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七章 コーデラル&アレイア 90 キューリス

・・・十一・・・


 ショダンは元の場所に戻ろうともせず、そのままの勢いで右手を上げながら颯爽と去って行った。

・・・見え隠れする深い谷底を恐れず、敷板を踏み切る真似ができるだろうか?・・・

 考えてもどうにかなるものではない。指揮者を引き受けたのは、先頭に立つ覚悟があったからだ。がむしゃらに前に突き進むしかなかった。

「行くぞ!」

 描かれた吊り橋の端に立った。ショダンンの残像が消えない内に同じようして跳んでみることにした。

 大きく深呼吸すると、強く踏み出す場所に視線を集中させ、最初は小走りに、近づくにつれて勢いをつけ、全体重を叩きつけるようにして跳躍した。思ったより体が高く上がり、次に踏み出す場所がはっきりと見えた。

 右足、左足、また右足と、小気味いい踏み音を上げながらキューリスは跳び続けた。身体の軸もほとんどぶれず、舞い上がる土埃も妨げにはならなかった。眺めている時は長く感じた橋だが、実際に跳んでみると末端までさほど時間はかからなかった。

 元の場所まで引き返しながら、地面につけた足跡を確かめた。地上絵の谷渡りは、ショダンに見せたいくらいに上手くいった。全てが敷板の中心に見事なまでに納まっていた。

・・・跳べることはわかった。あとは心が耐えられるかどうかだ。それに俺がしくじってもサイノスが何とかするだろう・・・

 ほぼ完璧な形で描かれた橋を渡れたことに安堵して、流れる汗を拭きながら他の仲間達に目を向けた。ショダンが先発組と後発組を選んでいる様子が見えた。遠くから見ても二つの組の差は歴然としていた。ひ弱な者やおとなしい娘、年少者は、当然のことであるが、キューリスが率いる後発組にされていた。

・・・浮かれている場合じゃない。後発組を無事に渡す役目を引き受けたからには、命に代えてもそうしなければならない。しかし・・・力が違いすぎる・・・

 自分が恐れずに渡ればすべてが上手くいき、できなくてもサイノスがやってくれると楽観していたが、ショダンに教えられた実際の橋はそんな生易しいものではなかった。サイノスが指揮者となっても、後発組の大部分が犠牲になりそうな気がした。

・・・どうすればいいんだ!・・・

 任された役目の重みがのしかかってきて、思わず頭を抱えて地面に座り込んでしまった。この場から逃げ出したくなった。

「はい、キューリス。あなたの食事よ」

 明るい声がいきなり頭上から降ってきた。悲嘆にくれた青白い顔を上げると、そこには食べ物を山盛りにした椀を持ってアレイアが立っていた。

「君か?ありがとう・・・でも食べたくない。しかし・・・食べなければ、力も出ない、いい案も出ない・・・こんな俺を笑いたいか?」

 アレイアとは普段から仲が良かった。微笑につられて本音を口にした。

「ばかね、あなたを見直したのよ。サイノスの指名を堂々と受けたでしょ。指名したサイノスもびっくりしていたわ」

 ことさら目を大きくして驚き顔を作った後、娘らしい弾ける笑い声をあげた。日焼けした顔に白いきれいな歯が光った。

「そのためにこんなに悩んでいる」

「あなたらしいわ。ところで後の組になる人は決めたの?」

「先発組に入らない残りだ。わざわざ選ぶ必要もない。君ももう行ったほうがいい」

 アレイアの身軽さを知っていたから、『先に行って待っている』とでも言いたくて、姿を見せたのかと思った。

「ショダンの組?私が・・・。吊り橋渡りに自信がないの。あなたの自信に賭けるわ。よろしくね!」

 踊りを申し込まれた娘のように、スカートの裾を持って少し膝を曲げた。

「こんな時に冗談はよせ。指揮者になってもおかしくないほどの者が、後発組になるわけがない」

 不機嫌になった。真面目な悩みをからかわれた気がしたのだ。

「どちらの組に入るかは自分で決めるわ。誰にも文句は言わせない。私は近くであなたの渡る姿を見たいの」

「何故そんなわがままを言う?」

「わがままじゃないわ。あなたが好きだからよ。顔もよく見えない所でのんびり待っていられないわ」

「アレイア・・・」

 不覚にもキューリスは涙を流してしまった。

「大丈夫よ、私が守ってあげる」

 アレイアは跪いて、キューリスの顔が胸に埋まるのも構わず抱きしめた。

「ありがとう」

 普段なら人目を気にして突き放していただろう。仲間にこんな姿を見られたら、後々まで冷やかされるのは間違いなかった。しかし柔らかい胸に顔を埋め、いい香りに包まれていると妙に心が安らいだ。涙がとめどもなく流れ、アレイアの胸を濡らし続けた。

「もう少しこのままでいさせてくれ」

 暫くして、気持ちが落ち着いたキューリスは照れた風に身体を離した。

「これを見てくれ」

 ショダンが地面に描いた吊り橋を見せ、渡る難しさと、責任に押し潰されそうな心情を包み隠さずに打ち明けた。黙って泣かせてくれたアレイアに、全てを知って欲しかった。アレイアは形のいい唇を人さし指で軽く押さえ、時々頷きながらキューリスの話を聞いた。

「よくわかったわ。あなたは吊り橋を渡れそうだけど、後発組を渡す術が思い浮かばない。あんな大見えを切ってしまったからには、今さらその役目を返上できない。だから悩んでいる。そうよね」

「恥ずかしいが、その通りだ」

「隙間を見えなくすれば、間違いなく跳べるのね・・・いいわ、ここで待っていて。私にいい考えがある。あれであなたを助けてあげる。戻るまでにちゃんと食べなさい」

 アレイアは椀を押し付けると、その場から小走りに去って行った。


「起きてよ、起きて!」

 身体を強く揺り動かされ、キューリスは目覚めた。目の前には眉間にしわを寄せ、怒った顔をしたアレイアがいた。

「君か・・・。そんな怖い顔をするなよ」

「まさか寝ているなんて思わなかったわ。意外とあなたも強い心を持っているのね。どうして高い所が苦手なのかしら?さっき私の胸で泣いていたのが嘘みたい・・・」と言いかけ、自分の言葉に真赤になった。キューリスの涙に感動して抱きしめたものの、よく考えてみたら若い娘らしからぬと振る舞いだった。

「それよりこれを見て!」

 動揺した気持ちを隠すように慌てて鞄から綺麗にたたんだ布を取り出すと、寝起き顔のキューリスの鼻先に突きつけた。

「広げてみて」

 キューリスは言われるままに広げた。幾何学的な模様をした布は布と呼ぶにはあまりにも軽く、血を思わせるような赤色をしていた。その色と模様に身体毎吸い込まれそうな感覚がした。

「これはね、おじい様が昨夜砦を出る時にくれたものなの。代々家に伝わる布で、『私を守ってくれる』と言っていたわ。見せてはいけないものだけど、あなたの窮地を救うためにはこれを使うしかないの」

 アレイアは祖父から渡されたその布を身体に巻きつけていた。布を取り出すには一度服を脱がなければならなかった。キューリスの前でそうするわけにもいかず、近くの繁みの中で取り出して来たのだ。

「あなたに使わせてあげる」

「使うとは?」

「わからない?吊り橋の隙間に敷くのよ。谷底が見えないから、目をつぶっても渡れるわよ」

 アレイアはいとも簡単に解決方法を提案した。キューリスは一瞬喜んだが、頭を左右に振ってこう言うしかなかった。

「君の気持ちを無にするわけじゃあないけど、布では隙間は塞げない」

「あら・・・?・・・慰めじゃあないのよ。本当にこの布はそれだけの力があるの。信じさせてあげるわ」

 キューリスの手を引いて、森の中に入った。そして仲間から見えない場所で立ち止まると、傍らの大木の幹を布で何重にも巻きつけた。

「布ごと斬ってみて」

 布の端を軽く縛り、振り返ってキューリスに促した。

「いいのか?せっかくの布が台無しになるぞ」

 そう断ってから剣を抜くと、言われるままに何度も斬りつけた。アレイアはその様子を見守っていた。

「その位でいいわ。剣を持つと何倍も男らしく見えるわ」

「からかうのは止めてくれ。こんなことをしてどうなる?」

「こっちに来て、よく布を見て」

 布をほどいて幹を指差した。あれほど何度となく斬りつけたのに、傷はおろか窪みさえなかった。

「布も見て頂戴」

 布にも変化がなかった。

「信じられない・・・どうして・・・」

 直接刃を当てて斬ろうと布を二つ折りにし、その中に剣を差し込んで力を入れた。しかし刃が滑るだけで布は一向に斬れなかった。

「これはすごい。こんなにしても切れないのだから、踏みつける力など簡単に受け止められる。ショダンにも見せやろう。貸してくれ」

 途方もない強さを知ったキューリスは、勇躍してアレイアに申し入れた。頼めばすすんで貸してくれると信じていた。

「それはできないわ。先発組は自分の力で渡れる人達でしょう」

 アレイアは即座に断った。

「何故だ?仲間が無事に渡れるじゃあないか!」

 意外な答えを聞いて、思わず気色ばんだ。

「おじい様との約束があるの」

「約束?」

「さっき言ったでしょ。誰にも見せてはいけないものだと。それに先発組は心配しなくても大丈夫よ。ショダンが隙間の大きさを話しているわ」

 そう説明してもキューリスはまだ不満げな顔をしていた。

・・・砦で聞かされた秘密を話さなければ、納得しそうもないわ。布を見せたからにはおじい様もきっと許してくれる・・・



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