33.三条の街
窓外を緑一色の景色が流れてゆく。果てなく、青々と茂る草原は、前夜の雨を受けて一層瑞々しく、また朝日で匂い立つような気配を漂わせている。偶に風がその上を撫で、緑のビロードの如き揺らめきを目にしたかと思うや、車内にふわりと馥郁たる薫りが流れ込んでくる。空には雲ひとつなく、しかしまだ僅かに夜明けの気配を残している。
「この世のものとは思えないな」
ぽつりとウキクサが呟く。ややあってカルミアが、「そうね」とだけ返した。
ダナンは隣に座る自分の娘に不安の色を滲ませつつも、ウキクサの言葉の意味を理解しかねるような表情を浮かべていた。娘の方は同じ不安は不安でも、父のそれとはベクトルが幾分異なるのだろう。自分の一挙手一投足に目を瞠っては、瞳の奥に刻み込んでいるような。それでいて時折思い出したように顔を上げては、悩ましげに眉を顰めるのだった。
そんな父娘を後目に、妖獣二匹とワムジールはまだ眠りに着いている。騒ぎ疲れたのが溜まっているのだろう。吟遊詩人がだらりと涎を垂らしていた。レイも馬車に揺られながら、静かに寝息を立てている。
シアだけは――正しく二人の言葉の意味を受け取れたのかも知れない。ただ憂いの浮かんだ眼差しを、二人同様窓の外に送っていた。
駅馬車は南東に向けひた走っていた。瑠璃色の派手な車体を牽くのは如何にも筋肉質な栗毛二頭で、薄明から駆けているのにまだ疲れを見せていない。御者によれば、馬と車体の両方に補助の『術』を掛けているらしく、心配するような性質のものではないらしい。言われてみれば車内の揺れも、尋常なそれとは思えぬくらい少なく、電車のそれに近い気がする。
向かう先は中心部。祭の行われた一帯からは、馬車で半日程も掛かる距離だ。もとよりウキクサ一行にとっては、更に界を渡る為に向かう必要のある場所だった。結節点の出現域が、中心部になるからだ。
「はぁ……」と小さく溜息を漏らしたのはダナンだ。これから自分が訪わなければならない場所を考え、自然と漏れてしまったのかもしれない。とは言えウキクサやシアにはその位置を取って代わってやることは出来ない。よって同情はしても、慰めてやるような言葉は掛けたりしないのだが――
――――――
「私も本意ではないんです」
ホテルの一室に集った一堂に向かって、女の子はそう言った。
「ですが他に方法が思い付かないもので」
ユーリの中に現れた『ユーリ』。彼女が表に『出てきている』理由。彼女一人では解決出来ないと、そう判断した経緯を、訥々とだが彼女は語り始める。
彼女によれば、原因はユーリの『術適性』にあるらしい。『術適性』とは、マナを操作するに際して、どのような種類の術を行使するのに向いているか、習熟しやすいかを指す言葉だ。どのような術を習得出来るかは、個々人によって大きく異なる。シアのように万能なのは例外として、ここまで見てきただけでも、レイの幻術、カインの記憶操作、アベルの結節点探知。ユーリの母親や妹――アイシアは、浮遊の力を持っている。ユーリは浮遊を使えない代わりに、別の術を会得していると聞いていたが――
「この『術適性』が干渉を起こしてしまっている為、『戻って来れなく』なっているんだと思います」
ユーリを取り戻すには、その干渉を解消すれば良いのだが……その方法が殊の外難しい。
まず試しに『ユーリ』に眠って貰う方法が提案されたが、これには本人から「無駄だと確信がある」と言われてしまい、実際その後その通りだと実証もされてしまった。彼女によれば、ユーリが意識の表層近くにいるならば何の問題もないが、豈図らんや深く潜ってしまっている為、効果がないのだという。手立てを考えない限り、浮上する事は出来ないだろうとのことだった。
次いで第三者の力で意識を浮上させる方法が提案されたが、その手の術に詳しい人を探すことが出来たとして、そもそも彼らは自分の使える術はおおっぴらには言わず、秘匿する者が多い。またダナンの方からも、娘の状態が状態な為、無責任にそういった第三者に任せて余計に悪化などしたら――とこちらは見送られた。
ダイフクなら或いは、という淡い期待もあったが、残念ながら『薬箱』を見せても何の反応も示さなかった。『薬』がないか、でなければもとからその手の治療は出来ないのだろう。
それで結局、製造者に当たるしかないという話になったのだが、こちらについては運良くダナンとワムジールが知っていた。正確には、人物ではなく製造しているエリアを知っているという話だったが。それによれば製造元は同界層内の中心域、但し正確な場所や人物については不明なので現地で探す必要があるとの事だった。
「噂じゃあ、『意識』を引いた奴は、どこか不思議なところに行ける、って話だがなあ」
ワムジールがそう言えば、
「俺が知ってる中で引いた事があるって奴らは、残念ながらそんな場所には行けなかったようだがな」
そう言ってダナンが苦笑を浮かべた。
ウキクサは黙りこくったまま、窓を叩く雨音に耳を澄ましていた。
「……」
――彼らに着いていく必要性はあるのか?
人数分の駅馬車を手配しに行くダナンを後目に、そんな事を考えてしまう。
彼らの問題は彼らに解決して貰えば良いのでは? ここで別れたって、何の支障もないのだ。
いつ誰がどこで居なくなるか分からない――自分たちがしているのは、そういう旅だった。
今は偶々、人が増えているだけだ。
「儂は行くぞい」
シアの声だった。
「珍しい現象のようじゃからな。塔の皆を助ける為の何かが分かるかも知れん。それと……お主らもまだ一緒にいた方が良いのではないか?」
「……そんなに顔に出てたか」
「カカッ」妖精は笑うと、「お主は分かりやすい部類じゃからな。まあしかし、まだこの世界に慣れていないじゃろう。レイが道連れになったとは言え、今は両目がああいう状態じゃしな。儂がいるといないとで、随分違うと思うがのう」
大人しく両手を挙げて『降参』の意を示すと、傍らのカルミアが軽く笑みを浮かべた。
「それにお主らも、他人事ではないかもしれん。……どうも、作為の臭いがする」
「作為?」
「考えてもみよ。偶々世話になった家の娘がこんな前代未聞の事態に陥るなんてこと、あると思うかえ?」
「ないとも言えないんじゃない? 意外とそういうことって、あると思うわ」
カルミアが返すも、「ならば」と妖精は更に並べ立てる。
「儂らについては、どうじゃ」
「どう、って言われても……」
「お主がテトに遭遇したタイミング。ウキクサの存在とダイフク。そして儂の目覚めと記憶の喪失。不確定要素が重なった結果だと思っておったが、ともすればそうではないのかもしれん」
何故か『ユーリ』の方を向きながら、シアは話をする。『ユーリ』は半ば困惑顔だ。やがてじっと見ていたシアが軽く肩を竦めるようにして、ふよふよと洗面所の方へ飛んでいく。
「まあ、そういう見方もある、って話じゃよ」
話はそこで終わった。「厠か?」と問えば、「喉の渇えじゃ」との事だった。
夜明けとともに出発した馬車も、既に日が高くなり始めていた。草原は次第にその色を変え、拓かれた土地が姿を現し始める。畑に稲作、果樹園らしきものまであり、今度はそれが延々と続いていく。
「千畳の街が畜産と農耕の中継地だとすれば、これから行くところはその農耕の中心部だな」
ダナンがそう語る。未だ不安は拭えないようだったが、それでも多少は調子も取り戻し、平生の彼に戻りつつあった。祭のあった街――千畳の街は第六界層の中では比較的大きい部類であるらしかったが、これから立ち寄る街は、更に栄えているという。
「皆何かあったとき助け合えるから――って集まった農耕共同体がどんどん大きくなって生まれた街なんだが、まあなかなか面白い場所である事は請け合ってもいい」
程なく耕地を抜けた真正面に、その街――三条の街の、大門が見えてくる。街の名が表すのは、一帯を流れる三本の川だ。河川のもたらす豊富なミネラルの恩恵を受け、一大農耕地帯が生まれた。その内の一本は大門の少し手前、天然の濠のように街区の外側に沿って流れている。――否、川の流れに沿って、街が形成されたのだろう。ダナンに訊けばその川は比較的増水しにくい性質の為、利便性もあり街区がそこまで広がってしまったのだという。幅の広い眼鏡橋を渡る際、川の中に簗が設えられているのが見えた。如何程かは分からないが、川魚も獲れるようだった。
駅馬車は渡り終えてすぐの、開けた一画に向かった。そこには十ほどの駅馬車、並びに辻馬車が停車しており、忙し気に人を乗せては降ろしていた。乗降場に並ぶ客の顔は総じて明るい。土の色がこれまでより幾分白っぽい為、余計にそう感じられたのかもしれない。
「えらく大きな門なのね」
身を伸ばしながらカルミアが率直な感想を告げる。言外に、『こんな大きさ必要ないでしょ』とも言っているのだ。思わずつられて見上げれば、木製の無骨な門の上から初夏の光が差し込んでくる。日は中天に掛かりつつあった。
尋常な門との最大の違いは、それが用を成していないという点だ。何せこの街の外郭には、垣根というものが物理的に存在しない。目の前に聳えるそれは、門というよりは、それ単体のオブジェであった。
「『無用門』って呼ばれてる。まあ今となっちゃあ前衛芸術みたいに見えるかも知れんが、造られた当時は『これこそ俺たちの理想を体現するものだ!』ってキラキラした目でみんな見てたもんだよ」
「理想って?」
「現行の価値観念に囚われるな、ってことさ」
聳える門は旧世代という固定観念の象徴。内と外を隔てるべきはずのそれは、境界となるべき壁も、垣根も有さない。そんな所に立つ門などまさに『無用』ってワケだ。
「まあそれに、壁がない方が物の搬入出も楽だしな」
そう言ってスタスタ街の中に突き進む。勝手知ったる、といった風情だ。
街は総じて『広い』という印象だった。
広い道、広い間口、そして広大な敷地を持つ商会の裏手には搬入出用の広々とした敷地及び厩舎。一般家屋に及ぶまで、その広さ、空間的余裕は、『街』という概念が包摂する筈の密度的集中とは、凡そ似つかわしくないよう思われる。
「ここは物流区だからな。利便性を最優先して、各店舗広く間口が取られている。扱っている商品柄、場所も必要だしな」
「ここから各地へ農産物が送られるってワケか。地域としてはどの辺りまで行くんだ」
「この界層に関して言えば、全域だな。それに加え第七の一部、第五の広いエリアにも供給している。扱う品も穀類から野菜、果樹、畜産や加工品と、様々だぜ」
なかなか幅広い商売だ。商品の劣化に関してはある程度術で抑えられるらしいし、大穀倉地帯であるだけでなく各種の加工品まで扱えるなら、そのメリットはかなり大きいと見て良いだろう。……と、ふとレイに目をやれば、瞑目したまま、何とも言えぬ表情を浮かべている。
「レイ、大丈夫か」
山猫に手を添え歩いていたレイは声のした方を向くと、苦笑を浮かべて、
「身体の方は、目を除けば大丈夫です。……ユーリさんの話を思い出していました」
「ユーリの?」
一行が小首を傾げると、「利権はどこが握っているか、という話です」
レイが掻い摘んで説明すると、特にダナンが、苦い表情を浮かべる。
「まあ……色々あるのさ」
「ではあれかのう、この街を実質的に成り立たせているのは、その外様の商会などになると。広々とした道やら店舗も、その用を成す為に都市設計がされたと」
「勘違いしないで欲しいが、最終的に決めたのは俺たち、現地の人間だ。それに実際、彼ら別界層の人間が構築した流通網のお陰で、暮らしぶりはかなり良くなった。少なくとも恩は感じているさ」
言いながらひた歩いていると、次第に人流が増してくる。不思議と殆どの人間が同じ方向に歩いていた。
「メシ時だからな。メシはやっぱり、旧市街がおすすめだ」
流れに沿って角を曲がれば、不規則に曲がりくねる道が何本も立ち現れる。道幅はそれまでよりはかなり狭いーーと言っても、千畳の街中と同じくらいだが。どの通りも景気のいい掛け声と人並みで大変賑わっている。
「三条の商業区は久し振りだな」
ワムジールが飛びながら涎が垂れそうな口元を拭った。
「どの店も美味いからな。立ち寄ったのは、それも目的だろ?」
言われてダナンがニヤリと笑う。「腹が減っては戦は出来ぬ、ってな」
左の路地を上り、細い三叉路で更に右に曲がる。ダイフクとテトも腹ペコなのだろう、まるでダナンの飼い犬のように、『どっちだ』『早く早く』と並んで先頭を進む。
やがて建物の陰になった一角に、間口の狭いレトロな外装の店が姿を現す。蔦が垂れ下がって半ば覆われた看板には『パイシーズ』と記されており、磨りガラスの窓に魚が二匹刻まれていた。カランコロンとドアベルの音を抜けると、中は想像に反してそれなりに客で賑わっている。縦に長いカウンターには近隣の労働者が、通路を挟んだテーブル席にはカップルや家族連れが多い。
「それなり大人数なんだが、大丈夫かい」
「大丈夫ですよ。こちらへどうぞ」
奥のテーブルへと案内されるも、水が運ばれたらそれっきりで、注文を取りにくる様子もない。
「メニューは?」
カルミアが問うと、「そんなもんはない」と返されてしまう。
「ここの料理は『今日の魚料理』一種だけだ。その日その日でメニュー自体は変わるがな」
程なく茄子とピーマンの揚げ浸しと共に、雑穀米と魚の塩焼きが運ばれてくる。随分と和のテイストだが、この魚はひょっとして……
「鮎か」
大門の手前を流れる川に設えられていた簗。あれで川魚を獲り、店で調理して出しているのだろう。とは言え、たったあれだけの簗でこの街の消費する川魚全てを賄えているとは思えない。川が三本あっても同じだろう。
ひと口パクリと齧り付く。身は柔らかく、それでいてジューシーだ。くどくないので飲み込んだ後も口の中がある種さっぱりしている。
「美味いな」
「養殖だが、悪くないだろ」
聞けばこの鮎は、件の簗で獲れた訳ではないらしい。
『ユーリ』もひと口含んで、
「うん――美味しい」
そう言って、僅かに困ったように笑った。
「ハッハッ」とダナンも幾分困ったように笑う。
「やっぱりそうそう上手くはいかないもんだなあ」
そのやり取りで、何となくだが言外の意味は伝わった。
つまりここの料理か、でなければ魚自体がユーリの好物なのだろう。それで何とか浮かび上がってくれないか、とダナンはそう考えたのだ。
「まあ、どの道乗り換えと昼休憩は必要だったんだ。寄り道してる訳じゃねえ。それに、これで戻ってきてくれるなら、それに越したことはねえからな」
言うやいつの間に頼んでいたのか、別メニューで苺のババロアが人数分運ばれくる。メインメニューは一つでも、デザート類は数種類揃えているようだった。……成程、これもまた、ユーリの好物なのだろう。ダナンの眼差しを見ていれば分かる。
意味はないかも知れないと心の片隅で思ってはいるだろうが、何かせずにはいられないのだろう。やはり彼は父親で、彼女は彼の娘なのだ。
昼食を終えても彼女は戻っては来なかったが、ダナンの父親としての想いは十二分に伝わってきたのだった。
因みにお行儀良く静かにナイフとフォークで食べていたのは、その二人だけである。
レイは揶揄い半分のカルミアに箸で食べさせて貰っているし、妖精組はひたすらダベりながら手掴みで毟って食べている。ダイフクは丸呑み、テトもバリボリと満足気に咀嚼を繰り返しては、他の面子に『肝をくれ』とでも言いたげにじっと視線を送っていた。
「……まあ、変に悲壮感がないのはいいのかもしれんな」
ダナンの言葉にウキクサは、長く嘆息を漏らすより外なかった。




