第44話 「紅の導師」
敵も味方も、全軍が固まる。
敵は、彫像のように一切の動きを停止し、
味方は、ただその途方もなく巨大な蜘蛛から目が離せない。
蜘蛛の魔物ならさきほどから何匹も焼き払っている。
カシスの炎の池で足止めしている。
他のエリアも、同じように対応できている。
ただ、この巨大な蜘蛛は明らかに違う。
存在の濃度が違う。
この森の主であると、この場の全員が理解した。
50メートルはあろうかというその巨体の前面には、8つの赤い目。
爛れたように輝きながら、その眼球はグルグルと忙しなくあたりを睥睨する。
そうして、ぴたりと8つの赤い目が、ある一点を凝視した。
ヤツのすべての目が、俺にむけられている。
息も、心臓も、生存のために必要なあらゆる行動が無理やり止められたかのような感覚。
真実、どちらも動いていない。
赤い8つの目は、ただ静かにこちらを観察している。
……秒か、分か。
そうして闇生みは、すべてに興味を失ったかのように踵を返した。
赤い瞳は色を失い、白く淀んだものになっている。
―――その後ろ姿に、巨大な火柱が撃ち込まれた。
攻撃は左手から。
赤い装束の魔法使いが、【闇生み】に宣戦布告を突き立てていた。
「まずい!!できるだけアイツから離れろ!!!」
ザリードゥの叫び声。
今まで聞いた彼の大声のなかで、それは規格外に大きなものだった。
俺、イリム、カシスは即座に東にむかって壁の上を走る。
ちら、と後ろを振り向くと、赤い魔法使いは次々と丸太サイズの火柱を大蜘蛛に撃ち込んでいる。
サイズも、威力も、速度も。
すべて俺の『火弾』と比較にならない。
「アイツは【紅の導師】ジェレマイアだ!!緊急事態でさらに頭がおかしくなったか、欲に目がくらんだか……どっちにしろイカれてやがる!!」
「どういうことですか!!」
「闇生みには莫大な懸賞金がかかってる!国家規模のな!!」
確かに、この森が消え去れば、どれだけ人類の為になるか。
「黒森の中心に座して誰も手が出せなかったヤツを、確かに討ち取るチャンスかもしれねぇが……見てわかっただろ!?」
「死ぬかとおもったな!」
実際鼓動を停止させられた。すぐに走りだせるこの体も信じられない。
後方から発射される攻撃魔法の量はいや増して、爆撃のような音が響いてくる。
「【紅の導師】ってのは何者だ!?」
「上級のさらに上、人の極地に至ったヤツだ!
魔法使いでそのクラスというとこの大陸でも数えるほどしか……」
後方でことさら大きな音が響く。振り返る。
【闇生み】のいたであろう場所から、巨大な爆炎が吹き上がっている。
「……ここらでいい。さて……どうなるか」
ザリードゥが呟く。口調とは別に、彼が全力で集中しているのがわかる。
この場に、この戦場にいるほかの手練れも、おなじように集中し固唾を飲んでいるのだろう。
煙が晴れた。
闇生みは、傷一つなくそこに在った。
【紅の導師】が崩折れる。
目といいい口といい鼻といい、穴という穴から血を吹き出して。
「魔力の過剰摂取……か」別の冒険者が呟く。
その、怒涛の攻撃を行った魔法使いを、闇生みは心底つまらなさそうに眺めている。白の瞳がそう告げている。
ヤツからすれば、アリの中に強いの弱いのいろいろいるが、だからなんなのだという風に。
静かに闇生みのアギトが開き、そこから極大の呪いが放たれた。
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最初は、黒い閃光が疾走ったのだと思った。
しかしそれは、何千もの黒い糸の群れだった。
【紅の導師】のいたあたりは、壁ごと、殺到した糸に呑み込まれた。
魔物は停止している。人間は停止させられている。
そうして、丘のように巨大な蜘蛛は去っていった。森の奥へ。
もうここには興味のあるものなどないかのように。
「―――どうします!師匠!!」
イリムの声でハッとする。
すでに魔物は動き出している。
そうだ、壁が壊された場合のマニュアル。
基本は、持ち場内でそれが起きた時、壁の上よりも下を重視し、壁の亀裂から漏らさぬよう叩き続ける。特に範囲攻撃や連続射撃ができる魔法使いは、率先してその任につく。
だが、あの西の、闇生みに呑まれたエリアはそんなレベルではない。
巨大な穴ができている。
今にもわらわらと敵が押し寄せるだろう。
正面の、自分たちの担当エリアを見る。
まばらだが、敵はまだまだ多い。
―――よし、決まった。
「イリム、ザリードゥ!ふたりであの数、凌げるか!?」
一瞬で、ふたりは意図を察してくれた。
「おうよ!」
「余裕ですね!」
「カシス、俺と来てくれ!!」
「ええと……了解!」
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壁を降り、西へふたりで走る。
「私は、あんたの護衛ね」
「ああ」
残念だが、俺の近接防衛力はまだまだ低い。
撃ち漏らした敵を捌いてくれる前衛が必要だ。
そして、俺たちの担当エリアをふたりで凌げるのはイリムとザリードゥでないと無理だ。
周囲の雑魚を払いつつ、単独でトロールの相手ができる彼らでないと。
「そういやさ!さっきのビーム凄かったわね、ドバーッて!ビームなんて見る機会ふつーないわよね!」
「ああ、そうだな!」
「アレって、アレじゃない?しねしねこうせんって知ってる?」
「オマエすげーな、あれ初代の頃の……」
ハッとする。
そうか、そうだ。なるほど。
大切なことを見落としていた。
黒森では、精霊は死滅していた。
あの蜘蛛の放った攻撃も、おなじようなものだろう。
あの攻撃が殺到したエリアでも、恐らく精霊が死滅している。
気づいた瞬間、精霊を『視る』モードに。
そして片っ端からこちらに引き寄せる。
付いてきてくれれば、思いっきり暴れさせてやるぞ、と勧誘する。
火精たちは、みな疑いもなく付いてきてくれた。
壁が決壊したエリアには、すでに同じ判断に至ったのか、40人ほどの人々が集まっていた。そしてすでに半数は穴の攻防にあたっている。
「今の第一陣が息切れしたら、我々で交代する」
皆をまとめていたのは、俺たちに壁でのルールをレクチャーしてくれた士官のオスマンだった。
「おお、キミか。キミはあの時600発と豪語していたが、今はどれほど手持ちがある?100はいけるか?」
「200はいけます」
「ほう……『ファイアボール』、またはそれに類する範囲攻撃は?」
「仲間を巻き込む危険があるので無理です」
俺はまだ、あれらの威力を微細に調整する力がない。
「ただ、撃てる数には自信があります」
「では中央の補佐、右側だな」
オスマンは、中央で範囲攻撃を正確に扱えるものをすでに選定していた。
それはオスマン自身であった。
そろそろ、最初の担当が息切れするころだ。
事態に気づき、こちらに駆けつける者も増えてきた。
すでに、第3陣までは持ちこたえられる。
「飛び込む前に言っておくわ。私はひとりで森トロールは倒せない。
突く剣という特性上、デカブツ相手はむいていない」
「そうか」
確かに、トロールに対してカシスのレイピアは相性が悪すぎる。
急所を突くといっても、トロールの心臓はレイピアでは浅すぎる。
脳は、頭蓋を貫くのに強度が足りない。
……だが、奴らの弱点は炎だ。
アルマから教わった戦闘外で使える術。
その中で、今、コレ以上のものはないだろう。
「カシス、得物に炎を付与する。こちらに刀身をむけてくれ」
「…………!」
意図をすぐさま察したのか、彼女はこちらに切っ先を差し出す。
その金属のラインに指を這わせ、粘る炎を刺剣に塗りたくる。
カシスのレイピアは、尽きぬ炎をゆらゆらと纏った。
「コレ、なんて術なの?」
「焔霊……はマズイか。爆血……はしてないし。じゃあ『纏焔』で」
「まーた厨ニ臭い名前付けて」
「大好きですので」
「まあいいわ」
カシスはくるくるとレイピアを器用に回し、赤い輪をいくつも空中に描く。
「突剣の極意は、尖った方で刺すこと。
それに炎が纏えれば、トロールだって殺してみせる……ってね」
キミも結構大概だと思うぞ。
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