30.酒場にて
競馬の歴史は古く、有史以前から行われていたと言われている。文献に現れるものでも古代ギリシャまで遡る。二輪のチャリオットを馬に牽かせ、二頭立てで疾駆する様は、想像するだけでも自分自身が風を切っているような気になるものだ。他の諸国や遊牧民の間でも様々な形態の競走が行われてきており、神事、娯楽と理由は様々だ。時代が下るとイギリスで近代競馬の礎が築かれ、それをベースにした競走が今日まで続いている。
『こちら側』でも独自の文化が生まれ、商売上の必要からも、馬の競走を行うようになったという。どこの馬が並以上の馬力があるか、どこの馬が早馬に適しているか。そういった適性を見極める為、同業者同士の交流から生まれた経緯があるのだとか。
「ハハハ! 流石じゃ儂の大黒号! そんじょそこらの馬とは違うのじゃよ!」
「…………」
快哉を叫ぶ妖精と、その隣で項垂れる妖精。勝敗決して各馬に賛辞が送られる中、二人の反応はいかにも物質主義的だ。
賭博的要素があるとは言え、主軸に置かれているのはあくまでも馬の姿形や能力だとの事で、地元の観客も当然そういう目線でレースを見ている。
カネはあくまでスパイスだ。
スって背中が煤けている方に当てた方が情け容赦なく無邪気な笑みを向ける、そんな妖精二人の一喜一憂は、周りからはかなり浮いている。
とは言え『馬寄せ』に金を注ぎ込んだのは彼ら自身なのだから、特段慰める必要性などない。生温い視線を向けるぐらいが丁度いいのだ。
――遡って半刻前、一行は街の中心部、一等地に広がる緑地の前にいた。スポーツのスタジアム数個分はあろうか。広大な敷地は芝に覆われ、随所に木立や坂がある。人工的に整備されたと思しき砂地や水溜りも見られ、少し離れた木製の段々には大勢の客が酒肴片手に盛り上がっていた。木陰に集まっている男女の姿もある。
「ここが馬場だ」
言ってハイテンションな妖精――吟遊詩人のワムジールが案内する。一画には屋台が並び、こちらも多くの人で賑わっていた。更に奥まで進むと馬小屋らしき場所の前で人垣が大きくなっており、程なく背に数字を振られた十数頭が、ゆっくりと人垣を割っていく。相当人間慣れしているのだろう。馬体の大きさも毛色も様々で、ユーリの乗馬に匹敵する大きさのものも多く見られた。
「美味いものとコレの為に働いてるようなもんさ」
そう言ってワムジールがどこからか重そうな皮袋を取り出す。中には銀貨と銅貨がぎっしりと詰まっていた。要するに、これで賭け事をするという事だ。
「儂もやりたいのお」
シアは言いつつちらと持ち金を確かめるも、銀貨と銅貨がそれぞれ数枚あるきりだ。「お、兄弟、金欠かい」
「そうじゃのう。まあ仕方あるまい、儂は大人しく観戦して楽しむとしよう」
「ハハ、そうかい。俺はあの栗毛に賭けようかねえ。肉付きも良いし、つやつやしていて調子が良さそうだ」
券売所で馬券を数レース分買い適当な席に腰を下ろすと、先刻聞こえた喇叭の音が鳴り響く。続いてスタート地点から歓声が上がり、瞬く間に馬群が目前に迫ってくる。どの馬も背に騎手は乗せていない。裸馬のまま、ひたすらコースを驀進している。地を駆ける圧倒的な生命力の塊が大歓声とともに通り過ぎると、吹き抜けた風で微かに馬のにおいが漂ってきた。
「凄い迫力だな」
「こういうクロスカントリーのコースは間近でなかなか見れないからな」
そういうものかと思いつつ目の端で山猫の尻尾が揺れるのが目に入る。ウキウキしているのかもしれない。
「ん、あれ? シアは?」
カルミアの困惑した声で辺りを見回してみるも、彼女の言うようにシアの姿がない。まさかとは思うが、今し方通り過ぎた馬にでも飛び乗ったのだろうか。
「……兄弟、さては買ってたな」
言いながらワムジールが頭上を見上げると、そこには何か魔術のようなものを展開しているシアの姿が。
「……何やってんだ」
「遠見の魔法じゃ」
どんだけ気合い入ってんだ、と胸中でツッコんでいる内に、ゴール付近なのだろう、一際大きな歓声が上がる。
「おお、惜しかったのう。お主の買った栗毛は二着じゃ」
「二着? お、黄色の旗ってことは、あれはどの馬だったか……」
「芦毛じゃのう」
「本当か! 貧相な身体で、途中まで大きく引き離されて最後尾だったじゃねえかい」
「そうじゃのう」
言いながらシアはおもむろにポケットから紙切れを取り出し、テントの張ってある方まで飛んでいく。
「……当たったみたいだな」
暫くするとほくほく顔の妖精が戻ってくる。
「いやー、やはり良いものじゃ」
シアの手に持つ皮袋は傍目から見ても明らかに先程よりその重さを増している。倍率が高かったのだろう。
「ほほう、やるねえ。俺も負けちゃいられないや」そう言ってワムジールはシアと連れ立ち、再度券を買いに行く。
「……ああやって熱くなるのが、一番負けが込むものだと思わない?」
「はは……」
レイが乾いた笑みを発した。カルミアに同感ということだろう。
果たして数レースが過ぎ、彼女の予想通りにワムジールは大金を賭け続けて、大黒号の勝ちに喜ぶシアの横で項垂れている。皮袋の重さも、すっかり逆転してしまっている。
「にしても、お主宿代は払えるのかえ?」
問えば、「何とかする」と相手は力なく返事するばかりだ。思わず嘆息が漏れるというものだろう。
まあこの妖精二匹の振る舞いなど、可愛いものだ。周りの客が若干引き気味に生暖かい眼差しで見守るくらいで、極端に礼を失している訳ではない。これで二人だけ罵声を発しゴミを散らかしていたなら鼻つまみ者だろうが。赤ら顔で悔しがる姿は目にしても、悪罵の声はほぼ耳にしないのは、別段この地の人々が温和な性質だから、という訳ではないだろう。文化とそれを理解する人々がいるかいないか、そういった部類の話なんだろうと思う。あくまで社交場としての『馬寄せ』であり、その共通認識のもと、人々が楽しんでいるだけだ。
……真っ当過ぎる。
馬場から目抜き通りに戻っても、それなりに規模のある祭であるにもかかわらず、酔漢の姿が全く見られない。飲んでいる者の数は決して少なくないのだろうが、飲まれている者の姿も視界の限りでは見つからない。
道の端で戻している若者の姿もなければ、千鳥足のおっさんもいない。ひょっとしたら掏摸の類もいないのではないかと、そんな風にすら感じてしまう。穿ち過ぎだろうか。
「何だか……随分と穏当な空気ね」
カルミアも同意見だったのか、そんな事を口にする。
人通りが少ない訳ではない。活気がない訳でもないのだが、猥雑という言葉からは遠い印象だ。繁華街で感じられるような濁りがない、とでも言うべきか。
別にそれを悪いと言うつもりはないが、不自然な品の良さを覚えてしまうのは確かだった。何がどう、と説明するのは甚だ難しいのだが。
「ワムさん、ここっていつもこうなの?」
カルミアが、ぐったりと傷心気味な妖精に訊く。シアが「メシぐらいは奢るぞい」と誘い、連れ立っていたのだった。
「こう、って?」
「何て言うか……ハッピー・ゴー・ラッキーな感じ」
「ハッピー? ああ、多分アレだろうな」
どうやら心当たりがあるらしい。
「今日は祭だからな。第六外縁の祭でここ最近良く見るが……率直に言ってオススメ出来んな。祭は好きだが、アレは嫌いだ」
アレって何だ、と聞こうとした時、不意にレイが声を上げる。
「ダナンさん」
探すとすぐにダナンと目が合い、手を挙げ合図してくる。隣の今風に着飾った女性は――ユーリか。仕事着のデニムにブーツではないから、一瞬分からず思わず目を瞠ってしまった。
「今日くらいはちゃんとしたものを着るよう、母に言われてまして……」
弁解するように言う彼女にダナンは笑いを上げると、「俺と女房が知り合ったのが立夏の祭でな。街の若いもんもこの日は繰り出して仲良くなる事が多いから、女房にハッパ掛けられてんのさ」
「良くお似合いだと思いますよ」
「そう言っていただけると、お世辞でも……いえ、ありがとうございます」
そう言ってユーリははにかんでみせる。初めて目にする年相応の笑みだった。
「ハハハ、まあ楽しんでくるといい。で、そっちもお客さんがいるのかい。どうする? 本当は少し娘とぶらついてから宿に戻って落ち合うつもりだったが」
このまま彼の奢りでメシを食いに行くか、それとも別行動で祭を楽しむか。
「ああ、悪いが娘は祭に行かせてくれよ? じゃないと俺が女房に怒られちまう」
「別に私はどちらでも……」
と、そこで何故か急にカルミアがニヤリと笑みを浮かべ、「私は折角だからご馳走になろうかな」
「おう、何が食いたい? 遠慮なく言ってくれ」
「肉じゃ、肉!赤身の美味いやつを所望する!」
「兄弟、俺に奢ってくれるんじゃなかったのか?」
「ハハハ、気になさるな。一人二人増えても全く問題ない。是非貴君も招待させてくれ」
「本当か! じゃ遠慮なく」
瞬く間に面子が固まっていく。残すは自分とダイフク、テト、そしてレイだ。
「俺も腰を下ろしてメシが食いたいかな。今日は草原を駆けて、祭で歩いてと、慣れない事ばかりしているからな」
「それじゃあ私も……」
「いや――」
言ってカルミアがレイの前に割り込む。
「ユーリちゃんを一人で街に放り出すのは危ないわ。女の子同士で歩いてるならともかく、一人なんて『どうぞお好きに』って言ってるようなもんよ。せめて誰かついててあげないと。男なんて信用したらダメ」
真面目臭った顔つきだが、明らかにこの状況を楽しんでいる。そしてそんな事を口にすれば――
「でしたら、ユーリさんに差し支えがなければ私が付き添いますが」
レイはそう言う男だ。ダナンも「おお、それなら確かに心配ないが」と遠慮しつつも幾らか期待している様子。レイも男なんだが、と口にするのは野暮だろうか。ちらと見れば、「あの、じゃあ、お願いします」とユーリは申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「ダイフクたちはどうする?」と妖獣二匹に訊いてみれば、分かっているのかいないのか、ダイフクがテトの上に乗り、テトは心得顔でユーリたちの後ろに付き従う。
「オッケー、それで行こう!」
サムズアップしながら、カルミアは実にいい笑顔だ。
斯くして一行は二手に分かれ、ユーリとレイは茜色に染まる祭の夜に消えていく。傍から見ればカップルのように映るかもしれない。まあ、変な山猫と丸っこい何かを後ろに引き連れる形にはなるが。
「……カルミア」
「なに?」
「なに? じゃない。どういうつもりだ、わざわざレイを彼女に付けて。何を企んでる」
「企んでるなんて言い種ね。あんた、女の子の扱いってもんを分かってないわー」
これだから困る、とでも言いたげに、あからさまに呆れた顔をしながらカルミアは言う。
「言った事の半分は本気。残り半分は……ユーリちゃんの表情を見たでしょ?」
「申し訳なさそうにしてたな」
「もっと前。慣れない服装を褒められて、一瞬言い淀んだでしょ? お世辞でも嬉しいって言いかけて、その後いい顔でありがとう、って笑ってた」
「まあ、確かに」
「それが全てじゃないの。証明終了ってやつよ」
そう言われても、どうにも閉口してしまう。つまりカルミアは、ユーリがレイに気がある、とそう言いたい訳か。
「邪推の上にお節介だと俺は思うが」
「お節介はともかく、邪推は心外だわ」
そう言ってシアたちと酒場の話で盛り上がっているダナンの後を、彼女は小走りで追い掛ける。既に夜の帳が紺青に下り始めていた。振り返るともう山猫の姿はなく、レイたちと黄昏時の中に消えてしまったみたいだった。
「何してんの、早く行くわよ」
呼ばれて見れば、一行が角を曲がってゆく。それに追いつこうとして――ふと、足が止まってしまう。
一体何の為に彼らについていってる?
惰性で一緒に行動してるだけじゃないか。
緑の瞳をしたあの男は、ここで自分にどうして欲しかった?
俺は……自分をどうしたいんだ?
「ウキクサー」
「あ、すまん、すぐ行く」
被りを振って自分を取り戻すと、カルミアの後を追う。
今は深く考えたらダメな気がした。というより、何れ結論が出る……そんな予感があった。その時を待てば良い。
……しかしいつ?
結論が出るまで待ったところで手遅れなら何の意味もないんじゃないか? 走りながら考えた方がいいんじゃないか?
祭に紛れてこのまま辻馬車に乗ってしまっても――
もう一度被りを振る。
まだ碌にこの世界の事も分かっていないのに別れるなんて、それこそ無謀そのものだろう。
深い嘆息を漏らしてウキクサは頭を掻いた。
慣れない事ばかりで、少しばかり調子が狂っている。
一行に追い付き細い路地を進むと、次第に奥の方からヴァイオリンの音が漏れ聞こえてくる。曲調は軽快な六拍子で、欧州の民族音楽に良く似た調べだ。やがて路地は終わりを迎え、楽の響きの出所へと至る。
そこはちょっとした開けた場所になっていた。テニスコート一面分はあろうか。幾つも丸テーブルが並べられ、空飛ぶ大皿がふわふわやって来ては卓の真ん中に堆く肉が盛られていく。客の殆どが酒を飲んでいた。麦酒にワイン、蒸留酒と一通り揃っているようだ。
「今日は祭だからな。入場料だけ払っちまえば、終わりまで居られるのさ」
そう言ってダナンが五人分の金を払い、空いていた席に腰掛ける。「相席いいかい」と慣れた様子で向かいの若い二人組に訊けば、「勿論!」と上機嫌に相手は返してくる。
「精霊族と飲むのは久し振りだなあ」
「宜しく頼むぞい」
そう言って運ばれてきた酒で乾杯する。
ダナンにワムジール、加えて相席した若者二人組。それだけいれば、図らずも知りたかった情報が忽ち揃っていった。
オススメの駅馬車、周辺の交通事情に、中心部についての諸々。昔の知己が息災かどうかなんていう半ばしみっ垂れた話も交えつつ。
だが当然酒量に伴い馬鹿話も増え、自然頭の中もふわふわしてくる。気付けば声も大きくなっており、ちょっと高くなっている中央壇上でカルミアと飲み比べをしていた。立派な酔っ払いの出来上がりだ――と、そこでジョッキを傾けていた腕がピタリと止まる。
「どうしたの?」
カルミアが胡乱な眼差しでウキクサに訊く。観衆も何だ何だと囃し立てていた。
「いや、ここには酔っ払いがこんな大勢いるのに――」
ウキクサは欠伸混じりに不可解な顔を浮かべ、
「何で表の通りには酔っ払いがいないんだ?」
途端、水を打ったように酒場が静まり返った。




