14.マナの感触
……配慮が足りていたかと問われれば、まあ確かに、少しばかり足りていなかったかもしれない。
あの脂の旨み、ふっくらとした身の感触を知る者なら何とも思わなかっただろうが、そうでない者ならまず気にするのは味なんかじゃない。
まずもってあの形、見てくれだ。
異形と呼ぶに相応しい、あの独特のフォルム。初見であれを食すことを考えるような者はいない――ことはないな、ここに一人いるし……しかしまあ、積極的にそういうことをやろうと思う者は、まず極少数派だろう。自分にしたってあの時は、ちょっとした気の迷いもあったのだ。
加えて、日の光ですぐに干からびてしまう、その体。ダイフクが胴の半分から先を身体から出していた為、図らずもぬらぬらしたままの半身、頭部と比較出来てしまう。
(まあ、普通はそういう反応だよな)
ドン引きして近寄ろうともしないカルミアやシアを見て苦笑とも自嘲ともつかぬものが漏れる。テトだけは出会ったときのような山猫モードで、目を見開きお零れに与れないかと獲物を凝視している。少しばかりおっかない。初めて食べると食中毒みたいになることもあるんだから、気を付けて貰わねば。
「これ……食べるの?」
若干後退りしながら言われると、流石にちょっと傷付く。
「ああ、まあ……結構脂乗ってて美味いぞ?」
「ええっ……?」と答えつつ、彼女の足は微動だにしない。正体不明のものに対する真っ当な忌避感とも言える。しかし考えてみれば――
「コレから精製した薬もあるぞ」
「え?」
「あんたに使ったのとは別モノだろうが」
先刻使用した鷹の爪様のものが何かまでは、正直分からない。素材調達から精製まで、万事ダイフク先生にお任せだからである。例外的に素材が分かるのは、『人魚の肝』と、あとはそこら辺の雑草らしきものを原料にしていると思われる『薬草丸』くらいか。というか、本当にあれが薬の類なのかも、正直まだ自信がなかったのだが……
「薬の精製じゃと?」
シアが思いの外食いつく。
「あくまでそうじゃないか、って自分で思ってるだけなんだがな」
「見せてくれんかのう」
請われるまま手製の小さな薬箱を開陳すると、妖精は部屋毎に分かれたそれらを、ひとつひとつ、仔細に検める。
「……これは体力の回復、こっちが自己治癒能力の増進……一時的な機能向上の補助薬もあるか? 何れも生薬の塊じゃな。似たようなものなら儂も飲んだことがある。其奴が単独で精製したのかの?」
「ああ。というかこれ全部本当に薬なのか? いや、疑う訳じゃないんだが」
「たわけ、コレこそがマナ操作の精髄というものじゃ」
言いながらシアはジャガイモに齧り付く。口の周りがベリー塗れで赤紫になっている。
それにしても、『マナ操作』か。魔法とはどう違うのだろうか。
「恐らく体内で文字通り自家薬籠中のものとし、昇華・精製したのじゃろう」
なるほど、思い当たる節はある。薬を寄越す前のダイフクは、わりかし静かにその場に留まっていることが多い。その時体内で精製していると考えるのが自然だろう。
「思っておった魔法的なものと違うか?」
「……率直に言って、そうだな」
「ハハ、まあお主の思い描いていそうな事も出来るがのう。例えば――」
言って妖精が手の平を上に向けると、青い鬼火が浮かび上がる。「「おおーっ」」とカルミアと二人で思わず見入ってしまう。一種の感動がそこにはあった。
「魔法、魔術、方術――呼び方は様々でも、基本的には同じものじゃ。お主の知る科学体系とは異なるが、理論があるし、理屈がある。奇跡のように何もないところから何かを取り出している訳ではない」
とそこでテトが身を乗り出してくる。人魚から目が離せないようで、今にも涎が垂れてきそうだった。ぷくりと弾け流れ落ちる脂の匂いが煙とともに漂ってくる。いい頃合いだった。
「お前も食べるか」
問えばニャーと控え目な鳴き声が発せられる。こちらの言っていることが伝わっているかは基本的に微妙ではあるが、こういう時は別なのだろう。返事をしてからも神妙な面持ちで取り分けられるのを待っている。
結局自分とダイフクで半身の大半を分け合い、残った肉に頭と骨、内臓をテトに渡す。流石に不満を呈されるかと思ったが、そこはやはり『内臓喰い』と言うべきか、喜んでバクバク食べ始めたのだった。
「……儂もそれなり長く生きておるが、こんなモノは見た事がないかもしれんのう」
「そうなのか?」
「うむ、妖獣と異なり生命力が感じられん。マナの残滓が凝ったような印象を受けるが……害はないようじゃから口にしても問題はなかろう」
言って頭を掻きながら、「調査の必要アリ、かもしれんのう」とひとつまみ肉を持っていく。小さな切れ端を持っていったのは相対的な身体の大きさもあるが、半ばおっかなびっくりだからでもあるだろう。
「――お、意外にイケるではないか」
口に含むと腰が引けてたのもどこへやら、美味そうにパクつき始めた。
「マナも極めて豊富じゃ。お主、これを食って身体を壊したりせなんだか?」
「ああ、初めて食ったときは食中毒みたいになったが……」
「やはりな。それはマナ酔いじゃ」
「ちょっと待ってくれ、マナって悪影響もあるのか?」
問うと暫し間があった後、「ふっ、は、ハハハハ!!」と突然笑い出されてしまう。何だよ、何か変なことでも言ったか。
「ハハ、言ったじゃろう、魔法も基本的には科学じゃ。往々にして物事に両側面あるのは、そなたの元いた世界と同じであろう? 薬も適量飲めば役に立つが、飲み過ぎれば毒じゃ。それと同じじゃよ」
なるほど。大気に混じっているということだから漠然と無毒無害なイメージを抱いていたが、考えてみれば大気中の酸素濃度だって今の塩梅が丁度いいワケで、大気中九十%とかになれば忽ち日常は成り立たなくなる。
「で、その『マナ酔い』っていうのは?」
「マナ酔いは、身体がマナというものをあまり経験しておらん状態で発生しやすいものなのじゃ。まあ、感覚としては嬰児を考えて貰えば良いかの」
「赤ん坊?」
「うむ。嬰児は産まれたら泣き声を上げるじゃろ? それみたいなもんじゃ」
それはつまり、
「肺が空気に慣れるのと同様、身体がマナに順化しようとして起きるのが『マナ酔い』ってことかしら」
カルミアが代わって答える。気のせいでなければ人魚の肉にちらとどこか物欲しそうな視線を向けていた。
「ご名答じゃ。マナは血液のように全身を廻る。操作するには体内でカワを励起させる必要があるのじゃ」
「カワ?」
「『裏細胞』とか『経絡系』と呼ぶ者もおるがの。一般には『カワ』と呼ばれておる。とにかくそれらがマナに反応し励起することで、マナ操作及び魔法の行使が可能となる――いや、まあそんなことは今は良いか」
言ってシアはラズベリーに齧り付く。血のように赤い色がぼたぼた地面に垂れ落ちた。
「食ったら、マナ操作だけでも試してみるかいの?」
興味がない訳がない。カルミアにしたってそうだ。魔法なんてものが使えるなら、早く使ってみたい、それが現代人のサガというものだろう。
「その前にちょいと昼寝させておくれ」
――――――
結局シアが起きたのは夕方になってからだった。これが妖精の時間感覚というやつなのか、それとも単に目覚めたばかりで身体が本調子じゃないのか、その辺りは分からないが特に聞くこともしなかった。起き上がった時の調子では、「おー、すまんすまん!」と特に不調でもなさそうだったが。
「じゃあまずは儂がマナを送ってみるから、それを感じられるか、そこからやってみよう」
そう言ってシアは外に浮かぶと、四方に広がる緑の海を見渡した。「ここも育ったのう」と呟くような声が聞こえた気もしたが、それにどんな含意があるかまでは分からなかった。妖精はゆるりとこちらへ向き直り、左手をカルミアに、右手をこちらに向けて――
「!!?」
明確な違和感を覚える。思わず見上げるも、シアは「ほう」と軽く感心したような声を発するだけだ。カルミアの方はこちら程明瞭な変化がなかったのか、不思議そうに「ちょっとムズムズするかな」などと言っていた。
「……凄い圧をかけられてる気がするんだが」
「それがマナじゃ。圧に感じるのはお主が構えておるからにほかならん。もっと自然体に、こちらのマナを受け入れれば良い。カルミアは出来ておるぞ?」
「あ、コレでオッケーなの?」
見ようによってはアホ面に見える能天気さで女が答える。あれくらいのゆるさでいればいい、ってことか。
「……何か失礼なこと考えてない?」
「失礼なこと?」
「いや、気のせいならいいけど……」
何のことかと得心のいっていなさそうな表情を作り誤魔化す。すみません、失礼なこと考えてます。
と、そんなやり取りをしている間に、すうっ、と身体に導かれるものの存在を感じる。
「お、これか」
「そうじゃ。それがマナ。血流に乗せるイメージで全身に廻らしてみい」
言われてやってみると、体内に生命力のようなものが満ちていくのが分かる。次いで徐々にマナの流れ、シアとの繋がりが感じられた。
「……」
何故かシアが渋い顔をする。何か問題でもあったのだろうか。妖精はすぐに被りを振ると、
「二人とも励起状態になったようじゃな。このまま儂の送り込んだマナで光球を作ってみるから、その感覚を覚えておれ」
言うや否や、体内でマナが変質していくのを覚える。これは、何かを組み立てている? 化学式のような――
「今感じているのが、光球の『式』じゃ。簡単な魔法じゃが、それでも二つの式で重ね編まれているからのう。習得するには幾分時を要するじゃろう」
「どのくらい?」
「ひと月くらいかのう」
「ひと月か……」軽く唸るカルミア。決して長くはないが、短くもない。練習のし甲斐がある、といったところか。感じ方は人それぞれだろうが。
「では発動してみるぞ」
薄く全身に広がっていた『式』が収束してゆく。自分の意思によらない力のうねりに、一瞬否定的な感覚を覚えそうになるのを、強いて為されるままに身を委ねる。収束し、練られてゆくそれは、一定の密度になったところで増幅を止める。術式が閾値に達したのだろう。
「発動域を確定して――」
術式が前方に向けて点のように潰れたかと思った次の瞬間、目の前で展開されて小さな太陽が現れる。
「これが光球じゃ」
言いながら、妖精が満足気に笑みを浮かべる。「まだまだイケるのう」と今度はカルミアの方からも出してみせると、光量を絞ってゆく。体内のマナと光球の間に、パスと表現すべきだろうか、回路の存在を感じた。
「他人の身体を通じての発動は超高等技術じゃからな、儂が普通だとは思わんでおいてくれ」
と、興が乗ったのか次々中空に光球が生み出されていく。こちらの身体に変化はない。全て妖精の独力によるものだ。気付けば赤に青に色鮮やかなそれらが、皆を囲うように十数個も浮かんでいた。
「綺麗……」
カルミアが感嘆に言葉を漏らす。私も暫し、漂う不思議な光の輪に見入っていた。
「まあコレは極端じゃが」
言ってシアが明かりを消す。
「ひと月もあれば大方のコツは掴めよう」
こちらに送っていたマナの供給も止め、忽ち二つの光が萎んでゆく。
(しかし本物に触れたのは大きいな……試してみるか)
見様見真似にマナを集めようとするも、大気中のそれを掴むのがなかなか難しい。呼吸に合わせて少しずつ取り込めないか試してみる内に、微かにだが身体の中を何かが巡る感覚があった。なかなかに骨が折れる作業だ。式を組むなどまだまだ先の話だ。
「……なかなか、難しいわね」
思うようにはいかない、といった風情で隣のカルミアは言うが、自分と違って一定量巡らせたマナの制御に苦心している様子だった。
「……」
シアが険しい顔でこちらを見つめる。やり方が間違っていただろうか。
「えっと、やっぱどっかマズいところがあったか」
「ああ、いや」言葉を濁す妖精。「あれじゃな、正直、ここまですんなりマナを操れるとは思わなんだ。少量でもマナを廻らせるのは、初習者には難しいことじゃからな」
「そうなのか。正直、これで合ってるのかも不安なんだが……」
「そのまま徐々に量というか、濃度を上げていく感覚でやると良かろう。その方がマナを実感しやすい」
「私はどうすればいいかな?」
カルミアの問いには、
「お主は量は十分じゃ。寧ろ十分過ぎる。ウキクサとは反対に、コントロール出来る量まで絞った方が良い」
「了解ー」
そうやって練習していると時間はあっという間に過ぎるもので、気付けば日はとっぷりと沈んでいた。
「……うむ、二人ともスジがいいのう! その調子で明日以降も鍛練を続ければ、遠からぬ内に術を会得出来るじゃろう」
「スジがいいかは分からないが、教え方がいいのは確かだな。一度正解を身体で覚えているから」
「その通りじゃ! 儂がマナを送り込んで実演したからのう! それがなかったら、こうも上手くいってないじゃろ! 教え方が良かったのじゃ! ハハハ! 我を讃えよ!」
褒めはしたが胸を反りそこまでドヤ顔で言われると、何ともありがたみが薄れるから不思議なものだ。カルミアなどは手を合わせ崇め奉っていたが。
「……さっさと晩飯にしよう。正直慣れない事をして、少しばかり疲れた」
そう言って家庭菜園に向かうと、ダイフクがついて来る。こいつは食には敏感なのだ。シアの方はカルミアに向き直ると、
「お主も今日は切り上げるが良い」
「えー、今いい感じなのに!」
ギラギラした目付きで彼女は答えるも、
「ダメじゃ」
「何で?」
「ただでさえ初めてマナを操ったのじゃ。脳の方が良くても、身体の方にはそれなりの負荷が掛かっておる筈じゃ」
「こんなにピンピンしてるのに? もう少しぐらい平気だよ」
「まだ身体が慣れてない状態で下手に根を詰め過ぎても、あまり上手くはならんぞ。それに今日ゆっくり休んだ方が、身体がよりマナに順化しやすくなり上達も早い」
そう言われればカルミアも引き下がらざるを得ない。しょうがないといった風情でテトと八朔をもぎり始める。
「……シア?」
ウキクサがその場に浮かんだままの妖精に声を掛ける。「すぐに行く」と返す眼差しは、物憂げに夜空を見つめていた。
先刻の呟きが思い出される。シアが外界に出たのは久し振りなのだ。話しぶりではランタンに封じ込まれていた時の意識があった訳ではないのだろうが……何かしら思うところがある事くらいは察せられた。強いてそれを口にしたりしないのは、代を重ねた妖精であるが故か、それとも単に頓着がないだけか、やはりその辺りは分からなかった。
「あ、晩酌用の酒はないかえ? 肴はぬしの持ってる干し肉で我慢してやろうぞ」
……そう深く考えるようなものでもないのかもしれなかった。
――――――
……何がどうなっておる?
予定より早い覚醒に関しては偶発的な事象だからしょうがないとは言え……
そもそもの原因となった二匹の妖獣。あのマナの感覚は一体……?
加えて、この閉鎖空間にマレビトが二人も来たじゃと? どこぞの創世神話でもあるまいし。
マナ操作も、本当に初めてなのか疑いたくなるレベルじゃった。男の方は高マナのアレを食して身体が受け入れやすい土壌が出来たと見て良さそうじゃが……マナ酔いも経験しているようじゃしな。それはいい。
じゃが女の方は……ダイフクに薬を使って貰ったとか言っておったが、果たしてそれだけで――いや、それこそ体質的な適性か、勘所を掴むのが上手いだけか。
「……シア?」
そう、それじゃ。
最も大きな違和感の正体。つまり――
自分は本当にそんな名前じゃったか?
まだ覚醒したばかりで少し混乱していた。
加えて、自らの手で記憶を封じたような痕跡があるのが、混乱に拍車を掛けていた。
何れにしても色々と拙速に結論を出すのは危ういか。「すぐに行く」と返してから軽く道化を演じてみせたが、やや苦しい感は否めなかったかもしれない。
妖精は被りを振って空を仰ぐと、改めて小屋の方へと戻ってゆく。
そう――いつかも分からぬ記憶の片隅に浮かぶ、懐かしき、我が家へと。