4
⁂
お城の仕事場に入ると、同僚一同が絶句した。女を連れて登城したからだ。
取り急ぎ俺の小袖を着せて連れてきたのは、女を自慢したかったからじゃない。女が離れたがらないから仕方なくだ。
案の定大騒ぎになった。どこの誰だ、どういう関係だ、と寄ってたかって俺ではなく女を取り囲んだ。
「何処の誰かは俺にも分からない。どういう関係でも無い。うちの書庫に落ちてきたから面倒を見ているだけだ」
事実を話したが、信じる男などいない。女はおびえて俺の背中に隠れてしまうし、騒ぎはすぐさま御館様の耳に入ったようで、御館様直々に仕事場へ来られたから驚いた。
「女とは縁遠い弥吉が女連れで登城したと聞いたが?」
御館様はそう話している間にも目は動き、すかさず俺の背中越しに顔を覗かせていた女を見つけた。
「ほぅ! 愛らしい女子だ。弥吉の女というのはまことであった」
「いえ、俺の女ではありません」
全肯定してしまう御館様にキッパリ申し上げると、御館様は途端にだるそうな顔をして、盛大な溜め息をついた。
「弥吉よ、今更だ。隠さずともよい」
「いえ、隠してなど――」
言いかけたが、御館様はまるで聞いていなかった。
「で、名は」
俺の話を遮って、楽しそうに女へ向かって問うのだが、女は首をかしげて瞬きをするばかり。
「恥ずかしくて答えられぬか?」
女に微笑みかける御館様に、女の代わりに伝えた。
「名前はありません。それから――」
俺が話しているにも関わらず、御館様はぽんと手を叩いて、思い付きに言った。
「嫁いだ姫が置いていった小袖を与えよう、着いて来なさい」
福々しい耳たぶを揺らして言うも。女は俺の後ろから御館様をじーっと見つめて様子を伺っている。
御館様のご好意を無碍にする事も出来ないし、俺は女に優しく声を掛けた。
「大丈夫だ、行っておいで」
着いて行くように促すと。不安げな顔ではあったが、御館様のあとをついて部屋を出て行った。
⁂
美しい小袖に着替えた女は、弥吉の主人である三河の殿様の前に座った。
「似合っている、とても素敵だ」
満足そうに頷いた殿様に、女は「ん」とひとこと。殿様の目に、女は上機嫌に映った。
だがすぐに、女は殿様をジーーーーっと見つめた。それは真剣な瞳で。
「どうしたんだ、そんなに私を見つめて」
殿様は軽くあしらうように返すが、女はいたって真剣だった。殿様の向こうの壁まで見透かしてしまうかのような、本当に真っ直ぐな瞳だった。
「んー……」
女の眉根は寄って、口はすぼまって、右に左に深く首を傾げる。……女の目に、殿様は狸にしか見えなかった。
そんな女の行動に、殿様から段々と笑顔が消えて行く。仕舞いには真顔になってしまった。
互いに真剣な顔で見つめ合うこと数分。ついに殿様は口を開いた。
「…………何に見えた」
ささめくように言うと、女は胸の辺りでビシッとサムズアップして見せた。
「んっ」
次にお腹の辺りに手を突っ込む真似をした。そこに巾着などありもしないのに、無駄にごそごそしてから何やら大きいものを取り出したらしく、仰々しくそれを床へ立てた。それからノブを回して向こう側へ出たり戻ったりする一連の動作を真似てみせた。
これに対し殿様は、ついに堪えきれなくなったようでふっと吹き出してしまった。
「それは猫型カラクリだ、狸ではない」
「んっ」
女はにこっと笑って。『ナイスつっこみ』と言わんばかりに再びサムズアップして見せるのだった。
⁂
御館様と二人、打ち解けた様子で戻ってきた女は、美しい小袖を着ていた。
御館様は仕事部屋に入るなり、俺を見つけて言った。
「弥吉よ、天女の名前をはよう付けてやれ。わかったな」
「は、はぁ……」
「しかし今日はなんと喜ばしい日だ、弥吉に春が来た!」
途端に涙ぐんで、俺の肩をバシバシ叩いて、
「守るものが増えたのだから今まで以上に精進するのだぞ」
言うだけ言って去っていった。
⁂
夜、川の字になって布団に入った。
昼間、御館様が言っていたことを何とはなしに思い出して、天井へ向かって話す。
「名前を考えなければならないな」
だが返事は無い。隣へ首を向けると、女はもう、すやすや寝息を立てて眠っていた。