八章 ライクレス 93 決戦の朝
・・・一・・・
ライクレスは一人で櫓にいた。コーデラルを送り出してからいろいろな想いが浮かんでは消え、とうとう寝付けないままで朝を迎えてしまった。
眠りを妨げたのは、戦いを前にした気持ちの高ぶりではなかった。昨夜逃がした子供達のことでもなかった。いつまでも猛々しい夫としてコーデラルの記憶に残る鮮やかな死に様を考え続けていたせいであった。ぶざまな戦いをして、共に歩んだ三十年以上の年月をコーデラルに無駄に思われたくなかった。
・・・コーデラルとは別れを済ませた。子供達を守り通したとしても、ここにはもう戻らない・・・
一日は短く一年は長く感じるが、年月を経てから遡ればどちらも同じであった。月夜のランプ祭りで結ばれてから、昨夜の別れまでが夢のように思われた。
・・・夢でもいい。夢の終わりにもう一度会いたいものじゃ・・・
大きく息を吸い込んだ。
櫓からは夜の暗黒色が薄まり、徐々に見慣れた風景に変わっていく様がよく見えた。まだ肌寒く感じるが、すぐに心地よい風が吹き、日射しが空気を暖めていく。血生臭い一日の始まりには似つかわしくない美しい朝の訪れだ。
視線を下に向けるとドルスパニア軍の姿があった。夜通しかけて引き返しそのまま戦った疲れも取れ、快活な朝の訪れを楽しんでいるに違いない。朝食の支度をする兵士達が幾筋もの煙を白く立ち上がらせていた。
・・・今日は長い一日になりそうだ・・・
戦いを前にして双方とも死の不安を共有していた。勿論攻める者より攻められる者の方が、強く死を意識せずにいられなかった。馬さえも多くの血が流されるのを感じ取っているのか、苛立ったようないななきを絶やさなかった。
「ライクレス、早い目覚めだな」
カラーイが櫓に上がって来た。
「ああ、よく眠れなかった」
「わしも同じだ、とは言いたいが、長年連れ添った女房が寝かせてくれなかった。わっはっは」
磊落に笑うと、手摺に両腕を乗せ前屈みになっているライクレスと同じ格好をした。
「お前のその明るさが羨ましい」
「『なるようにしかならぬ』はわしの口癖だからな。で、コーデラルの姿を見ないが、別れはすませたのか?」
「コーデラルは子供達と一緒に行った。弓を背負い、剣をさして・・・あの夜の格好そのままで・・・な」
コーデラルとの別れを話した。昔と変わらない妻の秘密は打ち明けなかった。話せば信じてくれるかも知れないが、自分だけのものとしておきたかった。
「そうか・・・コーデラルがなあ・・・」
カラーイはそれ以上聞かなかった。
「あれをどう見る?」
ライクレスが指差す先を見た。
「大小の荷車か?奴等の動きからすると、武器のようだな」
兵士達が荷車周辺で慌ただしく動いていた。攻撃の準備に取りかかっているようだ。覆いを取り外して荷台から盛んに物資を降ろしていた。とりわけ大きい六輪車の荷台には奇妙な長い筒が載せられていた。
「うむ。六輪の大型車が主力だな」
「三台もある。正面に一台、左右に一台ずつだ。今度こそ本気を出す気だな」
「昨日の敗戦で油断を悔いたのだろう」
「お前の読み通り、難しい戦いになるな」
「ああ」
無言で二人は兵士達の姿を追った。動き回る兵士達はみな若く、時々砦を見ては何事か話し合っている。時折白い歯を見せるのは自信の表れになのだろう。
「奴等はいつ始める?」
「そうだな・・・あの連中の準備が終わった時が、奴等の攻撃開始時間だ」
「わかった。そんなに先ではあるまい。俺は仲間のところに戻るが、伝言はあるか?」
「こちらからは先に仕掛けるな。できるだけ近くまで引き寄せ、叩くしかない。皆にそう伝えてくれ」
「承知した」
カラーイは櫓を下りかけていたが、急に引き返して来ると、ライクレスの手を握った。互いの心に通じるものがあった。ミエコラル祭りで会ってから気が合い、兄弟のようにして付き合ってきた。
「面白い人生だったな。どちらが先に死ぬかわからんが、あの世で待っていてくれ」
カラーイがその気持ちを言葉に出す。
「ああ。無駄死にはするな。もっとも、お前みたいな嫌われ者は長生きするから、その心配は不要かも知れない」
「わっはっは。それはお互い様じゃ。楽しくやろうぜ」
足音を響かせ階段を下りていった。
ライクレスは見送ると、階下へ通じる扉を締めて鍵をかけた。内側から開けない限り中には入れない。何があっても櫓から下りないと決め、自らの退路を断ったのだ。
「コーデラル、さらばじゃ」
そう叫んで櫓から鍵を力一杯遠くへ投げた。コーデラルが戻って来ないとは思いながらも、助けるためでなく最後を見取るために現れそうな気がした。その思いをも投げ捨てた。鍵は日射しを反射して一瞬輝いたが、すぐに見えなくなった。ライクレスは大声を出して初めて泣いた。




