35.鎌鼬
三条の宿で一夜を過ごし、翌朝一同は街の東側、馬車の乗り場に来ていた。地理的には、来る時に降りた無用門のあるサイドとは反対側になる。千畳との定期便は西側に、宝鐸へ向かうものはこの東側に配されているとの事だった。南北に設置すれば乗り降りに簡便だろうが、その辺りは路線が敷かれた順番という過去の時代的な経緯がまだ残っているらしい。
東側は馬車も待つ人の数も、西側に比して明らかに少なかった。「街の関係性が見えそうね」というカルミアの言葉が、恐らく現在の諸都市の実態に近いのだろう。それを聞きアリーが思わず困ったように自分の頭を撫でていた。
乗り場の向こうには橋が架かっており、少し下から澄んだ水音が流れてくる。――と、突如としてダイフクとテトがそちらの方に身を向けた。彼らが同時に反応した時は大抵何かしらが起きているものだが……
「!」
その正体に気付き、思わず息を詰める。
「どうかしたか」
「……少し訊いてもいいか?」
「何だ?」
「アレは、良く現れるのか?」
カイが指差した先には丸い影が浮かんでいた。『主』となるべき対象物の存在しない、『従』だけの、単体としての影。
皆すぐに反応を示したが、ウキクサとカルミア、シアのそれと、それ以外とでは、少しばかり反応に違いがあった。
「ああ、この川近辺では良く現れるな。見るのは初めてだよな?」
「いや、初めてじゃないが……ダイフクも出来るしな」
言われてダイフクが自ら影の中に潜ると、今度こそ驚嘆の声が発せられる。
「あいつらと同じ事が出来るのか」
「アレを除いて、初めて見たぜ」
「俺の元いた深層では見る事もあるが、第六界層でお目に掛かったのは初めてだな」
吟遊詩人に言われてダイフクが得意げに影から飛び出し、うにょうにょと伸び縮みしてみせる。一応テトも出来る筈だが、この場はダイフクに任せようとでも思ったのか、例の影に退屈そうな眼差しを向けていた。
「確かに隠遁能力のある妖獣は、この界隈では珍しいじゃろうが……して、あそこは何が現れるのじゃ?」
「何て言えばいいのかな」
「分からんのか?」
「基本、姿が見えないんだ」
そう言ってアリーは足元から礫を拾い上げ、ひょいと影に向かって放る。と、甲高い音とともに小石が宙空で弾き返された。
「こんな具合でな」
件のシミは音もなく消えている。人魚のそれと良く似ていたが、同時にそちらから風がふわりとそよいできた。
「隠遁出来るあやかしなのだろう……くらいの察しは付いても、実際見た事のある者となると少なくてな。見たという者も、『なんだか生きてる感じがしない』と言う始末で、得体が知れないから皆ああやって追い払ってる。殊更向こうが追い掛けて来たりなどしないしな。古い世代の一部では、『鎌鼬』って呼ばれてる」
「『鎌鼬』、か……」
成程、得体の知れなさと現象から、妖怪の名を貰ったのだろう。しっくり来るネーミングだと思う。
「アレが発生してる時は、近くにいると知らん内に切り傷とか出来てたりするから、気を付けな。不思議と血は出ないんだが」
そこまで似ていると、まさに妖怪のそれと思わないでもないが、ひとまずこれについては措いて、気になったのは――
「そいつら、日の光を浴びて大丈夫?」
それを聞いて、これからやろうとしている事を察したのだろう、カルミアとシアが呆れたように被りを振って、妖獣二匹も意味が分かったのか、逆に跳ねたりしっぽを振ったりしている。ダナンとアリーの現地組は、「何で知ってるんだ」と驚き顔でウキクサを見ていた。
「その通りだ。日に当たると干物みたいになっちまう。実は俺たちの世代なんかは、度胸試しで近付いて、生きてる姿を見たこともあるんだが。下の世代は干物の方も殆ど見た事がないだろうな」
「アレ難しいんだよな、透明になってるし。一瞬捕まえるだけでいいのに、風の刃が飛んでくるものだから、俺はどうしても捕まえられなかったよ」
言ってアリーが目を細める。
「まあ運の要素もあると思うしな」
「大きいのか?」
「いや、そんなに大きくはない。どちらかというとこう……」
言いながら肩幅くらいに手を広げて、「このくらいの体長でな。それこそイタチみたいにすらっとした感じかな」
なるほど、そのくらいならまあ手頃なサイズ感かもしれない。
「……で、やるのか、それともやらんのか」
どうせやるんだろうが、と妖精が嘯く。カルミアは、「後でひと切れ頂戴」と、ひらひら手を振っていた。
「人魚みたいに美味いといいけどな。それにダイフク用の素材が手に入るかも」
「日光で干物になるものはオッケーじゃ。あれはただマナの残滓が凝って形を成したものじゃからのう。姿や力が少し異なるのは恐らく土地の影響じゃ。――ああ、ダイフクらみたいに日の下に完全に出ても大丈夫な妖獣はまた別じゃぞ。というより、人間でもごく稀にその術を会得している者がおるからのう」
そのやり取りを聞いて、レイたちが小首を傾げる。
「あの、お話を聞いていた限りでは、これから獲って食べるように聞こえたんですが」
「その通りだぞ」
事もなげに言うと、レイも『ユーリ』も、現地の男二人も、四者四様に様々な表情を浮かべた。
と、山猫がおもむろに動き出す。影には潜らず、音を立てず、しかし堂々、のんびりと。それを受けてか、ダイフクの方は影に潜ったかと思いきや、大回りで新たに浮かんでいた『黒いシミ』の背後を取る。コンビプレーでもするつもりなのかも知れない。
「え、いや、アレって食べられるのか……?」
「俺はそんな話聞いたことないし、試そうとも思わないぞ……」
――などと外野がああだこうだ言っているが無視を決め込み、二匹がどう仕留めるつもりか、遠巻きに見守る事にする。
テトは常と変わらぬ風で、ある意味無関心にも見えるような気安さで、シミから十数メートルの所をのんびり歩いている。シミの色は決して濃くはない。上半身は出し切ってはいないものの、潜望鏡みたいに目から上だけを出している、そんな状態なのだろう。そのまま山猫は影から遠ざかり、二、三十メートルは離れたところで丸くなる。とは言え体躯の問題から、どう見てもネコ科の猛獣にしか見えない。実際そうなのかも知れないが。
影の色が濃くなる。見えてはいないが、恐らく半分以上は身体を出しているのだろう。そして――それはその瞬間、山猫に対する警戒度が下がった事の証左でもある。
当然ダイフクがその隙を逃す訳もなく、背後と思われる方――山猫側ではない方から静かに襲い掛かる。遠目で定かではないが、どうやら伸ばした身体の一部が、暴れ回る円筒状の何かを把持している。同時にダイフクは風の刃に見舞われているのか、激しく身体を波立たせていたが、如何程効いているのかは分からない。ダイフクにとっては、あの位は強いて避けたり防ぐ程でもないのかも知れなかった。そして攻撃をわざと受けるぐらいの余裕があれば――
「「……っ!」」
ダナンらが驚く間もない内に、テトがソレを弾き上げる。
イタチの姿が宙を舞い、日に照らされてその鉤爪がキラリと光った。あれで実際に攻撃していたのか、それともそこから真空波のようなものでも発生させていたのかは不明だが、地面に落ちるやあっという間にそれは干物と化してしまう。
「本当に獲っちまったよ……」
アリーは呆然と目の前で繰り広げられた光景の感想を口にするしかなかった。テトは嬉しそうに『鎌鼬』を咥えてはウキクサとカルミアの間を行ったり来たりしている。ダイフクの方は攻撃を喰らっていたと思われたが、その割に外傷の類は見受けられなかった。
「やっぱお前さんは物理には頗る強いな」
言うとダイフクが嬉しそうに飛び跳ねる。どうやら間違った事は言っていないらしい。テトは最終的に『鎌鼬』をウキクサの元に持って来て、「分けるが良い」とでも言いたげに姿勢良く座った。
「……もうすぐ馬車の時間だったな」
「ん? ああ、そうだな」
訊かれてダナンが時計を確認する。「あと二十分程か」
「ならここで炙って食べる時間はないな。まあどっちみちテトは猫舌だろうし……」
ナイフで切れ目を作りつつ、割いて幾らかをテトに渡す。
「内臓じゃなくても大丈夫か?」
言われても当の山猫は気にする事なく、夢中でニクにしゃぶり付く。
「ダイフクは逆に内臓ありでもイケるか?」
内臓の大部分が付いた部位を渡すと、こちらもまた嬉しそうに跳ねて身体の中に取り込み始める。残った数切れをウキクサが包み終える頃には、二匹は綺麗に骨まで完食しているのだった。
「何時間の旅程だったっけ」
「休憩入れて三時間強じゃったか」
「なら、これを食べるのは到着してからにするか。馬車の中で『人魚』の時みたいにのたうち回りたくはないからな」
「それに関しては問題なかろう。前に言ったかも知れんが、マナ酔いは基本的に一度経験すれば大丈夫じゃからな」
「そうか」
ならば遠慮は要らないというものだ。一切れを手で更に小さく割き、口に放り込む。
「……美味い」
『人魚』の味が思い出される。フォルムはそれなり異なるのに、不思議と味は似たものだった。或いはこれがマナの味なのかも知れない。
「わざわざ内臓付きをテトじゃなくてダイフクにあげたのは、薬の素材になるかも知れないから?」
「物は試しといったところだがな」
そう口にした側から、ダイフクがふるふる震えながらウキクサの手の平に乗っかり、深い青ないし藍に染まった石を落としていく。
「綺麗な色ね」
「小さいが、藍銅鉱みたいな感じだな」
例の薬箱を取り出し、空いている一室にそれを収める。草原を走りながら随分と素材を回収した為だろう、気付けば箱の中は界を渡る前と比べて、色も形もかなりバラエティに富んできた。丸薬状のもの、薄片、顆粒、中にはオブラートに包まれた粘性の高い松脂みたいなものもあった。
「全部名前が付いてるの?」
「いいや。正式な名称があるかどうかは不明だが、そもそもダイフクさえ分かればいいんだしな」
実際はシアもどんな効果かまでは分かるが、ダイフクのように直接患部に働き掛け薬の最大効果を引き出すのは難しいらしい。「その辺りは専門ではない」とは当の妖精の言だ。
「カルミアに使った『鷹の爪』を除けば、『薬草丸』とか『人魚の肝』とか、その程度だろうな」
「ならば差し詰め、コレは『鎌鼬の脾』といったところかのう」
「こんな綺麗な内臓があるなら乱獲されちまいそうだが……」
と、そこへ少し遠巻きに見ていた組が寄ってきて、「その肉、俺らにも味見させてくれないか」そんな事を言ってくる。自分としては別にケチ臭い事をするつもりはなかったが、彼らが受けるであろう影響の度合いについてどう評価すべきか、判断する為の知識を持ち合わせていなかったので、「シアはどう思う」と妖精に全振りする事にした。
「まあ主ら現地の人間は、この地で暮らしてそれなりに時を経ておるからのう。マナ酔いもクソもなかろう。じゃが……」
言って『ユーリ』に向き直ると、
「お主は止めておいた方が良かろうな」
「……と、言いますと?」
少女は恐る恐る妖精に訊ねる。そして妖精が答える事には――
「おぬしと『鎌鼬』、似た現象が影響しているのかもしれん。何か変な干渉を起こすと事じゃからな。強いて口にする必要はあるまい」
淡々とシアが説明する。変な遠慮は却って相手を傷付けると考えたのかもしれない。『ユーリ』の方も、妖精の話を納得したように頷き聞いている。意図しない化学反応は彼女にしたって望むところではないだろう。
皆口には出さないだけで、彼女に対して内心色々と思うところはあるだろう――というより、そうやって見守るくらいしか出来ないのだ。判断基準を持てない――そんな一種の歯痒さがあった。
「そんな訳じゃから、ホレ」
差し出された手に一瞬理解が追いつかなかったが、『鎌鼬』の事を指しているんだと気付き、残った数切れを皆にも分ける。現地組二人は「美味い」とか「これは」とか、差し当たり好評なようだった。レイは「得体が知れないので……」と断っていたが、食べられない者がいる手前、遠慮をしたのかもしれなかった。
まあ考えてみればカルミアやシアにしたって、今でこそ食べながら「『人魚』よりも淡白だ」なんて言っているが、当初はそれこそゲテモノを見るような目をしていたのだ。レイの反応自体は、何らおかしいものではない。
曲がり角の向こうから馬車が姿を現す。客車は結構な大きさで、栗毛と黒の引く二頭立て。何れも筋骨隆々として、蹴られたらまず間違いなく骨折以上だろう。所定の位置に着くと、御者がこちらに向けて軽く手を上げる。どうやらアリーの手配してくれた馬車であるようだった。
「貸切なら少しはスピードも上げられるし、逆に好きなタイミングで休憩も挟めるからな」
御者の男は別用で宝鐸に向かうアリーの仕事仲間であるとの事で、ついでだからと少ない手間賃で請け負ってくれたらしい。
「宜しく頼む」
アリーが男と握手する。男の方は冒頓であるらしく、表情もあまり変わらない。ちゃんとアリーの言葉には頷いていたので、言葉数の少なさは、愛想が悪いと言うよりは職人気質のそれだろう。
「ナクルムだ。彼の馬車なら乗り心地もいいし、早く着くだろう」
紹介されてもやはり表情を変えず、男は黙ってダナンと握手を交わすのみで、他の者には目礼で応えていた。
示されて馬車に乗り込んでみるも、中は別段高級客車みたいに凝った内装になっている訳ではない。左右に長椅子が一本ずつ設えられていて、変わった点と言えばその間に同じように長机が差し渡してある事くらいか。机は縁の部分が拳一つ分盛り上がっており、物が外に転がり落ちないようになっていた。全員が座ったのを確認すると、彼は外から「頑張れよ」と手を振るアリーに目で合図してから、後ろの一同を振り返り、一言、
「一時間半で着いてみせる」
渋い低音でそう発すると、馬に一度だけ鞭を入れ――飛ぶような速度で街道を驀進し始めるのだった。




