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100. 8歳から始める空間魔法の基礎



“砂漠には安全な道と常闇への旅路しかない”

         ――デザルト王国商人の言葉





 千聖(ちさと)は自分の【知力】を見ながら溜め息をついた。そこには『999』という恰かもカンスト(カウンター・ストップ)したかのような数字が並んでいる。

 ただ千聖は曲がり形にもコンピュータ・サイエンスを学んでいるのだ。999がカンストの数値なわけないことは分かっている。

 しかし、回りにいる同級生(・・・)を見ても【知力】はそんなにない。空間魔法の天才と言われている同じ8才の女の子でさえ【知力】は『121』だった。

 千聖は自分の回りに大量に浮いている『タグ』を忌まわしげに見る。これらはオブジェクトが持つメンバー変数(パラメータ)であり、メソッドでもある。

 このタグクラウドを思わせるような演出は千聖にしか見えない。

 視界の邪魔になるほど大きいわけではないので、今ではなれてしまった。


「溜め息なんかついて、どうなされたんですか?」


 天才少女が千聖の肩を叩いた。


「いや、ツクヨミみたいにうまく理解できなくて……」


 ツクヨミは千聖が学園に通うようになって出来た親友である。8才ではあるが子供らしくなく、人との距離感が大人みたいで、大人の女性の心を持つ千聖にはとても付き合いやすかった。


 というのは建前で、単に少女が可愛かっただけである。ツクヨミと言えば夜を統べる日本の神様と同じ名前であるが、このツクヨミは夜に光る満月のような金髪だった。彼女は生まれつき盲目であるが、網膜細胞の代わりをする魔道具を着けており、全く見えないわけではない。見た目は完璧にVRのヘッド(H)マウント(M)ディスプレイ(D)だ。

 千聖からすれば小さい女の子がHMDを着けているだけでもう生唾もの。すぐに仲良くなったことは言うまでもない。


「今日も放課後にお教えしましょうか?」


『ツクヨミと二人きりでお勉強……』などと妄想を始めようとしたが、すぐに用事を思い出す。


「今日はダメだ~。クルトに呼ばれてるんだよ」


「まあ! まあまあまあまあ!」


 クルトは千聖の婚約者であり、この国の王子だ。ツクヨミや千聖と同じ8才だが、こちらは子供らしく反応も初々しいので別の意味で千聖のお気に入りだ。


「デートですわね!?」


「デデデートじゃないよ!」


 ものすごい吃り。デデデートではないことは明白だ。正しくはデートである。


「こうしてはいられません! お召し物を選びにいきましょう!」


 急に立ち上がったツクヨミに教室の視線が集まる。


「あー、今は授業中だ。天才ツクヨミ様には退屈かもしれんが、そこの落ちこぼれのためにも我慢して聞いてくれ」


 教壇の横で足を組んで教科書を読んでいる女教師が嗜めた。ちなみに落ちこぼれとは千聖のことである。

 今学んでいるのは空間座標の計算に使われる「四元数」という概念であり、ベクトルでも苦労した千聖にはかなり難しい数学だった。

 日本の大学で習うレベルの数学と言えばそこそこ難しいとわかってもらえるだろう。


「ライラック先生はわかっていらっしゃらないのです。空間魔法よりも結婚の方が大切だと!」


 独身女性は教科書を閉じて目も閉じた。内から沸き上がってくる怒りを感じ、これは誰に対する怒りなのか自分に問いかける。

 空間魔法に費やした35年の人生に悔いはない。悔いはないのだが、結婚もしたかった!という内なる叫びもあふれでてくる。主に涙となって。

『くそ! 泣くつもりなんてなかったのに!』と思ったが、もう遅かった。溢れる涙は止められない。


 泣いてしまった先生に千聖はおろおろとなる。大の大人がなくとかこっちの世界では普通なの?という当然の疑問に答えてくれるものはいない。


「先生! お腹痛いんで早退します! ついでにツクヨミも!」


 もういてもたっても居られなくなった千聖はツクヨミの手をひいて教室を出ていった。

 シーンと静まる教室。

 生徒は誰からともなく立ち上がると、先生の側による。


「先生は美人だから僕が結婚してもいいよ」


「美人だし、すぐ結婚できるよ」


「空間魔法の研究者は引っ張り凧だよ!」


 口々にライラックを慰め始める8才の生徒たち。ライラックは『君達が結婚出来るようになる頃にはもう45歳(アラフィフ)よ……』と思いつつも、今度は嬉し涙を浮かべて子供達を抱き寄せるのだった。




 さて、教室を脱走した千聖とツクヨミは何故か屋上に来ていた。デザルト王国は砂漠の国なので傾斜のついた屋根は必要ない。

 砂漠の中においてデザルト王国の風景は異彩を放っている。王城から流れ出る豊富な清水が緑を作り、小川となって都市の隅々まで流れている。

 小川は都市の外に出るとすぐに砂に吸い込まれ、砂漠の地下へ消えてしまう。

 王城の北には海が見えるが、それ以外は地平線まで砂砂砂の砂漠である。


 暑い砂漠の風がツクヨミの長い髪をなめつける。


「クルト様とどこで待ち合わせしていらっしゃるんですか?」


「校門前だよ」


 王子が学園の校門にいようものなら大騒ぎになりそうだが、幸いなことに王立デザルト学園はやんごとなき身分の方が通う学校なので何の問題も起こらない。


「ならば公園デートの確率が高いですね。ならば、このお召し物などいかがでしょう?」


「いや、それは……」


 白いホットパンツに白いシャツ、その上から黒いパーカーを羽織る。デザルト王国では親水施設が多いため、短い丈の服が多いのだ。

 ただ、白い服は濡れると下着が透けるため誰も着ない。そのため、千聖は難色を示した。そして、いい年齢(とし)して恥ずかしい。


「ならば、こちらはどうでしょう?」


 本当に目が見えていないのかと思うぐらいファッションセンスの良い服を勧めてくる。しかし、どれも露出が多く、妙に扇情的だ。例えれば、制服なのに隠れなきゃいけないところが隠れていない衣装のよう。

 空間魔法で拡張されているであろう鞄から次々出てくるお勧めの服はすべて同じ感想を抱く。


『イメクラ……?』と心の中で思うも、口には出さない。


「私は今着ているので問題もないですから」


「制服デート! もうふたりの愛はクライマックスですのね!」


 千聖は時々、いやしばしば目の前の少女の思考についていけなくなる。これも天才故のことなのか、理解に苦しむが、友達である千聖を応援したいのだろうということは伝わってきていた。

 ただそれが全力過ぎるので、ちょっとばかり空回りしているだけだと判断している。


「でも、そのマントではせっかくの銀髪が映えませんわ」


 砂漠の学校らしく、制服の上にマントを羽織っている。色は選べるが千聖は汚れが目立たないという理由で砂色を選んでいた。


「せめて黒でないと」


 王城の回りは砂漠ほど暑くないと言っても、直射日光は強い。黒なんて着たらすぐに湯だってしまうだろう。

 ただ千聖はある理由から黒のマントでもいいなと考えていた。

 それに学年カラーの関係でマントの中は黒い制服なので、黒いマントを着けていても不思議ではない。


「じゃあ、マントだけ借りるね」


「はい。千聖ちゃんにはこれが一番似合いますわ」


 苦笑いしながら千聖は肩の出るマントを受け取った。




 あのあと千聖は教室に戻るわけにもいかず、校門前の小川で涼みながらクルトたち(・・)が出てくるのを待っていた。


 千聖は暇潰しとばかりに自分の回りに浮いているタグを見直す。タグはゆっくりと回っているため、視線を動かさなくても次々に読むことができる。

 色々ある中でもスキルのタグは2つしかない。他の人はたくさんスキルのタグがあるので、2つしかないのは千聖ぐらいなものだった。

 一つは上書き(override)。もうひとつは掲示板(活動報告)だ。

 上書き(override)は何に使うかすぐにわかったのだが、掲示板は未だに使い方がわからない。

 掲示板には「ここは掲示板です」と書かれているだけでその他のコメントはない。スキルを使おうとすると、コメントの入力欄が現れるだけだ。流石に怖すぎて書き込む気になれない。

 次に目についたのはレベルだった。クルトのレベルは15である。それに対し、千聖のレベルは1のままだった。

 王族にはレベルをあげるために経験値がたくさん貰えるマジックアイテムを惜しげもなく使うらしいのだが、千聖はそれを使われてもレベルが一切上がらなかった。

 千聖はレベルアップメソッドがおかしいか、経験メソッドがおかしいと当たりをつけて自分でデバッグしようとしているが、異世界特有のプログラミング言語のようで、構文や命令を理解するのに時間がかかっていた。

 そもそも、間にLLVMが噛んでいるらしく、今見えているプログラミング言語は、人間が作ったものらしかった。

 LLVMより先は千聖には何となくしか理解できない世界だが、LLVMの時点で3番地アドレスではないので推して測るべきだ。

 そんな訳で千聖が転送されてきてから、今まで暇を見付けてはデバッグ三昧なのであった。





前書き部分に世界観の雰囲気作りのためにフレーバーテキスト、後書き部分に用語解説を入れていくスタイルでいきたいと思います(あとでフレーバーテキストに苦しむフラグ)


◼️用語解説

>コンピュータ・サイエンス<

 計算機を扱う学問の分野です。


>空間魔法<

 異世界小説ではお馴染みのアイテムボックスを作ったりする魔法です。この世界でもアイテムボックスがあります。


>メンバー変数<

 クラスに紐付く変数。いろんなものを入れられる入れ物……? マイクロソフト用語。この小説ではステータスとほぼ同じ意味。


>メソッド<

 手続き。この小説の場合、メソッドの所有者に影響を与える現象を起こすために使われる。例えば、ダメージ与えたり、経験値を追加したり。


>四元数<

 三次元のベクトル計算を(当社比で)簡単にするための概念です。三次元の回転は三次元ベクトル同士の掛け算で行われるのですが、それが四元数を使うことで簡単な計算へ変換できるのです!

 まさに数学における魔法的な存在。

 因みに大学生なら分かるとは言ってないよ。


>VR<

 VRカノジョ参照


>ヘッドマウントディスプレイ<

 土偶で有名な遮光器のでかい版のような見た目のデバイスです。Oculus Quest欲しい。


>アラフォー<

 around fortyの略。四捨五入で40歳になる人のこと。


>デザルト王国<

 千聖が転送されて来た国。でかい砂漠のど真ん中にある。北はだだっ広い海。


>クヨミ国<

 砂漠の南にある大きな湖に浮かぶ島のひとつにある国。ツクヨミの母国。


>王立デザルト学園<

 デザルト王国にある人質兼留学生を集めた学校。主に政治と空間魔法を教える。


>デザルト王国の結婚適齢期<

 日本と同じく20歳ぐらいから30歳ぐらいまで。晩婚も少なくない。但し、周辺国はこの限りではない。


>イメクラ<

 イメージクラブの略。コスプレして致すところ。


>学年カラー<

 中学校や高校にあった謎の制度。上履きやジャージのラインが学年によってことなり、先輩から譲り受けることが不可能だった。

 王立デザルト学園では、千聖たち8才は黒、ひとつ下の7才は黄色、ひとつ上の9才は青を設定してます。


>デバッグ<

 バクを取って新しいバクを仕込むこと。


>LLVM<

 コンパイラとか言われている人間界とCPUの間にある存在。これが出来たことで多種多様なプログラミング言語が生まれた。神様が人間に与えてくれたものと思われる(聖書のバベルの塔のエピソード的な)


>3番地アドレス<

 住所ではない。マシン語の標準的な書式。




◼️あらすじの用語説明

>仮想基盤<

 ESXiやHyper-Vなどのハイパーバイザーを使った仮想マシンを動作させるシステム一式。ハードは大抵ネットワーク装置、サーバー、ストレージ装置の組み合わせ。


>クラスタ<

 複数のサーバーのグループ。クラスタ単位で故障時に自動復旧して可用性をあげたり、複数のCPUをひとつの仮想マシンへ割り当てて性能を向上したりしている。


>ホスト<

 クラスタに所属するサーバーのこと。モニタのないパソコンのお化け的な。仮想基盤に使うようなサーバーは1台100万円以上する。お高い!


>仮想マシン<

 実際にアプリを動かすサーバーのこと。仮想的に作成されており、ホストの中に複数作れる。酷いとひとつのホストに100台以上あることも珍しくない(本当に酷い)


>キッティング<

 組み立て作業。これがないと部品がバラバラで届く。金をけちってキッティング作業を注文からはずすと、16台分のサーバーを組み立てる地獄を見る。


>フルスタックエンジニア<

 なんでもできるスーパーマン……というのはスタートアップ企業に限る。超雑用係。なんでも出来るので障害対応で使い潰される。




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