16.求道者の塔
『求道者の塔』は、およそ四十年前に建てられたという。優れた魔術師集団による建築で、建てられた目的は異界の突破、言い方を変えれば『向こう』の世界へ到達する研究の為だった。
初めは純粋に専門家の集まりだったらしい。だが次第に噂を聞いて各地から一般の者が集まって来て、それなりの規模を形成するに至ったのだという。
『帰還』を切望する一世や二世を中心とした彼らにとって、それは『変異の抑制』を求めて、という意味でもあった。身体の組成率がこちらの世界に傾くほど渡り辛くなる実際的な要素に加え、外見の変化というシアが言っていた『心的な要因』が働くのだから、それももっともだろう。仮に帰還方法が発見・開発されても、この地にいる限り、変異は基本的に不可逆だ。影響を減らせるならそれに越したことはないし、その術を魔導の泰斗に期待する者は多かった。また意外と言ってはなんだが、単純に父祖の生まれた地に行ってみたいという好奇心で集まった輩も、それなりの割合存在したらしい。
「でも優秀な魔術師って、その組成率が結構こっち寄りの人が多いんじゃない?」
ガラス張りの個室が並ぶ塔の中を歩きながら、カルミアが小首を傾げる。
「それだと仮に突破する方法が見つかったとして、一番の功労者は向こうに渡れないワケよね? それに自分の変異を抑制すると、多分扱えるマナの量も落ちるんじゃ……?」
「まあ、確かに半ば矛盾しているんじゃがな」
前を飛ぶ妖精は苦笑ともつかぬ表情を浮かべた。
「高位の魔術師は、それだけマナのコントロールにも長けておる。マナに曝されて過度に変異するリスクを抑えるのも得意なのじゃ。研究としての変異の抑制は、自分たちの技術向上が目的の一つではあるが、どちらかと言えば集まってきたマナ操作の不得手な者に対してという側面が強かった」
シアが視線を前方に投げる。透明な部屋の中には恐らく家族なのだろう、目を瞑ったまま固まった人間が五体、ふわふわと浮いている。見れば皆耳が尖り、全体として筋肉の少なそうな印象を受ける。あれが、変異がもたらした結果なのだろう。
「エルフじゃ。長耳族とも言う」
次いでその奥の部屋、斜向かいとアゴで示して、
「その奥が所謂オーク、あっちに見えるのはドワーフじゃな」
何れの部屋の者も、身体の一部が明らかな変異を起こしていた。
「ひょっとしてここにいるのは、後から来たって言う、専門家じゃない者たちか」
「ご名答。良く分かったのう」
「専門家集団――つまり魔術師はマナ操作が得意なんだろ? ならもっと外見の変化は少ないんじゃないか、ってな」
「ふむ。まあ、概ねお主の睨む通りじゃがな。中にはそれなりの変異をしている奴もおる。ただの傾向として捉えておいた方が良いじゃろうな」
「そうか」
会話を交わしつつ、幾つもの部屋の前を通り過ぎていく。蜥蜴のようにザラザラした肌をした者や、角の生えた者、犬歯が剥き出ている者。変異の種類は様々だったが、総じて目を覚ます気配がない。マネキンのようだ。
「一応、人物に触れても大丈夫ではあるんじゃがのう」
言いながら、小さな指でコンコンと妖精がガラス戸を叩く。
「念を入れて、中には侵入出来ないようにしてある」
恐る恐る触れてみるも、感じるのはひんやりとしたガラスの質感のみだ。そこまでの厚みは感じない。シアのように試しに叩いてみると、明らかな違和感を覚える。音こそ強化ガラスのそれだが、叩く瞬間目に見えぬ薄膜に押し返されるのが分かる。或いは強い力が掛かったときに反応するのかもしれない。
「これも魔法か。大したもんだな……っていうか、その口ぶりだとまるで――」
「関係者なの?」
二人の問いにシアは肩を竦めて、
「まあ、一枚噛んでいることは認めよう」
そう言ってふわふわ飛んで、奥まった一画で妖精が止まる。足元に円型の魔法陣らしきものが描かれている。中に記された文字は達筆過ぎて、もはや文字なのか意匠なのか判然としない。
「これは?」
「昇降回廊じゃ」
全員が円の上に乗ったことを確認して、シアが魔法陣にマナを注ぎ込む。
すると瞬く間に、先程と良く似たガラス張りの世界が出現する。
「ここは?」
「二階じゃ」
この階層も一階と同じ、各地から集まって来た者のようだった。続いて向かった三階、四階も同様に、魔術師らしき姿はない。
「……一体何人規模の集団だったんだ、ここは」
「そうじゃな、最大規模で言うと……ざっと二千人弱はおったのではないかのう」
二千人というと、村落にしてもそれなりの規模になる。人口密度を考えれば街と言ってもいい。そんな数の人間が、外様の人間でも分かるようなこんな辺境にいたというのは、俄かに信じ難かった。
とは言えこの塔の階層数を考えると、そのくらいの人数がいても決しておかしくはない。そう思える程度には、マネキン染みた人間の姿が見られた。
「……彼らがこうした状態になったのには、何か理由がある――って考えていいんだよな」
問うと妖精は少し困ったような、それでいて申し訳ないような表情を浮かべる。
「結論から言うとじゃな――――実験が上手く行かなかったのじゃよ」
「実験?」
シアは神妙な顔で、言葉を選ぶように何度か飲み込む。
「『帰還』する為の実験じゃ」
帰還。つまり、向こう側に渡る、或いは戻る為の実験。
「マナが暴走してしまってな。少なからぬ者が犠牲になった」
シアは具体的な人数には言及しない。そのことが、被害の大きさを如実に物語っていた。平静を装った声音は、端々にどうしようもない哀惜を滲ませていた。
「――で、まあな。ちょいと間を置こうと、そういう話になったのじゃよ。皆参っておったしの。前を向くのに、誰もが少なからぬ時を要したのじゃ」
「その結果が『コレ』なのか?」
「正確には、その『一部』じゃ」
そう言って上った五階は、黒一色だった。そして一切の人がいない。部屋も、間仕切りもなかった。柱は中央に一本だけ。どう見ても尋常な物理法則では建築し得ない、伽藍堂になっている。
「何のスペースだ、これは」
「遮蔽用の空間じゃ。上階で行われる実験の影響を最小限にする為に、利用禁止の空間が設定されておるのじゃ」
「色には、やっぱり意味があるの?」
「様々な影響を無効化するのと相性がいい、とそう聞いておる」
そうしてやはり、スタスタと昇降回廊に乗っては上階に上がってゆく。上がった場所は白一色。下階のそれとつくりは同じ、だだっ広い空間になっている。
「ここから上が実験階層じゃな」
つまり、ここから上全てが、専門家集団である魔術師の領域ということか。彼ら自身が建てたものである為当たり前と言えば当たり前だが、かなりの階層が割り当てられている。白の伽藍堂は、六つの階層に亘っていた。基本的にどれも同じ構造、代わり映えのしない景色。嘗てここで多くの魔術師が、実験を取り行い、技術を研鑽していた。――そんな想像をすればするほど、漠とした空間は物悲しく、また得体の知れない忌避感を放つのだった。
「…………」
前を飛んでいたシアが昇降装置の前で止まる。「どうしたんだ」とは言えなかった。明らかに、上階に進むことを躊躇っている。自分もカルミアも、それを察せないほど馬鹿ではなかった。
「……先に言っておくが」
ややあってシアが言葉を発する。
「次の階層じゃが……奥の方は正直あまり見て快い光景ではない。屋上階に抜けるまで、目を伏せておいた方が良いやもしれぬ」
そうして妖精はちらと後ろを振り返る。それでも構わんか? とでも言いたげに。
しかしそこを抜けなければゴールが何か分からないのであれば、結局はそこを進むしかない。皆無言で装置の上に乗ると、シアがゆっくりと、それにマナを流し込んでいく――
『求道者の塔』十二階。
そこは闇の領する空間だった。
言葉通り、何も見えない。先程のシアの言葉に幾分身構えていたが、この光のなさには些かドキッとしてしまう。これでは下手に動けない。
……いや、違うのか。魔術師なら、魔法を使えば良いだけの話だ。自分のような初心者とは違い、簡単な魔法なんてそれこそ息をするように使える筈なのだから。
早速覚えた『光球』をーー
「テト?」
山猫の唸り声に振り返ると、ダイフクがこちらの懐に入ってくる。
「どうしたの?」
カルミアが問うも唸りは次第に鳴き声に変わり、闇の中に響き渡る。
ダイフクもテトも夜目が利く。二頭が斯様な反応を示したのは、この先にある何かを目にしたからに他ならないだろう。
ふわりと光球が浮かび、辺りを仄かに照らし出す。それに呼応してか、ぼうっと光り浮かび上がるものがある。淡いピンクに色付くそれはポッドのようなもので、近寄ってみると中にはやはり人の姿が浮かんでいる。低層階の住人と同じだ。
――但しこの階層の者は比較的変異が少ないよう見受けられ、そして何より、二つほど特徴的な点があった。
ひとつ。洋の東西を問わぬ、種々の所謂魔術的な、或いは呪術的な格好をしている者が多い。これに関しては、ここが魔術師の居住区画だからだと思われる。
そしてもうひとつ。その大多数が、四肢の一部を失っていた。ある者は膝から下を、またある者は片腕を丸ごと、人によって様々だ。
先年鬼籍に入った祖父のことを思い出した。祖父は戦争で片腕をなくしていた。
「……生きていて身体の一部をなくすことは、ままある。じゃが……」
シアはそれきり黙り込んでしまう。口にするのが憚られるのか、苦い表情を浮かべていた。
ウキクサが気付いたのはちょっとした違和感からだった。眠る魔術師たちの中で、手足が無事な者がいた。それ自体は別に問題ではない。四肢を失った者が多くはあったが、失っていない者もそれなりにいたからだ。
しかしあるポッドの前を通り過ぎようとしたところで、妙な引っ掛かりを覚える。普通だけど普通じゃない、引っ掛かりを覚える何か。シアがそれに気付き、ひと言、
「急いではおらぬ」
なら、とウキクサは引き返すと、改めてその眠り人の前に立った。
「どうかしたの」
カルミアが寄ってくる。テトはシアの側に伏せ、目を瞑りこちらが来るのを待っている。その頭の上にシアは腰を下ろし、些か疲れたような表情を浮かべる。ダイフクは変わらず懐に入ったまま、一向に出て来ようとしない。
「……ちょっと、なんか気になってな」
眠れる魔術師は明らかな外見上の変異は見られない。ただ片脚のブーツが脱げてしまっていて、どうにも不恰好――
(……!!)
そこでようやく気付く。
同時にシアの浮かべた苦い顔の意味も。
「特に気になるような点は――」
「腕だ」
「へ?」
「ブーツを履いていない方の脚、あれは腕だ」
「うで……?」
何の気無しに注視したカルミアが、それっきり言葉を失い頭を垂れる。瞳は大きく見開いたまま、閉じることが出来ずにいた。
ウキクサも同じように見開いたまま、その光景から目を逸らせない。
臍から三本目の腕が生えた者
右手足の代わりに左足が二本増えた者
掌から更に十指の生えた者
両脚がなく、六腕生えた者
――それが単純に人間の好奇心という業によるのか、目を逸らしてはならないという無意識的使命感故なのかは分からないが、そういった種々の綯い交ぜになったものが押し寄せて目の前の光景を上手く理解出来ない。
(人体実験か……?)
思わず責めるような眼差しをシアに向けてしまい――
「言っておくが、人体実験はしておらんぞ」
心を読まれたかのような言葉に毒気を抜かれる。
「それに……ひどいのはここからじゃ」
言って奥に光球を飛ばす。立ち並ぶポッドの淡い光が、妖しく薄桃色に『眠り人』の姿を浮かび上がらせる。揺蕩う肉体はどれも痛々しさより、まず忌避感を呼び起こすものだ。本能的な何かが警告を鳴らしていた。
「……っ」
ウキクサの口から思わず呻きが漏れ、カルミアも押し殺すように肩で息をつく。しかし正視し難い光景はそれで終わりではなく――
「……ああっ」
それが最奥に現れる。
巨大な球形の中に収められた、大樹のような、瘤に塗れた、塊が。
テトの鳴き声が大きくなった。ダイフクはウキクサの懐に入ったまま、微かに震えているようだった。背後からはカルミアの「うっ」と込み上げるものを押さえる声が聞こえる。
「あれが実験に参加した魔術師の――」
そして全体像が浮かび上がる。
「――その成れの果てじゃ」
身体と身体が融け合い、巻き込み、渾然一体となったソレは、何十人で出来ているのか――それさえ分からない。着衣は肉の内側に取り込まれ、境目は判然としなかった。
それが齢を重ねた樹木のように、根は広く、幹は太く、所々に瘤をつくり……幾つも恐怖に染まった表情が露わになっていた。
伸ばした腕は枝となって空を掴み、髭や髪は事が起こった瞬間で時を止めたのか、風に吹かれたように大きく乱れたままぴくりとも動かない。
怨嗟と絶望に塗れた表情、生々しい肉感は、どうしようもない説得力でこれが現実だと訴えかけてくる。
「あ奴らが試みた実験。それは『結合』」
シアの平板な声が響く。
「彼方と此方を結びたい。ただそれだけだったのじゃ」