20.最初の街
隠者の芝山を発つこと二日。道なき大地にも微かに轍や、人の踏み固めたような跡が見られるようになる。木立も増えてきたし、それに伴い空を飛ぶ鳥も頻繁に見られるようになってきた。やがてぽつりぽつりと、疎らに人家が立ち現れる。どれも朽ちてまではいないものの、纏う気配は重苦しく、陋屋と呼ぶのが相応しい。
これらの住人は基本的に余計なことは訊いてこない。そしてこちらから特別何か聞こうとしなければ、遠巻きに視線が向けられるばかりだ。
「旅をされてるんですね」
「精霊がここまで来るなんて珍しいですね」
「少し先に纏まった集落がありますから」
大概はこんなもので、誰も彼もその陰気な笑みの内側に本性を隠している。或いはそれは、他者への拒絶なのかもしれない。この階層に住まう者全体がこのような性向という訳ではないのだろうが……
「街の方に行けばもう少しマシな筈じゃ」
そこならより多くの者が、もっと雑多に暮らしているという。隠者モレインの話からも、妖精の知る当時とあまり変わりがないことは知れていた。第六の異界との連絡通路――結節点があるのも、彼の地であるとのことだった。
更に数刻歩くと、やがて件の街――村落が見えてくる。遠目に見る家並みは色鮮やかで、近付くとそれなりに年季が入っていることが分かるものの、先に見た家々より余程印象が良い。村は別段柵で覆われている訳でもなければ、武器を手にした厳めしい顔の男らに巡邏されている訳でもない。ただ見張り番の若い男が一人いるのみで、こちらを認めて、「おーい」と手を振っていた。
と、それまで馬鹿話をしていたシアが急に、「あー」と発したまま黙り込んでしまう。些か困ったような表情だった。
「どうかしたのか」
「あー、いや、多分……」
知り合いかと思いきや、どうもそんな風でもない。そうして小さくひと言、
「儂の知る頃と規模は変わらんが、中身は変わっておりそうじゃ。少しばかり、警戒した方が良いかもしれん」
警戒、か。
カルミアを見れば、表面上は笑みを湛えているものの、見張りの若者に向けられた眼差しは冷めている。恐らく私も同じような表情をしている事だろう。
ここに至る道すがらの、シアの言葉が思い出される。
『この第七異界は、もとより土地が痩せておる。鉱石なども採掘出来ないから、移住してきた者は少なかったのじゃ。更に実験の失敗で、危険な地というネガティヴなイメージが加わってしまった。これは求道者たちが活動を止めてからも、容易には払拭されておらんじゃろう。……まあ、要するに何が言いたいかというと――』
そんな世界にわざわざ来て、街を形成するような連中が、カタギであるとは限らない。いや、多くの者は真っ当に生きているのだろうが、その手の人間が多く隠れ蓑としている可能性が高いと、そういう事だ。「おーい」と気さくに近付いてくるこの男など、頗る胡散臭い。如何に人の行き来の少ない場所だとしても、見張り番が持ち場を離れるなど有り得ない。
「――ほう、精霊と人間と妖獣とは、珍しい組み合わせだな。旅人かい」
「うむ。近くまで来たのでな。折角じゃから、ちょいと立ち寄らさせて貰った」
「そうかいそうかい。まああまり大したものはないんだが……流石にこの時間ってことは、ここで宿を取るのか?」
日は既に赤く滲み始めていた。名一杯警戒するなら少し離れたところに野営してもいいが――
「そうじゃな」
妖精は是と返す。どちらの状況でも、この男が悪辣ならば大した相違にはならないと判断したのかもしれない。つまり、男の紹介で宿を取っても、野営していても、どちらにしろ襲われるリスクはある。
……改めて考えると、こちらの戦力になりそうなのは、シアとテトしかいない。あとは素人が二人と、戦えるのか分からぬ謎の生命体がいるだけだ。そう考えると、一気に心許なくなってくる。
「そうか。一応何軒か宿はあるし、間違っても満室なんてことはないと思う。こんな辺鄙なところだしな」
そう男は笑って、「良い旅を」と手を振り去ってゆく。
シアの顔を見ると、何とも言えぬ表情を浮かべていた。
「穿ち過ぎじゃったかのう」
そう言って頭を掻く。
確かに、あまりにも性悪説的に男を見ていたきらいはあった。よくよく考えてみれば、親切な人というのは概してああいうものだ。フレンドリーと言ってもいいが。宿に案内されそこで身包み剥がされるんじゃないかなどと一瞬でも思った自分を恥ず――
「私は信用出来ないわ」
緩みかけた空気を、カルミアの声が割って入る。
「あんな胡散臭い男、そうそう信じられないわ。もしあれで素面なのだとしたら、尚のことよ。あんな無垢さは、却って気色悪いわ」
強い言葉で否定され、シア共々顔を見合わす。
親切と無垢なる善意の違いは何処にあるのだろうか。行為としては大した違いはない。それでいて二つのニュアンスの違いは、そのまま好悪に直結しているよう感じられた。
街では小規模ではあるが、市のようなものが開かれていた。食材や金物を売る彼らの身なりは決して粗末なものではなく、それなりに生活が成り立っていることを窺わせる。或いは行商人の類かもしれない。聞けば偶々今日が半月に一度の市の日で、常の人通りはもっと閑散としているという。それでもそこから街の人口を推してみると、
(……千人規模くらいにはなるのか)
周辺から人が訪れている可能性を加味しても、決して少なくはない数と言って良いだろう。
家々は基本的に平屋で、坪数の小さな戸建が多いものの、長屋のような大きめのハコを区切って使っているところも少なくない。宿は何軒かあるとのことだったが、平素ならともかく、市が出ている日に、本当に空室があるものだろうか。
一先ず訪れた宿の内一軒は、地質調査か何かで訪れたという一団により部屋を占められており、もうひとつ訪れた方は泊まりがけの商人衆により空きがなかった。
「どうするよ」
二人に訊いてみるも、流石に「うーん」と渋い反応が返ってくるばかりだ。野宿するのもアリかもしれないが、やはり寝具のある無しで疲労度は大きく変わる。金は道中物々交換で用立てていたので、可能ならば宿に泊まりたかった。
そんなときだった。宿の主人がカウンターからひょいと身を乗り出し、「あっち方面に行ってみな」
何かと思えば、「あんま立派じゃあないが、一応宿がある。待ってな、一筆書いてやる」
ここにある宿はその三つで全てらしく、事情を察した主人が紹介状を書いてくれた。紹介されたのは本業が別にあるらしく、どうしても部屋が空かないときに融通して貰っているのだという。
紹介状片手に目的地まで向かってみれば、そこはかなり年季の入った酒場兼食堂だった。声を掛けても人の気配はなく、間口は狭い。奥に長い作りで、テーブル席は奥にひとつだけ。残りはカウンターになっている。格子窓から入る光は奥までは届かず、等間隔に並ぶ燭台に火が灯されていた。テーブル席の裏手には階上に向かう階段があることにはあるが、結構な勾配で、手摺りもない。地階に客室になりそうな所はないから、恐らくこの上がそうなのだろうが――
「ああ、いらっしゃいませ」
店の入口を、荷物を抱えた男の子が入ってくる。歳の頃は十三、四といったところか。心なし、疲れた目をしている。或いは、元からそういう目つきなのかもしれないが。
「夜は定食のみの提供になりますが、宜しいですか。あ、因みに今日は白身魚のフライと付け合わせになります。パンとスープ付きです」
「ああいや、宿を取りたいんだが」
言って紹介状を取り出すと、少年の眉が僅かに上下する。
「承りますね。皆様で一部屋の使用なら、全員分で一泊銀貨二枚になります」
ここに来るまであちこち彷徨って店を覗いていたから、大体の物価は知れている。屋台で出してたケバブのようなもので、一食たっぷりが銅貨三枚だ。銅貨十二枚で銀貨一枚なので、三人プラス二匹で使うことを考えると、かなり割安であるよう思われる。
「因みに朝晩は付くのか?」
「勿論です。夜間は流石に無理ですが、お声掛け頂ければ、お望みの時間帯にお出し出来ます。外に食べに出られても構いません。但し料金の方は変わりませんので、ご了承下さい」
それで良い旨伝え銀貨を手渡すと、「では準備させていただきますので、お掛けになってお待ち下さい」と少年は階上に上がっていく。階段は酷く軋んでいる。
「……で、どう思う?」
皆に問えば、
「まあ、そういうことかもしれんな」
妖精が返してくる。
「ただの思い過ごしだとは思うがのう。万一そうだとしても、事情があってやらされているのかもしれん」
「それはそれで、何か面倒そうね」そんなことを言っている内に少年が下りてきて、「お待たせしました」と呼んでくる。テトとダイフクが先頭を切って階段を上り、その勢いに、「うわっ」と思わず少年は驚きの声を漏らした。
上がってみると部屋は僅かに三つだけ。内ひとつ、幾らか狭い部屋は従業員用のものらしかった。部屋にベッドは二つ、綺麗に手入れされており、埃も落ちていない。開け放たれた窓の向こうには、並ぶ家々の赤屋根が美しく映えている。その向こうには赤い大地が、そして遠く縁取るように、微かに緑の芝が見える――とまではいかないものの、中々の景色だ。ベッドに腰掛けてみると、心地良い反発を感じる。いつ以来の感触だろうか。
「それで、お食事は如何なさいますか」
「一時間後くらいでお願い出来るかな」
「畏まりました」と、少年は下がっていく。
それを受けて妖精が、「さておさらいじゃ」と皆に切り出す。
「第七異界の結節点は基本的にこの街のどこかに現れる。範囲が広く固定されてないのは、そこに強い負荷が掛かるからじゃ。結節点は移ろい、界を渡りたい者はそれを探すことから始めねばならん」
カルミアと揃って頷く。
「その為に通常は案内人を訪ねるのじゃが――ここは言ってみれば辺境じゃからな。問題の発生したところに強いて来ようという物好きは、そうはおらん。従って案内屋の数も、多くて二つ程度だと踏んでおる」
つまり、結節点の動向を注視し把握しているのは、僅かに二人、或いは二チームということになる。
「渡界希望者というのは、何となく雰囲気で分かるものだ。装いであったり、落ち着きのない様子でな。我々も、自分自身ではいつも通りのつもりでも、はたから見ればお上りさんそのものだったりする」
まあ、人間の方は何とも言えないが、妖獣の方は、確かにあちこちキョロキョロと目が移ろっていた。
「なので下手をすればいいカモに思われてしまう。ましてや我々はここの部外者じゃからな。街の住民からしてみたら、ひと目、ってやつじゃろう」
「だろうな」
「そしてこの街に実際に入ってみた感触じゃが……」
シアの顔が曇る。
「やはり気になるか」
妖精は静かに頷く。
「街にとって変化は必定のこととはいえ、些か雰囲気が変わりすぎておる。それに全体的に澱んでいるとでも言おうか……」
その表現は言い得て妙だった。初めて訪れる自分からしても、この街は何とも言い難い肌触りがする。活気がある訳ではないが市に人は集まっているし、宿も埋まっている。それでいて街中には一種通奏低音のように、倦んだ気配が漂っている。
「何れにしろ、少しばかり注意せんといかんだろうな」
言ってシアは窓外の街並みに目をやる。かつての街並みと今のそれでどれくらい変化があったのか、その辺りは図り知れないが、外に向けた仏頂面は景色など見ていないのだろう。ぶつぶつと何か言っている様はどこか滑稽で、カルミアと顔を見合わせ思わず苦笑を浮かべてしまった。
夕餉の時間になり階下へ向かうと、芳しい香りが階段まで漂ってくる。恐らく魚料理、定食のメニューと同じなのだろう。
テーブル席には既に料理が並べられていた。白身のフライと付け合わせ、パン・スープ付き。普通の定食サイズが二つ、子どもサイズのものがひとつ、そして妖獣にはワンプレートでそれが提供されていた。時間が少し早いのもあって、カウンターは他に客がおらず、貸し切り状態だ。山猫が食事を前にして大きく目を見開く。ダイフクはウニョウニョと動いたと思ったら真っ先に食い付き、プレートごと丸呑みしてしまった。
呆気に取られている少年に、「ああ、皿はちゃんと返してくれるから」と言うや否や、ダイフクが器用に皿を卓の上に戻した。実は皿ごといっちゃうんじゃないかと、内心ハラハラしていたりしたが。
「えっと……ひとまず料金に含まれるものは以上になりますので、追加のご注文の際はお声掛け下さい」
少年はそう言ってカウンターの内側に引っ込み、夜の仕込みの続きに取り掛かる。
「注文、って訳ではないのじゃが、宜しいか?」
「はい、何でしょう」
「実は案内人を探しておってのう。在所が分からず難儀しておる」
「案内人ですか……それなら」
言いながら店の奥から何かを引っ張り出す少年。かなり色褪せくたびれている。
「これは、この街の地図か」
「はい。と言っても昔のものなので、今はかなり様変わりしてしまっているのですが」
地図で見るとこの街は、欠けた星形になっている。八つの角の内、二つ三つが欠け落ちた星。中央の公園に向かって引かれる街路。柵が巡らしてある訳ではないが、所謂星形要塞と呼ばれるものを極限までコンパクトにしたような、そんな造りになっている。
「案内人は個人でやっている二人だけになります。それぞれカインとアベルと名乗っていますが」
言いながら指を北辺の辺りに滑らせる。
「この辺りにお二人の共同事務所があります」
「ん? 二人でチームってことなのか?」
「ああ、いえ」
語弊があった、と少年は被りを振る。
「事務所は共同で使っているのですが、仕事は完全に別々なのだそうです」
訊けば二人は双子とのことだった。双子だったら協力して探せばいいのに――と思ってしまうのは、偏見なのだろう。いつでも一緒にいる、なんてのは勝手なレッテル貼りというやつだ。そしてやはり偏見という訳ではないのだが、
「お主は一人で切り盛りしておるのかえ」
妖精の問いに少年は苦笑を浮かべ、
「はい。まだ三年になろうかという頃ですが」
「ほう、しかしやはり色々と大変なんじゃろう」
「いえ、良くして下さる方も――先代の頃からお世話になっている方もおりますので」
「ほう、そうかそうか」
言ってシアは感心したように何度も頷く。少年はそれに営業スマイルで返しつつも、ちらと料理の方に目を向ける。スープの湯気はまだ立っているものの、あまり話が長くなると折角作ったものが冷めてしまう。
「おお、すまんすまん、折角の料理じゃ。温かい内に食さねばな」
妖精の言葉に心なし安堵の表情を浮かべ、仕込みに戻る少年。
「じゃが――」
はい? と再度顔を上げた少年の首筋には、フォークが二本、ピタリと突きつけられていた。
持っているのは今し方彼が相手をしていた内の、人間二人。カルミアと、ウキクサ。
冷たい刃物の感触を受けながら、気配を感じちらと少年は目だけを入口の方に動かす。
そこにはテトが――目を大きく見開いた山猫が、道を塞いでいる。
正面に影が落ちる。視線を戻せば、そこにはあの妖精がいた。
「――得体の知れぬものを混ぜられた料理など口にしてやる義理がないと、そうは思わんか?」




