第九話之五「合宿するの?」
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「あー……。どうしよ、これから」
同時刻、男子トイレ。いつまで経っても治らない浅川さんの機嫌。ご飯で回復するほど浅川さんは単純じゃなかった。
俺は鏡の前に立ち自分の顔を見た。ひどく疲れた微妙な顔。浅川さんの表情がどうこう言ってたが、俺も十分酷い顔だった。
気を引き締めるため、バシャバシャと顔を洗う。……よし、トイレから出たら謝ろう。原因は正直分からないから、「配慮が足らなくてごめん」みたいに、なんにでも当てはまる感じで。
そう決心して、小便器に向かった時、聞きなれた声の、聞きなれない悲鳴が聞こえた。
「……いやああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
……浅川さん!? 何があった、不審者か!?
突然の悲鳴に、俺は酷く動揺した。浅川さん以外に誰もいないはずの女子トイレで上がる、明らかに異常を知らせる大きな悲鳴。こんな声、芸能人か不審者に遭遇した時しか出さないだろう。
……つまり、女子トイレに不審者が潜んでいた。
考えるより先に、俺の足は女子トイレに向かっていた。
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「……浅川さん! 大丈夫か!」
女子トイレ内に響き渡る、おりべっちの声。おりべっちが助けに来てくれた! ……怖い、怖いよ、おりべっち! 早く来て……!
「おりべっち! た……助けて!」
「……! そこか! 待ってろ! オラ不審者! てめえ俺の玲奈に何してくれてんだオラァ! もっくんだったら生きて返さねえぞ!?」
早く、お願い! ……って、不審者? もっくん? ……あ、おりべっち、もしかして私が不審者に襲われてると思ってるの?
……って、私今おしっこしてるじゃん……! ちょ、ダメだ、ダメダメ!
「いやああぁぁぁ! やめっ……ダメ! ダメダメ! おりべっち!」
「!? オイ! ふざけんなよお前! ここ開けろゴラァ!」
何を勘違いしたのか、おりべっちは鍵を壊そうと、扉に向かって体当たりを始めた。まずい、早くしなきゃ……。でも立てない……!
「ダメ! やめて! おりべっち! おりべっち!」
「……! ……ウオオオオオラアアァァアア!!」
ドガン! と大きな音を立てて鍵は壊れ、ついに扉は開けられた。
はい、もうお嫁に行けません。
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「浅川さん!!」
不審者からの助けを求める必死な声に、俺は本気の体当たりを扉にかました。ついに鍵は壊れ、扉は開く。……浅川さん! 今、助け――
「浅川さんから離れろや藻屑野郎! ……って、あれ?」
個室の中には、浅川さんが一人。
視線を下すと……ギリギリ、スカートで大事な部分は隠れているが、膝の辺りには、以前とは違い、少し可愛いデザインのオパンティーがこんにちはしていた。……あ、こんばんは、か。
「……いやあああぁぁぁぁ!! 変態!! 出てって!! 誰か!!」
え? どこだ!? 上か!?
……あ、俺か。
「早く!! やだ!! 見ないで!! お願い!!」
ヤバい、浅川さんは完全に取り乱している。こんな大声で叫ばれ続けたら、きっと誰かに気付かれるはずだ。
もしも先生に現場を目撃されたなら、たとえ俺が「一方的に襲った」と証言したとしても、浅川さんの性格上、俺をかばおうとするだろう。そうなれば、確実に俺達二人は退学コースだ。
「浅川さん! 落ち着いて!」
「もがっ!? もがががが、んんー!」
俺は、咄嗟に浅川さんの口を手で塞いだ。浅川さんは、必死に何かを訴えようと、俺の手を両手で掴み、足をばたつかせる。だが、今は心を鬼にして、浅川さんの興奮を落ち着かせなければ。
後で、ちゃんと謝るから許してくれ。そう願いながら、浅川さんが観念するのを待った。
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「う、うええ……。ひ、ひぐ、ふえ、うっ……。……わたし、よ、汚され、ちゃった、ひぐ」
「ご、ごめんって、ほんとに……。まさかゴキブリだとは思わなくて……。げ、元気出して」
口をふさいで三分。ようやく浅川さんは落ち着いた。気付いた時には、浅川さんは、下ろした自分の下着のことなど忘れ、ただ号泣していた。
「こ、こわかった、ぐすぐす。……あと、はやくでてって」
「はい……」
……あ、俺トイレ済ませてなかった。浅川さんが元気になるまでに行っとくか。
「浅川さん、ちょっとトイレ行ってくる。出口で待ち合わせよう」
「……うん、ひっ……ひぐ」




