34.三条の道具屋
昼食を終えた一行は三条の街中を歩き、同じ商業区にあるダナンの知己の店に向かった。どうやらその人物は『酒下し』の製作者について情報を持っている可能性があるらしい。十分程で着いた目的の店は煉瓦調に褐色の壁面で、商業区の他の店同様、間口はそれほど広くない。中は床面が欅材なのかマホガニーの類なのか、赤味のある美しい色合いだ。
しかし――宝石のようにケース内に美しくディスプレイされた商品の数々は、どこから見てもどれもが『農具』だ。
「ここって何屋なの?」
カルミアが問えば、ダナンは事もなげに、「農業用具屋かな」と答える。
ただの農具屋なら看板くらいは出していても文句は言われないだろうに、どうやらそれすら存在しない。陳列の仕方もどう考えても尋常な農具店のそれとは思われなかった。
「アリー、いるか」
奥に向けてダナンは声を投げる。くぐもった声で、「ちょっと待て」とあって暫く後、バックヤードらしき方から恰幅のいい大男が姿を現す。さっぱりと短く刈り揃えられた頭を撫でながら、男は一座を見渡す。
「久し振りに顔を見せたと思ったら、随分とまあ団体さんだな」
「まあそう言うな――ここの店主のアリーだ。千畳にも店を構えていて、まあ言ってみれば古い友人だ」
紹介されてアリーは各人と握手を交わす。すっと「道具屋のアリーです」と手を差し出す様は政治家みたいに自然かつ握らざるを得ないような独特の魔力があり、それでいて人好きのするものだった。それとも、百戦錬磨の商人というのはこういうものなのだろうか。「ユーリちゃんも久し振りだね」と彼は声を掛けるが、『ユーリ』の方は微妙な顔で会釈するに留めた。
「それで、何を買うんだ? それとも、そちらの皆様が何かお求めのものが?」
「ああいや、違うんだ」
ダナンは首を振ると、「お前なら事情通だから知ってるかと思って」と一連の事情を掻い摘んで説明する。驚きの顔とともにアリーはダナンと『ユーリ』を交互に見やると、「何ともまあ……」と難しい顔を浮かべた。
「それでどうだ、何か助けになる情報を知らないか」
「そうさなあ……」
アリーは頭を撫でながら記憶を探るように目を細める。
「実はアレが流行し始めたとき、俺は嫌な悪ふざけだと思ってな」
「悪ふざけ?」
「ああ。一定の時間、感覚を感じなくなるというのは、これまでにない技術だと思うんだ。俺は仕事柄、第四まで渡る事もあるんだが、そこでもそんな術の存在は聞いた事がない」
第四とは、第四界層のことだろう。以前シアに聞いた話によれば、そこは全界層で最も栄え、界層間の行き来も多く、『術』研究に関しては本場中の本場だという。
「つまり、それより深層に住まう者の、より高度な『術』による、ちょっとした趣味の悪い悪戯で作られたんじゃないか、って思った訳だ。ただ――」
「深層に住まう者でも、斯様な術付与は聞いたことがないのう」
シアが口を挟み、ワムジールも頷く。
「可能だとして、ごく短時間の話さ。それこそ戦闘中に数瞬、長くても数分程度、相手が感覚を認識出来なくなる程度だ」
続けてレイも、
「自分は一応『幻術』を使えますが……やはり制約が非常に大きいです。かなり準備をした上でも、持続時間は最大で十五分程度で、しかも長期間術を使えなくなるので」
第七を脱出する際に使っていたが、直後レイが戻した通りに、実際はかなり身体的にも、そして時間的にもリスキーなものだったという事か。
「そう!」
我が意を得たり、とアリーは人差し指をビッと突き立て、「二層・三層を知る精霊や長耳族も聞いた事がない。加えて類型の近い術の使用者でも相当なハードルが必要とくる。となるとこれは新技術である可能性が高い。俺みたいな商売の人間にとっちゃあ、興味の対象以上の意味を帯びてくる」
やはり尋常な道具屋ではないらしい。ちらとシアに視線で問えば、「ここの農具類は皆、何かしらの効果を付与されておるんじゃよ」
魔法付与、という技術があるらしい。特定の物体に、術の効果を籠める事が出来るのだ。
「例えばあの壁に掛かった鋤は土壌活性化の力があるし、こっちの熊手は地中に効率的な温度を与えてくれる」
言いながら店主がケースの中から熊手を取り出す。渡されて持つと、マナが封じ込められているような、そんな独特の感覚を覚える。
「この手の道具は効果は高いんだが、同時にそれなり高額でね。治癒の指輪などになると、一般的な月収二ヶ月分くらいだ」
示された奥の一角には、その類の宝飾品が幾つか並んでいる。或いは展示されているのはほんの一部で、多くはバックヤードに眠っているのかも知れない。
「ただ、この手の付与術者は数が少なくてのう、技術革新はなかなか起きにくいんじゃ。治癒なら治癒で、術者によってその程度が変わったりとかはするんじゃが」
まあ、新技術に飛びつくというのは、ここに限らずどの業種でも聞く話だ。それ自体は決して不思議ではない。
「――ただ、酒下しはその出所と、売られている範囲がきな臭くてな」
アリーが続ける。
「まずは出所だが、これに関してはダナンの予想通り――つまりこの界層の中心部に当たる宝鐸の街だ。但し……」
「但し?」
「結節点経由の代物ではない確率が、極めて高い。言ってみれば、『純』宝鐸産だ」
「製造から流通まで、全て宝鐸で手配が為されているということか?」
問えば店主は僅かに頷き、「確証はないが、ほぼ間違いはないだろう。……ダナン、ここ三条と千畳の街の、最大の違いは何だと思う?」
急に問い掛けられて、ダナンは困ったように頭を掻きながら、「物流の能力か?」
これにアリーは首を横に振って、
「俺は、『人』だと思っている」
何とも曖昧で解説が必要な言葉を吐く。
「千畳の住人は、基本的に親世代から離れた子世代・孫世代になる。つまりこの界層の現地民だ。対して三条には、別界層にある程度の生活基盤がある者も多い。端的に言っちまえば、第五界層の商会絡みの連中とかだな。千畳まで進出しないのは、三条の方が宝鐸の結節点に近く、つまりは元の界層に戻りやすい為。そして、三条でそれなりの物流網を築いている為、それで十分に利益が得られている為だ」
「今更千畳まで進出するのは手間が掛かる上、利が薄いという事か」
商売人二人が半ば乾いた笑いを漏らす。少し離れた所に腰掛けていた目の見えないレイも、同じような自嘲的な表情を浮かべていた。それもそうだろう。彼はその千畳より更に遠く、界層を隔てた第七の結節点の街の者である。第七には三条にとっての第五界層の商会に該当するような存在はなかった。資金力の差というのは、無情なまでに大きい。街を自分たちで盛り上げて、外部の客も呼び込むというのは、『塔』の実験の失敗などがなかったとしても、なかなかに大変な道のりだろう。辺境という言葉は、人の行き来が少ないからこそ使われるものなのだ。生半可ではない。
「まあそれは兎も角、俺は商売上の都合で界層を行き来しているが、普通の奴は基本的にそんな事はしない。旅費が掛かるからな。……と、回りくどい言い方になっちまったな。何が言いたいかってえと――」
「他の界層では売られていない……ですか?」
『ユーリ』の回答に、アリーは「正解だ」と三条の地図を取り出し広げる。
「三条の街で一番力があるのは、第五界層に本拠地を置くクナーダ商会だが、そこが以前、酒下しの他界層での販売を企てた事があってな」
指を物流区にある大きな四角の上に置くアリー。件の商会の場所だ。それだけで影響力の大きさを如実に物語っている。
「しかし瓶の業者などが判明して、もう少しで製造元って所で、予想外の問題が発生した」
「予想外の問題? ああ成程、そういうことか。別界層では『売られていない』んじゃなくて、商品がダメになるから『売れない』のか」
「ああ。界を隔てると、ただの水になるらしい。これが、『範囲』の話だ。クナーダはその時点で割に合いそうにないと手を引いたらしい」
「界層内の流通だけでは利益を得られないということかや? 大商会が手を引いたなら、他の商会が手を出しそうなものじゃが」
「超薄利なら、手も出せねえさ」
言って店主は嘆息をつく。「ここも、ここも」と商会らしき場所を指し示してから、「誰も手掛けようとは思わなかったらしい。まあ当然だわな。商人は利益を上げてなんぼだからな」
「再現しよう、って所はなかったの?」カルミアが訊いてみれば、今度はダナンが首を振り、「この手の研究開発ってのは、バカにならねえ金が掛かる。余程世の中の為になる、或いは金が見込めるのでなければ、難しいだろうな。加えてそうやっておおっぴらに商会主導で作れば、何かあった時責任がついて回る。医療用の感覚阻害薬なら既に存在しているからな。旨味は少ないと言わざるを得んだろう」
「……肝心の製造者ってのは……?」
「不明のままだ――というより、本人は表に出てこないようだ。仲介役が存在する」
麻薬のバイニンみたいな話だな、とワムジールが苦笑するも、特段酒下しの製造者は悪い事をしている訳ではない。自らは尋常に商品を作り、販売は誰かに任せる。やっている事はそれだけだ。文句を言われる筋合いはないだろう……と、そこでふと疑問が浮かび、シアに耳打ちする。
「なあ」
「なんじゃ」
「ここの治安機構ってどうなってるんだ」
「む?」と妖精は小首を傾げ、「話しておらなんだか。基本的に街によって違うのじゃが……ここや千畳は、恐らく市民兵タイプじゃろうな。各業種からそれぞれ治安維持に就く者が出されて、その者が不在の間出来ない仕事――例えば田の管理は、同業の者が責任を持ってやるのじゃ。まあ通例、田畑を休ませる時期が来た者の中から選ばれるらしいが」
「給金は街から出るって訳か」
「正確には組合だな」ダナンがそこに割って入って、「三条や千畳には統治者が存在しない。有力な同業者組合のトップ十数人と、水の管理官、治安機構からの数人とで合議によって運営されている。税は名目上は存在しないが、実質的には各組織による供託金がこれに該当するな。ああ、水の管理官ってのは川とか雨水の担当な。農耕で食ってる人間にとっちゃ、これがちゃんと管理出来るかで雲泥の違いだからな」
そこまで言ってから、「にしても」とダナンは困ったように頭を掻き、「宝鐸では気を付けた方がいいぞ」
「ああ、そうじゃな、儂もそう思う」
シアがそう言うと、少し離れた椅子に掛けていたレイが苦笑を浮かべた。
「話の限りでは、第六界層の中心部――宝鐸と言いましたか、そこの方々は移り住んで来た方が多そうですからね」
「どういう事だ?」
「まあ、悪いっつー訳じゃないんだ」
弁明するような口調でいながら、「ただ……」とダナンは続ける。
「お前さんたちの話だと、深層に向かうつもりなんだろう?」
「まあ、ひょっとしたら」
テトを撫でながら、カルミアが言う。ダイフクもいつの間にかウキクサの懐に飛び込んできていた。
「宝鐸の住人は、マナの影響から逃れる為に、わざわざ界を渡ってきた者たちだ。そんな彼らからすれば、わざわざ深層に向かうなんて鼻白むような話だろう。マレビトなら尚の事、下手したら妨害でもされるんじゃないか」
「妨害って……アリーさんは普通に行き来してるんでしょ?」
「私らと君らじゃあ、事情が違うさ」
アリーは苦笑を浮かべながら、
「宝鐸の者ってのは、言っちまえば多くが俺らの親世代さ。俺らがどうやって生計を成り立たせてるか分かってる。だから積極的には関わろうとしてこないのさ」
「ジェネレーションギャップってやつ?」
「価値観の違い、と言った方がいいかも知れないな。……けど、そんな俺らの家族間世代間のいざこざあれやこれやなんて、君らからしたら関わりない事情だからな。さしあたり重要なのは、君たちがマレビトで、宝鐸はマナの影響度から少しでも逃れようとした者、及び当時のマレビトの一部が集って作り上げられた街だということだ」
「『当時のマレビト』、ねえ……」
「俺は知らないが、戦があったんだろ? そういう時は、マレビトが流れて来やすいんだ。宝鐸にはそれなりの数が集まったらしいな」
アリーの語る戦。向こう側で、後に大戦と呼ばれた戦いの事だろう。
「だから、変な話『同じマレビトの仲間』として、君らをとどめておきたいと思うかも知れない。第五から渡って来た在来の者からしたら、『せっかくマレビトでマナの影響も殆ど受けていないんだから、わざわざ深層に向かわなくてもいいだろう』となるし、嘗てのマレビトたちからすれば――」
「同質性を維持したいと思う」
カルミアの回答にアリーは驚いた顔を、ダナンは試すような表情を浮かべ、「何故そう思う?」と彼女に訊ねる。
「……未知の土地で生きていかなくちゃならなくなった時、同じ故郷の人間同士で集ったりすると思うけど、同時に自分の中で何かしら拠り所となるものを求めるんじゃない? それは自分の決断だったり、宗教だったりとそれぞれなんだろうけど、集団化する事でより純化されやすい――って、昔習った先生が言ってた」
最後はおどけてみせるも、途中まではかなり確信を持った物言いだった。或いは彼女も同じような体験をして来たのかもしれない。二人は今度は真顔で頷き肯定を示すと、
「そういう意味でのリスクはある、って事だ。意識して隠す必要まではないかも知れないが、とにかくそういう所だって事は気に留めて置いて欲しい。……じゃあ俺は少しばかり詳しい情報を集めてみる。大人数で押し掛けてもなんだし、そうだなあ……夕刻過ぎに、またここで落ち合う事にしたいが」
一同に否やはなく、そのように話が決まる。アリーも店を早仕舞いして、話が通りやすいようダナンに着いて行くという。
「じゃあ俺たちは……どうしようか」
「服」
「え?」
間髪入れぬカルミアの言葉に、思わずウキクサは間抜けな声を漏らした。他の者もポカンとする中、
「服よ。手持ち無沙汰な時間が出来るって言うなら、これは絶対。――千畳では機を逸しちゃったから」
そう言えば服を買いたいって話してたなあ、とそれでようやく思い出す。自分の服もシアの魔法のお陰で汚れは防げているが、それでも同じ服をずっと着ているというのは、どうにも精神衛生上宜しくなかった。
そこで、レイの「必要経費ですね」というありがたい宣下もあり、店主組を除いた全員で服飾店に向かう事になった。案内はワムジールが請け負ってくれた。『ユーリ』はそもそもユーリがその手の事に疎い――とまではいかないまでも、決して詳しくはない為、店選びなどは吟遊詩人に任せる事にしたようだった。
「ここだ」と案内された大店であれやこれや買い物をする事二時間余り。
アリーの店に戻る頃には、皆涼しげな装いになっていた。
妖精組は軽く着心地の良さそうな材質のものを、他の者は半袖と少し羽織るものを買い、服の買い物を切望していたカルミアは実に満たされた表情をしている。自分の服を選ぶだけでは飽き足らず、『ユーリ』と目が見えない状態のレイの分まで服を見立てて、ご満悦といったところか。
「おっ、芭蕉布とはなかなか粋だな」とは妖精を見たアリーの感想だ。「いい買い物が出来たようだねえ」
「まだ少し肌寒いが、夏場はこれに限るからのう」
「伊達の薄着はしょうがないさ、兄弟」
「ハハ、俺らもいい情報を仕入れられた。ひとまず話しながら腹拵えして、明日の移動に備えよう」
言いながらダナンが『娘』の頭を撫でる。『娘』はされるがままに、複雑な表情を浮かべつつそれを受けていたが、当初よりは幾分自然な表情に思われた。
「お似合いですね」
ハッとして皆が声の主――レイの方を振り向く。まだ少し眩しそうに目を細めていたが、ようやく視覚を取り戻したようだった。そうして自分の服装を検めてから――
「自分が見た事もない服を着ているというのは、中々に変な感覚ですね」
「悪くないでしょ?」
カルミアがそう返すとレイは苦笑混じりに軽く天を仰ぎ、他の者はハハハ、と愉快に笑いを上げるのだった。




