19.隠者の芝山
放擲された物置小屋。野放図に生える草。人気の絶えて久しい『元』集落は寒々としている。石造りの長屋は、長年風雨に曝された為、漆喰が剥落している。破れ窓から見える室内は塵埃に塗れ、残された食器の類が、僅かに在りし日の営みを映し出しているばかりだ。
修道院の廃墟。それがここの第一印象だった。
「昔は二十人程が、ここで共同生活を送っていたんじゃが……」
それも見る影がない。放擲されてからかなりの時日を経ているのは明らかだ。
「まあ、雨風は凌げるから――」
カルミアが口にしたところで、テトがハッと顔を上げる。
「どうしたの?」
山猫は問いに答えることなく、ただじっと建物の向こう、小高くなった丘の方に目を向ける。丘の上には小さな物見小屋があった。
「煙突から煙が出てるぞ」
皆が集まり、同じ方に目をやる。白く立ち上る煙は真っ直ぐ空の只中へ消えてゆく。
「まだ誰か残っておったか」
明らかな人の営みに、シアの顔も思わず綻ぶ。緩い丘を登りきると、
「……これは、なかなかどうして」
それきり言葉が出てこない。背後からカルミアが追いつき、感嘆の声を上げる。
そこにあったのは一面芝に覆われた、広い草原だった。あまりの鮮烈さに思わず言葉を失ってしまう。蒼穹の下広がる緑の海は、ここまでの赤い大地と見事なコントラストを描いている。
「久し振りに目にしたが、やはり気持ちのいいものじゃな」
「知ってたのか」
「有名じゃったからな。……お主ら、あまり食うでないぞ」
それを聞き、承知とばかりにダイフクとテトが飛び出し、元気に緑の中を駆け回る。子どもの時分なら、きっと自分も同じようにしただろう。まあ、同じようにして駆け回っている女もいるが。
「――お客とは珍しい」
不意に背後から声を掛けられる。
丸眼鏡を掛けた老年の男だった。見た目は七十半ばか、八十近いだろうか。木製のマグを片手に、ポカンとした面持ちだ。
「邪魔をしてすまない。旅をしておってな、ここにも以前立ち寄ったことがあるのじゃが、ここまで広い芝山だったかのう」
それを聞き、男が笑む。
「ここ最近の話じゃよ。仲間が皆居なくなっちまったからな。言ってみれば寂しさを紛らわす為に広くしたのさ。ただでさえ広かったのにな」
「と言うと、貴方が手入れを?」
「ああ、種蒔きもやるし、水も毎日撒いておる。これだけの広さだとなかなか骨が折れるがね」
芝は丘の上に建つ家から一方向に緑を広げている。それこそ地形の起伏で見えなくなるまで、ひたすら。登ってきた側と見比べると、同じ土地かと自らを疑いそうになる。
「丘の片側だけなんですね」
問うと男はどこかバツが悪そうに、或いは恥ずかしそうに、
「あそこはあそこで、あのままにしておきたくてな。ないとは思うが、仲間が帰ってくるかもしれんから。まあ、そっちの手入れまでは出来ていないんだが」
「仲間、ですか」
隔絶した地で仲間を待つというのは、どういう心持ちなのだろう。再び会うことのないかもしれぬものを、待ち続ける心境は。
しかしシアの話と、今のこの御老人の語り口からすると、彼が件の『隠者』、その最後の一人なのだろう。
隠者が仲間の帰りを待つというのは、どこか自分の中でしっくり来ないものがある。別にケチを付けるつもりはないのだが。
……いや、考えてみれば自分だって似たようなものじゃないか。少なくとも俗世間を捨てようとした点では同じだ。森の中、一人で暮らしてもいた。そして一人で生きようとして――いざ他人と触れ合ってしまうと、どうしようもない気持ちが沸き起こってくる。
「実は界隈の最近の事情には通じておらなんでのう、済まぬが力添え頂けぬだろうか」
「なるほど、そういうことなら」
白く蓄えられた口髭と顎髭を摩りながら、
「お上がりなさい。私が分かる範囲で良ければ、ゆっくりと話させて頂くよ。ああ、美味い紅茶もあるぞ」
言って手に持つマグを振ってみせるのだった。
『隠者』は名をモレインと言った。世俗と関係を絶って六十余年、一人になってからも既に十二年になるらしい。ここに世俗から離れた人間が集まるようになった、その第一世代だという。
「『隠者』と言ってもその内実は人によって様々でな。世界の真理を探究する者もいれば、宗教的な達成を目的とする者もいた。罪を犯して逃亡していた者も、中にはいたな」
つまり単一の思想信条を持つ者の集まりではなく、個々人の方向性や事情を第一に置いた、緩い括りで一般にそう呼ばれていたのだという。
最表層である第七の異界にそんな者たちが集まってきたのは、まず第一に人が少ないからであった。
歴史自体が浅く、土地も多くが荒涼とした大地。森林地帯はあるものの、かなりの距離だ。そういった土地柄、移住するのにはそもそも敬遠されてきた。時折一旗上げようとやってきては鉱脈がないか探す者が現れるが、暫く経てばその尽くが諦め消えてしまうという。
隠者が惹かれたのは、まさにその点であった。目的は違えど、自分の中に深く潜るにはうってつけの環境。初めは皆その高邁な理念を胸に、苦しみながらも意気揚々と、それぞれ一人の生活を送っていた。
しかし程なく、問題が浮かび上がってくる。生活するのに向いた場所というのが、どうしても限られていたのだ。庵を築くのに、程良い洞窟もなければ、ウロ穴もない。食料の入手手段も乏しい為、荒野の真ん中で行き倒れそうになって辛うじて他の者に助けられる例が後を絶たなかった。共倒れになることもあったという。
そのような経緯があって、修道院のような建物が建てられることになったのだ。隠者の本義と矛盾するかしないか、その辺りは専門ではないから何とも言えないが、互いの利益の接点を探る形で、自然とそのような方向になったらしい。
「そういう意味ではニセモノの隠者さ、私なんかは。ホンモノはもっと透徹として、上手く、一人で暮らしておる」
「止むに止まれぬ事情、というやつではないでしょうか」
そう返すと老爺はカラカラと陽気に笑いを上げる。
「止むに止まれぬ事情と、互いのエゴの為に協力することとは、別物だろう」
言ってくいっ、とマグを傾ける。湯気で丸眼鏡が薄く曇った。つられて自分のも口に運ぶと、華やかな香りが立ち上る。味は些かクセのあるものだったが、決して嫌いな部類ではない。
「これは、貴方が?」
「ああ、自家栽培した茶葉で作っている。コーヒーの方が宜しいか?」
「いや、特徴的だけど美味いです、これ」
「左様か。他の方も、遠慮なく言ってくれ。こう長く一人で暮らしていると、客観的に物事を見なくなるきらいがあるからのう。ジジイの道楽に付き合うと思って感想を言って貰えるとありがたい」
男の物言いに思わず頬が緩む。エゴだ何だと言っているが、それに対する向き合い方は真摯だ。でなければ、これほど美味い茶葉も作れなかったろうし、突然の来訪者をここまで寛がせることもなかっただろう。……単に紅茶の感想が聞きたかっただけ、という可能性もあるが。
「貴方は何故隠者に――」
「これ」
問おうとし、窘めるようにシアが割って入る。確かに、向こうから話すならともかく、こちらから聞くような事ではないかもしれない。わざわざ『隠者』なんてものになっている人間だ。紆余曲折あってここに至っただろうことは容易に想像出来る。土足で踏み込むような真似はしたくない。
そんな思いでちらと相手を見やれば、「ハハ、大した理由じゃないわい」と手を振られてしまう。
「ちょいと、ヒトの間で生きることに疲れちまってな。気付いたら出奔してた。どうも一人が好きなタチみたいでな――まあ、エゴさ」
その同じ人物が『仲間が戻ってくるかも』などと言っているのだから、何割が本当のところなのかは分からない。しかしそれはそれ、実際はどちらも本気なのかもしれなかった。
「儂の研究対象は草花でな。荒れた大地に適した品種を探したり開発するというのは、なかなか心躍るものだったりするのだ」
「そうして出来たのがこの芝山、ってこと?」
カルミアが問うと、「まあ、これ実は自生種なんだがな」との答えが返ってくる。
「マナの豊富な種でな。主らのツレも食んでおったな」
見ればダイフクもカノープスも、心なしかツヤツヤになっている。何となくだが、マナを補給したからだろう。シアが「食い過ぎるな」と言っていたのは、ここの景観に影響を与えることを恐れてのことだったのだ。
「――まあ儂のことはこれくらいで良かろう。逆にお前さんたちは、どこへ向かってるんだい」
どこから、とは男は問わなかった。薄々察しているのだろう。
「差し当たりは街へ向かおうと思うておる」
「風来坊かい」
「いや、赤子じゃな」
シアが返すと隠者が目を見開く。
「マレビトか」
「如何にも。ああ、儂はどっちかと言うと風来坊の方じゃぞ?」
だろうな、と相手は深く息を吐く。「精霊を目にするのは稀だが、マレビトはもっとだな。昔、何人か会ったことがあるが。だがそれも遠い昔の話だ」
「……あまり大っぴらにしない方がいいんじゃなかったのか?」
シアに問えば、
「あくまで一般的には、な。隠者は世俗と交わらんからのう。心配ない」
「街の者に知られると不利益が起こるか?」
これには隠者が少し考え込むように顎を摩り、
「ないとは言えない、かな」
それからややあって、
「お宅らが何を良しとするか次第、じゃないかい」
「何を良しとするか?」
鸚鵡のように返してしまう。含意が広過ぎて男の意図が読めない。
「世の中色んな考えの奴がいる。曖昧な言葉を曖昧な言葉として受け取ってくれる者もいれば、自分の都合の良い方に解釈するタチの者もいる。問題が起こったとして、それを前向きに捉える奴と後ろ向きに捉える奴がいるようにな。結局のところ、自分が何を是とするか、それをどの程度是とするかで、心持ち、って奴が変わってくる。自分に自信を持てるか、と換言してもいい。道に迷ったとき、自分の羅針盤になってくれるもの。それを儂は自信だと思っておるが」
身につまされる見解だ。上手く反駁する言葉が見当たらない。
「だから利益不利益なんて考えず、普通に相手すればいいんじゃないか? それが恐らく、一番気持ちのいい生き方だ――と、儂はそう考えている」
言ってくいっ、と再びマグを傾け――中身が空だったのだろう、戯けてそれをぷらぷらと振ってみせた。
「シナモンがいいんじゃない?」
「ん?」
「だから、シナモンよ。紅茶」
カルミアの言に、ああ、とややあってから反応する。
「ほう、こいつにシナモンを? ミルクや砂糖くらいならやったことはあるが……」
「折角特徴的な味なんだから、それを薄めるのは勿体ないでしょ? シナモンならそれを損なうことなく、引き立ててくれるんじゃないかって」
「なるほど……しかし残念ながら手持ちにその部類はなくての……まあ、作ってしまえば早いか」
そう言って隠者は半眼で窓の外を見遣りながら、「何処の木で桂皮を作っていたか……」ややあって思い出したのか、「ああ、あの辺りか!」とカルミアに満足気な笑みを向ける。
「何とか自前で作れそうじゃ。礼に、質素だが晩餐でもご馳走させてもらおう」
質素な晩餐、と隠者は言ったが、実際は全くそんなことはなかった。スープには自家栽培の根菜類がゴロゴロ入っていたし、パンは素朴だがひと噛み毎に不思議と力がつく感覚がする。主菜には鳥の燻製が出てきたから驚きだ。辺りに良く出るのかと訊くと、もう少し下らないと出てこないという。
これだけのもてなしを受けてそのままというのも気が引けたので、相談して手持ちの干し肉とフリーズドライ化した調理品を幾らか分けることにした。フリーズドライの方には、「便利だな、こりゃ」と驚いていたが、それ以上に猪の干し肉には喜ばれた。曰く、「この界隈じゃあ、まずお目にかかれないんだ」とのこと。ダイフクたちはある程度草を食べたからそこまで食欲はなさそうだったが、それでも燻製には食指が動いたようで、旨そうに骨まで平らげていた。
その日はそれで辞去し、例の廃院で一夜を過ごした。隠者は泊まってもいいと言ってくれていたが、そこまで甘えるのは流石に気が引けた。
翌朝、改めて訪ねてシアが道についての相談をする。隠者は地図を持っていないらしく、紙に手書きで経路を書いてくれた。
出発の直前、「何で芝山だったんですか」と、カルミアが不意にそんなことを訊く。それに隠者は軽く笑いながら、
「まあ、第一に視覚的に見てて心地良いからだが……荒野に住む隠者は邪悪な存在だ、って迷信に、そんなことはない、って示したかったのかもな。或いは、『荒野に住む隠者が住処を芝で覆われた一帯にしたら、そいつは邪悪じゃなくなるのか?』って言いたかったのだろう。隠者の癖に自己主張したがってた、若気の至りさ。それを今でも年甲斐なく、ダラダラと続けてる」
そう語る隠者の顔は、どこか子供っぽい無邪気さを覗かせていた。
芝山を下っていく。遠く、視界の彼方まで緑の海が広がっていた。振り返ると隠者はまだ丘の上に、こちらを認めて手を振っていた。こちらも振り返すと、頃合いと認めたのだろう、小屋の中にその姿は消えていった。澄んだ青空を柔らかな風が、撫でるように吹いて過ぎる。微かに花の匂いが乗っていた。皆揃って、行く先に向け目を細めていた。
「やはり人との出会いは、面白いのう」
妖精が呟く。後ろ二人は必ずしも同意しない言葉だったが、それ以上に芝の合間から野花が顔を出す美しさは、心洗われるものではあった。
……三十分も歩けば赤い大地に戻り、皆思わず嘆息を漏らしてしまうのではあったが。
――――――
丘の上から客人を見送る男の影があった。遠くから姿を認められ、男は義務的に手を振っていた。振り返された手に軽く頷くと、そこでようやく小屋に戻ってゆく。
(――酷く、神経を遣った)
思わず漏らした溜息には、疲労の色が濃く滲んでいる。マグカップの紅茶も既に温くなっていた。
(あの精霊は確か……いや、しかし……)
隠者は一度被りを振る。深く考え過ぎるのは、却って自身の精神衛生上良くない。そう判断して、男は鉛色の外套を手に、三角帽を深く被る。
そうして、「桂皮……桂皮……」と呟きながら、裏手の赤い大地を下っていく。
その姿は紛う方なき、真に隠者のそれだった。




