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ウキクサクロニクル  作者: 歯車えい
12/78

12.秘すれば花

「同居?」

 女――カルミアの言葉にそれなりの困惑を覚えていると、「ああ、ちょいと語弊があるか」と彼女は続ける。

「家を建てたいんだけど、それまでの間、間借りしたいの。あそこ、物騒でしょ?」

『あそこ』とは、例のウロ穴のことだろう。確かにあそこと比べればこちらは余程環境が良い。

「建てるって言っても、どの程度のものを作るつもりなんだ」

「無論、コレと同じレベルよ」

 言ってバンバンと壁を叩く。いや、これ石積みなんだが……

「かなり時間かかると思うぞ?」

「時間なら腐る程あるじゃない」

 確かに、それを気兼ねなく使えるかどうかは大きな違いなのだろうが。

「……男とひとつ屋根の下、っていう訳にもいかんだろ。仕切りぐらいは作るさ」

 言うとカルミアはぽかんと口を開け、次いで「アハハ!!」と笑い出す。

「何だよ」

「フフッ、いや、割と潔癖って言うか、心が広いのね」

「……下心があるからとは思わないのか」

「えー? そういうの苦手そうに見えるけど――甲斐性なさそうだし」

 放っとけ。

「いざとなったら、この子もいるしね」

 傍らに横臥する山猫を撫でる。なるほど、先刻より余裕があるのはコイツを手懐けたと思っているからか。確かにこの分なら急に周りを無差別に襲ったりはしないだろうが。

「荷物は大丈夫なのか」

「ああ、それは回収しておきたいわね、一応」

 聞けば彼女の持ち物は、例の旅行鞄に背嚢がひとつ、それで全てということだった。

「足は」

 問われて女が苦笑する。

「まあマシにはなってるわ。けど、あくまで『マシ』ってレベルね。さっきはそんなこと言ってられなかったし、アドレナリン出てたから、普通に走ってたけど」

 見れば足首の青アザ一帯が、ぼうっと赤く、熱を持って浮き上がっている。良くこれであれだけの立ち回りが出来たものだ。

「ダイフク、どうかな」

 同じものを見ていたダイフクが私の持つ仮称薬箱を示す。例の得体の知れない丸薬を処方するようだ。まあ、あまり期待しない方が良いかもしれない。

 ダイフクが選んだのは、血よりも赤い、鷹の爪のように乾燥した物体だ。これを飲めということだろう――と思いきや、やおらダイフク自身がそれを取り込んだ。程なくその全身が赤く染まると、そのままカルミアの足首に取り付く。

「えっと……」

「訊かれても分からんぞ。変なことになっても責任は取れん」

 胡乱な眼差しを向けられるも、こちらとしては他に答えようがない。そもそもこれが本当に治療行為なのかも良く分からない。実験台? ハハ、人聞きの悪い事は言わないで貰いたい。

「草とか生えたりしないわよね」

「さあ」

()げたりしないわよね」

「恐らく」

 尚も継ごうとして、カルミアは言葉を飲み込んだ。苦い顔をしてはいたが。

「……ん?」

「ど、どうしたのよ……!」

 そんなにビビるな――と言いたいが、まあこんな正体不明の生き物に張り付かれて、太平楽でいろという方が難しいだろう。

「色が薄くなってる」

「色?」

 見れば真紅に染まったダイフクの身体が、僅かずつではあるが、元の白色に戻っている。同時に青黒い靄のようなものが体内に凝っていく。

「――あ、楽になってきたかも。痛みもそうだけど、熱感が引いてきたっていうか」

 程なくダイフクが足首から離れ、すべやかな女の足が露わになる。怪我の痕跡などどこにもない。試しに足首をグリグリ回してみたり、軽くその場で飛び跳ねてみたりする。

「治っちゃった」

 ぽかんと女がこちらを見つめてくる。

 ダイフクはと言えば、体内に凝った青黒いものを排出して、身体に残存する赤い成分を水蒸気のように体外に放出していた。転がり出た青黒い(つぶて)は光を受けて、キャビアみたいにてらてらと光沢を放っている。

「……フツーじゃないところだとは思ってたけど……これは、マジで魔境ってやつね」

 カルミアの言葉に素直に首肯する。今目にしたのは、明らかに自分の知っている医術とは異なる体系に属す現象だ。


 影の中に潜む生物。

 二つの月に、循環する地形。

 そして見たことのない治療法。


……何れも自分の知る世界のそれとは凡そかけ離れている。

 これから上手く生きていけるのだろうか? いや、生きていくより外ないのではあるが。

 山猫がゆるりと起き上がり、転がっていたキャビア様の粒をペロリと飲み込む。

「テト、そんなの食べて大丈夫なの?」

「テト?」

「この子の名前。エジプトにバステトって猫みたいな神様がいるじゃない? だから、テト」

 何というか、この年頃のノリにはついていけない。何歳だか知らんが。

 山猫は名前を気に入ったのか、それともキャビアの味がお気に召したのか、満足気に喉をごろごろ鳴らしていた。

……バステト神は猫の頭をした女神(・・)の筈だとは、言わぬが花というやつだろうか。



――翌朝、一行はカルミアの荷物を回収する為ウロ穴へと向かった。私は頭にダイフクを乗せ、テトはその背にカルミアを横乗りに乗せていた。山道の急勾配を前に彼女が背から降りると、「ありがとう」と喉元を撫でられゴロゴロ音を鳴らす。ダイフクもこちらの頭の上から降りてくれると楽だったが、余程居心地がいいのか楽なのか、頑として降りようとしない。……まあどの道ここを越えれば巨木の影が見えて来るので、別に構わないのではあるが。

 果たしてウロ穴近辺まで辿り着けば、相も変わらずそこは物騒な色をしたキノコが群生しており、空気もじめっと纏わりついてくる気配がする。

「まあ、荷物と言っても別にあってもなくても構わないんだけど」

「嘘つけ」とウキクサが呆れ顔で言う。

「本当に要らないなら、そもそも取りに行こうなんて思わないだろ」

 途端女が冷めた顔で黙り込んでしまったので、気まずさを誤魔化そうと、「まあ、持てるもんは持っときたいわな」と被りを振ると、

「ふっ」

「何」

「いいこと教えてあげるわ」

 得心がいかないでいると、

「女の子の一挙手一投足に慌ててるようじゃ、ウブだって周りに言ってるようなものよ」

 そう言われて思わず閉口してしまう。

「まあ、気にしてくれてる、ってのは悪い気はしないけどね」

 そう言ってカルミアはウロ穴の壁に触れた。ダイフクとテトの異種族組は、追い掛けっこやキノコ狩りと、こちら以上に忙しいようだった。

「……まあ、大した物じゃないって言うと、確かに嘘になるわ。見てみる?」

 言って中から旅行鞄を取り出す。革の鞄は傷だらけで、かなり使い込まれている。

「親のか? それとも――」

「中古よ。町の質屋で安く買ったの。悪くないでしょ?」

 悪戯っぽく微笑むと、カルミアは躊躇なくそれを開けてみせる。中には青やら灰色やら、着替えの服が畳んであった。それを彼女はわざわざ捲ってみせ、「残念ながら危険物の類は持ってないわ」とこちらに向けて見せる。……目のやり場に困るので、せめて下着類はこちらに見えないようにして貰いたいものだが。

「……ん? ドレスまであるのか」

 鞄の底に収まっていたのは艶のある、緑のドレスだった。思わず女の顔を見ると、

「誰でも持ち歩くような、ごく普通のパーティードレスよ」

「……まあ、別に深く詮索するつもりもないが」

「良くあるような話よ」

 言って彼女は鞄を閉める。

「人生儘ならないわね、ってやつ」

 迂遠な言い回しに取り敢えず、「そうか」と返しておく。そのくらいしか言いようがないのでもあったが。

「少し秘密があるくらいが、魅力的でしょ?」

「キミ実年齢何歳?」

「十九。もうすぐ二十歳だけど。……女の子にいきなりそんな事訊く?」

 何歳までを『子』と呼ぶかは異論百出するところだろうが、藪蛇になってもなんなので、

「もうひとつの荷物は?」

「ん? ああ、それはこっちよ。同じような場所があるの」

 どうやら上手く意識を逸らすことが出来たようだ。

 背嚢が置いてあったのは、別の巨木の同じような、しかし旅行鞄が置いてあったそれと比べれば格段に狭いウロ穴の中だった。前に来たときは気付かなかったくらいで、下草が絶妙に入口を覆っている。内部は今し方見たのと同じでかなり手が込んでいる。

「誰が作ったんだろうな」

「分からないけど、荷物の隠し場所としては丁度いいわね」

 言いながらカルミアが背嚢を引っ張り出す。焦げ茶色のそれは中がぎっしりと詰まっており、傍目にも重量感がありそうだった。

「随分と重そうだな」

「ん? あー、まあそうかもね」

 言って結わえてあった紐を緩める。木漏れ日に内容物がキラキラと反射した。

「缶詰か」

 中には零れんばかり缶詰がつまっている。これを見る限り計画的な出奔であるように思われるが、まあ強いて訊かなきゃいけないことでもない。人間、ひとつやふたつは知られたくないことがあるものだ。秘すれば花。それに関してはカルミアと同じ意見だった。彼女の中で折り合いがついたなら、自然と話してくれる時が来るだろう――私が信頼を勝ち得ていれば、の話だが。

「旅行鞄片手にこれ背負って山道登るの、しんどかったー」

 両手をひらひらさせる女に、

「どういうルートでここに出たんだ?」

「ルート?」

「どうやってここまで来たか、大凡(おおよそ)の距離とか、特徴とかは覚えてるか?」

 カルミアは顎に手を当て記憶を辿るように目を瞑る。

「『向こう側』で、森の近くを歩いてたわ。そしたら、なーんか懐かしい感じの光に包まれて……で、サボテンやらトロピカルな花のごっちゃ煮みたいなところの前にいた」

「霞みたいなのは?」

「霞?」

「説明が難しいんだが、こう、やけに存在感のある霞」

「そういうのは見なかったわね」

 あの植生が狂った一帯に転移したが、自分がそうだったように誰かの導きがあった訳でもなければ、その後現れた『霞』の中の彷徨もない。

 どういう相違でそのようになった?

 超常のことをどうこう語るのは難しいが、気持ちの悪さは拭えない。これが同じ場所に出て、同じ現象に行き合っているのなら違うのだろうが。

「デカいシダやゼンマイの生えてる場所は?」

「通ったわ。トロピカルなとこの次に。そこからあのウロ穴の方に出たの」

 シダやゼンマイの辺りをどう進んだかで、別のルートが新たに開けたということだろうか。

「塔は?」

「塔?」とカルミアが目を点にする。

「何それ」

「ウロ穴の向こうに建ってたけど」

 それが彼女の興味を惹いたのだろう、「行こう行こう!」と鞄をこちらに押しつけ山猫を呼び戻し、颯爽と今度はその背に跨る。

「さあ行こう!」

 冒険家気取りで彼方を指差し私の方を見る。差し詰めこちらは道先案内人といったところか。気付けばちゃっかりダイフクまで女の懐に収まっていた。

「こちらですよー、お嬢様方」

 そんな調子で一行を引き連れ、例の石塔の前に出る。

「少し歩くだけで、意外にこういう建物があるのね」

「ここは例外さ。後は自分の知ってる場所だと、南に菜園があるくらいかな」

「そっちも今度連れてって」

 そんな会話を交わしながら、皆で塔を調べてみた。と言っても、壁をぺたぺた触るだけなのだが。

「ウキクサはここに来てどれくらいなの」

「ひと月弱といったところかな」

「私は――もう分かってるだろうけど、来たばっかよ。ウキクサに会ったのが二日目」

 やはりそうだったか。

「ここ、どこなの?」

「俺も知りたいね。天国か地獄かも分からない。元いたところに戻れるのかも分からないし」

「戻れるものなら戻りたい?」

……どうだろう。望んであの街を離れたのではなかったし、別天地でやり直そうと思った訳でもなかった。……それとも内心は戻りたいのだろうか。戻ったとして、居場所があるようには思われないが。

「……分からない、かな。なんか、色々と」

 カルミアが苦笑する。

「分からないでもないわ」

 結局収穫のないまま、その日は小屋に引き返した。仕切りは明日作ることにする。久し振りの缶詰の味は、文明の味がした。美味いとか不味いとかではない。が、暫く自然のものしか口にしていなかった為だろう、久し振りの濃厚な味付けに身体が困惑していた。

 夜空にはやはり見覚えのない並びで星が瞬いていたが、当初ほど不安を覚えることはない。空にかかる大きな月に(よすが)を求める気持ちも、幾分薄れていた。これも慣れというやつなのか、それとも――

「やっぱここのイモ美味しいわ。素朴だけど、飽きがこないっていうか」

 対面に陣取る女が、炙ったジャガイモを皮なりに食べる。既に三つ目だ。傍らの山猫ともども、一心不乱にもしゃもしゃ食べる様は、どこか滑稽でもある。

 横ではダイフクが草と一緒に八朔を取り込み溶かして食べている。時折ぽよぽよ上下に跳ねたり、カルミアや山猫の背に乗って遊んでいた。


 苦笑が漏れてしまう。

 孤独な日々は決して堪えられないものじゃないが、それでも見えるところに誰かいるかいないかで、感じる事はまるで異なってくる。

 対人関係は面倒だ。楽しいことばかりではない。自由ではない。

 だからこそ人生豊かに送れるのだ。


……そう思うのが、人として正しい在り方なのだろうか?


 脳裡にチラつく街の景色を振り払うと、ウキクサは夜空を見上げた。雲ひとつない星月夜が、宝石の如き煌めきで画面一杯に広がっていた。二つの月は星の瞬きには我関せずと、自由気儘に空を渡っていた。

 気付けば皆で川の字になっていた。食欲が満たされ、心地良い睡眠欲の訪いに、皆が身を委ねていた。

 目の端ではあのランタンが淡い光を放っていた。「これどうなってんの」とカルミアがつついたりなどしていたが、未だ原理は分からない。


 柔らかな緑色に自然と瞼が落ちてくる。

 数ヶ月来、あるいはそれ以上に久方振りの、深い眠りの予感がした。

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