第七話之一「買い出しに行こう」
夏。夏は暑い。こんな熱い中でサッカーって、サッカー部はドMなのか。
アブラゼミの必死な鳴き声が、部屋の体感温度をぐんと引き上げる。授業にも滅多に使われない西校舎にあるこの部室には、予算の都合上、冷房設備が存在しない。風通し悪し・人通り無し・太陽光微弱の校舎は、気味が悪いほどにジメジメと蒸し暑い。その劣悪な環境下で、今日も、小説の勉強兼読書に励んでいた。
浅川さんは、と言うと、何やら熱心にスマートフォンをいじっている。……まさか彼氏じゃないだろうな。体育祭で俺の肩を壊しやがった奴らが、浅川さんに接触した可能性、無きにしも非ず。俺があの後どれだけ辛かったか。俺の優しさを仇で返すとは、あの二年もよくやりやがる。ああ、イライラすると更に熱い……!
「……んっ? おりべっち、そんな怖い顔してどうしたんだい♡」
いけない、無意識に表情が硬くなってしまったらしい。どうしたんだと言われると、……俺はどうしちゃったんだろう。
最近の俺はどこかおかしい気がする。男子高校生なんてこんなもんだと言ってしまえばしっくりくるような気もするが、浅川さんと会ってからというもの、昔からあった妄想癖が更に悪化してきている気がする。
「ちょっと、世の中の不条理さに脳内で警鐘を鳴らしていたところでね」
「……♪? おりべっちも、小説家みたいなこと言うようになったね☆☆」
浅川さんの精一杯のフォローが、空しくアブラゼミの求愛声明に掻き消される。
「ところで、おりべっちは、小説は書いてるのかい? もう二週間くらい経ったけど☆」
「今、熱烈勉強中だ」
百人中百人が、「言い訳乙」と言うだろう台詞を恥ずかしげもなく吐いた。浅川さんは、溜息交じりに、「私は小説は書いたことないんだけど」と前置きを置いた上で、諭すように、浅川さんなりの人生論を説き始めた。
「おりべっちは、初めて絵を描いたとき、本やインターネットで、どう直線を引くかだとか、人間の顔の黄金比率はどうだとか、色塗りをする時の色の付け方だとか、そんなことを頭に入れてから描いたかな」
「おりべっちは、バレーボール部だったんだよね? 入部したての時、トスとかサーブとかスパイクとか、ボールを触る練習の前に、どうやって回転をかけるとか、体の姿勢とか、本で理論を勉強したのかな」
「小説も同じだよ。……小説だけじゃなく、この世にある、殆どのことに共通して言えると思う」
「新しいことを始める時、精神的な負担から、楽なほうに逃げたくなる気持ちは分かるの。でも、そういう理論的なことは、実際にやりながら覚えていくものだよ」
はい。ぐうの音も出ません。もう何も弁解する気も起きない。
「ごめんなさい。僕が間違っていました。今日から心を入れ替えて行きたいと思います」
俺は、さっきからずっと開いていた、ちょっとエッチな挿絵が載っているページにしおりを挟み、本を閉じた。バッグから筆箱を取り出し、部室の棚から原稿用紙を……、原稿用紙どこ?
「浅川さん、原稿用紙ってどこに置いてあるの?」
「あ、そこに無かったら無いかも」
話によると、今の小説は、原稿用紙に書くスタイルより、パソコンに打ち込むほうが主流で、原稿用紙を補充したのはかなり昔のことらしい。言われてみれば、ラノベ作家がハーレムを形成する萌え萌えなアニメでも、殆どの登場人物はパソコンで書いてたな。
ただ、俺が持っているのは、無駄にスペックに凝っていた時に衝動買いしたデスクトップ型のゲーミングPCだけで、ノートパソコンなんてハイテクな機械は父さんしか持っていない。つまり、ここで書くためには、原稿用紙かノートを買う必要があった。
「俺、ノートパソコンとか持ってないから、今日の帰りになんかしら買ってこなきゃだな……」
「あ、私ノートパソコンあるから、使っても……あ」
浅川さんが何か思い出したように、一瞬固まる。
「やっぱだめ」
「え、なんで?」
「だめなものはだめ」
「あ、別に、部活終わったら返すよ?」
「……だめ」
明らかに何かやましい物を隠しているような表情で、無機質な返事が返ってくる。ハードディスクや履歴に何か見られちゃならないブツを隠しているとしか思えないんだけれども、そこ突っ込んじゃダメ……だよな。……ハードディスク・見られちゃいけない画像・お気に入り・履歴……、ヤバイ、妄想が止まらない。鼻の下が伸びる!口角が上がる!
「……相変わらず、むっつり変態おじさんだね」
今日もドン引かれた。……いや、今日に関しては、俺が悪いのか?妄想に火をつける浅川さんも悪くない?俺の予想では、「むっつり」の部分は浅川さんにお返しできるはずだが。……別に言わないけど。
「ごめん。世の中の不条理さに、頭の処理が追いつかなかった」
「カッコつければいいってもんじゃないよ! ……それでね、は、話しててちょうどいいかなって思ったんだけど」
浅川さんは気持ちの切り替えが早い。
「さっき、お値段.comで、液タブを調べてたんだけど、犬城市のショッピングモールの中にある電気屋さんで、安く売ってるらしいんだ♪♡」
駅タブー? 何それ? 浅川さんは鉄道も好きなのか? 本当に、話題の切り替えが唐突すぎるな。……というか、さっきのスマートフォンとのにらめっこはそういう理由だったのか。ひとまず安心したぜ。
「あー駅タブーね。電気屋さんに売ってるなんて、穴場だなぁ」
「ん? 結構前から置いてるんだけどね!でね、そこには文房具屋さんとか、アニメエイトとかもあるから、画材とか原稿用紙とか、色々買えると思うんだ☆☆!」
……何、アニメエイトだと!? 東京にいたとき、クラスの奴に遭遇したら恥ずかしいと思って行けなかったあの店が、この辺境地、滋賀にもあるのか! 侮れないな、コシ……ガマ? なんだっけ、忘れた。
「そしてなんと、ここに部費があります♡ その額なんと六万五千円」
「……ということは?」
「……活動に必要なものってことで、なんでもタダで買い物できちゃいます☆!」
「……買いに行こう! 今すぐに!」
大金を目の前にすると、人間は本性を現す。俺も浅川さんも例外じゃない。綺麗事は、金の前には塵と化す。
別にゲーム機を買うだとかそういう話じゃなく、学校に申請できる範囲のものを買うだけだから、大丈夫、人間の道を踏み外したわけじゃない。ただ、原稿用紙と、資料としての小説や、漫画を買うだけ、浅川さんは、鉄道模型?や、必要なペンを買うだけだ。
「それでね、今日じゃなくて、……こ、今週の土曜日、おりべっちが暇だったら、その、一緒に」
……なるほど、ようやく浅川さんの意図が分かった。浅川さんも案外悪い奴だ。俺を共犯にして、誰にも口外できなくさせるという、狡猾な手を使ってくるとは。……だが、今回は利害が一致した。乗るしかない、このビッグチャンスに!
「おう! 毎日暇だぜ! 行こう!部費持って!」
「あ、うん。……えへへ」
こうして、土曜日に、浅川さんと買い物に行くことが決定した。




