38.老爺と変異
ダナンの母であるターシャは、恰幅のいいご婦人だった。孫娘を見るや抱き締めさんざ泣き始めたのには虚をつかれたが、基本的に明るく、陽気に笑うところといい、どこかダナンのおかみさんを彷彿とさせる。並べば恐らく二人の方が親子だと思うだろう。
「ハハッ、シドとダナンに任せておけば万事問題なしよ。大船に乗ったつもりでいな」
彼女の生まれは第四異界、つまり『こちら』のネイティヴであるらしく、シドとは第五で知り合ったらしい。
「ユーリの方が一段落したんだったら、料理は私に任せて、お客人と話したらどうだい」
常はシドも料理に腕を振るうらしいが、当然彼女もシドがマレビトから話を聞きたがる事は承知している。
そしてその細かなニュアンスを察したのだろう、レイが『ユーリ』と手伝いを買って出て、肉や野菜の下処理を始める。ターシャは喜び嬉々として調理をし始め、『ユーリ』も疑う事なく一緒に手伝っていたが、カルミアがレイの後ろ姿を見てひと言、
「溜まってたのね」
同感、とウキクサとシアは思った。レイは当然善意で手伝ってはいるのだろうが、それと同等かそれ以上に、元料理人としての血が騒いでいたのが見て取れる。魚を捌き、肉に下味をつけて、少し時間が出来たと思ったら根菜に飾り包丁を入れる様は、まさに本職の手際良さだ。それを見てターシャも次第に興が乗ったのか、次々とレイに仕事を投げる。対照的に『ユーリ』はその横で何とも言えない表情を浮かべていた。或いは自分の技術と比べているのかも知れない。因みにダイフクとテトは処理されて残った骨やらを競うようにバリボリと食べていた。
「さて……晩餐までは少しばかり時間がある。差し支えなければ、このジジイと少しばかり話に興じて頂けないだろうか」
「……向こうでの身の上話は遠慮させていただきたいが」
「勿論それで構わんよ。元より個々の事情を詮索するつもりはない」
「……なら、どういう事なの?」
「忠告じゃ」
言ってシドはマレビト二人に真剣な目を向ける。
「勘違いするでないぞ。別に儂は自分の意見や考え方を押し付けるつもりはない。倅含め多くの者は儂らの世代をもっと狭隘な思想・精神の持ち主だと思っておるようじゃが――――いや、事実そういう者も増えてしまっておるか。嘆かわしい事じゃが」
シドが被りを振る。ウキクサはどの位の割合が『そういう』狭隘な考えの持ち主なのか、と聞こうとして、口元でそれが言葉に変わる前にやめた。レイの店にまでその手の連中が来ていたのだ。シドの反応から見ても、それなりの割合である事は疑いない。老爺は溜息をつくと、「最早それが拠り所になっているのかもしれん」
「大戦の時期に多くの人が流れてきた、って聞いたけど」
「そうじゃな」シドは顔を上げて、
「あの頃『向こう』から第五界層及び第六界層に流れてきた者はかなりの数になるのじゃが、その多くが当時まだ草原しかないこの地に街をつくるのに参画した」
儂もその一人じゃ、と老爺は笑う。
「この街を歩いていて、何か気になる点はあったかね」
「気になる点?」
宝鐸の西門からこの路地に至るまでの道を思い返してみる。
「アスファルト、土、石畳……ツギハギ的というか、割と無計画につくられたのかなあ、と」
「その通りじゃ」老爺は頷くと、「それでいて皆が皆こういう集合住宅に住みたがって、魔術の力を借りてまで建てたのじゃから、そこが変というか、面白いのじゃが」
カルミアの言っていた、同質性を求める話が思い出された。戦争で流れてきたのなら、文化的に同じ地域出身の者同士でコミュニティーを形成するのは容易に想像出来た。
「それら野放図に建てられたものを話し合って調整した結果、大小様々な無用扉やら、無用階段も生まれてしまった訳じゃが。――そうそう、そのような場所には不思議な力が宿ると言われておってな。お主らも機会があったら見てみると良い。十一号棟のあたりなど壮観じゃぞ」
「ちょっとした疑問なんだけど、やっぱり棟ごとに同じような出自の人が集まってるの? この建物にはこの地域出身の人、みたいな」
すると何故かシドは笑い出す。ウキクサもカルミアも何のことか分からぬまま困惑の眼差しを向けていると、
「ああいや、すまぬ、そうじゃな。当初はその向きが多かったが、途中からはそこまででもなくなったかのう」
「子世代が独立するようになってから?」
「それもあるが――」
シドはカルミアを見据えると、
「お主、儂がどこの出身だと思う?」
不敵な笑みを浮かべそう言い放つが、カルミアは半ば呆れた顔をして、
「何? クイズ? 今どき外見でどこ出身、なんて時代じゃないでしょ。混血の人だって当たり前にいるじゃない」
そう言われて今度はシドの方が逆に驚いたような表情を浮かべる。
「ほう、そうか、当たり前になったか」
「肌の色でどこの出身とか、だから扱いを変えるとか、私は馬鹿みたいに思うけど」
「全くもって同意じゃな。それで人の価値が変わる訳でもあるまいて」
卓の上に腕を投げ出し、シドはその日に焼けたような暗褐色に目を落とす。
「して、答えは?」
カルミアは軽く斜め上を見上げながら、「東南から南アジア、中東、南洋、北アフリカ、南米、北米ネイティヴ……のどこかかしら」
「随分と広いのう」
カラカラと老爺は笑い、「じゃが不正解じゃ」と腕を組む。
「儂の出身は呉――日本じゃよ」
「日本……一応聞いておくけど――」
「両親ともに県を跨いだ事もないような家の生まれじゃ」
日本人離れしている、とはウキクサの率直な感想だった。彫りの深さと言い、シドのニュアンスでも元よりこの姿形だった訳ではないのだろう。だとすれば……
「……変異か」
ウキクサがそう呟くと、カルミアは一瞬目を見開き、シアは逆に目を細め、そしてシドは、「ご名答じゃ」と頬の皺を深くする。
「この地で生まれた者にとっては『変異』は何ら驚く事でもないのかも知れんが、我らマレビトはそういう常識とは異なる場所から来ておる。徐々に自らの顔貌や体躯の変化に直面するのは、なかなかに参るものでな……。変わり方も肌の色から瞳の色、背丈体格、第三の目や翼が生えてきたりと――本当に様々じゃ」
シドの場合は肌の色と彫りの深さの変化で、一応の落ち着きはみたものの、尚変異は止んでいないのだという。
「もっとも、変異なのか単純に加齢故なのか、最近では分からなくなってきたがのう」
カラカラと笑ってはいるが、言っている事はなかなかにショッキングだ。加齢で自分の容姿が変わっていくのは人間の宿命ではあるが、誰しも好き好んでそれを受け入れている訳ではないだろう。ましてそれ以上に変わってしまうのであれば――
「「……」」
ウキクサもカルミアも、変異というものに対して、それなりに考えを改めなければならなくなるだろう。
自分が何を良しとするのか、どこまでを許容出来るのか、その判断を下す事は、単純な問題なのかも知れないが、だからこそ難しい。『自分』というものを、直視せざるを得ないからだ。
『忠告』とシドは言った。あれは、そういう意味だったのだ。
「『変異』に直面して、多くの者がショックを受けた。ある肌の白かった者は、黒くなった自らの身体に絶望して自裁したし、逆に白くなったある者は恐怖のあまり発狂してしまった。それでも多くの者は、そのような違いなどただの個性だと捉えた。まあ当然じゃな、こちらの世界で暮らす者の多様さを目にすれば、肌の色程度なんでもない事じゃからな。その手の同質性がなくなるに従い、誰が何処に住むかというのは瑣末な問題と化していった。しかし――」
珈琲をひと口飲んでから、
「それでも受け入れられない、という者はおる。決して少なくはない数じゃ。元より皆変異を嫌って作り上げた街じゃったからのう。来る途中街の外縁に家が見えたじゃろう?」
「ああ、確かに。打ち捨てられたものも多かったが」
「そこにそういった者たちが住んでいたのじゃよ。街中よりは他者の視線を気にせず済むからのう」
破れ窓の見える家屋に草花の絡みついたスクーター、機械仕掛けの案山子――それらの在りし日の姿が一瞬幻視され、何とも言葉に詰まる。――と、
「ダイフク?」
ダイフクが何故かシドに近付き、登っていいかと言いたげに心持ち上向きに伸びている。何となくシドは妖獣には忌避意識があるのではと思っていたが、案に相違して彼は躊躇いなくダイフクを抱き上げ、自らの膝の上に乗っける。
「愚息が三歳の頃の重さと同じじゃろうか」
一方のダイフクは何故かシドの腹部に張り付き、撫でられるに任せている。
「第五界層ではそれなりに見たが、こちらでは少ないからのう」
「今更だけど、妖獣って基本的にどういう扱いなんだ?」
「犬や猫に近いじゃろうか。といっても愛玩ではなく番犬や仕事の相棒的意味合いになるが。まあどちらにせよ人間を基準に考えない方がいい」
「どういう事?」
「生態系的な意味・基準で考えた方が良いという事じゃ。深層では、彼らがヒエラルキーの頂点に座する一帯もあると聞く」
なるほど、確かに自分たちもダイフクをペットのようには扱っていないし、その能力の高さも目にしている。食物連鎖の頂点にいると言われても、決して違和感は覚えなかった。というより……
「考えてみればあの森でも、お前たちが一番強かっただろうしな」
「森? この界層に森は少ないが、どの辺りじゃ」
「ああいや、第七の森だよ。俺たちはそこで出会ったんだ」
あの森を出てからどのくらいだろうか。八朔の実をもぎっていた頃が懐かしい。シドもそれには驚いたのか、「少し待て」と立ち上がりながらダイフクをテーブルに上げる。「確か第七発見時の記事を取ってあった筈じゃ、折角じゃから出して来よう」
そう言ってファイルが並ぶ一画の中から何やら探し始めた。『第七発見時』と言うからには、つまりはそういう事だろう。シアに訊けば凡そ半世紀前の出来事であるらしく、「当初の熱狂は凄かったんじゃがのう」との事だった。
「……ん? ダイフク?」
気付けば真っ白い妖獣は、こちらの足元まで戻ってきていた。何やら薬箱の中身を漁っている。……もしや。
「ダナン」
小声で呼び掛け、簡潔にひと言。「シドは、どこか身体が悪いのか」
息子の方は言われても何の事か分からない風だった。「まあ歳だからあちこち痛いだの、心肺機能が落ちてそうだの言っているが」
そういう事じゃなくて――と思っている内に、ダイフクが目当ての青い丸薬を見つけ出した。そして、
「面白い物を持っているのう」
資料を携え戻ってきたシドがそれを取り上げる。
ダイフクは黙って見上げている。単に丸薬を返して貰うのを待っているのだろうか。
「岩群青の類かのう」
「丸薬だ」
言うとシドの眉が僅かにピクリと上がる。
「おかみさんにやったように、ダイフクは治癒術が使える。あんたさえ良かったら――」
とそこで『そこまでじゃ』とでも言いたげに、手で制止されてしまう。
「……すまんが主義じゃ。心遣いだけ受け取っておこう」
「でも――」
「そこまでじゃ」
と今度はシアが、ウキクサに重ねて治療を勧めるカルミアを窘めるように口を挟んだ。
「何を良しとするか、何を信じるかは、各人の領分じゃ。儂らがどうこう言えるものではない」
目を細め腕を組んだまま、淡々と妖精は言葉を連ねる。やんわりと断ったシドの意を汲むならば、こちら側の説得しようとする行為はやはりただの押し付けにしかならないが……
「……親父、どこが悪いんだ?」
流石に皆がこれだけ言っていてば、如何にダナンでも状況が見えてくる。或いは気付きたくなかったのかも知れないが、直視せざるを得なくなる。
そして、『他人』からなら押し付けになってしまっても、『身内』からなら少し意味合いが変わってくる。
「……」
シドは黙って資料を卓の上に広げていた。が、流石に皆の視線に折れたのか、ひとつ、深く嘆息をつく。
「……腎機能が、少しばかり落ちているらしい。まあそれなりの歳じゃからな。少しばかりは致し方なかろう」
言って頭を掻く。続けて、「医者にも定期的に診て貰っていてな。まあ儂も気掛かりじゃし」
何処まで本当の事を言っているのかは分からない。ダイフクが自ら治療を申し出るレベルだから、決して彼のほのめかすように軽症ではないだろう。息子より色の深い肌の褐色、というより浅黒さも、臓器に起因するならば納得がいく。
しかし少なくとも、この場でそれを詳らかにするつもりは、シドにはないようだった。客人の前でするような話ではないと思っているのかも知れない。状態が芳しくないなら尚の事ダイフクの治療を受けて貰いたいところだったが、
「気持ちだけ、じゃ」
言いながら丸薬を薬箱に仕舞う様を見ると、何も言えなくなってしまった。
彼は『主義』と言っていた。あの手の薬で治療されると、変異が進行すると思われたのかも知れなかった。
ここはそんな変異を良しとしない者が作り上げた街だ。
変異を受け入れ長生きして元の世界に戻る、という考え方もあるだろうが、恐らくその辺りは彼にとって微妙なものなのだろう。
と、そこへ大皿がいくつも運ばれてきて、
「いやあレイ君凄いわねえ、私が若い頃だったら絶対に惚れちゃってるわ」
言いながらターシャが机の上に広げられようとしているものを片すよう、ダナンやシドに手で合図する。
「……後でちゃんと詳しく教えろよ」
「詳しくも何もないわい」
言い合いながら二人はティーカップや資料を片付ける。後は家族の問題――と割り切るのも、時には肝要だ。そう思う事に躊躇いはなかった。シド本人からして、『元より個々の事情を詮索するつもりはない』と明言している。こちらの触れて欲しくない所は避けてくれているのだ。向こうの詮索されたくない所に必要以上に口を挟む訳にもいかないだろう。
皆が食卓についていく。気安い言葉も飛び交う、団欒のひと時だ。
一瞬、『向こう側』での日々が脳裡をよぎった。もはや捨て去った日々の光景だ。団欒を見ていると、自分が『向こう』でやってきた事に果たして意味があったのか、そんな不安に苛まれそうになる。
被りを振って口に運んだスープは優しい味わいで、改めて家庭の味を思い出させるものだった。
ごく普通の、一般的な家庭で供される味。
ただそれだけなのに、ウキクサは胸の裡で鈍い痛みが走るのを覚えるのだった。




