幕間
第一部はここまでになります。
来月半ばくらいから第二部更新始めますので、また宜しくお願い致します。
(評価を押していただけると作者が狂喜乱舞しますので、宜しければお願い致します!)
ぼんやりと定まらぬ意識を窓外に向けると、眼下に厚く雲が広がっていた。雲を境に視界は青と白に分かたれて、太陽が乾いた光を注いでいる。どうやら上空高く、機上の人となっているようだった。
時間の程は、判然としない。朝の九時、十時であるようにも、三時を周っているようにも思われる。色の違いから何か分からないか彼方に目を凝らそうとしてみるも、焦点が合わず女の顔ばかりが反射して映る。
女――カルミアは、軽く伸びをしてから席を立とうとして、隣席の美丈夫と目が合う。目は焦げ茶、短髪の似合う褐色の男だった。二人は目を合わせたまま、お互い何を言うでもなく、ぼんやりそのまま見つめ合っている。
気付いたらトイレの中にいて、丁度用を足し終えたところだった。轟音を立てて吸い込まれていくその水音に、カルミアは、『これは夢だ』という感触を得た。
とは言えすぐに目覚めてしまうのは少しばかり勿体ない。夢の中でくらい、羽を広げていたかった。現実で本当の肉体が漏らしていないか、その辺りは少しだけ気掛かりではあったが。
機内は広かった。セスナ機ではない。ジャンボジェット程ではないものの、それなりの大きさではあった。客席は満席とまではいかないが、八割方は埋まっている印象だろうか。
至って平凡な空の旅。
それがカルミアの抱いた率直な感想だった。
自席まで戻ると、丁度機内食が提供されるところだった。「フィシォビー」という謎の単語が魚か牛肉か訊かれているということは状況から理解出来たが、フィッシュと答えて出されたものが謎の山菜料理なのには閉口してしまった。
「宜しければ交換しましょうか?」
美丈夫がそう訊いてくる。余程表情に出ていたのだろうか。逡巡している内に褐色の男は二人の前に置かれているプレートを取り替えてくれる。
「ありがとうございます」
大人しく厚意を受け取り手にした料理は、全くもって尋常な牛肉の煮込み料理だった。ブロッコリーの付け合わせも丁度いいアクセントになっている。
あの山菜料理と取り替えさせてしまって申し訳ない、或いはベジタリアンだろうかと隣席を見れば、いつの間にやらあの山菜料理が白身魚のフライのようなものに変わっている。『ああ、そういうものなんだなあ』と納得するも、どうして納得出来たかは説明出来ない。夢の中とは概してそんなものだろう。
しかし不思議なことに、男はそれを口に運ぼうともしない。プラスチックのフォークも持たず、ただじっと運ばれたものに目を落としていた。
と、フライにぱかりと亀裂が入り、そこから何かが顔を出す。調理前の切り身だった。切り身はあれよあれよという間に衣から這い出し、プレートという大海に泳ぎ出す。それをがしりと美丈夫が鷲掴みにし、そのまま口にぶち込むのだった。
頬が不自然に膨らんだりしたことから切り身が口の中で暫く暴れていたのが知れたが、咀嚼音とともにそれも収まってゆく。嚥下し終えて彼は正面を向き、薄く目を開いて満足気に笑みを湛えた。
ポーン、とシートベルト着用のランプが灯る。乱気流に入るそうだ。見れば機体は黒雲に突っ込もうとしていた。忽ち機体が揺れ始める。機内食はいつの間にか片されていた。隣の美丈夫は平然としている。
「貴女はこの便がどこへ向かうのか、知っていますか?」
男は正面を向いたまま、カルミアにそんなことを訊く。カルミアにしてみれば、夢の中の設定など分かるはずもなし、殊更深く考える必要も覚えなかった。
「彼岸かしら」
そんな言葉が自然と零れる。当然、考えて発言している訳ではない。勝手に単語が出てきただけだ。
「その通り」
言って男はカルミアに振り向き、柔和な笑みを浮かべる。冗談を返されているのか本気で言っているのか、判断に苦しむ表情だ。
「人間、物事を考えていても、なかなか深い理解には辿り着かないものです。却って夢の中の方が、深い部分まで辿り着けたりする」
そう言って男はカップに入ったコーヒーを、つつと静かに啜る。それで飲み干したのだろうか、次いでカップを逆さに持ち、ぼんやりとそれに視線を投げた。
「要するにアレと同じですよ、考え事をしていて、風呂に入った時に名案が浮かぶことがあるでしょう。リラックスしている程、そういうものが降りてくる」
「しかしそれは、前提として色々考えているからでは? 前提なしでいきなり妙案が降りてくるなら、仕事なんてものは必要なくなるわ。それに――」
嘆息を漏らしつつカルミアもカップに目を向け、
「それとコレの行き先と、どう関わりがあるんですか?」
脈絡がない、と困惑気味なカルミアに、男は微かに口元を緩ませ、
「貴女も例外ではない、ということですよ」
言いながらカップを僅かに傾けると、コーヒーが零れて落ちる――天井に向かって。
窓外に目をやれば、いつの間にこうなったのだろう、飛行機は背面飛行をしている。それでいて機内は変わりない。CAさんは普通に歩いているし、乗客も変わらず空の旅を楽しんでいる。天井に向かい零れ落ちるコーヒーだけが、異常な現象のように映る。
「貴女は無意識下でこれが彼岸行きの便だと直感した。脳内で瞬間的に電気信号が連鎖した結果として。その正解に斯くも早く、正しく辿り着けたのは何故だと思います? ロスが少ないからですよ。実際貴女は何の気無しに、自動的にその答えを出している。考えている訳ではない。ニュートラルだからですよ」
ニュートラル。それは良い状態なのか、そうじゃないのか。
「ニュートラルに良いも悪いもないでしょう。それに、ギアが入った状態だと見えないものもある。だからこそ必要なんだと思いますがね」
そういうものですか。
「そういうものです」
自分が口を開いて会話していなかった気もするが、まあどうでもいい。分かってくれるなら、どうでも。
「それに人間、見たいものしか見ないものですからねえ」
「何の話?」
問えば男はどこからともなく、先程の機内食を取り出してみせる。白身のフライが、まだ一切れ残っていた。
「貴女、本当は魚なんていらなかったでしょう」
言って付け合わせの葉物をプレートの中央に寄せて、
「さっき口にしたばかりだからいいや、って、そう思ったでしょう」
こちらに寄越してきたと思ったら、次の瞬間にはそれが山盛りの野菜に変わっている。グリーンリーフ、ほうれん草、ラディッシュ、トマトやニンジン、カリフラワーも入って色鮮やかだ。何の手品を見ているのかという気になる――いや、実際夢の中だからそうなのだろうが。
「で、それ、食べたいと思いますか?」
夢の中で既に食事をしていたのも影響しているのだろうが、
「……率直に言っていいなら、あまり食べたくないわね」
そう、答えざるを得ない。ふむ、と褐色の美丈夫はアゴを摩り、
「理由を訊いても?」
「だって、結局の所食べ残しでしょ?」
言うと忽ち生野菜の海がちんまりとした付け合わせの葉物に戻る。「確かに」などと、変化を受けて男はプレートを自席のテーブルに戻し、それを口に運ぶ。残っていた白身のフライは、いつの間にか脱走し宙を優雅に泳いでいた。
「起きている時は、意識しないとギアが入りっ放しになっているものです。ドライブだろうがローだろうがバックだろうが、それはそれで何かしら負荷が掛かるものです」
「パーキングは?」
「動かないことを選ぶからって、負荷が掛からない訳ではないですからね。まあ、喩えの話ですから」
言って泳いでいた白身を掴み口の中に放り込む。横倒しになっていたコップを正位置に戻すと、天井に零れていたコーヒーが逆再生のようにコップの中に収まった。男はそれをゆっくりと、味わうように啜り始める。
「たまにはニュートラルでいるのもいいものですよ。でないと自分が外圧によって形作られてしまう」
ガタガタと機体の振動が激しくなり、客席に添乗員のアナウンスが流れるが、揺れの為か、何語なのかおよそ見当がつかない。
「難しいことを考えることは重要ですが、難しいことを考えないことも、同じくらい重要です。少なくとも私は、そう思いますよ」
「……でも、もうすぐ彼岸なんでしょ? ならどうだっていいんじゃない?」
それに美丈夫は軽く肩を竦めてみせると、小さく舌を出した。自分はあちらに渡るには、まだ早いらしい。
「まあ、到着したワケじゃないですしね。まだ全然戻れるんですよ」
「戻るって言っても、どうやって」
夢の中なのだ。その内覚めるだろうが――
「一番過激なのですと、貴女を刺すとか」
「もう少し穏当なものは……」
「穏当って言われましてもねえ……」
ドンッ
窓に何かぶつかる音が――
「ヒッ……!」
腕が窓に張り付いていた。瞬間、それは音もなく窓をすり抜けて、カルミアの腕を引っ張った。
「……! ……ッ!!」
椅子の上で縮こまった体勢のまま、彼女の身体が宙に放り出され――
「…………えっ?」
予想外の人物に驚く。
「これなら、少しは穏当でしょうか?」
外から伸びた腕は、隣席の美丈夫のものだった。彼は微笑みながら、カルミアを宙に放り出す。方向も分からぬ混沌へと。
黒雲の中、彼女は上下の境もなく、空へと落ちてゆく。
「いつか決断をする時が来るでしょう!」
風の音を縫うように男の声が聞こえてくる。
「その時は成功失敗なんて考えないで! 決断そのものが大事なんです! 私も――――」
最後は何と言ったか、風の唸りに紛れて上手く聞き取れなかった。
カルミアは落ちていく。
耳を聾する程の狂風に曝されて。
視界は漆黒に染まりゆく雲に覆われて。
落ちて、染まって、次第に身体が闇の色に塗り潰されてゆく。
やがて身体は闇と同化し、定常の世界のように変化することをやめる。
(……これが死?)
ぼんやりそんな事を考えるも、考える事が出来ている以上、『私』という存在はまだここにあるのだろう。
であればまだ死ではないのだろうが――
(これが死なら、存外退屈そうね)
そんな事を、ぼんやり思う。
闇の中で彼女は瞳を閉じる。
そうしていつもの、寝る前の自戒の言葉を、心の中で繰り返す。
(……他人に心を許すな、許した結果を思い出せ)
瞬間、怒りが呼び起こされたからだろうか。身体に浮遊感を覚え、それとともに意識も急速に浮上してゆく。
嗅覚が強い香りを検知する。だがそれが何か、上手く思い出せなかった。有名な花だ。知らない筈はない――
……或いは思い出したくないのだろうか。
微睡みから完全に覚めるまで、どうしてもその名が出て来ないのだった。
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