いのちのランプ
年齢制限と言うほどではないのですが、少し怖いので、よい子の皆さんは読まないほうが良いかもしれません。それから、サイコホラーにしてしまいましたが、書いた本人自体、しっくりきてはいません。ほかに、適当なジャンルがなかったということで、ご容赦いただけますと幸いです。
あの時、俺は怯えていた。会社の定期健康診断で、初めて再検査の指示を貰った。その精密検査を明日に控えていたのだ。
実は、その数か月前から胃の不調を感じていた。なんとなく食欲も落ち、体重も減っていた。たぶん、胃癌なのだろう。
それでも、付き合いをやめるわけにもいかない。取引先の接待がはねた午後9時頃。盛り場の片隅で、ひとりの占い師に会った。呼び止められたのだ。
「ずいぶん、深刻な顔をしていますね。なにか、お悩みですか。」
普段なら相手にしない。でも、その時は未知のものに縋りたい気分だった。からだの不調と病気の不安、それに俺が死んだときの家族のことなどについて、洗いざらい話しをした。占い師は熱心に聞いてくれた。たぶん、それだけで満足できたはずだった。
だが、話を聞いた占い師が、最後にポツリと言ったのだ。
「わたしたち占い師は、他人様の運命を占うのが商売ですが、もちろん確実ではありません。特に、寿命なんてものは、ひとりの人間のあらゆる運命の総和なので、手に余るというのが本音です。
それに、寿命を知った人が、その残り時間を使って幸せを追求できるかというと、そうでもありません。死の影におびえて何も手につかなくなる人たちのほうが圧倒的に多いのです。」
俺は、占い師の言い分に納得できなかった。知ることで、できることはたくさんある。ようは、その人間の心構えの問題だ。そういったことを熱心に語った。
「そう思うのですね。では、あなたの願いの一部分を叶えて差し上げましょう。あなたの残された寿命が長いか、あるいは、短いか、それくらいなら知る術があるのです。
場所は、この地図に書いています。そこは、古びた一軒家です。たぶん、誰もが無関心に通り過ぎてしまうような。でも、そこで、あなたは、自分の寿命を大まかに知ることができます。
ただ、くれぐれも言っておきますね。あなたは、ご自分の寿命を知っても、それをプラスにできないと思います。むしろ後悔する可能性のほうが高いです。
それを忘れないでください。行く途中で止める気になってくれたら、そのほうがずっと良いのです。」
占い師に料金を払い、なんとなく礼を言って別れた。手に持った紙切れを眺める。場所は、すぐ近くのようだ。まだ、9時30分前だ。検診は、明日の午後、会社のほうは有休を取った。飲み食いさえしなけりゃ大丈夫、そんな感覚で、俺は、その場所へと足を向けた。
盛り場を数本、脇道に入ると、途端にさびれてくるものだ。実際、その民家へと向かう道には、いま、俺一人がいるだけ。家々の明かりはひっそりと灯っているが、その辺り全体が寝静まっている、そんな感じがする一角だ。もちろん、その家にも外灯は灯っていた。
なるほど、どの町にあっても、不思議と目立たない家屋があるもだが、その家も、まさにそんな雰囲気だった。
ためらったが、ここまで来たという事実は案外重いものだ。結局、俺はインターフォンを押した。しばらく待ったが、反応はない。反応はないが、内鍵が開く音が聞こえた。
さらに、しばらく待ってから、俺は、玄関のドアノブを回した。予想通りにと言うべきか、中には誰もいなかった。4畳半ほどの無機質な空間で、ソファやチェストなどの調度品はおろか、下駄箱もない。向こう側に扉があるだけである。
その扉には次のような文章が書かれていた。
『1.ここでは、疑ってはいけません
2.ここでは、願ってはいけません
3.ここでは、変えてはいけません
以上を守れる方は、どうぞ入室してください』
まるで、宮沢賢治の「注文の多い料理店」だ。ちょっと、好奇心が湧いてきた。俺は、ドアノブを回して室内に足を踏み入れた。
その部屋自体は暗闇ではなかった。だが、俺は、漆黒という言葉を思い浮かべた。壁で区切られた空間という感じがしないのだ。実は、壁がなくて無限の闇につながっている、そんな気がした。でも、実際に、そんなことがあるわけがない。外から見れば、普通の民家なのだ。
それに、向かい側の壁には、五段の棚が設けられているようで、それぞれの棚には、等間隔で無数のランプが灯っている。
ランプといってもたいそう古くて、アラジンと魔法のランプにでてくるような燃料の油に芯となる繊維を浸して、火をつけるタイプのものだ。蓋はない。それらが無数に、ゆらゆらと燃えているのだ。
ちょっと、待て。俺は思った。どう見ても、この部屋はカルト的な危ない雰囲気だ。俺は振り返って、入ってきた扉のドアノブを回した。空回りする。こちらからは、開かない仕組みのようだ。
もしや閉じ込められたのか。少し慌てて周囲を見回す。合わせ鏡のようなものなのか、そのランプは延々と左右に広がっている。さっきも感じたことだが、まるで、この部屋には壁というものがなく無限に続いているように見える。
ただ、よく見ると入ってきた扉の向かい側、ランプが並べられた壁に、何もない一角がある。入ってきたのとは、別の扉だった。どうやら、まだ、奥があるらしい。少し安心した。
歩いて行って、ドアノブを回そうとした瞬間、ドアに張り付けられたプレートに文字が浮かび上がった。
『あなたはご自分の寿命が知りたいのでしょう。
ランプをよく見てごらんなさい。』
なるほど、そういうことか。あらためて、ランプを眺める。すぐに見つかった。そのランプだけに、俺の名前が浮き上がっている。なるほど、「いのちの蝋燭」のランプバージョンというわけか。嘘くさくて、ちょっと、可笑しくなる。興味があったから来てはみたが、占い師の言葉を別に信じていたわけじゃないのだ。
それでも、やはり、気にはなるから、中を覗き込んでみた。左右のランプと比べるまでもなく、明らかに油の残りが少ない。普通に燃えるのなら、あと数時間ということか。
『これが俺の寿命ってことか。確かになあ。』
その油の少なさ自体には、妙に納得した。同時に怖くなった。もちろん、このランプが本物ということはないと思うが、怖いものは怖い。このランプが消えれば、俺も死ぬということを考えること自体が怖いのだ。
もともと、早死にするのが怖いのだから、そういう想像だけで動悸が速まる。乱れた呼吸がランプの灯を大きく揺らした。俺は慌ててその場所から離れて、炎が落ち着くのを待った。その間も、いろんなことを考える。
もしかすると、これは、手の込んだ悪戯か。何かの罠か。そう言えば、あの占い師には名前を教えた。スマホなんかで仲間に連絡すれば、ランプに俺の名前を書く位の細工はできるだろう。扉のプレートだって、決まり文句を浮かび上がらせるデジタル技術かも知れない。
インチキの可能性を検証していると、少し落ち着いてきた。やはり、この部屋の雰囲気が良くないのだ。あの占い師の言葉を思い返される。
『知ることはできますけど、それをプラスにはできませんよ。』
『なるほど、霊感商法というやつか。ここで脅かしておいて、もう一度、あの占い師のところに行ったら、運命を変える良い方法がありますよとか、何とか言われるんだろうな。』
そんなことを考えてみる。それにしても、気分は良くない。
『こんな手の込んだ細工をして、人を脅かしやがって』
俺の寿命を短く見せる必要があるわけだから、当然、油は少なめなわけだが、気分が悪いのは確かだ。そうだ。俺にも悪戯心が生まれた。目には目を、歯には歯をだ。俺は、右隣のランプを持ち上げようとした。ピクリともしない。棚に固定されているのだ。左隣のランプを持ち上げてみた。やはり駄目だった。
俺は、意地になって片っ端からランプを持ち上げてみた。3個飛ばして、右のランプが動いた。俺の真上のやつも動く。
そうやって調べてみると、俺の周りだけで4つ動くランプを見つけた。その中から、一番、油が多いやつを選んで俺の器に注ぎ入れた。こころなしか、俺のランプの炎が強まった気がする。
それにしても面白い。どういう技術なんだろう。注ぎ入れて軽くなったほうのランプがうすぼんやりと光り始めた。炎の色が変わったわけじゃない。ランプ自体が光っているのだ。俺は、自分のランプよりも、その発光するランプのほうをしばらく見つめていた。
さあ、これで、気持ちも晴れた。明日にでも、あの占い師のところに行って言ってやろう。寿命を見せてもらったら、まだまだ、残りは長そうだった、って。親切そうな、あの顔に悔しそうな表情が浮かぶのを、ぜひ見てみたい気分だ。
『状況は、何も変わっていないのになあ。』
俺には癌の可能性があって、明日は、その精密検診だ。それでも、ちょっと、いい気分になった。案外、こういう精神療法的な体験を通じて、悩める者の救済を考えているのかも、そんなことまで考えた。そして、もう一度、その部屋をながめてから俺は、もう一つの扉のドアノブを回した。
次の部屋は、ずっと、普通だった。飾り気のないシンプルな壁紙。ブルー系の照明がゆらゆらと揺れているのは、まるで水底にいるような気分だが、空気は乾いていて気持ちいい。
『そういえば、あの部屋、あれだけのランプが燃えていて、それなのに窓らしいものもなく、換気扇が回る音もしていなかった。第一、俺が動かなければ炎だって揺れなかったじゃないか。じゃあ、なぜ、酸欠にならないんだ。』
俺は、閉まったばかりの扉を振り返った。そこには扉はなかった。あるのは無数のランプ。そこには、あの発光するランプも並んでいた。
『それじゃあ、俺のランプは、たぶんこれか。』
ひっくり返った位置関係。鏡像を見る感じだ。俺は、近づいて手を触れようとした。ガラス・・・なのか、透明な仕切りがあって、こちらの部屋からランプに触れることはできない。同時にあることに気が付いた。
こちらから見ると、俺のランプには名前がなくて、俺以外のランプには名前が浮かんでいるのだ。じゃあ、少なくとも、俺の名前だけを、慌てて書いたわけじゃないんだ。霊感商法だとしても、ご丁寧なことだ。念が入っている。
はっと思った。俺が、自分のランプに油を移し た、あのランプにも名前はあるわけだ。
誰だろう。やはり、気にはなる。もちろん、名前だけ知ったところで、どうなるわけでもないことは理解している。
俺は顔を近づけて、あの発光するランプに浮かんでいる名前を見た。嘘だろう。それは・・・それは、俺の子どもと同じ名前だった。
『そんなこと、あり得ない。あり得るはずがない。でも、なぜ、子どもの名前が・・・。もしかして・・・。』
持ち上げることができたランプに検討をつけて、その辺りの名前を、かたっぱしから確認した。間違いない。ひとつには妻の名前が、もうひとつには母親の名前が浮かんでいた。持ち上げることができたランプは、俺の家族の名前が書かれたランプだけだったんだ。
『嘘だ。あり得ない。でも、俺の名前だけなら、まだしも、なぜ、家族の名前まで分かるんだ。ありえない。あの占い師にわかるはずがない。じゃあ、これは、霊感商法とかじゃないってことなのか。そんな・・・。』
突然、スマホが鳴りだした。着信だ。混乱した俺は、ろくに確認もせず電話の声を聞いた。妻だった。
「あなた、どこにいるの。〇〇が大変なの。突然、急変して。今、救急車で〇〇病院に運んだところ。すぐに来て、お願い。」
最後まで聞いたのだろうか。気が付くと俺は、スマホを取り落として叫んでいた。叫びながら、透明な壁を叩いた。狂ったように、何度も。
その間にも、発光するランプの炎が、心なしか弱まった気がする。
「開けてくれ。ここを開けてくれ。俺のランプから、油を戻すんだ、今すぐに。」
叫びながら、透明な壁をたたく俺の目の前で、やがて、そのランプの炎が消えた。
『嘘だ。こんなこと、ありえない。嘘に決まっている。』
『でも・・・もしも本当だったら、俺は、何のために、これからの長い人生を生きるんだろう。』
俺は、その恐怖に耐えかねて、再び絶叫した。
「日常の中に垣間見える非日常」「を目指したのですが、上手く行きませんでした。それでも、これはこれで、面白いかなと考えています。「日常の中の非日常」については、今後、また、チャレンジしようと思います。