第四話「今日こそ」
(7/7)文章を一部修正しました
天気予報通り、晴れでも雨でもない、微妙な曇天模様の金曜日。恐る恐る教室に入ると、既に席に着いていた浅川さんと目が合った。が、すぐに目をそらされてしまった。
(やっぱり怒ってる……)
それは、浅川さんの雰囲気から明らかだった。席についても、こちらに来ることはなく、時々後ろを向いて、こちらを睨んできては、フン! とでも言いたげなそぶりで、また前を向く。それを何度も繰り返すばかりだった。
昼休みになっても、それは変わらなかった。浅川さんが部室へ行くなら、謝りに行こうか……、と迷っていたときに、浅川さんがこちらを振り向いた。そして、廊下側を指さしてから、手でバツ印を作ってきた。その後、アニメで良く見る、アッカンベーのポーズを綺麗にやってのけた。あからさまな、「部室には来るな」というジェスチャーをこちらに向けて、浅川さんは部室へ向かった。
……予想はしていたが、想像以上にショックだ。ここまであからさまに女の子に拒絶された経験なんて、小学生の頃に、女の子に虫かごいっぱいのセミをプレゼントした時以来だった。ヤバい、泣きそう。
「織部君、浅川さんと何かあったの?」
日比谷君が、今の光景を見て話しかけてきた。
「まあ、ちょっと色々……」
浅川さんのことを観察してて、下着姿まで観察したからです、ハイ。ちなみに、下着はそんなに派手でもなく、むしろ地味な部類に入るデザインのものだったと記憶してますね。
「事情は分からないけど、落ち込む必要ないよ。……良かったら、今日一緒に昼食べない? 僕の友達も、織部君と話したがってるし」
「え、いいの? ありがとう、日比谷君」
心配してくれた日比谷君の計らいで、俺はついにぼっち飯から解放されることとなった。日比谷君の友達はとても優しかった。久しぶりに落ち着いて昼ご飯を食べられた気がする。
昼休みが終わるのはあっという間だった。気が付くと、クラスのみんなは、各々の席に着席し、浅川さんも席に戻っていた。
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放課後になると、浅川さんは、一度こちらを振り向いた。しかし、こちらへやってくることはなく、部室へ向かって行った。俺も行こうかと席を立った時、ふと、昨日父さんに言われたことを思い出した。
「……あ、今日市役所行くんだった」
昨日、早く帰って来いと言われたことをすっかり忘れていた。浅川さんに連絡するにも、連絡先はまだ交換していない。……どうしよう、直接部室まで行って謝りたいが、昼休みの行動からして、もう嫌われているのは明白だ。……なんかこう、さり気なく謝りたい。
そうこう考えるうちに、時間が経つ。
「あ、時間……。あんまり知らないけど、市役所って十七時までとか決まってたっけ……」
明日は土曜日。部活はないが、学校はある。
うん。……明日謝ろう。そう言い訳をして、俺は帰路へ急いだ。
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人間は、先延ばしにすればするほど、行動に移すことができなくなるものだ。俺は、土曜日になっても、浅川さんがこちらに近寄って来なかったから、と言い訳をして、結局謝ることができずにいた。
「帰り道! 帰り道に会ったら……、もし偶然会って、かつ話せる空気だったら、その時に謝ろう……絶対に」
俺はそう決心して、帰りのホームルームの終了後、浅川さんが帰るであろう道に先回りするため、急いで下駄箱へ向かった。しかし、さすがぼっちと言うべきか、浅川さんは、既に下駄箱で靴を履きかえていた。
(うわっ! もう会うのかよ!? 心の準備が……!)
相変わらずのチキンっぷりに、自分でも呆れる。先回りが封じられた今、ここ以外でいつ会うんだ、浅川さんの家はいつも校門で別れるレベルで逆方向だろうが……! と自分に言い聞かせる。行け!謝るだけだろ! ……行ける、今なら行ける。大丈夫、俺ならできる。少し気まずいくらいで尻込みするような男じゃないのは自分でも分かってる。だから、今行け俺。行ける!行くぞ!浅川さん!
「あ、浅」
浅川さん、と言いかけた時、無慈悲にも後ろから俺を呼ぶ声がした。
「あ、織部君!」
この微妙に声が高く、鼻にかかったような声は日比谷君だ。よく見ると、下駄箱は、クラスメイトでごった返していた。
「ひ……日比谷君。偶然だね」
いや、放課後に下駄箱で会うのは必然だ、と心の中で自分にツッコミを入れる。
「うん。良かったら途中まで帰ろうよ」
こうして、浅川さんを目の前にしながら、今日も謝れずに俺は学校を去った。
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日曜日の夜。ベッドの上で考え事をしていた。この一週間色々あったな……、主に浅川さん関連で。明日からどうなるんだろう。このまま逃げるように過ごしていれば、浅川さんとは、もう話さないままになってしまうかもしれない。……もう、この一週間は、初夏の夢だったと思おうか。
……そう考えた時、ふと、浅川さんの笑顔が脳裏に浮かんだ。たった一週間で、ここまで人の懐に侵入してくる人に、これまで会ったことが無かった。そして、ここまで悲しい顔をさせたくないと思わせられたのも、浅川さんが初めてだ。
浅川さんと会わなければ、もう少しクラスに馴染めていたとは思う。……でも、浅川さんを失うのは嫌だ。俺は、こういう新しい刺激を求めて、父さんに着いてきたんじゃないのか? ……頭の中では刺激を求めていても、結局安定した環境に落ち着こうとしている自分が嫌になる。浅川さんに対する、この気持ちが片思いでも、せめて直接伝えたい。……話してみないと、分からないんだ。
俺は、今度こそ揺らぐことのない決心をし、眠りについた。
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月曜日。天気予報は雨。顔の濃い、良く外れる天気予報士によると、関東は梅雨入りしたらしい。カーテンを開けると、既に雨が降っている。天気に連動して、気持ちまでどんよりとしてくる。
「マジで今日言わなきゃダメなのか……」
夜の自分と朝の自分は別人なんじゃないかと思うくらいに気が重い。身支度も進まない。腹も痛くなってきた……。
「昼休みに言う! ……それか、部活中に言う」
少なくとも今日中には絶対に言う、それだけは、男としてやってやる。男織部和弥、ちょっとやらかした程度で逃げ出すような小心者ではないことを証明してやる。
冷静に考えて、こんなささいなことでウダウダ悩んでいる時点で、かなりの小心者じゃないかとか、そんなことを考えていたら、全然学校へ足が進まなくて、普通に遅刻した。
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授業中、ふと浅川さんのほうを見ると、前まではあんなに絵を描いていたのに、黒板に書かれた内容をノートに写す以外は、ずっとうつむいたまま、ただ座っていた。
国語の時間でも、再度浅川さんが本文を読むように指名されたが、至って真面目なトーンで、本文通りに会話文を読んでいた。その様子は、クラスの人にとっても珍しかったようで、全員が浅川さんのほうを向き、その姿に驚いていた。「ちゃんと読みなさい」と注意する準備をして授業に臨んだ先生さえも、「浅川さん、大丈夫?」と言いたげな表情を浮かべ、このクラスで何かあったのでは、とクラス中を見渡していたが、全生徒が驚いている表情をしていたものだから、なにかのっぴきならない事情があるのだと察したようだ。
原因は疑いようもなく俺なわけだが、浅川さんの心情は、今どうなっているのだろう? 俺に対し嫌悪の感情を抱き、話しかけるなと言わんばかりに怒っている姿を想像していたが、今日の浅川さんは、明らかに落ち込んでいる。
モヤモヤしながらも、異質な空気の中午前の授業を終え、昼休みを迎えた。例のごとく、授業終わりと同時に、浅川さんは弁当を入れた巾着袋を持ち部室へ向かった。それを確認した俺は、今度こそ、とすかさず後を追うように、弁当を持ち立ち上がった。
……しかし、日比谷君の席を通り過ぎようとしたところで、日比谷君から、声をかけられてしまった。……いや、浅川さんの様子を見て、まだ関係が改善していないことを察し、心配して、今日も声をかけてくれた、と言うべきか。
「織部君、良かったら今日も一緒に食べない?」
「……あ、うん。良かったらお願いしてもいい?」
緊急の用事ではあったが、放課後でも間に合わないことはない。……今すぐにでも部室に行って謝りたいとは思っている一方で、浅川さんに会うのを先延ばしにできる言い訳ができて安心している最低な自分がいる。
浅川さんにはもちろん謝りたいが、日比谷君の、クラスで孤立している俺をわざわざ心配してくれたという優しさも無下にはできなかった。ごめん、浅川さん。……と心の中で呟き、俺は教室で昼ご飯を食べることにした。
昼休みを終え、授業が始まったが、浅川さんは、さっきよりも落ち込んでいるようだった。
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六時間目を終え、ついに放課後へと突入した。放課後をこんなに待ち遠しく感じたのも久しぶりだ。スクールバッグを手に取り、今度こそ部室へ向かう。浅川さんは、既に部室へ向かったようだ。俺は歩き出し、日比谷君の席を通り過ぎようとしたとき、日比谷君が俺に何か言おうとしている素振りを感じた。……おそらく、気を使って一緒に帰ろうとしてくれているのだろうと察した俺は、お気遣いありがとう、と思いながら、先手を打って用事があることを伝えようとした。しかし、俺が喋ろうとした瞬間、担任が俺を呼んだ。
「織部君! ちょっとだけ職員室寄れないかな? この前出してもらった書類のことで、少し話があるんだけど」
どうしてこういうときに限ってこういう面倒な用事が生まれるんだ……!
書類というのは、恐らく転入手続の際に提出した諸々の書類のことだろう。頼むからさっさと終わる程度のことであってくれ……、と願いながら、俺は職員室へ向かった。
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「すっかり遅くなっちまった……」
時刻は十七時四十五分を過ぎようとしていた。書類の内容が全然理解できなかった俺は、父さんに電話し、どうにか用事を済ませた。用事を済ませながら、先生が父さんと電話すれば済む話では……、と思ったが、時すでに遅し。
……漫研に限らず、文化部の活動は、十八時頃には終了しているらしいから、急がないと浅川さんが帰ってしまう。焦った俺は、西校舎まで全力で走った。
西校舎に向かう道で、文化部と思われる学生が下駄箱に向かう姿が目に入る。一人ひとり確認するが、浅川さんの姿はまだないようだ。もうすでに帰ってしまっている、なんてパターンだけは勘弁してくれ……。良くわからないが、今日を逃したら絶対にダメな気がする。
五十分になる頃、俺はようやく西校舎に到着した。
「電気が点いてる……!」
部室前に到着したとき、今回も、扉の小窓から光が漏れていることに気が付いた。息を整える時間も、深呼吸をする時間もないまま、俺は扉を開けた。
「遅れてごめん! 浅川さん……っ!」
扉を開けると、浅川さんは目の前に立っていた。手にはスクールバッグを持ち、まさに帰ろうとしていたようだった。
「…………おりべっち……?」
浅川さんは、とても驚いた顔をして、目の前で硬着していた。よく見ると、目元はうっすら赤く、髪も少し乱れていた。暫くお互いが固まったまま時間が過ぎていったが、浅川さんが、何かを思い出したように、ハッとして口を開いた。
「あっ……お弁当箱? それなら、あ、あそこに洗って置いてあるから……」
そう言いながら、部室の奥の棚を指さし、浅川さんは、俺の腕の下を潜り抜け帰ろうとする。暫く固まっていたおかげで、突然の行動に反応するのが遅れてしまったが、かろうじて、潜り抜けた後に、浅川さんの手をつかむことができた。……謝るなら、今しかない。俺は、覚悟を決め口を開いた。
「違う! 弁当箱なんかどうでもいいんだよ! 俺は、……浅川さんに謝りに来たんだ!」
えっ、と浅川さんは口をこぼし、驚いた顔でこちらを振り向いた。我ながら、自分でも驚くくらい大きな声が出た。おかげで少し冷静になり、俺は続けて口を開いた。
「……まず、最近、部活行けてなくてごめん。今日は先生に呼ばれて遅くなった。この前は家の用事で、その前は……気まずくて行けなかった」
「……」
浅川さんはうつむき、何も話さない。
「それから、今まで何も謝らないでごめん。教室でも、何度も謝ろうと思ってたけど、どうしても、すぐに謝れなかった」
俺はそこまで言うと、いつの間にか、浅川さんの手を掴んだ俺の手が、手汗でびっしょりになっていることに気が付いた。俺はあわてて手を放したが、暫く沈黙が続くと、今度は浅川さんが、俺の手を握り、意を決したように口を開いた。
「……私も」
「私も、謝れなくて、ごめんなさい」
そう言葉にする浅川さんの目を見ると、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……ずっと、おりべっちは怒ってると思ってた」
予想外の言葉に驚いた。どうしてそう思うんだろう、と思っていると、浅川さんは泣きながら話し続けた。
「別に、おりべっちは……何にも、悪いことしてないのに、無理やり追い出して、いじわるしたり、忘れてったお弁当も勝手に食べちゃった、から」
……食べたのかよ! いや、今はそこにツッコむ空気じゃないな。
浅川さんの視点から見ると、そういう景色が見えていたのか……と驚いた。
「……私、二年前に、部活から、みんながいなくなっちゃったとき、凄い悲しくて、今と同じくらい落ち込んでて……。久しぶりに、やっと、入ってくれたおりべっちも、また、いなくなっちゃったと思って、それで、あの時の、ことを、思い出して、ずっと泣いてて、」
「おりべっちが、来て、やっと、また楽しくなった、って、思って、毎日すごい嬉しくて……。それなのに、もう、終わっちゃったって思ったら、もう、何もできなくなっちゃって」
「もう怒らないし、嫌なことは絶対しないし、変態だって言わないし、着替えてるとこ見られても、いいから……、もう、どこにも、行かないで……! おりべっちが来て、誰かと一緒にいる楽しさに、もう一回、気づいちゃったの。もう一人は……嫌、なの、だから……」
浅川さんは、涙と鼻水まみれになりながら、それ以上は喋らなくなった。辺りは静寂に包まれ、聞こえるのは、浅川さんの嗚咽のみだった。
……女の子に、ここまで思いつめるくらいに心配させるなんて、男失格だな、と感じた。せめて、その心配を取り払うくらいは、やらないといけない。
「浅川さん」
俺は、掴まれていないほうの手を、浅川さんの頭に置いた。
「俺は今日、部活に戻りたい、ってお願いしに来たんだよ」
浅川さんの本当の気持ちを聞いた今、なんだか心が軽くなった気がした。そして、俺も、昨日の夜に気付いた、自分の本当の気持ちを浅川さんに伝えよう。
「俺は、前の学校じゃ、友達はいたけど、大して仲は良くなかったんだ」
「集団でいると、なんとなく疎外感も感じたし、正直、上っ面だけの友人関係にうんざりしてたときもあった」
「……でも、浅川さんに会って、こんなに自分を求めてくれる人がいるんだ、って初めて感じた。正直、最初は浅川さんのキャラに戸惑って、凄い奴に目をつけられたな……、なんて煩わしく思ってた。……でも、心の底では、……本当は、凄い嬉しかったんだ」
「……俺も、浅川さんがいないと、嫌だ。だから、部活に戻らせて欲しい」
誰かに自分の本当の気持ちをちゃんと伝えたことなんて、一度も無かった。相手に本音でぶつかることが、こんなにも緊張し、心臓の鼓動が激しくなって、よく分からない汗や感情が、無限に湧き出てくることを初めて知った。
……突然冷静になり、自分の顔は今どんな風になっているんだろう、そもそも汗臭いんじゃないか、なんてことを考えていると、浅川さんが、乾いた涙や鼻水と、新しい涙と鼻水とでぐちゃぐちゃになった顔で笑い、いつもの調子で口を開いた。
「……今のは、愛の告白かな? かな☆?」
……そんなぐちゃぐちゃな顔してたら百年の恋も冷めるぞ。浅川さんのさっきのセリフだって、十分愛の告白に聞こえるけど、と言おうとしたら、浅川さんも気づいたのか、みるみる顔が真っ赤になった。仕方ないから、今回は許してやる。
「違う。……あくまで友達として、部活仲間としてだよ」
「……あはは。あと、お弁当、まあまあだったよ。私のほうが上手かも」
「そこは嘘でも美味しかったって言え」
「はい、ごめんなさい☆ お詫びに今度愛を込めて作ってきてあげるよ♡」
コイツ……元気になるとすぐ調子に乗るんだな……。調子に乗ったこと、後悔させてやるよ。
「ああ、愛妻弁当楽しみにしてるよ、玲奈」
「ちょっ……! もう!」
外に出ると、雨は止んでいた。雨上がりの夕方、蒸し暑い空気と、隣には小太陽。今日も暑いな。




