23.客が訪れる理由
『専門医』が『案内人』である。それは、その医師を懐柔しない限り、界渡りが出来ないことを意味するのではないか。シアもそこまでの予想はしていなかったのか、驚きに目を丸くしている。
いや、正確にはこの街の案内人は一人ではないし、いざとなれば自力で結節点を探せば良いだろう。しかし――
「アベルさんなら、すぐに目的地まで辿り着けます。滅多に姿を現さないのも事実ですが……」
専門医の双子の兄弟であるもう一人の案内人は神出鬼没らしい。現れたならきっと協力してくれるだろうと、レイはそう言っていたが。
「はなから其奴の方を訪ねるのは無理かの」
「難しいかと」
それに、と店の奥に転がる二人を見やりレイは続ける。
「そこの二人を無力化した以上、早目に渡界なり街を脱出するなりした方がいいと思います。ここにいるということは割れていますし。逆に力を見せつけて、街の住民や案内人に認めさせるという手もありますが――」
「いざとなれば力を示すのにやぶさかではないが、無駄に波風を立てるのは本意ではないのう。それに、スマートでもない」
テトが深く体を沈めて伸びをする。こいつは何となくまだ暴れ足りなさそうだな。ダイフクは……動かないから分からん。
「……一緒に行って、何か知りたいの?」
カルミアの問いに少年は僅かに口籠ると、ややあって重い口を開く。
「先代が……伯父が、記憶を消されてるんです。風土病だと言われて」
口を挟まず続きを促す。
「ただ……行方不明になってしまったんです。多分、別の界に捨てられたんだと思います」
その人を探しに行きたいということか。しかし――と引っ掛かりを覚えてしまう。
「記憶を消されるのは半日程度とか言ってなかったか? 余程の悪さをしていた訳でもあるまいに、記憶だってその程度の消え方なら、すぐにここに戻って来られるだろう」
そう言うと、レイの顔が曇る。ややあって、
「一度、帰って来てはいるんです。ですが、その時には既に……記憶の大半を、失くしていました。伯父を家まで連れて下さった方は、風土病らしい、と仰っていました」
同じ風土病でも、症状や後遺症に個人差があるということか。若しくは治療自体に失敗したのかも知れないが、それで少年が疑念を抱いたとしても、何ら不思議ではない。
「翌朝には姿を消していました。先生は『しょうがない事だ』と仰っていましたが……何か不味いものでも見られて、記憶を消したんだと思います。その状態で、別の界層へ……」
伯父についての責任と、何処に捨てたのか、その行方についての情報。彼がその人物に求めているのは、その二点か。
「探しに行こうとは思わなかったのかい」
問うと少年は逆に、
「帰ってくる場所がなくなってしまっていいんですか?」
そう反問する。
「ここは、伯父が長年守ってきた店です。帰る場所は……守らなければ」
でも、と尚もレイは続ける。
「結局は、その心情すら利用されていたのかも知れません。帰る場所を守らせて、旅人から記憶を奪う片棒担がせて……でも、もう頃合いです。こちらから、探しに行きたい」
記憶を消されて治る奇病。ある者は治癒後も普通にこの地を巡り、ある者は神隠しの論理で消されていく。治療をしている筈なのにどこか臭いものに蓋をしているような、そんな気持ちの悪さがそこには漂っている。
「で、どう乗り込むつもりなのじゃ」
「……自分は幻術の魔法が使えるのでーー」
――――――
「成程、やはりそういうワケか」
経緯を聞いた医師――カインは、意外にも落ち着いた声音だった。泰然と胡座をかき、頭に被せられた覆いの下から中空を見つめている。
対してレイは、冷めた表情ながらも、色濃く疲労の色が顔に浮かんでいる。横たわるウキクサとカルミアの姿がぼやけ、潜んでいた例の男二人に変わってゆく。入れ替わるように立っていた男二人が姿を変じ、横たわっていた筈の二人になる。
その場に座り込む少年。かなり顔色が悪い。
「全く、無茶をする。少し休んでおれ」
シアが言うと、緊張の糸が途切れたのか、少年はその場で吐瀉物を撒き散らした。
彼が使っていた魔法は『幻術』。完成度も高いが、反動も大きい術なのだという。
「ふん、あまり床を汚さないで欲しいものだ」
男は嫌味を口にする余裕すらある。そうしてシアの声がした方に向け、平然とした口調で、
「で、あんたらを結節点まで連れて行けばいいのかな」
悪びれていないとも、皮肉とも言い難い調子。シアの方も思わず言い淀んでしまう。
「まあ……有り体に言ってしまえば、そういうことじゃな。お主の弟とやらに頼むつもりではあったが」
「分かりました、じゃあ私が連れて行きましょう。なのでコレとコレ、外してくんないかな」
顎をしゃくって頭巾を示し、後ろ手に縛られた両手を上げてみせる。
「存外素直じゃな。しかしどう信用しろと?」
「ふん」とそれには軽く鼻で笑って、
「これ以上あんたらに関わると、碌な目に遭わなさそうだからな。それに強いて力のある奴の相手をするつもりはない。その位は身の程を弁えているつもりだ」
嘆息をつき妖精が「いいだろう」とこちらに目を向けてくる。胃液を吐き出し苦しんでいるレイは分からないが、他の皆も概ねそれで異存はないようだった。手首の紐を切り、頭の覆いを外してやる。
「……あまり眩しくないな…………っ!?」
当然、一から十まで心を許した訳ではないので、それなりの備えはしてある。案内人の目の前には山猫が立っている。円く目を見開き、射抜くような視線を向けている。
「変なことしそうだったら噛み付いてくれ」
伝わったのか分からないが、山猫は「ニャーゴ」と了の返事らしきものをした。
「心配しなくても変な真似はしない」
「それを判断するのは俺たちだ」
「ま、それもその通りか」
苦笑混じりに男は歩き、薬棚の奥から青い液体の入った瓶を取り出す。
「検めるかい」
「そうさせて貰おう」
シアが瓶を受け取る。宙に浮かせると、何がしか魔法でも使ったのだろう、程なく内部から光が漏れてくる。
「励起傷治療薬か」
「小僧に使うといい」
言ってどっかと男は診察台に腰を下ろす。
「勘違いされたまま消えられるのも、癪だからな」
「勘違い?」
カルミアが首を傾げる。
「どうせ俺のことを、稀代の悪人みたいに言ってたんだろ」
「勝手に人の頭の中を覗くのは、立派に悪人だと思うけど」
「ああ、それに関しては弁解しないさ。あれは半分趣味だ」
あっけらかんと男は答える。
「何故、なんて野暮なことは言うなよ。趣味ってのは、概してそういうもんだろう?」
男は奇矯な笑みを浮かべ、渡された薬でようやく人心地ついた様子のレイに向き直る。
「お前さんをある意味利用していたのは認めよう。だがそんな事は、もとより分かっていた筈だ。私もお前も、口にこそ出さないが、諒解はしていた」
レイは俯き黙したままだ。と言うより、まだ回復したばかりで身体が追い付いていないのだろう、肩を上下させている。
「しかし仕事について、そんな思われ方をされているとは……少しばかり心外だね」
「……『風土病』というのは、やはり嘘なのか?」
ウキクサが問うも、
「そんな事が知りたいのかい? あんたらの目的は第六じゃないのかい」
そう言ってあからさまに呆れた様子をしてみせる。
「まあ、気にはなるじゃないか。一応こっちは被害者なんだから、その位教えてくれてもいいんじゃないか?」
「……それもそうかもしれん」
言われて男は肩を竦める。特段話しては不味い事情もないようだった。
「結論から言うと、『風土病』は存在する」
腕を組み、そう言い放つ男。
「治療の代償に記憶を失くすのも事実だ。それ以上でも、以下でもない」
言い切られて、シア達は思わず顔を見合わせた。レイが嘘をついていたようには見えなかったし、かと言って目の前の人物が嘘をついているようにも思えない。ただの直感ではあったが、三人ともそう思ったのなら、少し詳しく事情を探る必要があるかもしれない。
「……別に俺らはあんたを断罪しに来たワケじゃない。あんたの言ったように、界を渡りたいだけだ。まあ、再び襲われるのは御免だ、ってのはあるが」
「ふっ、信用出来ないか。まあ、実際に『風土病』に罹った奴が運び込まれることは少ないから、それも仕方がないが」
……どうにもちぐはぐだ。
レイの言っていた男と、この男の口から流れ出る言葉とでは、どうにもまだ乖離がある。
と、当のレイが屈んだ姿勢のままに、喘ぎながらも言葉を発した。
「……では私が運び込んでいた人たちは、なんだったんですか。あの人たちも『風土病』だったと言うのですか。あの人たちは、どこへ行ったのですか。私の伯父も……どこかに捨ててきたのですか」
言葉遣いは丁寧だが、少年の瞳に映る色は、少々危うい。今にも相手の喉笛を噛みちぎらんばかりだ。
「貴方の答え如何によっては――」
「そもそも、お前は『風土病』の何を知っている」
「……何を、ですって?」
「そうだ。ここで一般に言われている『風土病』とは、どういうものだ」
問われ、思わず少年は閉口する。わざわざ答えるのも、相手のペースに乗せられるようで癪だった。
「なら私が代わりに答えてやろう。ここで言われる『風土病』というのは、山中の禁域が由来の感染症だ。倦怠感、発熱といった症状を引き起こし……」
「嘘だ」
一言だけ呟くレイ。それに対してカインは、
「何事にも口実や建前が存在するものだ。分からんのか?」
そう嘯いてみせる。
「趣味で覗き見しているのは除いて、残りは全て、『自らの意思で記憶を消されに来ている』んだ」
場に沈黙が落ちる。
言葉の意味を解するのにさほど時間は要さなかった。
「……また、適当なことを言っているのではあるまいな」
シアの言葉にカインは苦笑を浮かべると、「今すぐ証明する方法はないがな」と軽く肩を竦めてみせた。
「また嘘ですよ。そうに決まっています」
男の言葉には取り合わずレイがそう言うが、
「「…………」」
「……皆さん?」
今度は同意を得られず、少年は困惑の表情を浮かべる。沈黙の意味が分からないとでも言いたげだった。
「直近数時間程度の記憶なら、深い集中と労力さえあれば奪える」
男はゆっくり両手を突き出し、最前やってみせたように静かに目を瞑る。
「だが広範な記憶を消すには、本人の強い意志が必要不可欠だ。本人が強く望み、こちらに心から身を委ねることが出来なければ、『自分の記憶を消す』なんて秘術は、成功しない」
男の説明は淡々としている。物理の授業で必要な条件を生徒に教える、喩えるならそんな風情だ。現象を説いているのであって、そこに善悪は存在しない。
「……眠らされるのは何故だ。そうする理屈があると考えていいんだろう」
ウキクサが問えば、「当然だ」と男は返す。
「『記憶を消せます』なんておおっぴらに喧伝してみろ。邪な目的のある奴も、そうじゃない奴も、大挙して押し寄せてくるぞ。揉め事は御免だ」
真偽の確かでない、ただの胡散臭い噂話。吹けば飛ぶような曖昧さが、かえって都合が良いのだろう。運良く知った者だけが、辿り着けば良い。そういうスタンス。
眠らされた状態で運ばれてくるのは、直前で変心をされたりと、面倒を起こされない為。別段眠る時に、わざわざその旨知らされる訳でもないという。そこに関しては自分たちと同じ――そしてそれこそが、目の前の少年が受け持っていた役割であった。
そう考えると、患者と医師の関係と言うより、顧客と売主と表現する方がしっくりくる。
「自由を求めてしがらみに苦しむのは人間の宿痾だろうが、それがこの地では魔法なんてもので解決出来てしまう。ならば、これを『風土病』と呼ばずして何と呼ぶ?」
男は胡乱な眼差しを中空に向ける。そこにはある種の諦念とも呼べるものが浮かんでいるように思われる。
「待って下さい」
「うん?」
硬い表情でレイが口を挟む。
「なら、伯父も……」
言って途中で口を噤んでしまう。
当然だろう。
それは詰まるところ、自分は捨てられたのか、そうじゃないのか、という事を意味する。
目の前にいる男を責めるだけで済むなら、変な話、同じ悪いにしてもマシではある。だが、そうでないのなら――
「ふん」とカインはそんなレイの反応にも斟酌する様子はない。出てくるのはあくまで、事務的な口調のみだった。
「お前に教える意味がないし、道理もない。こちらは他人の頭の中なんてものを覗いてるんだ。それを言い触らすような真似をして、信用を失えと? 御免だね。一切合切守秘義務だ。力尽くだろうが、話すつもりはない」
記憶を消されて捨てられたのか、それとも蒸発したのか。解釈は自分で決めろと男は言う。突き放した台詞ではあったが、含意がある事も確かだった。
黙り込んでしまった少年を尻目に、男は他の面々を見渡す。
「お前達も、自由を望むか?」
挑むような眼差しだった。と同時に、僅かに色良い返事を期待してもいる、そんな風だった。
「面倒が起きるのは嫌なんじゃないのか」
「まあ、それもそうなんだがな……あんたら、なかなか面白そうだから」
言って再び、一行に舐めるような視線を向ける。
「知識は残る。幼児退行を起こす事はない。しがらみをなくし、自由に生きたい。そうは思わないか?」
伸ばされた男の手は、抗い難い魔力を秘めているようだった。思わず取ってしまいそうな、そんな誘惑に駆られる。だがそれでも結局、三人とも首を縦に振ることはなかった。
「自分の傷は自分で抱えていたいタチでね」
ウキクサがそう言うと男の方も、「残念」と大人しく引き下がる。
記憶を消したところで、何かが変わる訳でもない。下手をすれば前と同じ道を歩むことになるし、ともすればよりひどい目に遭いかねない。
過去を自分のものとするには、記憶が必要だ。
自分が変わる為には、蓄積としての記憶を持っていなければ、意味がない。
そう、ウキクサは考える。しかし――
(自分で抱え切れぬ程の傷を負った者は――)
そういった者にとって、ここは最後の希望なのかもしれない。
だからこそ客は訪れる。
だからこそ身を委ねる。
自分は偶々そうはならなかったというだけであって。
茫然と立ち尽くす少年の姿を見ていると、そういう風にも思ってしまうのだった。
明日は少し遅く、22:00過ぎの更新になると思います。




