製造しているのだろうと思っていたが、その部門は別個に存在するのだろう。男がこうである以上、実働部隊の存在は必須だ。

「確認だが、『酒下し』の製作者で間違いないか」

『然り』

「単刀直入に伺いたいが、どうすれば娘は元に戻る」

 ダナンの言葉に男は一度瞑目して、

巻き直す(・・・・)には、現地に行くのが良いだろう』

「現地とは?」

『実際の製造者がいる所だ』

 そう言って男は続ける。

 曰く、製作者である彼とは別に、製造を担当する者が居るという。『酒下し』の扱いに最も長けている人物だ。その人物と協働して、分かれてしまったユーリの半身を引き戻すのだという。「危険性は」と問うと、『大丈夫だ』との事だった。何をもってそう言えるのか、似たケースの経験があるのか分からないが、自信ありげな様子にダナンも小さく息をつく。『巻き直し』なる治療が如何(・・)なるものなのか、自分たちにそこまで開示していいのか問うと、男は僅かに目元を緩ませ、パーカーに目顔で説明するよう促す。

「……まず、我々も皆様と会う事にメリットがあるから、今ここにいます。尋常な案件では決してこのような対応を取る事はありません。そこに関しては、そのように信用して頂くほかありませんが……。巻き直しに関しては、複数の人間の力が必要なんですよ。多いほど安定するので。というより、シドさんはご存知の筈ですがね。だからこそここまでの大人数を揃えていらっしゃったんだと、そう推察しますが?」

 皆がシドを見れば、彼は「ホッホッホ」と笑っている。成程、家族でもない者を積極的に巻き込む理由はそれか。

「秘密をバラすとは思わないのか」

「それを損失だとは考えていません」

 バラす事によるメリットがない、と彼は言う。移動経路は術を用いた使い捨てのものなので辿れない。目にしたものを巷で口にしても、ただのホラ吹きに見られる可能性があるし、そうでないとしても却ってそれが『酒下し』というものの神秘性を高める事になる。

 そして驚くべき事に、彼らは自らの存在を隠匿するつもりがないという。現行の販売体制は、製作者である目の前の男の身体的事情から発しているのだとか。仲介役であるパーカーと、製造部門と。余計な介入を避けるには、そういった役割分担が丁度良く、また大切でもあるのだと言う。

「ここ十年程で何人かの商人とも交渉したけど、彼らはダメだったね」

 十年前から交渉の場に立っているという事に驚きを抱くも、ひとまずそれは措いておく。

「ダメって、何がダメだったんだ?」

 問えば彼は車椅子の男と、苦笑ともつかぬものを向け合う。

「当たり前だが、彼らは金儲けをしなければいけない。別にそれはいい。人間、カネがなければ生きていけないし、健全な経済活動ってやつだからな。だが、それではこちらの目的が達成出来ない」

「目的?」

 カルミアが問うと相手は真剣な眼差しで、

「この『薬』は、そもそもこちらの製作者先生が、自身の進行性の症状を和らげる為に開発されたものだ。商会に主導権を握られたら、本来の病理解明より利益を優先されてしまう。この界層の商会は言うに及ばず、第五界層の商会も、研究開発の重要性を説いて動いてくれる奇特な連中だとは思えない。それに前者はそもそも資金力がない。後者は資金力はあっても、自らの界層へは持ち帰れない。また仮に第五界層で製造出来たとして、こちらにフィードバックがある保証はない。販売力はこちらの数倍だろうが、その分危険性を唱えられた時にこちらが身動きを取れなくなる可能性すらある。我々の目的は、治療に役立ち得るデータを収集する事だ。それが出来なくなるかも知れない賭けに出るつもりはない」

「……そのデータは、集まったのか?」

 ウキクサが問うと、パーカーは『ユーリ』に向かって両手を広げる。『ここに』という意味だろう。

「研究で重要なのは『意識』を引いた時のデータを得る事だが、そもそも『意識』を引く者の割合は、かなり低い。偶に引く者がいても、持続時間は短い。適性のある者だけが、長時間の離脱を成し得る。……そしてそうなった者は、自分の状態をどうにかしようと、必ず私たちに接触して来る」

 つまりは計算尽くという事か。聞けば『酒下し』の主作用と一般に言われるアルコールの分解は副作用の方で、六識の方が主作用であるらしい。巷間で売るようになったのは、程良く広まり、かつ研究に値する現象を観測する為。「丁度『いい塩梅』なんだ」と彼は言う。

「あの……」

「何だい?」

『ユーリ』が戸惑いながらも、慎重に言葉を選びながら、

「つまり、こちら側の治療の代わりに、新薬開発に協力して欲しい……という事でしょうか?」

「概ねその認識で間違っていない。というより、君の治療の過程で新薬云々は解決されると思うから、重く捉えなくてもいい」

「はあ……」

「……警戒するのは理解出来る。だがこちらもどうにか彼を助けたい。協力して貰えないだろうか」

 暫し間があった後、「分かりました」と『ユーリ』は協力の意を示した。ダナンとシドは何も言わない。いや、言えないのだろう。この地には訴え出られるような『トップ』が存在しない。治療法らしい治療法が現状他にないのであれば、不安はあっても彼らの話を信じるより外なかった。

「すぐに出発するのか?」

「差し支えなければ」

 パーカーが荊のアーチへ足を向けた所で、ウキクサは欄干の上でのっぺりしている相棒を思い出して、「行く前にちょっと訊きたいんだが」とそのぷよぷよした流線形を頭の上に乗っける。「ここの草って、ここにしか生えていないのか」

「そこまで教える義理はないが――」

 パーカーはちらと車椅子の男に視線を投げ、ゆっくりとした瞬きが一回、返される。『是』ということだ。

「ここだけじゃない。この手の場所は、複数ある」

「なら、コイツに食わせてやってもいいか?」

「食うって何をどのくらいだ」

「逆にどこまで食べて大丈夫だ?」

 言うと相手は意味が通じなかったのだろう、「うん?」と首を捻っている。

「何かソイツが欲しいものがあるから分けてくれ……って事じゃなくてか」

「そっちに問題がなければ、多分ここに生えてる草、殆ど食っちまうと思うぞ」

 ダイフクは普通の草花も食べるが、薬草を好んで口にする。他に『人魚』や『鎌鼬』もぺろりと平らげて、それらから薬を精製している。この先どれくらいの間一緒にいるか分からないが、ダイフクの食欲を満たしつつ、薬の充実を図るのは、プラスにこそ働けど、マイナスになる事はない。

 呆けた顔を浮かべるパーカーの背後で、くつくつと微かに老人が笑いを漏らす。そうして文字盤を使ってパーカーに伝えたところによれば、

「……他の拠点にも植えてあるとは言え、根こそぎにされるのはこちらも困る。そっちが欲しいと言った十から十五種類くらいなら、それぞれ半量ずつまで食って貰って構わない。却ってその方がすっきり整理されていいかも知れん……との事だ」

 半ば呆れた様子でそう返されて、「それでいいな?」と肩に乗るダイフクに言い聞かす。ダイフクは相変わらず分かっているのかいないのか、縦横にうにょうにょ伸び縮みして、四阿から菜園へ飛び降りた。程なく例の緑変した花弁の植物やら、パッと見ただの雑草にしか見えない草やらを、次々体内に取り込んでいく。菜園には次第に、ダイフクの食べた跡が斑らに浮かび上がってくる。満足げにゆっくり帰ってきたダイフクは、『じゃあ行こうか』とでも言わんばかりに先陣を切って荊のアーチをくぐっていった。

 パーカーの視線はその食べ跡と白く丸いシルエットの間を胡散臭げに行き来して、また車椅子の男は声にはならぬがくつくつと含み笑いで微かに揺れていた。意外に彼より、パーカーの方がお堅いのかも知れない。というより、『酒下し』なんてものを作り出しているくらいなのだ。愚直なだけの人物である筈がない。

 荊のアーチは幅が広く、進むに従って右に緩やかなカーブを描いている。どこか知らぬ、御伽噺の世界に迷い込んでしまいそうだ。……まあ、今いるこの世界からして、御伽噺のようなものなのだが。

「……長いわね」

 カルミアが思わずそう漏らす。既に五分ほどアーチの中を進んでいるが、未だ果ては見えない。先導する二人は慣れた道なのか平然としているが、他の者からすれば担がれている(・・・・・・)んじゃないかと思い始めても無理はない。

「……これ、今どの方向を向いているか、分からないですね」

 レイの言葉にカルミアが頷く。道は緩やかに弧を描き続けていた。このまま歩けば元の場所に繋がりそうだ。

「あ、あの……」

 と、前を歩いていた『ユーリ』が、自信なさげに通ってきた道の奥を指差す。

「見間違いじゃなければ……(ねじ)れて、ますよね?」

 振り返ると確かに、通ってきた筈の道が僅かに『(かし)いで』いる。遠目から見ても明らかなほどの傾きだ。奥で左に切れる所では、道の左端を基点にして、三十度近く右側が上がっている。正面に向き直り目を凝らしてみるも、こちらは何の異常も感じられない、至って普通の道になっていた。

「術を巡らしてあります。結界のようなものと思って頂ければ」

 パーカーがそう言えば、「宝鐸にこんなものが繋げられているとは、業腹じゃのう」とシドは苦い顔を浮かべていた。「して、いつになったら到着するのじゃ」

「直に、見えてきますよ」

 道の先が開けてくる。

 そこは住宅らしき建物の、中庭であるようだった。陽光の降り注ぐ庭は種々の植え込みに囲まれて、コの字形になった白壁の一辺、二階のバルコニーから、中央に真っ直ぐ階段が下りている。何か術を施してあるのだろう、そこを車椅子もするすると登ってゆく。

「……この匂いって……」

「……まさか潮風か?」

 ふわりと漂う潮の香り。海猫の鳴く向こうから、微かに波の音も聞こえてくる。

 果たして登り切ってみれば、開け放たれた二階の部屋の向こうに、白い砂浜が見えた。

「……どうなってる?」

 つい半刻前まで、宝鐸の街にいた。それが長い回廊を通り、菜園を経て、荊のアーチをくぐったと思ったら目と鼻の先に海がある。当然宝鐸は海辺の街ではないし、近くに海があると聞いたこともない。

 ダナンも困惑の面持ちで、寄せては返す白波と紺碧の海に視線を送っている。この界層に海はあるのかと小声で聞いてみれば、「あったら毎年遊びに行くんだがね」との事だった。

「どこじゃ、ここは」

 シドが聞けば、

「我々は『ギャップの浜辺』と呼んでいます」

 低く、渋味のある声がどこからともなく聞こえた。

 誰の声かと思っている内に、パーカーが車椅子から手を離す。そして――そこに座っていた人物がすっくと立ち上がった。

「あまり先までは泳げませんので、その辺りはご注意下さいね」

「……あんた、騙してたのか?」

 製作者の男は大仰な仕草で「とんでもない」と返しつつ、「ただ自由に動ける場所もある、というだけですよ」

 そう言って壁際の高そうなデスクに片腕をつく。卓の上には化学式だか数式だかが並んだ紙束が乱雑に放り出され、マグカップから溢れたのだろうか、珈琲のシミのような丸い跡が幾つかその上に残されている。

「紹介が遅れましたね」

 製作者は姿勢を正しながら、

「改めまして。私が『酒下し』の製作者、メルキュールと申します。そして彼が――」

 とパーカーのフードに手をやって、

「仲介人のカミールです」

 フードを下ろした仲介人の頭には、小さく白く、角のようなものが生えていた。髪の色が黒い為、フードや帽子で隠していないと目立つだろう。彼――カミールはフードを下ろされても別段気にする風でもない。宝鐸で被っていたのは土地柄を考えて、という事か。

「基本的に外部とのやり取りは、全てカミールがやってくれていましてね。この一角を除いて、私は上手く身体を動かせないもので。本当はもう一人、ウチの製造担当がいるんですが……まだ寝ているようなので叩き起こして来ますね」

 言って室を出た所でメルキュールが立ち止まり、「立ち聞きしてたのかい?」と笑い声を上げた。

 現れたのは身長が二メートルもあるかという大男だった。肌の色は黒く、パリッとしたスーツに包まれた身体は引き締まっている。銀縁の眼鏡をかけており、理知的だが一筋縄ではいかないような印象を受ける。……というより、この世界にもスーツ、あるんだな。ある意味その事の方が衝撃的だ。

「アルゴです。宜しくどうぞ」

 差し出された手を握るが、指の関節がこちらより一つ二つは長い。

「皆様がメルキュールの話していたお客人ですね。ようこそ、歓迎致します」

 物腰柔らかで、人当たりが良い。呆れた表情を良く浮かべるカミールと、若干人を食ったようなメルキュールとは好対照だ。

「すぐに『巻き直し』に取り掛かりますか? それとも少し休まれますか?」

 アルゴの言葉にシド一家は互いに顔を見合わせる。ユーリを元の状態に戻す為にこんな所まで来ているのだから、当然早いに越したことはないだろうが……

「まずは、もう少しこの場所の説明と、あんたらの言うところの『巻き直し』がどういう作業なのかを教えて欲しいものじゃな」

「ごもっともな質問ですね。そこの二人はその辺りの説明をしていなかったという事ですね。いやはや怠慢とは、困ったものです」

 笑顔は崩さずさらりと毒付く男に、他の二人が心外だと何やら抗議している。三人の関係性は上下関係とはまた違うもののようだ。

「では飲み物をお持ちしますね。紅茶と珈琲、ホットとアイスが出来ますが」

「あ、じゃああたしはアイス――」

「因みにホットの紅茶は私が育てた極上の茶葉になります。香り、味ともに申し分のない、かつオーガニックな育て方をしているので、必ずや満足して頂けると」

「アイ――」

「そこらで売っているような粗製濫造品とは格の違う、豊かなフレーバーをお楽しみ頂けますよ?」

「……」

 この男もなかなかクセが強いのかもしれない。

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