第1話 「樹海転移にケモミミ少女」
気づけば、そこは深く暗い森の中だった。
見渡す限り大木がこれでもかと続いていて、木々が伸ばす枝や葉のせいで完全に頭上が埋まっている。
「…………。」
俺は自分でも気付かず山にフラフラと登ったのだろうか。状況が飲み込めない。
昨日は普通の金曜で、自宅に帰り面倒だからと冷凍の唐揚げやコンビニの惣菜にビールで飯を済ませ、風呂入って寝たはずだ。
酔った勢いで山登りでもしたのか?んなアホな。
体を確かめると、いつも寝る時の部屋着である。
ここまで歩いてきたにしてはどこも汚れていない。
靴は……スリッパか。これもキレイだ。
周りの木々を見る。
これもおかしい。でかすぎる。むちゃくちゃでかい。
通天閣だとか、田無タワーぐらいある。
こんな大木、日本に……というか地球に存在するのか?
もしかすると異世界召喚かもしれん、備えねば。
なんとなく構えをとってみたり呪文を唱えてみたりしたが特になにもおこらない。
……まあ、とにかく移動するか。
意味がわからなすぎて、逆に俺は冷静になっていた。
ここがどこだか考えるだけ無駄な気がしたのだ。
一歩を踏み出すと「パキリ」と枝を踏む音があたりに響いた。
どうやら乾いた枝かなにかを踏んだらしい。
スリッパだと少し足にくる。
……うおぉぉぉぉおん……。
いま、なんか聞こえたな。気のせいか。ゴローちゃんか?
気にせず2歩、3歩とあるき続けると前方から巨大なクマが走ってくるのが目に見えた。
あれは……灰色熊とかいう……。
うおおおおおおお!!
逃げ出さなければという意思に反し、足はカチコチに固まっている。
そうしている間も、クマ公はこちらにせまる。
15m……10m……5m……。
もう終わりだと目をつぶったその時、背後から小さな影が飛び出す。
キツネ色の、しっぽの生えた……。
「ハアッ!!」
小さな影はその手に槍を握ったまま、クマ公に突進する。
危ない!と思った矢先、影は体を伏せそのままスライディング気味にクマ公の真下へ滑り込んだ。
ちょうど腹の下だ。
ずくり、と何かを突き刺す音。
動きを止める猛獣。
すぐさまその腹下から転がるように飛び出す小さな影。
小さな影は少女のものであり、頭にはケモノの耳が生えていた。
そうか……ここは異世界でアタリらしい。
ほんとはちょっと、信じられないが。
「こんな危険な場所にフラフラと……あなたは……うん?」
ケモ耳の少女ににらまれる。
全身、くまなく。
癪なのでこちらも観察仕返してみる。
耳をみるに犬だかキツネだかの獣人で、頭身は低く子ども体型。髪はキツネ色だ。
サラサラっとしたセミショートがよく似合っていて可愛らしい。
年齢はよくわからんが、10代前半ぐらいにみえる。
服は黄色の厚手のものだ。
アイヌの民族衣装に洋風をミックスしたような……知識がないのでテキトーだが。
唐突に少女はこちらへ飛びかかると、俺の頭やら尻やらをぐりぐりとなで始めた。
なんだ!?異世界飛んでいきなり逆セクハラか!?
「ほんとに耳も何もない!」
目をくりくりっと輝かせた少女が、驚きの声を上げていた。
「あなたは人間さんですか?」
「えーと、……うん、そうね」
この世界にも人間はいるんだな、ちょっと安心した。
目の前のこの少女はかわいいが、獣人しかいない世界というとちょっと困る。
いやかわいいんだけどね。
「ところであなたは武器もなにもない……というか旅の荷物もないですね」
「そうね」
「どこから来たんです?」
「うーん……覚えていない」
異世界から飛んできました、とか頭のおかしいヤツだと思われるかもしれん。
守秘義務を発動させる。
「じゃあお名前は?」
名か。ふーむ。
この世界の一般的な名前を知らないが、そうすると俺の名前は変に映るかもしれん。どうするか……と悩んだところで、ある違和感に気づく。
……俺の名前、なんだっけ?
ぽかんと穴が開いたかのようにまるで記憶にない。
びたっと固まっていると、少女は再度「あの、お名前は?」と聞いてきた。
困ったな……。
適当な名前を上げるというのもあるだろうが、この世界での適当な名前なんて当然知らん。
ここはもう、素直にいこう。
「名前は……思い出せないんだ」
ケモ耳少女がハァ?という顔をする。
おお、表情とかの感情表現はこちらとあまり変わらないな。これは助かる。
白いハトを飛ばすとかが相手の文化では「おまえぶっ殺す」という意味だととても困るんだ。
ここは火星じゃなかったようだ。
「……記憶喪失ってやつですか」
こんな村でもそういう概念があるのか。説明が楽でいいな。
「そう、記憶喪失なんだ。……なんかカッコいいだろ?」
「なにがです?」
マジか。
そういう概念はないのか。
じーっと少女ににらまれていたが、すぐに警戒がとかれたのがわかる。
さっきまで多少張り詰めていた空気がゆるんだのだ。
「……まあ、あなたは無害でしょう。そうそう、自己紹介がまだでしたね。
私はイリムといいます」
「イリムちゃんか、どうぞよろしく」
俺がそう言うと彼女はぱくぱくっと口を空けたあと「初対面でちゃん付けは失礼ですね、呼び捨てでいいです」と。……ませた子供か。
ひとまず村まで行きましょう、とイリムちゃんの後に続く。
ぴょこぴょことゆれるケモミミが可愛らしい。
……まあ、俺はケモナーじゃないけどな。
ついでにロリコンでもないぞ。
しばらく……2時間ほど歩いただろうか。
太い大木に螺旋状に巻き付く階段を見つけた。ロープや滑車でできた構造物もある。まるで映画スター○ォーズ6の樹上村のような雰囲気だ。
異世界じゃないととてもお目にかかれない光景だな。
……いや、ネットのグンマ県の紹介で似たようなものも……まあいい。
大木に近づき、見上げると、螺旋階段が延々と上まで続いている。頂上は枝や葉っぱに飲まれてしまい見えない。
「ここを登るのか……」
ひたすら歩きづめの身からすると、非常にしんどい。
というか死んでしまうかもしれない。おもに高所恐怖症で。
「こっちですよ名無しさん」
イリムが手招きをする。
見ると大木の脇に据え付けられた滑車とロープの装置を掴んでいる。
みたところエレベーターのような装置に見えるが乗り込むための箱は見当たらない。代わりに頂上からがっしりとした縄が真っ直ぐ垂れており、所々に歯車のようなものも見える。ロープの先っぽには鉤型のフック……脇にはレバーの装置か。
ふーむ?
…………つまり、これは個人輸送のエレベーターなのかな。
吊り下がったロープを腕や腹に巻き、フックで固定する。レバーを倒す。
そうするとなにかの動力でするすると上まで一直線……と。
マジか。すげえワイルドだな。遊園地の絶叫マシーンかよ。
「コレは大丈夫なシロモノなのか、イリムちゃ……いやイリム」
「なんども村で使っているし、日々のチェックも万全です。ささ、どうぞ」
イリムはすでに体にロープを巻きつけ、残りをこちらへ手渡してくる。
怖いなーというのと、それだと密着状態じゃね?というのとで悩む。
まあ……いっか。ロープを腹に巻き、イリムとくっつく。
あ、この子ぺたんこだわ。当たり前か。
それから片腕にもしっかり巻き付けバランスをとる。
「いきますよ!」
「頼む」
イリムが足でレバーをぐいと蹴り倒す。
とたんに、ぐっと腹と腕がロープに締め付けられ、するすると体が上昇し始めた。
おおおおおお、やっぱ怖い!
みるみる地上が離れていき、大木の途中でロープに縛られた大きな石とすれ違う。
あれが俺を今引き上げている動力なのだろうか。俺とは反対に落ちていく石を眺めると、自然にはるか下方の地面が目に入った。怖い。急いで上を見る。
すでに頂上は目の前だった。





