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七章 コーデラル&アレイア 89 吊り橋

・・・十・・・


 地図で示された場所に着いた。小高い山に張り付く様に作られた小さな建物が遠望できた。昨夜までの砦とは比べようもなく、お世辞にでも砦とは呼べないものを見て、今更ながら手入れ話が自分達を逃がす言い訳であることを思い知らされた。

 吊り橋までは一本道だったが、使われた痕跡がほとんどなかった。

「橋まで競争だ」

 いきなり走り出した子供を追って、歓声を上げながら残りの者達が続いた。今までの緊張感を一気に晴らし、本来の明るさを取り戻すような勢いだった。

「俺が一番」

「いや僕だ」

「私よ」

 先に着いた者から一列に並んで、自然と谷底を見下ろす形になった。空へ向かって吹き上がる猛烈な風が、居並ぶ者の髪を逆立てる。堅い岩盤と冷たい風のせいで、周辺の木は大きく育たず妙な形にねじ曲がっていた。

「どう?渡れるかしら?」

「長い橋だなあ・・・」

 ポレルとバーブルは少し不安を感じていた。ライクレスから聞いて想像はしていたものの、それをはるかに上廻る谷の深さと対岸までの距離だった。またそれ以上に、吊り橋には驚かされた。誰も渡らせまいとして目の前に立ち塞がり、わざと風で身を揺らしているように見えた。

「どうだ、サイノス?」

「う〜ん・・・意外とこれは厄介だぞ」

 腕を組み、目を細くして橋を見つめた。サイノスは考える時はいつもこうだった。

「でも・・・渡るしかない。ショダンはいるか?」

「ここだ」

 一晩でお調子者の印象をすっかり消し去ったショダンが前に出てきた。サイノスを助けて懸命に役割を果たす姿に、仲間の信頼も増していた。

「お前はこの中では一番身が軽い。最初にこの吊り橋を渡ってくれ」

「任せてくれ。俺しかできない難しさだな」

「いいか、絶対に足元は見るな。正面だけを見て歩け」

 ショダンは仲間の視線と期待を一身に受けて吊り橋に向かった。腰に細い綱を巻き、万一に備えた。

・・・大きく揺らさないように慎重に進もう・・・

 歩き始めは順調だった。しかしそれも束の間、数十歩進んだ頃から揺れが大きくなった。左右の揺ればかりでなく、上下の揺れも加わった。頭の中で『下を見るな!前を見ろ、前に進め』という言葉を繰り返した。強い揺れに翻弄され足元は覚束ないが、自分を懸命に励ましながら歩き続けた。

「うわっ」

 踏み出した足が突然支えを失い、同時にばったりと前に倒れた。手を衝く暇もなく敷板でまともに顔を打ち、気を失うほどの痛みに思わず悲鳴を上げた。板の隙間からは深い谷底が見え、強い風が顔に吹きつける。小さく光る水面を見て、サイノスがさっき言った言葉の意味がわかった。

・・・想像以上の高さだ。落ちれば命はないな・・・

 必死で立ち上がり、足元を見ないようにまた歩き始めた。

「えっ!」

 数歩も歩かない内にまた倒れた。さっきとまるっきり同じだった。

・・・足元を見るしかない・・・

 サイノスに止められていたが、理由を確かめられずにはいられなかった。ゆっくりと頭を下げ、足元に視線を落とした。

・・・こ、これは・・・

 膝が恐怖でがくがくと震えた。倒れた理由は一目でわかった。隙間なく並んでいた敷板が、真ん中付近から大きく開けられているのだ。最初に倒れた所がその始まりだった。

・・・揺れを少しでも和らげるために、大きな隙間を作り風の通り道にしたのだな。足元を確かめるには恐怖に打ち勝つしかない・・・

 勇気を奮い起こして足を進めた。振り返ると、固唾を呑んで見守っている仲間達が見えた。役目の大きさを思えば、谷底への恐怖心に押しつぶされて引き返すわけにはいかなかった。命を懸けて前に進むことしか考えなかった。

 中間の難所を越した所から、また敷板の間隔が元に戻った。ショダンは遅れを取り戻そうと駆け出し、そのまま一気に渡り切った。

「やった、やった」

 対岸に着いたショダンは、大袈裟過ぎる程に身体全体で喜びを表した。その姿を見て、二度倒れた理由がわからないまま心配していた者達が歓声を上げた。

「うまくいったようだな」

 渡り終えたのを見てサイノスがつぶやいた。『前だけ見て歩け』と忠告していたが、広い隙間の存在を想像していなかった。

「さあ、橋を渡るぞ。もう一頑張りだ」

 サイノスは興奮が続いている今が好機と考え、一気に渡らせることにした。谷を渡れば安住の地。寝場所と食事、休息ができる。

「あれ?ショダンが戻って来る」

 二番手で渡ろうとした者が、戻って来るショダンの姿を見て立ち止まった。行きと同じように最初は素早く、そして中間部は危ない足取り、それ以降は駆け戻って来た。

「大変だったな。さすがに身のこなしが軽い。向こうで待っていればよかったのに」

「ちょっと話がある。皆の出発はもう少し待たせてくれ」

 息切れしていないが、青ざめた顔がサイノスは気になった。何時にないショダンの真剣な顔に不安を感じた。

・・・どうやら、難問があるらしい・・・

「よし、みんな。ここで食事と休みを取ろう。食糧は谷を渡るには邪魔になる。ただし、食べすぎないようにしろ。重くなると橋が落ちるぞ」

 笑いが起きた。やっと追われる恐怖から解放され、火をおこす者、水を汲む者、料理を作る者と別れて手際よく準備を始めた。


 サイノスとショダンは仲間から離れた。ポレルとバーブルも一緒に話に加わる。

「話を聞こうか・・・」

「渡る上で厄介な難問がある」

「難問?古すぎて壊れそうなのか?」

「そうではない。一人ずつなら十分に渡れる強さだ。揺れは大きいが慎重に進めば問題ない。ただ・・・こちらからは見えないところで・・・・」

 と、敷板よりも広い隙間について説明した。そして「その箇所を渡るにはただ歩くのではなく、勢いをつけて大きく跳ばなければならない」とも付け加えた。

「隙間に板を張れないのか?」

「谷底から吹き上げる風の通り道になっている。それを塞いでしまうと、かえって橋が不規則に揺れてとても渡れない」

「じゃあ風が止まった時に渡らせるか?」

「それが一番いい手だが、それを調べる余裕はない。谷底さえ気にしなければ遊び感覚で渡れる。落ちる恐怖心を煽る大きな隙間を克服すれば・・・の話だが・・・」

「恐怖心か・・・ショダン、お前はどうみる?」

「高所でも動じない者が半分以上いる。その者達は心配ない。残りが厄介だ」

 シュットキエルの子供達は、森の民として育つ中で高所には慣れていた。しかし、あまりに深い谷を見てしまうと身体が固まり、怯んで渡れない者もいそうだった。

「無事に渡らなければ、家族を犠牲にして夜道を逃げてきた意味がない」

「そうだ、一人も残すわけにはいかない。みんなの知恵を出し合おう」

 サイノスはそう言って一度話を終わらせ、再び年長者だけを集めて相談した。いろいろな意見が出たが、誰もが納得できるいい案はなかった。

「とにかくやるしかない。絶対に二人同時に渡れないから、気弱な者に勇気を待たせるしかない。ショダンは渡れる者選びとその指揮をしてくれ。お前達が渡るのを見れば自信のない者にも挑戦する勇気が湧く」

 サイノスはこう締めくくって決断した。決断の源にしたのは、「不安が渦巻く中では、決然と判断を下した方うまくいく。遅くなればなるほど、よくない方向に向かっていく」との思いからだった。「高所が苦手な者」と言わず、「自信のない者」と言うことで、少しでも気持ちを和らげようとした。 

「みんな集まれ。橋を渡るために二つの組に分かれるぞ」

 休んでいた子供達を集め、大まかに二組に分けた。先発組はショダンに選ばせた。問題は残りの組になった者達に渡る勇気、高所に打ち勝つ心を持たせる方法だった。

・・・後発組の指揮者を誰にしようか・・・信頼され、不安を取り除ける者を選ばなくてはならない。それに誰もが簡単に渡れると思う者では駄目だ。また心底臆病な者にも任せられない。臆病な面はあるが、いざとなれば勇気を出せる者でなくては・・・

 指揮者の人選を考えていたサイノスの目が、発言もせず俯いている一人に注がれた。キューリスだ。

・・・うん、彼がいい。高所が大の苦手と誰もが知っている。臆病者と言う者もいるが、オクキタヨ軍との戦いでは多くの敵兵を倒した。それも安全な木の上からではなく、敵により近く逃げ場も少ない藪の中からだ。それからして臆病者ではない。ただ高所恐怖という唯一の欠点が、この話に限っては俯かせている・・・

「キューリス。後発隊の指揮者になってくれないか?お前が渡れば誰もが安心して吊り橋に挑んでくれる」

「えっ!キューリスだって・・・」

 一斉に驚きの声が上がった。確かにサイノスの言葉通りだが、欠点を知る者達は役が重過ぎると感じた。当然にキューリスが断ると思った。

「任せてくれ。俺が最初に渡れば、みんなも安心できるだろう。高所嫌いのことはよく知られているからな。万一失敗した時は、他の者が指揮をしてくれ。」

 サイノスのような大声ではなかった。しかし、その淡々とした口調には妙な説得力があった。

「よく承知してくれた。キューリスにやって貰おう。食事が終わったらショダンの組から出発する」

 願ってもない形で結論が出たところで、年長者達は解散した。

「キューリス、見直したぞ」

 それぞれの場所に戻る際に、仲間達はキューリスの肩を叩いて激励した。

「俺も同じ思いだ。お前が引き受けてくれて、助かった」

 サイノスはもう一度声をかけた。その時になって小刻みに震えている姿を目にした。

「大丈夫か?」

「ああ。つい大口を叩いたが、いい考えは何にもない。ショダン達が渡り終えるまでには時間がある。それまでが残された時間だ。処刑の時を待つ罪人のような気分だ」

「何を今更・・・じゃあ何故引き受けた?」

「あの場面ではそう長い議論もできないだろう」

「確かにそうだ」

 年長者の長い議論は、待っている年下の者に不安感を抱かせる。サイノスもショダンの話を聞いて、吊り橋を渡る上での急所が理解できた。半数まではいかないが、キューリスに似た者の扱いを決めれば、食事後すぐに出発できる。キューリスが躊躇しないで指揮を引き受けてくれたため、議論が長引かずに終わって幸先がいいと思った。

「俺も自分の弱点がわかっている。克服するきっかけが欲しいと思っていた」

「でもな・・・自分でも覚束ないのに、他の者を無事に渡らせられるのか?」

「俺が落ちた時はお前が何とかしてくれ。命懸けでやるが、高所への怖れはお前達には理解できない。だが・・・高所嫌いの俺が渡り切れば、自信のない者も勇気を出して挑んでくれるだろう」

 この言葉にサイノスは人選が的を射たと確信した。以前のサイノスであれば、キューリス達の怖れを理解できなかったに違いない。しかしオクキタヨを斬って怖れを体験した彼は、高所を怖れる者達を蔑んで見る気にはなれなかった。人の心にはそれぞれ違った弱さがあって、他人がそれを批判すべきでないと知ったからだ。

「安心しろ。お前の後は俺がやってやる。死んでも落ちるなよ」

「無茶を言うな」

「お前を死なせたくない。落ちたら首を取りに谷底へ降りていく」

「二度痛い目を味わうわけか・・・これは何としてでも渡らなければ・・・」

 二人は顔を見合わせて笑った。キューリスの顔は恐怖心が薄れたかに見えたが、笑い顔に反して目の輝きはまだ感じられなかった。


 サイノスと別れるとキューリスはショダンを捜した。吊り橋を渡る方法を考えるには、往復したショダンの話を詳しく聞かなければ始まらない。指揮者として先頭に立つとは思いもよらなかったが、サイノスの言葉に何故だか反応してしまった。一度決心が固まると、驚くほどに大胆な気持ちになれた。

 ショダンの姿はすぐに見つけられた。食事の支度をする者から離れて、一人地面に棒きれで線を引いている。傍で数人の仲間が長い綱と杭を持っていた。

「ショダン、ちょっといいか?」

「やっぱり来たな・・・もう少しで終わるから待ってくれ」

 キューリスが来るのを予想していたようだ。線を描くのを途中で止めようとせず、自分の歩幅で長さを測り、そこに印をつけて更に線を書き足していく。

「よし。これでいい」

 線を描き終えると、もう一度その上を歩いて何事かを確認した。

「その線に合せて、綱を地面に打ち付けてくれ」

 ショダンの指示で仲間達が引かれた線に杭を打ち込み、その杭に綱を結び始めた。キューリスは傍で黙ってその様子を見ていた。

「・・・これは・・・」

 作業が進むに従って、浮かび上がるものがあった。聞きたい答えが目の前に見えて来た。

「お前が知りたいのはこれだろう」

「ああ、それがそうか・・・」

 地面に描かれたものは吊り橋そのものだった。長さが短いのは、一番の難所だけを描いているからだった。

 最初に目についたのは、縦線に交差している横線だ。二つの線で区切られた小さな長方形それぞれが、吊り橋の隙間と敷板との間隔を表わしている。

・・・大きい隙間が谷底の見える問題の隙間だな。考えていたよりずっと大きい。人がそのまま落ちてもおかしくない大きさだ・・・

「この絵が橋とすれば、渡れる者は少数しかいない・・・」

 自信を失ったキューリスの声は小さくなった。地面に杭と綱で描かれた橋を見ると、渡る困難さが現実味を帯びて襲って来た。

「心配するな。幼い頃は誰もが木の上で遊んでいた。成長するに従って学んだ知識が、恐怖心を育ててしまった。邪魔するのは跳べないと思い込む心だ。弱い心をほんの少し強くすれば渡れる」

「心の問題であることは、十分過ぎるほどにわかっている・・・」

 俯くキューリスに、少しきつく言い過ぎたかと思った。

「言い過ぎた。お前が渡れば後の者も続く。逆に渡れなければ、萎えさせてしまう。ここで忘れてならないのは、『渡れない者には明日はない』ということだ。俺はそのために橋を地面に描いた。本物の橋と寸分の狂いもないものだ。見ておけ」

 ショダンはそう言い残すと、地面の線上を走り始めた。

「それっ」

 勢いをつけると大きく跳んだ。身体は宙に舞い、難所と想定した敷板の部分を正確に捉え、軽やかに突破して行った。




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