36.ホウチャクソウの野原から
「……座り心地は、いいわね」
「そうだな……」
速い上に揺れが少ない、そんな快適な幌馬車の荷台で、対面して座るカルミアとダナンは言葉少なにそう発した。
中央に差し渡された長机には、シアとワムジールが気楽な様子で寝転がっている。縁が一段高くなっている為、落ちる心配はなかった。
人間二人の会話はそんな妖精二人のところで霧散したかのように立ち消えてしまい、それでも行間に滲ませた意味は他の面々には正確に伝わった。
(……確かに、変な錯覚に陥っているみたいで、どうにも落ち着かないな)
別段何か変な術を使われている訳ではない。サスペンション周りと馬具に、それぞれ衝撃吸収と疲労回復・身体強化の効果が付せられているのみだ。先日乗ったものよりも格段に揺れが少ないのは、或いはアリーのところで道具を仕入れたからかも知れない。
しかし揺れが少な過ぎるが故、視覚と認識が上手く協働してくれない。高速で田畑が後方に流れ去る様は、もはや尋常な馬車という乗り物からは逸脱してしまっていて、ウキクサやカルミアの感覚からすれば電車並み、もっと言うならモノレールやホバークラフトのそれと遜色ない。不安になってもしょうがないというものだろう。
三条を発って既に四、五十分は経過していた。御者の言葉が正しければ、既に道程の半分を消化している事になる。流れていくのは農地ばかりで、時折個人商店らしきものが見えるくらいだった。
「……代わり映えしない、と思うかい」
誰にともなく向けられた言葉は、ダナンの発したものだった。顔には苦笑とも諦念ともつかぬものが浮かんでいる。
「この界層の殆どは、こんな光景さ。田んぼ、畑、畜産――主産業がそれで、加工業がまだ発展途上だからな。そっちが追いつけば、もう少し色々と安定して、景色や街並みにも変化が生まれるんだろうが……」
「私は綺麗だと思うわよ。まあ、ここに住んでる人からすれば変化も何もない退屈な光景なんでしょうけど」
「そう言って貰えると助かる」と、そのようにダナンは返すが、先刻と比べても些か顔色が悪い。馬車に酔ったのでなければ例の『鎌鼬』のニクによるものだろうか。或いは……
「実家に帰るのがナーバスになってるでしょ」
「……」
つまりはそういう事だろう。別に人様の家の事情に立ち入るつもりなど毛頭ないが、突然押し掛けて大丈夫なのだろうか。そう問うと、「予め連絡は入れてある」との事だった。
「宝鐸はどんな街なのですか?」
レイが『ユーリ』に訊くと少考の後、
「千畳や三条、ここまでの風景とは、控えめに言っても毛色が違いますね」
「毛色が違う、ですか」
「はい――そろそろ、景色も変わってくると思いますよ」
言われて窓外を覗けば、それまでひたすら農地や草原、それ程起伏のない丘陵地形が続いていた中に、俄かに人工物が混じってくる。
それもただの集落やこれまで目にした街で見てきたような類ではなく――
「……二輪だ」
丘の上に佇んでいるのは、動かなくなって久しいのだろう、草に絡み付かれた二輪車、それもかなり旧式のものだった。遠目で自信はないが、形状は大昔の軍用に良く似ている。それが三つ四つ点在していると思ったら、次に現れたのは一目でそれと分かる、紛う方なき四輪の軍用車両であった。
「……大戦の時の越境者」
カルミアの言葉に、思わず黙り込んでしまう。
マレビトとして流れてきた者と、その子や孫の世代。
そこには明らかな懸隔があるだろう。ネイティブとして生まれたか否か。大戦を経験したか否か。見てきたものの経緯が違うのだ。考え方が同じでないのは寧ろ当然だろう。
子の世代であるダナンたちが上の世代にどのような反発をしてきたか。言い換えればそれは、ダナンたちがどのような街を作り上げてきたか、ということになる。
つまりはそれは千畳であり、三条であり、それぞれの家庭に見られる農閑とした風景だ。
(そしてその対極にあるのが、彼らの親世代ってワケか)
それを証するかのように、街の外縁が窓外を流れ始める。
……どうやら宝鐸の街は、千畳や三条とは明らかに毛色が異なっている。
一定間隔で現れる街灯は瀟洒な流線形を描いており、初めて訪れる者に特異な印象を与えるものだった。しかし壊れているものも多く、どちらかと言えば痛々しさの方が勝ってしまう。
家屋は一般的な洋風建築とも幾分佇まいが違っており、それでいて大半は明かりがついておらず、打ち捨てられたものも多い。地域として緩やかに崩れ始めている――そんな感想を抱かないでもない。
「あれが宝鐸――『軍艦島』と呼ぶ人もいます」
遠景に見晴るかす街のシルエットはまるで巨大な船影で、鈍色の空に向かって煤煙が立ち上っている。街の手前には青い花が群生しているが、疾駆する馬車の中からではそれが何の花なのかまでは知れなかった。
「ナガレホウチャクソウじゃ」
いつから見られていたのか、シアがそう言って起き上がる。こちらの様子は窺えても、寝転がったまま外の風景が見える筈はないのだが。
「どうして分かるんだ」
「耳を澄ませてみい」
言われて耳をそば立ててみるも、馬の息遣いや足運びの他は、大地に轍が刻まれているのかいないのか分からないような音が聞こえるばかりだ。
と、微かに違った性質の音が混じった気がする。
「リリッ、って高い音が鳴ったな」
「風が吹くとなかなかに気持ちが良いぞ」
言うや風が一陣吹き抜け、リリリッと軽やかな音がそこら中から鳴り響く。
「風鈴みたいですね」
「涼やかでいいじゃない」
「そうかい、俺くらいの世代にゃあこの音はあまり印象が良くないんだがな」
ダナンはそう言うと御者に、「寄ってくれないか」とだけ声を掛ける。相手もそれで通じたのか、黙って首肯すると速度を落として分岐路を曲がってゆく。程なくして姿を表したのは、低い石柱や石碑の並んだ一帯――墓地だった。
「随分と数が増えちまったな」
馬車を降りてダナンは寂しそうに見渡してから、奥に並ぶ一基の前で黙祷する。彼の祖父母のものであるという。ナクルムも同様に、向こうで祈りを捧げていた。
「……ここは宝鐸の人の?」
「まあな」
答えつつダナンは周囲の草花に視線を遣り、
「ガキの頃からこの花は、俺らにとっちゃあ亡くなった誰かを連想させるものでな……まあ俺らより下の世代とか外部の人間からしてみたら、そんな事はないらしいが。実際客観的に見ればこんだけの群生は綺麗だし、音も決して不快じゃあないからな」
言って『娘』の頭を軽く撫でる。『娘』は恥ずかしそうにしながらも、父親と同様、半ば困ったような表情を浮かべていた。
ユーリの記憶を保持した存在。
だけど別物であると主張する存在。
それでいて……父親に、早く娘を取り戻させようとする存在。
彼女の胸の内は、そして『父親』の胸の内は、余人では図り知れないだろうし、気安く踏み入って良いものでもないだろう。
これから何がどうなるかはまだ分からないが、ともすればそれは、彼女の消滅を齎すかも知れない。或いはその葛藤が、ダナンをここへ導いたのだろうか。
風が吹き抜けると共に、垂れ下がっていた淡い水色の花弁が舞い上がる。リリリリ、と軽やかな音を残して飛んでゆく様は、どうにも胸に迫るものがあった。
「……」
それを考え込むような面持ちで見ている人物がいた。
「シア?」
妖精は片手を上げ、「いや――」と言ったまま、最前のように熟考に沈んでしまう。
「どうした」
「いや……ちょっと思うところがあったのじゃが」
「思うところ?」
「軽々に口に出すのは憚られるからのう。……少し考えを纏めさせてくれぬか」
頭の後ろで手を組んで、そのまま妖精たちは連れ立ち馬車へ戻ってしまう。思うところがあるのだろう。御者ナクルムの祈りが終わるまで暫く、他の者は雲の晴れ間に溶け込む花びらに目をやっていた。
「雌しべには触れるなよ、毒があるから」
そう忠告するダナンの声は何処か間が抜けており、それで寸時、皆の間に弛緩した空気が流れるのだった。
軍艦島の船影が克明になってくる。草原は次第に植生を変え、やがて田畑の残骸らしきものが並び始める。放棄されてかなりの歳月になるのだろう、灌漑用の水路からは雑草が丈高く生い茂っていた。
「ホウチャクソウの名の由来はその形状で、寺院の破風に飾られる宝鐸――つまり風鐸に似ている事から、その名が取られたそうです」
「それが群生しているから、今度は街の名にも取られた、という訳ですか」
奥の方でレイが『ユーリ』に色々と訊いている。それもそうか、と思わず微笑を浮かべてしまう。レイにとってもこの界層は未知のものだらけだ。元が別の所から来たマレビトより、彼のように元からこちらの住人で、初めて界を渡ったときの方が、興味関心の度合いは大きいのかも知れない。向こうで言う海外旅行みたいに。
マレビトの側は同じ未知に行き合うにしても、ある意味それらに『素直な興味』を抱く余裕がない。新しい物事に対応するのに手一杯で、目の前に現れる諸々を、価値基準の伴わない、そういうものという概念で受け入れざるを得ないのだ。影に潜る生物、翼のあるヒト――枚挙に暇がない。いちいち必要以上に驚いては、こちらの身が保たないだろう。まあ、カルミアなんかは比較的、何事にも興味を示して訊いているが。
「え、何アレ」
そんな彼女が外を指差し怪訝な表情を浮かべる。見ればそれまで荒れた田畑だったのが、ちゃんと手入れのされた耕作地に変わっていた。
その片隅に明らかな人工物が佇んで――否、動いていた。大きさは人間大、色は目立つ白色だ。
「あれは……確か絡繰の案山子だったか」
「「カカシ?」」
ワムジールの言葉にダナンが首肯する。成程、確かに案山子が動けるのであればそれだけ害獣が寄り付きにくくなるので、理に適っているのかもしれない。他の肉食獣の臭いを染み込ませてあるなど嗅覚面での対応力があるのかは分からないが、少なくとも視覚面での効果は確実に一定程度以上はあると言って差し支え無いだろう。どういう原理で動いているのかは分からないが。
「あれがあると鳥獣被害が大幅に減るらしいからな……ホラ、街が見えてきたぞ」
街はその西側――進行方向真正面に、川を戴いている。比較的広い川だ。三条で見られた三つの川を束ねたくらいの川幅で、水質も悪くはなさそうだ。
そこに架かる橋は煉瓦造りだが意外に強そうな眼鏡橋で、街の西門と直結している。幅も広く馬車でもスムーズに行き交える程で、欄干との間には歩道まで設けられていた。
「……川幅が広いから、それなり『軍艦島』って感じがするな」
盛り上がった船影は各所に得体の知れぬ鉄製の構造物を有し、居住区らしき建物も見られる。建物の上には一部回廊が設置され、緑の盛り上がっている箇所もあった。
門は開け放たれていたが、詰所の警備員がじっと厳しい眼差しを向けてきた。ナクルムが、アリーに貰った紙切れ――恐らく通行証だろう――を示す。警備員の表情は変わらなかったが、こちらの面々を一瞥してから、通っていいぞと顎をしゃくった。
街の内部に入ると、そこは今までとは明らかに異なるにおいに満ちていた。決して快いにおいではない。しかし嗅ぎ慣れたにおいではあった。そしてそこに広がる街も、外から見て想像されたのに違わぬものだった。
「……ここだけ、『向こう』みたい」
カルミアがぽつりと呟く。嗅ぎ慣れたにおいは排ガスのそれ、眼前に広がるのは鉄筋で造られたと思しき住宅群だ。似たような建物は他の街でも見てきたが、不思議とここのものは一見して別物だと分かる。他の街と比べても明らかな異質さ――それが街中から発せられているのだ。
仕事のついでだったナクルムとは入口で別れ、ダナンが先頭に立って白っぽくなったアスファルトの道を進む。かと思えば地面が土になり、水溜りの向こうをまた少し進めば今度は石畳が現れる。
「はぐれるなよ。初めての人間は十中八九迷う」
街の外観からすると、あまり計画的な都市建設がなされたとは思われない。勝手気儘に建てては増改築を繰り返した、そんな印象を受ける。それでいて住人の数は先に見た二つの街より少ないらしく、通りの交通量にも明らかな違いがあった。場所によっては歩くのに他人と肩が擦れ合うほどだった三条に対し、宝鐸は多くとも視界に五十人といったところだろうか。
彼らは『余所者』の集団には軽く一瞥を送るだけで、別段話し掛けたりはしてこない。避けているのか関心がないのか、その辺りは微妙なところだった。通りは活気とは無縁で、空気は澱み、停滞している。
「電気が通ってるんだな」
「街灯の灯が電気なんて、不効率だと思うんだがなあ」とダナンは鼻で笑うが、効率云々は措いて、これは恐ろしく技術と労力を必要とするものだろう。維持するのにどれだけの手間が掛かっているかと思うと、賞賛こそすれ、笑う気にはならなかった。
大回りに道を登って、やがて小高い建築が林立する一帯が現れる。ダナンの表情は硬い。シアが「昔来たな」とウキクサの頭の上で何度も欠伸を漏らしていた。
「集合住宅……団地って呼ぶべきか?」
「その方が表現としては正確らしいな」
どれも五、六階建の中層建築、外壁は比較的色に富んでいるが、褪色してしまっているものが多い。駐輪場で埃を被った自転車やスクーターの姿も相俟って、辺りはどこか物悲しい空気が漂っていた。
その中のひとつにダナンは足を向け、階段を登り始める。エレベーターの類はないようだった。
「ダナンのご両親は、力になってくれるの?」
「俺に対してはどうだか分からんが、可愛い孫娘の為なんだ。喜んで手伝うだろうさ」
「『私』は、時々ですが母と会いに来ているので」
『ユーリ』が苦笑を浮かべるのを見て、何故だかこちらまで緊張してくる。いや、そもそも自分たちも一緒に着いて来て良いのだろうか。分を守るではないが、家族間のあれこれに自分たち外様の人間がいては、どうにもシマらないというものだろう。そう問うと、「寧ろ居て欲しいんだよ」と言われてしまう。
「ウチの親父は向こうから越境してきた人間だ。つまりマレビトだ、あんたらと同じ。時代は異なれど、同じ境涯の者には凄く親身になるのが常でな」
「ああ、つまり変に臍を曲げさせない為の盾だな」
「……表現については兎も角、意味合いについてはその通りだ」
成程、それなら納得だ。しかし可愛い孫娘の為に喜んで手伝う祖父母なら、多少の臍を曲げても問題ないだろう。そう思いカルミアと二人で苦笑を浮かべていると、先を進むダナンの足が止まる。見れば階段の先に老爺が立っていた。半眼でダナンを一瞥するや、「そういう事情で臍を曲げるも何もあるまいて」
そう言ってあからさまに嘆息をつく。言われた方は虚を突かれ固まってしまっている。という事はこの人が……
「放蕩息子の帰還、といった所かのう」
カカッと笑う様はダナンに良く似ている。いや、正しくはダナンが老爺のそれに似ているのだろう。
「シドと申す。愚息が世話を掛けているようで申し訳ないのう」
果たしてこの人物こそが、ユーリの祖父――そしてダナンの父親なのであった。




