第251話 「赤表紙本ver.2」
そうしてついに帰郷の日。
フラメル邸からすこし歩いたところ。
枯れ草の混じった秋の草原に、大樹海からの湿った風が吹き抜ける。
そのややくすんだ色を背景に、大きな鏡の姿が。
「よし、『成った』」
「こちらもです、師匠さん」
大きな鏡のむこうに、黒ぐろと苔むした森が広がっている。
あの森はフジの樹海であり、つまりは『あちらの世界』だ。
「しかし何度見ても『異世界』には見えねェな」
鏡を覗き込み、まえと同じようにつぶやくザリードゥ。
まぁ樹海はな、コケまみれだし木々も青々と元気で……と思っていたら唐突に「うォおおおおお!!」と叫ぶトカゲマン。
「なんだ!?」
「師匠、いまっ……いまなんか鉄の箱が高速でっ!! ありゃなんだ!?」
急いでトカゲ頭の横から鏡を覗きこむ。
すると木々のむこうにアスファルトの道路と、そこをときたま通過する車の姿が。
「あぁー……うん。そっか、あそこってわりと道路が通ってるからな……」
「オィ、また通った! しかもよく見りゃなかに人が閉じ込められてっぞ!!」
「安心しろ、馬車みたいなもんだ」
「ヤベェな、まれびとの世界は」
それからイリムやユーミルも興味しんしんで鏡のむこうを覗きこむ。
そう。
あの有名なフジの樹海、入ったら出られないだとか磁石が狂うだとか……あれはだいぶ誇張された話である。
国道も通っているし、だいたいどの地点からも車の音を頼りにすれば森から抜けられる。
だからこそ、最初の『帰郷』でもここを選んだのである。
「ま、じゃ誰かに見られるまえに行きますか」とカシスの元気な声。
つい、と気軽に。
つとめてふつうに。
そんな彼女にイリムが抱きつく。
「――カシスさん!!」
「イリムちゃん」
「その……これでお別れですが、でも……でも、絶対にあなたのことは忘れません」
「ええ、私もよ。イリムちゃんや、みんなとの旅は絶対に忘れない」
しばらく、本当にしばらく……ふたりは抱き合い、言葉を交わした。
そうしてお次はザリードゥ。
「寂しくなるなァ……オマエは今まで組んだ盗賊のなかで、そして女のなかでも最高にイカしてたぜ」
「ハッ、ありがと。まあ、今にして思えば最後に一回ぐらい、アンタの頼み聞いてあげてもよかったかもね」
「マジか! じゃあささっとやっとくか、俺っちが本気出せば10秒かからずに……、――痛ェ、そこは蹴るなよ!?」
「バーカ」
急所を押さえるトカゲマンを押しのけ、お次はユーミルとみけ。
「……まっ、むこうでも元気でやれよ……」
「ええ、ユーミルもね」
「……カシスと、みんなとつるむのは楽しかったぜ」
「うん……うん」
このふたりは俺が会うまえから付き合いがある。
そして女の子同士。
意外にも、ユーミルの目にも涙がほんのりと。
その姉の横から、ぴょこっとみけがなにかを差し出す。
「カシスさん、コレを」
「みけちゃん?」
みけが渡したものは小さなブローチだ。
中央にダイヤモンドがあしらわれた、とても高価そうなシロモノ。
「私は、これを一生のお別れにはしたくありません。いずれ……フラメルの娘として、アルマさんの後継者として、あの『祖』を過去の者にしてみせます」
「ふうん? それってどういう……?」
にんまりと腕を組みつつ、誇らしげに笑うみけ。
首からさがる『白い賢者の石』も心なしか輝いてみえる。
「私は、いずれ『賢者の石』の赤に至り、あの不甲斐ない『祖』を越えた魔術師に至り……いずれかならずあなたに会いに行きます」
「……でも、それは……」
「その時に、そのブローチは目印になります。必ず……再会しましょう」
「……みけちゃん」
最後に、同じまれびとである俺のもとに。
「あんたに会えて、よかったよ」
「そうか、俺もだ」
「あの街道の宿で、イリムちゃんとあんたと……あそこで出会ってなかったら、たぶん。きっと。……私はダメになってたと思う」
「……そんなことはないだろ。おまえはいつも強くて、」
「いえ。正直、ギリギリだったと思う。心も、いろんなものも」
「……。」
両手でしっかと手を握られる。
痛いほどに、力強く……そしてその手は震えていた。
「あんたが王都で……こんなことは間違ってる、まれびとを助けよう、って言ったとき……驚いたんだ」
「……。」
「必死に心を誤魔化して、見て見ぬ振りして……でもほんとは私も、だから……」
「カシス」
「あんたが始めて、そこからたくさんのまれびとを救うことができた。ほんとうにたくさんの人をね。……でも、アレは私も救ってくれてたんだよ」
「……。」
「ありがとうね、師匠」
「えっ」
彼女にその名で呼ばれるのは初めてだ。
そうしてぐい、と俺は体を引き寄せられた。
倒れ込むように、彼女の体と……くちびるが触れ合う。
「――。」
秒か、分か。
それからしずかに、彼女のほうから体を離した。
「へへっ、……安心して。イリムちゃんには許可とってあるから」
「その……そうか」
いたずらっぽく笑うカシス。
ふり返ると、イリムもにっこりと笑っている。
「特別にですね、親友のカシスさんですからね! 特別に師匠をお貸ししました!」
「うん、イリムちゃん。あらためてありがと」
……お貸しされちゃったのか。
そんでくちびるを犯しされちゃったのか。
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あれから仲間からヤジ飛ばされたりなんだりとまた、いつもの賑わいに。
まるで、あの旅でなんども交わした会話のように、雰囲気のように。
だが、ほんとにそろそろ時間切れだろう。
カシスがすっ、表情を引き締める。
「最後に、師匠。あなたの名前とむこうでの住所を教えて。これが最後の連絡になるかもしれないから」
「……。」
以前のまれびと達の『帰郷』では、俺は「もうこの世界の住人だから」とそういうことはしなかった。
だが、アスタルテ達のおかげで俺は名前を取り戻し、そして同時に忘れかけていた記憶や思い出もよみがえった。
だからか、今回は彼女に託そうという気になっていた。
「頼む」
「ええ、任せて」
そして、まだイリムにしか教えていない『本名』を彼女に伝えた。
それは凡庸でありきたりで、意識しないと忘れてしまうほどどこにでもある名前だ。
「ふーん……なんか、炎系とか燃え上がれー、な感じとは無縁ね」
「だろ、名字ランキングでもたぶん上位だ」
それから俺の住んでいた家と、実家の住所も。
できれば、一番心配しているだろう両親に、俺の無事を伝えたい。
「事情は……話しても信じてもらえないだろーけど、まあいちおうな」
「なにか、証明するような物はないの? 手紙とか私物とか……」
「うーん……あるにはある」
そうして俺は、一冊の本を取り出した。
ジェレマイアの日記『赤表紙本』にならい、俺もチマチマと日記をつけていたのだ。
今までの旅路……最初にあったことから、これまでのことまで。
「筆跡とかでさ。判別できるかはわかんないけどな」
「……ふーん」
ペラペラとページをめくるカシス。
「……なんか、アレね。軽めのファンタジーって感じね」
「まあ、むこうの世界だと妄想小説扱いやろな」
異世界行って冒険してきました、ってか。
まあ事実なんだからしょうがないけど。
「……うん、わかった。預かっておく」
「うまく伝わればいいけどな」
息子さんは異世界でがんばってますよ!
ケモミミの彼女とよろしくやってます!
うーん、アレ?
俺もカシスも頭のおかしいヤツ扱いされそうだが……まあ彼女ならうまくやるだろう。
そうして……カシスは俺の日記、いわば『赤表紙本ver.2』をしっかりとバッグに収め、よいしょと腕をまわした。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
みなで手を振り、みなで声をかけ。
それを背に受けつつ、カシスはしっかりとした足取りで鏡をくぐった。
ぶるる……と鏡面が波打ち、静かに『転移門』全体が震えだす。
彼女の立つフジの樹海の景色も、彼女の姿自体もだんだんと見えなくなる。
その、湧き立つ水面のむこうから……はっきりとしたカシスの声。
涙と、嗚咽で、聞きづらくもたしかな声が。
「私の名前は黒崎さやか! これから受験もがんばるよ! 高校はムリでも大学で、夢の学生生活を満喫するよ!!
みんなみんな、みんなのおかげだよ!!! いつか……いつかまた――」
そうして、鏡は。
転移門は。
その役目を果たしたのか、みなの目の前で粉々に砕け散った。
その様子は、滲む視界でよく見えなかったけれど……。
昔、彼女は言っていた。
――いつか元の世界に帰って、ふつうの学生生活を送るんだ。
その願いの、最初は叶えることができた。
次の願いも、彼女ならやり遂げるだろう。
きっと、必ず、絶対に。





