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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
33/78

31.酔わない火遊び

「実はあまりこのように女性と出歩いた経験がないもので……色々と不作法と言いますか、『分かってない』感じになると思いますが、ご容赦頂けると」

「あ、いや、はい」

 苦笑混じりなレイの言葉に、ユーリはそんな音しか発せない。この手のイベントごとに着飾って、尚且つ男の子と参加するのは、彼女にしたって初めての事だった。

 先刻まで普通に会話出来ていたのが、まさか着る物ひとつでこうも口籠ってしまうとは……内心そんな自分に呆れつつも、どこから来るとも知れぬ奇妙な高揚感は、決して嫌いではなかった。

 祭の匂いは前年と変わらないし、猥雑さも同じだ。変わっているのは自分の服装と、隣に並ぶ人がいること。そして何より、心の持ちようだろうか。

 一帯でも取り分け遠方に住む彼女は、周囲にあまり同年代の友人を持てなかった。当然流行について話す事などないし、そもそも話の取っ掛かりというか、話題の振り方自体が分からない。同年代の子に声を掛けられる事もないではなかったが、妹のように明るく人好きのする性格でもない彼女では、結局地元のノリには着いていけない。であるから、『時間を潰さなければいけない』祭に赴くとき、彼女はどこか鈍い痛みを覚えるのが常だった。

(でもレイさんだって……)

 この街に至るまでの道程で、多少なりともユーリはレイの為人(ひととなり)と、生い立ちについて聞いていた。或いはそれは彼女が気楽に話せるようにという彼なりの配慮が含まれていたのかも知れないが、ユーリにとっては『同世代の友人知人が少ない』という共通項は、一瞬互いの痛みを共有出来ると錯覚させるものだったのかも知れない。

 何れにしろ、母が期待していた流れになろうとなるまいと、肩肘を張り続けていては身動きも取れなくなるだろう。元来、話をするのも得意な方でないならば――

 ユーリはそっと溜息を漏らすと、自らを取り戻すようにレイに水を向けた。

「何で皆さんに着いて行こうと思われたんですか」

 レイは表情を変えず、暫し前を向いたまま歩いていた。そうしてややあってから、「そうですねえ」と僅かに瞑目してから、

「伯父を探すことを最優先にするなら、恐らく皆さんの事はお構いなしに、一人旅をした方がいいんでしょうけどね」

 お金もあるし、と冗談めかして彼は言う。

「ただそうしなかったのは、或いは旅それ自体が目的のひとつだからかも知れません」

「それ自体が目的」

「ええ」

 レイは首肯すると、迫る宵闇に目をやりながら、

「意味があるかは分かりませんが、伯父を探す事と同じくらい価値のありそうな、そんな何かがきっとあると。それと同時に、この機会を逃せば恐らく自分はいつまでもあそこにしがみついてしまうだろうと。……いえ、ひょっとしたらもっと単純に、外の世界を見てみたかったのかも知れませんね」

 そう言って何とも困ったような、それでいて何かが氷解したような、そんな微妙な苦笑を浮かべる。ユーリは僅かに口角を上げ、

「善人ですね」

 そんな言葉を漏らす。

「そうでしょうか?」

 同じように口の端を上げてみせて、そうして二人は笑い出した。秘密を共有したような悪戯っぽい笑みは、比較的老成している二人に珍しく、見た目相応に無邪気なものだ。

「兄ちゃんたち、『酒下し』でもどうだい」

 露店の店主が声を掛けてくる。麦酒やつまみを売っているようだったが、その『酒下し』という名の飲み物には聞き覚えがない。見れば色は乳白色で、濁り酒の一種に思われる。

「私は飲んだことがないんですが、度数は高いですか」

「いやいや、アルコールは入ってないよ。まあ、ソフトドリンクのようなものかねえ」

「そうで――」

「ねえ」

 とそこでユーリが一瞬目を合わせてからレイの服をちょいと引っ張り、「あそこの串焼き美味しそうよ」

 すぐに意を察したレイはそれに乗っかり、「ああ、あれがワムジールさんの仰っていたオススメの――」

 言いながら歩き出し、「また今度で」と店主に当たり障りのない笑みを向ける。

「ハハッ、尻に敷かれんよう頑張りなー!」

 店主も陽気にそう返すと、すぐに他の通りすがりに声を掛ける。

「……何かありましたか」

「ああ、いや」

 雑踏の中を進みながらレイが問うてみるも、返答は曖昧だ。ユーリの口は開き加減にはなるものの、なかなかそれが言葉になって出てはこない。

 レイはそれを見て頬を掻くと、「ひとまず串焼き、食べましょうか」そう言って二本買って一本を渡す。

「幾らか固くなっていますが、悪くない味ですね。ワムジールさんが本当に薦めていた方は食べていないので、比較は出来ませんが」

「本当に薦めていた方、というと?」

「ファボリケの串焼き」

 それを聞くとユーリは、「ああ……」と何とも言えぬ苦笑を浮かべた。「美味しいのは確かですけど、どうにも調理前の姿が頭に浮かんでしまいますね」

 ファボリケとは、大型の芋虫である。繭玉を作った蚕を食してしまうことから、養蚕家にとっては天敵のひとつだ。

「でも変な話、少し困惑してしまいますね」

「困惑、ですか」

「今日一日、色んなところを廻りましたから。……今まで、ずっと同じ所で、同じような日々を過ごしてきたので」

 レイは第七界から出た事がなかった。物心ついた頃には既に伯父のもとに引き取られており、父母が健在なのか、鬼籍に入っているのかさえも知らない。伯父は朴訥な人間だったし、彼自身訊くつもりもなかった。彼にとって家族とは伯父の事であり、それ以上考える必要性を覚えなかった。

「こちらに渡ってユーリさんたちに出会って、草原を抜けて今度は露店の並ぶ賑やかな目抜き通りに。……ああ、馬場にも行きましたね」

 得体の知れないマレビト一行に出会ってからの日々は、レイにとって激動そのものだ。

「知らないことばかりというのは少し恥ずかしくもあるのですが、新たな地で物事に触れるというのは、こう……変な言い方かも知れませんが、良くも悪くも生きている実感がします」

 子どもの頃に体験したことを大人になっても良く覚えているのは何故か。一説によると、その時分に新しく体験することが多いからだという。新たな物事に適応すべく、脳に強く記銘される訳だ。大人になるとあっという間に歳をとるのは、そういう意味では新たな事柄や変化が少ない――乃至、慣れてしまっているのだろう。

 しかしカイたち一行と出会ってからは、レイ自身でも分かるほどに、濃密な時間を過ごしていた。そういう意味で、『生きている実感』というのは偽らざるところだろう。彼自身、環境の変化を楽しみ始めていた。

「……自分を変化させることって、恐ろしい、ですよね」

 ようやっと、少女が自分の言葉を紡ぎ出す。口にしている事の意味を確かめるような、そんな口調だ。

「自分自身の依って立つところがなくなってしまうような、そんな気がします」

 レイは黙って彼女の言葉に耳を傾ける。肯定も否定もしない。それを決めるのは彼女自身だ。余計な色は混ぜたくなかった。

「アレも――」と先程とは別の屋台で売られている、乳白色の同じ飲み物を示しながら、

「アレも、同じかも知れません」

「同じ、ですか」

 言葉の脈絡が分からず、レイがオウムのように返す。

「広まったのはここ十数年なんですけど」

「? どの辺りが、同じ(・・)なんでしょう?」

「何が自分をここに立たせているのか、それが曖昧になってしまいそうなところ……でしょうか」

 言って彼女は人の溢れる目抜き通りのどことなしに目を向け、「率直に言って、どう思いますか」

 そうして振り返って、

「この街の人間は、満たされていると思いますか」

「……」

 抽象的な問いに明確な答えを提示することは出来ない。しかし問いそれ自体から分かるものも、ないではない。

「君自身は、満たされていないと思うんだね」

 分からない諸々は措いて、それがユーリの結論なのは確からしかった。

「僕の感想としては……まあ第七に比べれば、生活水準はいいと思いますが」

 そう返しつつも、レイは彼女の問いには答えられていないのは自覚している。物質的にも精神的にも生活水準が良いという事と、満たされている(・・・・・・・)事とでは、微妙だが明らかなニュアンスの違いがある。ユーリの方も当然それは諒解しながら、苦笑混じりに話を続ける。

「ここの暮らしも、まあまあ苦しいんですよ。表面的には、そんな事はないように見えるかも知れませんが」

「確かに、これだけ祝祭的な雰囲気ですし」

「……これは、皆アレ(・・)で苦しさを紛らわしているだけですよ」

「アレって、あの『酒下し』という乳白色の?」

 彼女は僅かに首肯して、

「第五階層以上は、ある程度経済活動も物流網も発達していると聞いています。しかしここはまだ発展途上……いえ、本来ならもっと発展していても良いのですが」

「何らかの事情があると」

「まず祖父母の世代が、容易に魔法に依存する事を嫌いましたから。その為、第五以上で確立されているシステムを導入するのに、世代単位の時間が掛かってしまいました。また、それは開拓初期の何があるか分からないリスクを取って発展させてきた人々を後目に、後から参入した別界の商会がそれなりの利権を握るようになることも意味します」

 余程体力のある商会でもない限り、入植期から継続的に商売をするという事はないだろう。ある程度の安定が見込めた所で参入しても、十分な利益は見込める。経営を考えれば、当然の判断だ。

「商会の存在それ自体が悪という訳ではないでしょう。雇用が生まれるし、お金も回る。それは発展と同義なのではありませんか」

「そうですね。……実際、商会が来てからは、専門職として生産に携わらず働く者も増え、生活に余裕が出来た者も多かったらしいです。しかし同時に――その成功体験から、急進的な価値観を持つ者も、増えたらしいです」

 ユーリの祖父母たちが開拓の第一世代なのかは分からないが、話を聞いた限りでは、少なくとも自らの良しとする価値観に従って第六に渡り、暮らしを営んだのは確かだろう。

 だがその下の世代、更に下の世代となると、自分の置かれた環境は最早所与のものとして捉えられる。ネイティヴとして生まれ育った者が、変異に対する危機感を口喧しく言う前世代に反発するのは当然の流れかも知れない。それは家族の問題なのかも知れないが、同時に個人のアイデンティティーを巡る問題でもあるのだから。

「急進的と言うと、一体どんな」

「一層積極的に魔法を活用し、変異を受容すべきだ、と。しかし界を渡ったり戻ったりには手間も時間も掛かりますし、築き始めた新たな生活を放擲する訳にもいきませんから。そこで広まったのが――」

「『酒下し』ですか」

 主要な効果として、著しい気分の高揚。副次的効果として、アルコールに対する強い解毒作用。

 それだけでなく、思考や行動を制限し周囲への同調を促されたり、変異が進行したりといった諸作用があるという。

「お酒を飲んでいる割に皆が皆ふわふわとしていたのは、そういう理由ですか」

 アルコールが解毒され、周囲と同化する欲求を抱かせられたら、瞬く間にカルミアの言う所の気分の高揚した、『ハッピー・ゴー・ラッキー』な人間の出来上がりだ。

 そして同化・同調が促されてみんな横並びの状況に安住してしまえば、競争への意識は低減し、成長が阻害されてしまう。これは相対的には後退していることに他ならないだろう。現状維持では、何も新しさは生まれないからだ。実際、ここの経済はもう十年近く、伸び悩んでいるという。

「景気の良い時もあれば、悪い時もあるとは思いますが……確かにそれは、少しばかり毛色の違う問題でしょうね」

「自分くらいの年代は、度胸試しみたいな感じで飲むケースもあるそうです」

「度胸試し?」

「六識ってありますよね」

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、それに意識。厳密な字義は覚えていないが、おおよそその六つの認識の働きのことだったか。

「それが何か」

「……その内のひとつが、一定時間持っていかれるんです」

「持っていかれる……?」

「どれになるかはランダムなんですけどね。……眼、耳、鼻及び舌の場合は一日程度、身――つまり触覚の場合は短くなって半日弱。意識を引いたときは……数時間と聞いています」

「……個人的にはおっかない話に聞こえますね。火遊びと言いますか。それに触覚を失うというのは、ちょっと想像し辛いですね。意識の場合は……大丈夫なのでしょうか?」

 ユーリも歯の奥に何か詰まったような表情で、言葉を探しながら、

「触覚は、物の軽重や身体の動かし方が分からなくなったりするそうで……例えばあそこの女性、多分そうだと思いますよ」

 年頃の女の子が数人、屋台の裏で車座に座っていた。皆いやにテンションが高くなっており、これは例の酒下しの効果なのだろうが、その内の一人だけ、素足に擦り傷だらけの者がいた。そしてどう見ても血だらけで痛々しい筈のそれに、友人らも本人も、まるで気にする気配がない。

「足の触覚が一時的に『持っていかれて』いるんだと思います。触覚の場合は、どのくらいの部位に及ぶのかは人それぞれらしいですね」

 見れば対面の子は明後日の方向を向いているし、彼女たちの会話を後目に一人で調子の外れた鼻歌を歌っている子もいる。それぞれ視覚と聴覚を『持っていかれて』いるんだろう。それでいて皆極めて気分が高揚している――奇矯だ、とレイがそう思ってしまうのも、決して変ではないだろう。

「なるほど。……しかしこれだけ大勢に飲まれている割に、界隈に昏倒している人間が少ないと思うんですが」

 レイに言われるも、ユーリは何の事か分からない風で小首を傾げている。

「いや、ですから『意識』を引いてしまったら昏倒するでしょう。それなのに倒れている人もいませんし、誰かが誰かを介抱している姿もないので」

「ああ」と彼女は虚空に視線を投げて、

「そりゃあ、居ませんよ」

「居ない、とは?」

「だって、動いてますから」

 夜の帳が下り始めた街は、店々の心許ない明かりでぼうと漂うように浮かび上がる。それでもレイの元いた街と比べれば雲泥の活気ではあるのだが――街の実相に触れるにつれ、得体の知れなさがじわりと滲み出してくる。

「仰る事が良く分からないのですが……」

「『意識』はないのに、動いているんです――誰が中にいる(・・・・)のかは、分かりませんが」

 そう言っておもむろに、酒下しを売っている店の前で立ち止まると、

「レイさん……一緒に試してみませんか?」

 そんな事を口にするのだった。

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