第11話 「シンボルエンカウント」
見回りの夜。
そろそろ交代かなと曇りの夜空を眺めていたら、
「ピィィィイイイイイイッツツ!!」と村中に警告の笛が鳴り響いた。
――体に緊張が走る。
とっさに黒杖を握りしめ、笛の音の方向へ走った。
息を切らせながら走った先で、イリムが崩れるように地べたに腰を下ろしていた。
彼女の視線のさきには、彼女の家があり、その入り口のドアは無残に破壊されていた。
「――イリム!大丈夫か!!」
嫌な予感を振り払うように彼女に駆け寄る。
「ミレイが……ミレイが……」
と顔をぐしゅぐしゅに濡らしてイリムが俺にしがみつく。
彼女の頭を撫でながら状況を整理する。
……そうか、たぶん……ミレイちゃんが……。
ドアを失った玄関から、カジルさんが出てきた。背中に白猫村長を背負って。
村長は肩から出血しており、巻いたばかりであろう布がみるみる紅で染まっていく。だが、命に関わる傷ではないだろう。
こういう事態でも冷静に判断できてきた自分にすこし驚く。
「……イリム……すまんのう……儂ではミレイを守れなんだ……」
ぽん、と村長がイリムの肩に手を置く。
それがきっかけになったのか、イリムはぐい、と涙を袖で拭うと立ち上がった。
「私が助けます。……今すぐ、後を追いましょう」
カジルさんは村長を仲間に託し、ガルムさんと一緒に現場の調査をしている。
鼻のきくであろう狼人であるガルムさんは適任であろうが、なかなか苦戦しているようだ。
「……やつら、匂い消しの……」「……小賢しい真似を……」
渋い顔で言い合っている声がこちらまで聞こえてくる。
追跡はとても高度な技術だ。
鼻が利くガルムさんやカジルさんでも難しいとなると……。
「師匠」とイリムの静かな声。
見れば彼女は、手に松明の燃えさしを握っていた。
ずいぶんと小さい。
「恐らく、奴らのです」
そうか。
『暗視』なんて持たない人間が夜間に移動するさい、どうしたって光源は必要になる。今夜のような曇り空の日は特に。
「これで、奴らの後を読めますか?」
「……?」
「師匠には火精さまの気配がわかるんですよね?」
言われて、なるほどと納得する。
この村で松明なんて必要なのは俺ぐらいだ。
俺以外の松明の通り道があれば、それは俺以外の人間の通り道というわけだ。
精霊を『視る』モードに切り替える。
うっすらと、北の路地へと続く松明の痕跡が感じられた。
「こっちだ」と指をさす。すぐにでも追わなかれば。
歩きだそうとイリムの手を引くが、ぐい、と彼女に引き返される。
「師匠」
「なんだ?」
「師匠に、言っていなかったことがあります」
「それは今する話なのか?
そんなことより、ミレイちゃんのほうが心配だろ」
「男の精霊術師は、この村では禁忌です」
…………。
まあ、なんとなく予想してたことではある。
「そうか」
「だからこの先、私たちだけで追跡します」
「……わかった」
戦力として二人しかいないのは不安だったが、火精の気配を根拠に追跡する以上、他の人は呼べない。
そして今は、アジトを見つける数少ないチャンスである。
追跡を始めて木々の丘をふたつ越えただろうか。
この樹上世界では大樹のひとつひとつが丘をなし、それが延々続いている。
曇りで月明かりに乏しく、遠くまで見ることはかなわないが……。
そして追跡はイリムの『枝読み』頼り。
自分の正確な位置はほとんどわからない。
しかしこの精霊を『視る』モードは、気休め程度の暗視効果もあるようだ。
おかげで一度も足元を踏み外すことなくここまでこれた。
「師匠……コレって……」
「ああ」
樹上の丘の中腹に、葉っぱで巧妙に隠された横穴がある。
トトロに出てきた枝のトンネルみたいだ、と場違いな感想が浮かぶ。
周囲に人の気配はない……と思う。
「おい」
と後ろから声を掛けられたと同時に、口をふさがれた。
……振り返るとカジルさんだった。
暴れる意思がないのをジェスチャーで伝えると、あっさり解放してくれたが、その眼は厳しい。
「どうやってここまで追跡してこれた?」
まっすぐに、正面から俺を見る。
「あの村で人間はおまえだけだ。そしてあれだけ長く村にいれば匂いは覚える。
あの現場からこつ然といなくなったおまえの匂いを辿った。
そうしてひとつまえの丘でおまえたちを補足してみたら、追跡を主導していたのはおまえだった」
「あの、それはですね」
「イリムは黙っていろ」
……これは、正直にいうべきか。
客観的にみれば、俺が人攫いの仲間で、イリムを騙してアジトまで引き込んでいるようにもみえなくもない。
カジルさんにそう疑われるのはイヤだしな。
「殺されるほどの罪じゃないんだろ?」とイリムに聞いてみる。
イリムは「ええ……でも……」と歯切れが悪い。
まあいい、もう決めた。
カジルさんに自分が火の精霊術を使えること、人攫いたちの松明の残り香を辿ってここまできたことを説明した。
彼はしばらく、ううむ……と唸っていたが、簡潔に「腹の傷はそれで焼いたのか?」と聞いてきた。
「そうです」
「そうか。どうりで受け答えがおかしかったわけだ」
バサバサっと、カジルさんの後ろからガルムさんが現れる。
「カジル、状況は?」と問われたカジルさんが眉間を押さえたまま横穴を指差すと、ガルムさんが獰猛に口を開いて答えた。
「いよいよやったな。今晩、奴らにケリをつける」
殺気をみなぎらせ嬉々とした様子のガルムさんとは対照的に、カジルさんは元気がない。
しばらくして、そうだな、今考えることではないか……と呟いたカジルさんは「他に何が使える?」と俺に小声で聞いてきた。
「小さいのと大きいのを撃てます」
「人を殺せるぐらいか」
「……はい」
「絶対にこの先使うな」
「…………。」
はい、とは言えなかった。
イリムやカジルさんはもちろん、村の誰かがピンチになったら躊躇いなく使うつもりだ。あの日、血を流して死んだ少女の虚ろな瞳と、竜の爺さんの蔑むような嗤い声が蘇る。
あんな思いはもうたくさんだ。
枝葉の洞窟をしばらくすすむと、先頭をいくカジルさんが足を止めた。
「この先、いる」
ガルムさんがすかさず前にでて、鼻をすんすんと利かす。
「建物がある。外に見張りは3人。中はわからん」
「どうする」
「外は俺が仕留める。中は……臨機応変にいくしかあるまい」
「つまり?」とイリムが口を挟む。
「できるだけ素早く子どもを確保。できるだけ素早く敵を排除。できるだけ子どもを優先」
「なるほど」
スッ、と本当に音もなくカジルさんが歩をすすめ、滑るようにトンネルの奥に消えていった。
しばらく……1分ほどしてガルムさんが「合図だ」と腰を上げる。
俺にはわからないが、イリムも耳をぴくりとさせたところをみるに、人間には聞き取れないんだろうな。
10メートルほどすすむと、視界がぱあっとひらけ、はるか下方に苔と根上りで埋め尽くされた地面がみえた。今まで通ってきた枝の洞窟から、小さな吊橋が伸び、大樹の幹に小屋が張り付いている。
「こんなところにこそこそ隠れてやがったか」
ガルムさんが唸る。
……よくこんな場所に……サイズもふつうの一軒家はあるし……ようやるわ。
こんな労力をかけるほど、獣人の子どもは実入りがいいのかね。
と、その小屋の入り口で屈んでいるカジルさんに気づき、みなで慎重に吊橋を渡る。
「カジルさん、見張りは」と俺が聞くとカジルさんは血に濡れた槍でくいっと下を指した。
あっ……そう。
「入り口は正面のここしかない。しかしここから全員突入は上手くない手だ」
「どうします?」と聞くと「3方から攻める」と答えが返ってきた。
計画はこうだ。
身軽なカジルさんとイリムがそれぞれ小屋を登り、一番人質がいる可能性が高い2階部分からカジルさん、
玄関からもっとも遠い場所からイリムが侵入。
なにか騒ぎが起きたとたんにガルムさんが正面から突撃。
俺は彼のうしろに付いて、揺動&護衛。
「下手に攻撃されるほうが邪魔だ。手練の後ろにさら味方がいる。敵にそう思わせる。それがオマエの役目だ」
ガルムさんに釘を刺される。
このひとはほんと……どストレートだね。
まあもう慣れたけどさ。
「それと」
「はい」
「子どもを守るときは、自由に動いていい」
「……わかりました」
ぐっ、と黒杖を握る。
ミリでも信用されたなら十分だ。
しーんと、時間が過ぎる。
ふたりが屋根に消えてからしばらくたつが、意外なほどステルスが成功しているのだろうか。
……意外といえば、ずいぶん頭が冷静だな。これから突撃だというのに。
この世界にきて、いや、まえの世界から数えても産まれて初めての実戦では。
俺はパニックになりまともに戦えやしなかった。
少女ひとりすら守れやしなかった。
なにが自警団だ。
今は、あのときにくらべ頭もマトモだ。
棒術の防御もマトモになってきたとイリムに言われた。
いざとなれば……いや、これは最後の手だが、精霊術を使うのに躊躇いはない。
そう決意したところで、目の前の小屋中から男たちの怒声と子どもの悲鳴が鳴り響いた。
「ウグルゥゥゥゥゥアアアアアアアアアアア!!!」
まさしく獣の咆哮をあげながらガルムさんがドアを蹴破る。
気圧されながら彼のあとに続くと、すでに目の前では男がひとり切り伏せられていた。
肩口から股下まで、まさに一直線。
袈裟に両断された人体がごとりと床に散る。
ガルムさんは血に濡れた長剣を肩に担ぐと、再度盛大な咆哮をあげた。
正面からその迫力に気圧されたのか、部屋にいた3人の男は体を硬直させる。
なん……だ、コレ?
背後にいる俺でさえ、ビリビリと威圧される。
一緒に連れていた火精たちも、心なしか怯えているようだ。
ただの雄叫びとは思えない。
2、3秒固まっていたのか。
気がつくと、部屋に立っているのは俺とガルムさんだけだ。
「次いくぞ」
「あ、はい」
けたたましく次のドアを蹴破り廊下をすすむガルムさんに必死に付いていく。
正直、部屋の状態は直視できなかった。
廊下をすすみ、曲がり角に差し掛かったところでガルムさんが「下がれ!!」と俺の体を突き返す。
瞬間、彼と俺のいた空間にタタタッ、と連続してなにかが通り過ぎる。
壁をみると、太く黒い棒……矢か?
「石弓だ」
「いしゆ……クロスボウか」
「オマエら人間のオハコだな」
「へえ」
飛び道具大好きなのはこっちの人類も同じなのね。
どうするか、こちらも『飛び道具』を使うべきか。
使うべきは今でいいのか?
と、上階からはカジルさんのものであろう戦闘音、廊下のむこうからはイリムの裂帛の叫びが聞こえてきた。
ふたりともまだ無事なことに安堵すると同時に、今このときも戦っているということで、すぐにでも助けに行くべきだ。
――よし、やるか……と決意を固めたところで、ガルムさんがすっと身をかがめた。
「俺が突っ込む。いいと言うまで顔を出すなよ」
「へっ」
と俺の返事を待たず、ガルムさんは曲がり角のむこうへ身を滑らせる。
「オイ!でたぞっ!!」「そんな!」
あえて咆哮なしの突撃に虚を突かれたか、敵はそんなマヌケな声をあげた。
それでも何人かは対応できたのか、クロスボウの発射音が複数と、外れた太矢がこちらの壁に突き刺さる。
直後、三度目の咆哮があがり激しい剣戟音が響きわたる。
「クソッ!」
すべて外れたのか、どうなのか。
廊下の先の様子が気になるが、俺の力量だと顔を出した瞬間頭を吹き飛ばされてもおかしくない。
ぐっと耐える。
秒か、分か。
しばらくして「でてこい」というガルムさんの声で曲がり角から飛び出す。
廊下は……暴風が通り過ぎたあとのようだった。
バリケードは蹴り壊されあたりに木片が散り、それ以上に数えるのも億劫なほど幾人もの死体が散っている。
靴を濡らさずにガルムさんに近づくのは不可能だったので、構わず歩をすすめる。
「5人、2階に行って、2人、奥に行った」
見ると、彼の左腕と左肩には太矢が突き刺さっていた。
「――大丈夫ですか!」
「問題ない。右ならまだ振れる」
「しかし……」
「俺は上に行く。オマエはイリムを援護しろ」
返答を待たず、彼は階段を素早く登っていく。
その背中に「すぐに追いつきます!」と叫びながら、俺は廊下の突き当りへ駆けてった。





